ひぐらしの記 鳥、懺悔、と、愛玩鳥 山からわが家の庭中に飛んで来る鳥たちは、小鳥ではシジュウカラ、メジロが、一日に何度かの常連であり、子どもの頃に見慣れていたスズメは来ない。それゆえ私には、スズメは今や絶滅危惧の恐れのある小鳥に成り下がっている。もとよりスズメは、山に棲みつく... ひぐらしの記前田静良
ひぐらしの記 「春分の日」 「春日遅遅」、「春風駘蕩」、「柳緑花紅」、「百花斉放」、「百花繚乱」、「桜花爛漫」、「春眠暁を覚えず」などなど、春の訪れを悦んだり、楽しんだりする適当な四字熟語や成句は数えきれないほど、いや私の場合は覚えきれないほどにたくさんある。もちろん... ひぐらしの記前田静良
ひぐらしの記 詫び、謝辞は尻切れトンボ 三月十九日(土曜日)、きのうの真冬並みの氷雨をともなう寒気は遠のいて、穏やかに朝日が輝き始めている。雨は上がり、残っている雨の証しは、窓ガラスに今なお張り付いている無数の雨粒と、ほぼ平行に垂れた雨筋の幾筋である。季節は、まさしく「春彼岸」の... ひぐらしの記前田静良
ひぐらしの記 恐ろしさ、「地震、地震、地震、地震」 「巨人、大鵬、卵焼き」。こちらは、必ずしも不変ではない。「地震、雷、火事、親父」。どちらかと言えばこちらは、不変である。どちらかという条件を付したのは、親父のところが人さまざまに、置き換わるからである。 確かにこのところは、個人感情とは別... ひぐらしの記前田静良
ひぐらしの記 絶えず、脅かされる「命」 睡眠中に地震に襲われた。「助けてくれー」、と叫んでも、神仏は助けるはずもない。身を縮めて、揺れの収まりを待った。命の鼓動を確かめてみる。平常に動いている。八十一歳まで生き延びてきたことは、途轍もなく幸運・果報者なのかもしれない。ただ、その実... ひぐらしの記前田静良
ひぐらしの記 わが身体事情 三月十六日(水曜日)、起き出してきて、パソコンを起ち上げ、しばし机上に頬杖をついている。前面の雨戸開けっ放しの窓ガラスを通して、ほのかに夜明けが訪れている。このところの私は、冬防寒重装備を完全に脱ぎ捨てている。夜具のなかの一つである寝布団は... ひぐらしの記前田静良
ひぐらしの記 あてずっぽうの「人生考」 いまさら言わずもがなのことだけれど、人生と人命は絶えず、「生・老・病・死」という、四苦に脅かされている。さらにこれらに、「愛別離苦」、「怨憎会苦」、「求不得苦」、「五陰盛苦」という四つを加えて、「四苦八苦」の苦しみがあるという。これは、お釈... ひぐらしの記前田静良
ひぐらしの記 「文は人なり」、わが文章の評点は「0点」 「文は人を表す」。この成句はわが文章にたいする、証しと戒めである。実際のところは生真面目が勝ちすぎる、いやわが頑固な性格を映して、ユーモアの欠片もない硬い文章である。おのずから自分自身にも、ちっとも面白味がない。このことは飽きるほどわが身に... ひぐらしの記前田静良
ひぐらしの記 わが生涯学習の祟りなのか? 三月十三日(日曜日)、このところの体感温度と気温は、すっかり寒気を遠のけている。独りよがりにほくそ笑んでいたらそれもそのはず、間近に「春分の日」(三月二十一日・月曜日、休祭日)が訪れる。つれて、あんなに待ち遠しく思えていた春は、早や仲春へと... ひぐらしの記前田静良
ひぐらしの記 わが心身に漂う、閉塞感 「東京大空襲」と「東日本大震災」の映像がテレビニュースに相次いだ。歳月を経てもまったく風化や忘却のしようのない、人間界の愚かさと自然界の脅威がもたらした、リアルタイムに観ているような、限りない惨禍の映像だった。 時日を限った二つの映像とは... ひぐらしの記前田静良