前田静良

ひぐらしの記

「悪徳の栄え」、人間不信

言葉は必要に応じて生まれる。もちろん、事象が無くなれば死語となる。そして古来、事象が無くならないため、今なお存在する言葉は数多(あまた)ある。その一つには、「正直者は馬鹿を見る」、という成句がある。必ずしもすべてが意図した不正ではなく、制度...
ひぐらしの記

遅すぎた決断

十月三十日(金曜日)、ぐずついていた決断を実行する日がやって来た。予約時間は午前十時である。結構早い時間のため、起き出すとその準備のため気分のソワソワを強いられている。もちろん、虚しい気分である。決断が遅れていた歯医者への通院である。このた...
ひぐらしの記

久しぶりの「卓球クラブ」

きのう(十月二十八日・水曜日)は、まったく久しぶりに卓球クラブの練習へ出向いた。体育室へ入る前にはおでこの近くで体温計が翳(かざ)されて、女性スタッフ(職員)による検温があった。体温計は、三十六度と示していた。私はにっこり、「平熱です」、と...
ひぐらしの記

やんぬるかな! 吐息

今さら言うのも烏滸(おこ)がましいけれど、新型コロナウイルスの終息の兆しはいまだに見えない。それどころか、メディアの報ずる感染者数を見るかぎり、再び勢いを強めて増える傾向にある。世界的にもこの傾向は、日々伝えられてくる。きわめて、厄介なこと...
ひぐらしの記

日本社会の動きの一端

きのう(十月二十六日・月曜日)には、第二〇三回臨時国会における菅政権の本格スタートを飾る、菅総理の初めての所信方針が行われて、テレビ中継があった。いよいよ、菅政権の本格船出となった。国民としても新たな期待を持って、菅政権に舵取りを託す日とな...
ひぐらしの記

休み明けの切ない一文

十月二十六日(月曜日)、きょうもまたほぼ同時刻に目覚めて、そのまま起き出してきている。良いのか悪いのか? 秋の夜長にあってはいまだに夜中(二時半頃)であり、やはりありがたくない習性になりつつある。ただありがたいことは、まったく寒さを感じない...
ひぐらしの記

休みます

きのう(十月二十四日・土曜日)は、待ち焦がれていた秋天の暖かい陽射しに恵まれました。私は心勇んで、いつもの大船(鎌倉市)の街へ買い物に出かけました。どこかしこのお店、買い物客で賑わっていました。  きょう(十月二十五日・日曜日)、現在のデジ...
ひぐらしの記

浮かれ気分に水差す数値

新型コロナウイルスにかかわる文章はニュースにもならず、もちろん妙味に欠けるため、意識して書くのを避けてきた。そのため、私は無理やりネタ探しに努めてきた。きょう(十月二十四日・土曜日)もまた、そんな気迷い気分をたずさえて、パソコンを起ち上げた...
ひぐらしの記

秋の夜長の恩恵

このところの私は、せっかくの秋の夜長を恨めしく思うばかりだった。ところが、きょう(十月二十三日・金曜日)現在(デジタル時刻、3:00)の私は、秋の夜長にたっぷりと浸っている。すなわち、秋の夜長でなければ執筆時間に急かされて、時間の掛かること...
ひぐらしの記

萩の花びら

十月二十二日(木曜日)、パソコン上のデジタル時刻は3:28と刻まれている。秋の夜長にあっては、夜明け前と言うにはうしろめたいところがある。そのため、かなりの嘘っぱちだが、こんな表現を試みた。「秋の夜は、静寂(しじま)に深々と更けてゆく」。と...