ひぐらしの記 胸の透く、日本晴れ 十一月四日(金曜日)、きのうに引き続いて、胸の透く日本晴れの夜明けが訪れている。きのうは「文化の日」(十一月三日・木曜日)。文化の日前後は一年じゅうで最も雨なく晴れの日が多いという、過去の気象データに背かず、面目躍如たる晩秋の好天気だった。... ひぐらしの記前田静良
ひぐらしの記 文化の日 頃は良し、晩秋の大団円の「文化の日」(十一月三日・木曜日、祝祭日)の夜明け前にある。私は二度寝にありつけず、眠気眼と朦朧頭、加えて憂鬱気分の三竦(さんすく)みの状態にある。それゆえに、せっかくの好季節は、ズタズタに台無しである。起き立ての私... ひぐらしの記前田静良
ひぐらしの記 惜しまれる「命」 十一月二日(水曜日)、きのう一日、ぐずついていた天候を撥ね退けて、淡い日本晴れの穏やかな夜明けが訪れている。好季節の晩秋にあっては、欲張って日々こんな夜明けが欲しいところである。しかし、そうは問屋が卸さないのは自然界の常である。だとしたら、... ひぐらしの記前田静良
ひぐらしの記 十一月初日 十一月一日(火曜日)、壁時計の針は五時近くにあるのに、窓の外に夜明けは見えず、未だ暗闇である。しかし、このところの晩秋の好天気を引き継いで、夜明けの空に雨模様はないであろう。いや、そう願っている。私は、しばし書かずに済んでいた新型コロナウイ... ひぐらしの記前田静良
ひぐらしの記 十月末日 十月三十一日(月曜日)、のどかな晩秋の夜明けが訪れている。朝日は隠れているけれど、大空には浮雲の欠片さえなく、時を追って日本晴れに変わるのであろう。しかし、寝起きが遅れて心急いて、私はまともな文章が書けない。こんなときは休むにかぎるけれど、... ひぐらしの記前田静良
ひぐらしの記 『おんな太閤記』 十月三十日(日曜日)、二度寝にありつき遅く起きて、慌てふためいている。すっかり夜が明けて、見渡す限りまったくの雲なく、青く澄んだ晩秋の日本晴れにある。本当であれば気分良く、長い文章がスラスラ書けそうである。ところがそうとはいかず、殴り書き、... ひぐらしの記前田静良
ひぐらしの記 憂鬱気分直しの、愉快な柿の話題 十月二十九日(土曜日)、夜明けの空は朝日の見えない曇り空である。しかし、雨は免れそうである。わが起き立ての気分もまた、どんより曇っている。ただ、かろうじて涙は免れている。人生行路は茨道である。それゆえ常に、悲涙が寄り添っている。愚痴こぼしは... ひぐらしの記前田静良
ひぐらしの記 デジタル社会、私は生きる屍(しかばね) 十月二十八日(金曜日)、まだ夜明けの明かりは見えない。それゆえ、天気の良し悪しはわからない。だから今のところは、朝日に気分賦活の手助けを託すことはできない。夜明けて、できれば晩秋の日本晴れを望んでいる。そうなれば、格好の気分癒しとなる。なぜ... ひぐらしの記前田静良
ひぐらしの記 欲深いわが精神 十月二十七日(木曜日)、すっかり明けきった夜明けは、満天かぎりなく胸の透く晩秋の青空にある。このところの文章の冒頭は、夜明け模様の定型文へ成り下がっている。もちろん、こんなことではまずいと思うけれど、パソコンを起ち上げてまず見るのは、前面の... ひぐらしの記前田静良
ひぐらしの記 こんな私的なこと、書かなきゃよかった 十月二十六日(水曜日)、夜明け前の五時過ぎにパソコンを叩き始めている。しかし、眠気眼で朦朧頭である。最低、一週間ほどはと願っていた安眠は、中ほどで虚しく途切れた。二度寝にありつけないままに寝返りを繰り返し、挙句、悶々気分に脅かされて、仕方な... ひぐらしの記前田静良