ひぐらしの記

ひぐらしの記

前田静良 作

リニューアルしました。


2014.10.27カウンター設置

内田川(熊本県・筆者の故郷)富田文昭さん撮影

 

「八百万の神」にあって、私は「疫病神」

 三月二十七日(日曜日)、いつものことだけれど寝起きにあってのわが思考は、てんでんばらばらである。ネタ不足は、今や極限態にある。それを映して心中にはこんなこと、いやどうでもいいことが浮かんでいる。身も蓋もないけれどそれを文章にして、私はネタ不足を埋めようとしている。
 わが子どもの頃のわが家は、水車を回して精米業を営み、子沢山の生業を立てていた。そのためか両親は、ことのほか「水神(すいじん)さん」を崇めていた。いくら崇めてもご利益にはありつけないことくらい知りつつも、心の支えを願っていたのかもしれない。実際のところは加護などあてにしない、「おまじない」程度のものだったであろう。もとより神様とは、ご利益を求めてひたすら祈り、身銭を切って賽銭を投じても、まったく実益にはありつけないまぼろし(幻)の存在と、言えそうである。そうとわかっていても人間心理は神様の助け、かつ限りない恩恵を求めて、日々神様を崇める心情を絶やすことはない。
 これまたわが子どもの頃のわが家の朝の営みにあって、とりわけ両親は、備え付けの神棚を仰いで、深々と頭(こうべ)を垂れては合掌していた。しかし、敬虔な祈り姿ではなく、実際のところは夜明けを告げる「早起き鳥」を真似た、寝起きどきの習わしだったのであろう。何らあてにはならないと知りながら、日常茶飯事における神様すがりは、つまるところ人間の暮らし向きの困難さやつらさの写し絵であろう。そうであればやはり、神様すがりを無下にできないところもある。だとしたらもとより、神様すがりは深入りせず、確かにこんな程度でいいのかもしれない。
 【天神地祇(てんしんちぎ)】、すなわち「天つ神と国つ神。すべての神々」。水神さん(水の神)、山の神、海の神(わたつみ)、さらには広く地の神)。
 人間の心情の祈りだけに、人それぞれのそれを合わせれば、もとよりすがる神様の数には限りがない。他人様が難癖をつけようはなく、人それぞれに神様すがりは、確かにその程度で十分なのであろう。優しい女神もあれば、胡散臭い男神もある。日本の国には、「八百万(やおよろず)の神」が存在するという。すなわち、数値では表せない数限りない神様が存在する。そして、建前上はどの神様も、人間の味方(加護)を念じてはいる。しかしながら実際には、数々の悪神が混在する。それら、想像上の神様を含めて、卑近なところでわが最も恐れるのは、「疫病神」である。私は、疫病神には取りつかれたくない。いや、私自身が疫病神にはなりたくない。もちろん、そう呼ばれたくはない。ところが、そう呼ばれて、毛嫌いや忌避される恐れは多分にある。私自身が疫病神を成す根源は、生来わが身につきまとう愚痴こぼしとマイナス思考である。このことで人様の気分を著しく損なうことである。それゆえ私自身が、疫病神と自認するところである。
 神様にすがっても「八百万の神」いても、だれひとり救ってはくれない。だから、自分自身が「拾う神」すなわち、「助ける神」にならなければ解決しない。これこそ自戒、文字どおり自らへ戒めである。こんなネタ不足逃れの思いつきの文章は、妻はもとよりだれしもそっぽを向くこと請け合いである。すでに私は、人様が忌み嫌う疫病神なのかもしれない。
 夜明けの空は、穏やかな花日和である。だからと言って私は、神様のご利益とは言いたくない。のどかな朝日は、自然界が恵む確かな陽ざしである。私はへそ曲がりが高じた、疫病神なのだろうか。切なく、自問してみる。しかし、答えは自分自身ではわからない。しかし、人様へ訊く勇気は、さらさらない。

ああー、童心、ああー、青春

 三月二十五日(金曜日)、いくらか寒の戻りをともなって、花曇りの夜明けが訪れている。いよいよ三月の日時は、残り少なくなってきた。これまでどうやら、三月はエンストなしに駄文を連ねてきた。しかしながら、ガタガタゴトゴトゆえに、残り日にあっても突然、エンストを食らうであろう。それは、仕方ないことでもある。なぜならわが文章は、常に生煮えならぬ、ネタ不足を自認するところがある。
 わが無能力を棚に上げて弁解気味に言えばそれは、寝起きにあってかつ、朝御飯支度前の制限時間にせっつかれて、ネタ探しをすることなく、書き殴り始めるからである。本当のところは、こんな嘘っぱちなど書きたくはない。もちろん、わがお里が知れるからである。実際には無能力の祟りを食らっているにすぎない。このことこそ、確かにまぎれもなく自認しているところである。きょうの文章は、偶然拾った過去ネタに鑢(やすり)をかけて、ごく短く書くつもりでいる。
 さて、合否を分ける受験シーズンは、悲喜交々の光景を映し出してほぼ終了した。学び舎にあって次に訪れるのは二つの式典、すなわち前は卒業式、そして後は入学式である。これまた、それぞれが悲喜交々の学び舎光景である。そしてまず、この時期にあっては、あちらこちらの学び舎がほぼ卒業式風景一色に染まる。かつての広大な「松竹大船撮影所」が閉ざされた跡地には現在、「鎌倉女子大」、「鎌倉芸術館」、「イトーヨーカドー大船店」、そして「BOOK OFF」などが、犇(ひし)めき合って同居している。それぞれの借地なのか、それとも購入済みの所有地なのか? もちろん私は知るよしない。人様の財産にたいして、妬(ねた)ましく下種の勘繰りをするのは野暮でもある。
 先日のイトーヨーカドー大船店での買い物のおりに、私は鎌倉女子大の校門前に屯(たむろ)する、女子学生の集団に遭遇した。チラホラ、新調と思えるスーツを着た学生がいたけれど、多くの学生は、ピカピカの羽織袴の姿だった。その所だけは、まさしく花咲く桃源郷の華やかさだった。老い身の私には、眩(まぶ)しすぎるほどに煌(きら)めいていた。しばし佇んで、指を咥(くわ)えて眺めていたい気分だった。しかし気が留めて、コソ泥のごとくに逃げ足を速めて、イトーヨーカドーへ入った。それでも、わが心中には童心と青春時代が快く甦っていた。心を鎮めて、バニラソフトクリームを注文し、ゆっくり舐め尽くし、やおら立ち上がり、買い物行動は開始した。
 入学式はいつなのかな? こんどは華やかさ二の次である。しかし、初々しい姿に出遭えば気分良く、またバニラソフトクリームを舐めるであろう。せっかく、いやつかの間の童心や青春時代の甦りに恵まれて、恥を忍んで身を竦(すく)めるのは愚の骨頂である。制限時間が切れて、待ったなしの行動に立ち上がった。書き殴り特有に、わが意に反し、駄文をとめどなく書きすぎたかな! 花曇りは、花日和に変わり始めている。

「太陽の恵み」

 皮肉にも彼岸の中日(春分の日)を挟んで春は遠のき、真冬並みの寒気に見舞われて、わが身体はブルブルと震え続けていた。きょう(三月二十四日・木曜日)の夜明けにあって春は、ようやく元へ戻り、大空から空中や地上へ、見渡すかぎりにのどかな朝日をそそいでいる。このところの私は、赤ちゃんの話し始めの一つ言葉のように、「日光、日光!」と、呪文を唱えている。もちろんそれは、太陽光線の恵みを称えて、なお欲深くそれをほしがる心境丸出しの証しでもある。
 私の場合、人間として生まれてこれまで、無償の恵みにありつけているものでは、実感的に実益的にも「太陽の恵み」がイの一番である。確かに、恩恵を得ているものにはほかにも、数えきれないほど、いや無限大にある。しかしながらそれらの多くには、金銭というコスト(費用)がともなっている。このことからだけでも私は、常々太陽を崇拝し、太陽の恵みの表れの一つである日光にたいし、かぎりなく感謝の気持ちをあらわにしている。もちろん、なんら反応のない「暖簾に腕押し」の呪文ではあるけれど、承知の助で唱えずにはおれない。
 今朝は久方ぶりに「春眠暁を覚えず」という、季節の恵みを堪能し、そのオマケで寝坊した。反面、その祟りもあって、早々と休筆を決め込んでいた。ところが、この決意を覆し、約十分間の走り書きを試みている。その誘因は、目覚めて起き出してみると、寒気は遠のいて、かつ大空は穏やかな日本晴れである。たちまち、わが心中には快い気分が充満した。心勇んで、パソコンを起ち上げた。それでも、この先は書けない。なぜなら、階下の茶の間で、妻がわが朝の支度を待っている。ご常連様各位にたいしては、かたじけなく思うところが大だけれど、「太陽の恵み」を享けて、身勝手にもわが気分は、すこぶるつきの良好である。

寒の戻りと節電要請

 三月二十三日(水曜日)、夜明け前。「寒いなあー」。春の恩恵を堪能していたら、飛んだとばっちりを受けている。その一つは、真冬並みへの寒の戻りである。自然界の変事ゆえに抵抗できずに、寒さに耐えて泣き寝入りするしか能はない。もう一つも自然界の織り成す、地震の仕業が根源のようである。だから、これまた抵抗はできない。
 実際にはこのたびの地震により、原発の二基が稼働停止に見舞われているという。挙句、あいにくの寒の戻りのさ中にあって政府は、突然の節電要請を呼び掛けている。わが愛国・日本の国の一大事とあれば、もちろんのほほんとしてはおれない。さしずめわが家は、給湯器と便器の温度を下げている。確かに、小さなことながらこれらとて、節電には大事なことであろう。しかし、明らかな節電効果は、電力を多用する諸施設に頼らざるを得ないであろう。
 このことで心中に浮かぶのは、あさって(三月二十五日)開幕するプロ野球のナイター(夜間試合)の昼間への移行など、覿面に節電効果があろう。もちろん、赤い灯、青い灯、ちりばめる街中のネオンの減灯や消灯なども、効果覿面であろう。日本国民は新型コロナウイルスの感染防止にたいし、一枚岩を強いられて、こぞって我慢強く対応している。これに、新たに節電要請が加わってきた。よしよし! 日本国民の胆力、すなわち協調性と我慢強さの見せどころである。
 それにしても寒いなあー! 泣きべそをかいて、文章は尻切れトンボのままに、書き止めである。朝日(日光)の暖かさを恋い焦がれる夜明けの空である。ところが自然界はそっぽを向いて、花曇りと言おうか、ちっとも朝日の見えない寒空(さむぞら)である。やはり、人間の知恵や、人工の熱源にすがるしか、寒さ逃れの便法はない。

鳥、懺悔、と、愛玩鳥

 山からわが家の庭中に飛んで来る鳥たちは、小鳥ではシジュウカラ、メジロが、一日に何度かの常連であり、子どもの頃に見慣れていたスズメは来ない。それゆえ私には、スズメは今や絶滅危惧の恐れのある小鳥に成り下がっている。もとよりスズメは、山に棲みつく小鳥ではなく、田園や河川敷育ちなのであろうかと、思う。子どもの頃には一年じゅう、あんなに馴染みのあるスズメだったのに、ところがそれらに対する愛情ある知識はまったくなかった。いやそれどころか私は、家事手伝いではスズメを追っ払う役割を担っていた。時には畦道にバッタリ(手作りの罠)を掛けては捕り、毛を毟り、焼いて、「旨い、美味い」と言って、ムシャムシャ食べた。だから、どこからでもいい、スズメが群れて飛んで来れば、ひれ伏して謝りたいものだ。さらに私は、わが主食の白米を惜しみなく庭中に放り、深くこうべを垂れて、懺悔と罪滅ぼしをするつもりでいる。ところが、私の恐ろしさをDNAに持つスズメたちは、今なお恐れているのか、まったく飛んで来ない。いや案外、老いてみすぼらしいわが姿は、スズメには「山田の案山子」に、見えているのかもしれない。今なお憎たらしいというより、今やわが切ない愛情をそそげないことには、はなはだ残念無念である。
 中型の鳥で飛んで来るのは、ヒヨドリ(鵯)だけである。中型と大型の中間を成すもので、飛んで来るのはコジュケイだけである。どちらも山を塒(ねぐら)とする、野生すなわち山の鳥である。その証しに子どもの頃の私は、双方の生け捕りのためには、奥深い山の中に「罠」を掛けていた。そして、運良く掛かっていると、落ちている枯れ枝を拾い上げ巻きつけて肩に担いだり、片手に下げたりして、わが家へ走った。わが家に戻ると、「延え込み」(川魚捕りの仕掛け)に、ウナギが掛かっていたときのように、母に見せびらかした。そして、父と一緒に裏戸近くで毛を毟り、枯れた杉の葉を拾い集めては、燃やして焼いた。ヒヨドリは当時もそう呼んでいたけれど、コジュケイは「朝鮮雉(キジ)」と、呼んでいた。それがコジュケイという名と知ったのは、あな! 恥ずかしや、ごく最近の学びである。そんなこんなで私の場合は、スズメ同様にヒヨドリとコジュケイにも、罪償いをしなければならない罪作りがある。
 ところが妻は、ヒヨドリにだけには阿修羅のごとき面相で、窓ガラスを開けるや否や、憎さ百倍のふるまいをするのである。「コラ!」と、声をあげたり、さらには近くに置く「麻姑の手」を手に取り振りかざし、追っ払うのである。私は「ヒヨドリも、追っぱらわなくていいよ。来てもいいじゃないか。おれは、罪償いのをしたいのよ」と、一声かける。しかし、妻は聞き耳を持たず、すかさず追っぱらいを実行する。
 妻の場合は、ヒヨドリが椿の花の蜜を吸うメジロを追い立てる光景に、不断から腹の中が煮え返っているのである。だから、形相を変えた妻の行為は、もはや私には止めようがない。確かに、ヒヨドリさえ除けば、飛んで来る鳥たちのへの妻の優しさは、私をはるかに凌ぐものがある。この頃ではそれは、コジュケイに対する優しさが一番あふれている。茶の間の窓ガラスを通して庭中に下り来るコジュケイの姿を目にすると、リハビリちゅうにもかかわらず妻は、ソファからヨロヨロ立ち上がり、優しさの行動開始である。「危ないから、やめとけ! また、転ぶよ」
 これまた、妻はわが声には聞き耳を持たずに、窓ガラスを開けては実践躬行態勢に入る。そして、もう「餌」などとは呼べない、わが主食を成す白米をほどこすのである。買い置きのコメは、ふるさとから購入済みのもったいない今年度産である。その米を妻は、足場を成すコンクリート上に、惜しげもなくぽろぽろと、いや満遍なく落としている。馴染みになった三羽のコジュケイは、今やニワトリ代わりのわが家の家禽である。惜しむところは、時を告げる「早起き鳥」には成れないくらいで、健気にわが老夫婦の日常の癒し役を務めている。大切なコメが日々減るのさえ惜しくなく思えているのは、もはや愛玩鳥を超えて、コジュケイがわが家族の一員を成しているのかな? と、思うところがあるからと、言えそうである。
 罪を作った私にすれば、ヒヨドリにもそうしたい思い山々である。しかし、ヒヨドリだけには妻との不協和音が鳴り響いて、いっこうにやまない。確かにヒヨドリは、漢字の成り立ちは、文字どおり「卑しい鳥」すなわち、「鵯(ひよどり)」である。そうであれば私は、妻を「非情」と、罵(ののし)ってはいけない。起き立の長い文章の書き殴りには、ほとほと疲れるものがある。そして、今のところ、表題が浮かばない。

「春分の日」

 「春日遅遅」、「春風駘蕩」、「柳緑花紅」、「百花斉放」、「百花繚乱」、「桜花爛漫」、「春眠暁を覚えず」などなど、春の訪れを悦んだり、楽しんだりする適当な四字熟語や成句は数えきれないほど、いや私の場合は覚えきれないほどにたくさんある。もちろん春に限り、「春に嵐」、「花冷え」、「寒の戻り」などなどと、これまた覚えきれないほどにたくさんの、つらさや恨めしさつのる言葉がある。季節を称えたり、反面憎んだりする言葉の多さは、春夏秋冬の四季にあっては、春が最も飛びぬけていると、言えそうである。もちろん、蒙昧な私の、当たるも八卦当たらぬも八卦にすぎない。こんなこむずかしいことはやめにして、春の季節の決め手はズバリ、きょうの「春分の日」(三月二十一日・月曜日、祝祭日)と、言えそうである。もちろん、カレンダー上に明確に記されている、季節の変わり日である。
 半年ごとに記されている中で春は「春分の日」、そして秋は「秋分の日」である。こんな幼稚なことを書いて、「おまえは恥ずかしくないのか!」と、自問すれば、恥ずかしいどころか、自答はとことん愉快である。それほどに春分の日とは、言葉のうえでも心象的にも、穏やかな響きがある。これに次ぐのはやはり、「秋分の日」という、のどかな響きである。お釈迦様はやはり知恵ある仏様であり、ちゃっかりと双方に「彼岸」と名付けられて、身勝手にこの世を濁世(じょくせ)とか穢土(えど)と説かれ、そしてあの世を極楽とか浄土と、決めつけられている。
 「春分の日」は七日ある彼岸にあっては、文字どおり中日(なかび)の「中日(ちゅうにち)」である。「暑さ寒さも彼岸まで」、まったく寒気の緩んだ「春彼岸の中日」(春分の日)の夜明けが、のどかに訪れている。ありえないけれど仮に、朝日に色を付ければ、芽吹き始めの萌黄色でいいだろう。私は「バカじゃなかろか!」。春はあけぼの、「春分の日」の夜明けののどかさに酔って、気狂いしているのかもしれない。

詫び、謝辞は尻切れトンボ

 三月十九日(土曜日)、きのうの真冬並みの氷雨をともなう寒気は遠のいて、穏やかに朝日が輝き始めている。雨は上がり、残っている雨の証しは、窓ガラスに今なお張り付いている無数の雨粒と、ほぼ平行に垂れた雨筋の幾筋である。季節は、まさしく「春彼岸」のさ中にある。
 こんな平穏な寝起きにあって私は、こんなことを心中に浮かべていた。これまで、私はたくさんの文章を書いて、わが身に余る友人、知人に恵まれた。声なき声の人たちのひそかなエールや、声ある人たちの大げさなエールをも賜った。読者の域をはるかに超えて、みなみなわが身に余る大きな励ましである。すべてが、情けと幸運である。実際にもわが生涯学習は、これらの人たちに支えられて、途轍もなく長く続いてきたのである。このことにたいして私は、ぶっきらぼうに「恩に着る」という、言葉でいいのだろうかと、大きな疑念にとりつかれている。もちろん、いいはずはない。いや私は、そんなに世間知らずの愚か者ではない。実際にはひれ伏して、謝辞を述べたい心境、山々である。
 わが生涯学習は、新たな学びにはありつけず、多くは語彙の忘却逃れと、その復習に成り下がっている。机上の電子辞書を開いた。
 【恩に着る】「恩を受けたことをありがたく思う」。「恩に受ける」:「恩に着るに同じ」。「恩に着せる」:「恩を施したことを相手にありがたく思わせるような言動をとること」。「恩に掛ける」:「恩に着せる」に同じ。「恩着せがましい」:「恩に着せて相手に感謝を強いるさまの言い方」。
 もちろん、私の場合は、「恩に着る」一辺倒である。しかしながらこれだけでは、わが心情と真情は、伝わりにくいところがある。だから、わが心象にぴったりの言葉探しをしようと、決意した。ところが好事魔多し、階段下から「パパ、早くしてよ!」と、懇願いや詰り言葉が飛んできた。「今、行くよ!」。尻切れトンボで、かたじけない。もちろん、読者各位様への謝辞の気持ちは、まったく変わらない。ただ、報いる言葉探しを棒に振るのは残念無念である。妻の言葉にも、納得するところはある。なぜなら、先ほどの朝日は、昼日中の太陽光線に変わり始めている。

恐ろしさ、「地震、地震、地震、地震」

 「巨人、大鵬、卵焼き」。こちらは、必ずしも不変ではない。「地震、雷、火事、親父」。どちらかと言えばこちらは、不変である。どちらかという条件を付したのは、親父のところが人さまざまに、置き換わるからである。
 確かにこのところは、個人感情とは別にも、時々の世相をも反映する。私の場合、親父は恐ろしさの埒外に居た。いや、優しさの筆頭に位置していた。母も、多くの兄や姉たちも、父の位置に並んでいた。これらのことからすれば、「地震、雷、火事、親父」という文句は、幸いなるかな! 実感のない、子どもの頃の語呂合わせの遊び言葉みたいなものだった。
 現代の世相に鑑みて、親父のところを置き換えれば、私の場合はさしずめこれに尽きる。それは日々悩み脅かされ続けている、体のいいIT(情報技術)やAI(人工頭脳)などがからむ、「電子社会」の生きにくさと言えそうである。
 ところが、永遠に続く時代変遷の中にあって、常に変わらず恐ろしさの筆頭に位置するのは、やはり「地震」である。地震さえなければこの世は、お釈迦様に導かれてあの世に行くまでもない桃源郷、すなわち安楽を貪ることができる「極楽浄土」である。
 結局、人の世の住みにくさの根源(本源)を成すのは、わが体験上から推して、ズバリ地震と言えそうである。土地がグラグラ揺れると、わが身体はブルブル震えている。震動と振動、恐ろしさのうえでは同音異義の最たるものである。
 余震がありそうな、雨模様の夜明けが訪れている。恐ろしさは、語呂合わせでなく、「地震」一辺倒で、十分である。

絶えず、脅かされる「命」

 睡眠中に地震に襲われた。「助けてくれー」、と叫んでも、神仏は助けるはずもない。身を縮めて、揺れの収まりを待った。命の鼓動を確かめてみる。平常に動いている。八十一歳まで生き延びてきたことは、途轍もなく幸運・果報者なのかもしれない。ただ、その実感が乏しいことは残念無念である。やおら身を正して、生存のありがたさをかみしめてみる。「バカは死ななきゃ治らない」。「バカでも、まだ生きていたい!」。地震に見舞われるたびに、「ピンピンコロリ」を願う、不断の心模様は、あっさり遠のいている。たぶん、私のみならず人間は、一様に浅ましさの権化である。

わが身体事情

 三月十六日(水曜日)、起き出してきて、パソコンを起ち上げ、しばし机上に頬杖をついている。前面の雨戸開けっ放しの窓ガラスを通して、ほのかに夜明けが訪れている。このところの私は、冬防寒重装備を完全に脱ぎ捨てている。夜具のなかの一つである寝布団は、早や手まわしにすでに、薄手の夏蒲団へ切り替えている。それでも、もはや寒気はまったく感じない。寒気を極端に嫌う私は、まさしく春の訪れに感謝感激である。
 書き殴りにかまけて、浮かんでいる世情の変化の一つを記せば、これがある。新型コロナウイルスにかかわるテレビニュースは、すっかり「ロシアのウクライナへの侵攻」ニュースの後塵へと、成り下がっている。確かに、このところのコロナの感染状況は、低下傾向にあると、伝えられている。しかし、ニュースを減らすほどでもない、まだ高止まり状態にある。「NNNのまとめでは15日、全国で4万9171人の感染が確認されました。亡くなった方は全国で188人報告されています。」なんだか国民の気が緩み、第七波へのぶり返しに、私は懸念と老婆心をいだかざるを得ないところがある。
 さて、もっと身近なこと、いや最も身近なわが身体の直近事情を書けばこうである。もとより内臓器官の病の有無は、自覚症状がないかぎり、自分自身では知るよしない。このため五官、すなわち眼(視覚)、鼻(嗅覚)、耳(聴覚)、舌(味覚)、皮膚(触覚)に限る、病(支障状況)の自己診断を試みている。これらの中で、舌(味覚)はわが都合で勝手に、歯(味覚)に置き換えた。診療科では歯科(歯医者)である。現在、予約を繰り返し外来患者になり果てているのには、眼科医院と歯科医院がある。鼻は生来の団子鼻くらいで病とは言えず、確かに嗅覚は万全である。皮膚(触覚)は病すれすれ(予備軍)に、いたるところの痒みに悩まされている。しかしながら、市販の痒み止めを塗りつけるくらいで、幸運にも金のかかる通院は免れている。いよいよ、憎たらしい耳(聴覚)の出番である。すなわち現在、私を精神的にも、散財的にも虐め尽くしているのは、難聴を根源とする耳(聴覚)の不具合である。ところが、これまた幸運にも通院は免れている。そのぶん、テレビ通販やアマゾン市場の集音機探しに、手間暇と金をかけてすがっている。高額の補聴器までは買いの手が伸びない、わが甲斐性無しは恨めしいかぎりである。「難聴は、人生を委縮させる」。わが体験上の切ない悟りである。
 起き立にあって、なんだか詰まらない文章を書いてしまった。書き殴りの祟りである。恥じ入るとともに、詫びるところである。集音機は、寝るときは外している。このため、文を閉じて、集音機を両耳にかけて、階下へ急ぐこととする。リハビリ中の妻との会話は、互いの愛情に背いて、大声の喧嘩腰となる。わがまま勝手な耳(聴覚)である。いや、かぎりなく愛しい耳である。そのぶん、ままならないところが憎たらしさを増幅している。春はあけぼの、のどかな夜明けが訪れている。