ひぐらしの記

ひぐらしの記

前田静良 作

リニューアルしました。


2014.10.27カウンター設置

内田川(熊本県・筆者の故郷)富田文昭さん撮影

 

通院代わりの「昼カラオケ」

 7月27日(土曜日)。このところ雨の無い夏の朝が続いている。夏風邪ならぬ、夜明けの夏風は爽やかである。おかげで、気分良く起き出している。ところがネタなく、文章はようやくネタを拾って、書き殴りで様にならない。恥を晒してやっとこさ、戯れの文章を書いている。こんなことでは、継続文の足しにはなりそうにない。
 きのうは何年かぶりに初見のスナックが営む「昼カラオケ」へ、妻を引率同行した。炎天下、歩いては立ち止まり、また歩いた。大船(鎌倉市)の昼中、かなり長い距離をかなりの時間をかけて、あちこち一見のスナックを探し歩いた。途中には一度、違うスナックのドアを開けるへまをしでかした。目当てにするスナックの名は、妻頼りだった。
 この日の妻は、カラオケ仲間のご婦人(91歳)との出会いだった。カラオケ仲間と言っても、もう何年もご無沙汰であり、この間に互いに年齢を重ねていた(妻は、9月で81歳)。私たちは数あるスナックの中から、目当ての店を探しあぐねていた。スナックばかりが入っている一棟建てビルの中に、目当てのスナック名を探し当てたのは妻だった。
 エレベーターで二階へ上がり、昼とはいえ異質の雰囲気を保つ、飲み屋(スナック)の重たいドアを押した。ドアを中から開いた店主(中年の女性経営者)と、妻が言葉を交わし、私たちを明かりの灯る、それでも暗い店内に招じ入れた。妻が出会う人は、すでに店内に居られたのである。
 このスナックは、その人の馴染みであり、週に何度か通われているという。私は初対面の挨拶を交わすと、妻とご婦人が並ぶところからは離れて、独り隅の方に着座した。カウンターには二人の高齢の男性が座り、ひとりがマイク片手に歌っていた。私は無理して瓶入りのノンアルコール一本を注文した。しばらくするとそれに、手作りのお通し(摘まみ)が添えられて、運ばれてきた(帰りの支払いは1600円)。
 カウンターの男性たちは、交互に切れ目なく歌われていた。しばらくするとご婦人が歌われた。年齢そっちのけに美声である。いつも私の役割は、見知らぬ人の歌お構いなしに、そして上手下手にかかわらず、「手たたき」である。二人の男性、そしてご婦人は馴染みの店らしく、自分の名入りのウイスキーボトルを前に置かれていた。
 妻は『悲しい酒』など、何曲かを歌った。スナックで聞く妻の歌は、何十年ぶりかもしれない。やはり妻は、特等に歌が上手い。カウンターの男性はその都度、手を叩いて振り返り妻を見遣った。上手の合図のしるしである。
 2時間ほどいたけれど、私は1曲さえ歌わず、手たたき屋に徹した。それは、歌が下手だからである。一方、妻褒めを許していただければ、これまで私が聴いた素人の歌の中では、やはり妻が一番上手いと、この日も確信したのである。
「わたしたち、5時までいるわ」
 私は買い物を理由に4時頃店を出た。
 妻は6時半頃にわが家へ帰って来た。開口一番私は、
「やはり、おまえは上手いなあ……」
 と、言った。
 妻は満面に喜びの表情を浮かべて、
「パパも上手いんだから、歌いなさいよ。歌っていた男性より、パパがはるかに上手じゃないの」
 昼間の炎天の夏は、穏やかに和んで夕暮れた。

重宝している三つの人工補助器具

 7月26日(金曜日)。薄っすらと夏の朝が明け始めている。開いた窓ガラスから吹き込む風は、早や秋風と言っていいくらい、冷えてさわやかである。夏の朝の快さは、自然界の恵みの上位に位置している。これに反して自然界の脅威と言えば、きのうのテレビニュースは、山形県と秋田県における、ある地域の大雨による洪水被害(災害)状況を映していた。また、テレビ画面の上部には、群馬県では雷、茨城県では竜巻、そして千葉県では、地震にかかわるテロップ流れていた。全国的には、熱中症への警戒警報報道の盛りにある。
 夏至(6月21日)から一か月余りが過ぎて、見た目また体感的にも夜明けが遅く、夕暮れが早くなっている。季節はすんなりと巡っている。ままならないのは、わが生き様である。起きて、ネタ探しにあぐねて私は、こんなことを浮かべていた。そして、何でも書いていいから書いて、文章の頓挫を免れようと決意する。
 現在、私は、人工の器官補助器具として、三つ(三か所)さずかっている。すなわち、目にはメガネ、歯には入れ歯、耳には補聴器である。これが一番、それが二番、あれが三番などと、優位差などつけようなく、どれもが一番である。もちろん、どれもがきわめて有効であり、これらが無くては、わが人生の愉しみは無に等しいほどに、減殺(げんさい)されるものばかりである。人間すなわち、他人様(ひとさま)の知恵にさずかり、わが人生は無類の愉しみにあずかっている。だから、ときにはこんなことを書いて、人間の知恵を崇めることは、まんざら馬鹿げたことではないであろう。
 私の場合、ビールをはじめとするアルコール類は、年じゅう一切無用である。ところが先日、妻のこの言葉に応じて付け足しに、朝日の生ビール缶一本を買って来た。
「パパ。エダマメ、食べたいね。茹でた、冷凍の物、買って来てよ」
「食べたいなら、買ってくるよ」
 エダマメとビールは、赤飯とごま塩みたいに、対(つい)をなす飲食物である。好物ではないとはいえビールは、流れるごとく喉を通過した。ところが、前歯の一本が欠けたままにほったらかしにしているせいで、小粒とはいえエダマメは、喉を通すのに往生したのである。すると、このとき感じたのは、入れ歯の効用だった。
 いよいよきょうあたりから、「パリオリンピック」のテレビ観戦が始まる。だけど、メガネそして補聴器がなくては、ゴキブリのテレビ観戦みたいなもので、暗闇でゴソゴソするばかりである。ネタ無しの文章は自分自身面白味がなく、これでおしまいである。遅出の朝日が輝き始めている。

生きている証しの報告書

 7月25日(木曜日)。のどかな夏の夜明けが訪れている。自然界が人間に対し恵む、醍醐味の一つである。夏の夕暮れもこれに加えて、醍醐味の一つである。とりわけ夕立が去った後に、しだいに夕暮れに向かうどきの外気の爽やかさはたまらない。総じて、夕暮れどきの「夕涼み」の爽やかさは、格別の夏の恵みである。しかしながら一方、昼間の夏は、真夏日、猛暑日、さらには熱中症などの言葉を添えられて、人間界に散々嫌われる。また、熱帯夜という夏特有の嫌われる言葉もある。
 きのうの私は、(熱中症に罹ったかな?)と、思える身体症状に見舞われていた。それは、頭痛がともなう自己診断だった。ところがそれは、幸運にも藪医者もどきの誤診だったようである。なぜなら、起き立ての現在、身体からその症状は消えている。しかし、今なお自重するところはある。
 一つは、きょうの朝の道路の掃除は控えている。一つは、文章書きも控えている。この文章は、文章から離れて「生きている証しの報告書」にすぎない。本当のところは、この文章さえも休むつもりだった。
 ところが、一つの懸念が後押しをしたのである。それは、「フランス、パリオリンピック」にかかわるものだった。いよいよパリオリンピックは、明日(7月26日)からテレビ観戦が大わらとなる。競技にかかわるリアル(生)の放映は、日本の場合はおおむね夜間から朝にかけてと言う。するとおのずから時間帯は、わが二つの日課すなわち、朝の道路の掃除と文章書きと重なることとなる。掃除はテレビ観戦ののちに延ばしても、一方の文章は沙汰止みになりそうである。これを恐れてきょうは、こんな文章を書いただけである。すなわち、実のない自己都合の文章にすぎない。かたじけなく、詫びるところである。

 7月24日(水曜日)。さわやかに晴れた、夏の夜明けが訪れている。ところがきょうの私は、「命」の大事をとって、二つの朝の日課すなわち、道路の掃除そして文章書き共に、意識的に休みを決め込んでいる。「命、燃え尽きる。命、枯れる。命、縮む」。ほか、命にまつわる表現は様々にある。もとより五官、すなわち目、鼻、耳、舌、皮膚のように、わが身体内に「命」という、形ある器官はない。もし仮に、そのような塊(命・器官)があれば、現在のわが命は、見た目キイウイに留まらず、アボガドのごとくしわがれて、黒ずんでゴツゴツしているであろう。
 こう思うのはきのう一瞬、立ち眩みを感じて命に不安をおぼえたからである。私は「なんだろう?……」と、心中で叫び、その場に夢遊病者のごとく蹲(うずくま)った。瞬間とはいえ、気分が落ち着いても、恐ろしさに震えていた。そして、熱中症かな?と、思った。なぜなら、きのうの夜明けにはたっぷりと時間があったため、先ずは文章書いてそののち、時間をかけて綺麗に掃除をした。しかしこののちは、ほぼ一日じゅう頭部に不快感を宿していたのである。
「パパ。もう道路の掃除はしなくてもいいよ。こんなに年なんだから、しちゃダメよ。しなくても、だれも文句は言わないわよ。止めなさいよ」
 妻の小言、それは忠告だった。
 きのうの現象からゆえにきょうは、共に休みを決め込んでいる。だから文章は、この先は書かずに、休んだ理由を書いたにすぎない。ただ、現在は、普段の「命」に復している。形ないものは、手に負えない。私には、それを補う気力がない。朝日はいっそう明るく輝いている。私は、虚しく道路を眺めている。

西空の「満月」

 7月23日(火曜日)。きのうに続いて悪夢に魘されず、いまだ暗い夜明け前に目覚めて、起き出して来てパソコンへ向かっている。そしてこれまた、きのう同様に心地良い夏の朝風を吹き込むために、きょうは全方位の窓ガラスを開いた。すると、思いがけなく自然界が恵む、胸の透く情景に出遭った。夜の静寂(しじま)の西空に、ぽっかりと明るく、満月が浮かんでいた。
 私は、愉快、痛快な気分に囚われた。同時に、独り占めではもったいない気分になった。足音を忍び階下へ向かい、引き戸の隙間から茶の間を覗いた。妻は起きて、テレビを観ていた。就寝時の私は、補聴器を外している。ゆえに、テレビの音、妻の動作音など、まったく聞こえてこない。茶の間へ近づいて、妻へ呼びかけた。
「起きていたのか。お月さんがとても綺麗だから、呼びに来たよ」
 なんだかしゃべっているけれど、妻の声はまったく聞えない。ところが、妻は笑顔を湛え、折り返す私の後ろについて、階段を上ってきた。こののちはしばし、肩を触れあっての月見を堪能した。思いがけない満月が恵んだ、地上のわが家のパラダイスだった。
 きのうは独り善がりにだらだらと長い文章を書いた。恐れていたとおり案の定、掲示板上のカウント数はガタ減りだった。もちろん、「草臥れ儲け」と、嘯(うそぶ)くことはできない。疲れて、懲り懲りになっただけである。ゆえにきょうは短く、ここで結文とするものである。
 デジタル時刻は、未だ4:40である。薄く夜が明け始めている。道路の掃除へ向かうにはまだ早い。だから、パソコンを閉じてもう一度、西空を眺めてみる。お月さんは西の方へ去っているかな……、あるいは雲隠れしているかもしれない。それでも委細構わず、私はしばし窓際に佇むつもりである。もとよりこの行為は、束の間の家庭平和を恵んでくれた御礼返しである。

エネルギー漲る「夏の街中が好き」

 7月22日(月曜日)。いまだ暗い夜明け前にある。いつもの悪夢との闘いを免れて、早く目覚めた。このため、この文章を閉じて、道路の掃除へ向かっても、まだたっぷりと時間がありそうである。だから、だらだらと長い文章になりそうな予感がする。長い文章になればおのずから、見ただけで嫌気がさして、読んでくださる人もいないであろう。それでもかまわないとは言えないけれど、なんだかそうなりそうである。
 パソコンを起ち上げる前には窓ガラスを開いて、きのう同様に心地良い夏の朝風を招き入れた。夏の朝にあって、無償で手に入れることのできる贅沢である。梅雨が明けたばかりなのに一足飛びに、本格的な夏の炎暑が訪れている。だから、夏の朝風に限ることなく、昼間の夏の風はそれを超えて、これまた無償の贅沢である。しかし昼間の場合は、木陰の風、限定と言えそうである。なぜなら、木陰なく剥き出しの街中の風はやはり、手に負えない暑気を含んでいる。この確かな体験を私は、きのうの買い物のおりの、大船(鎌倉市)の街中でした。
 私は買い物にかぎらず夏の外出は、比較的涼しい朝のうちと決めている。この自己規制に沿って私は、十時過ぎあたりから門出した。ところが、夏の陽射しはすでに現れていた。視界一面には夏特有のぎらぎらと光っている、透明な外気が充満していた。私は最寄りの半増坊バス停に向かって歩き出した。急ぎ足だった。前方に目にした親子連れは立ち止まったり、戯れながら歩いていた。追いつくと親の男性は、中年に満たない人に見えた。子どもは小学低学年の頃に思えた。子どもはおもちゃとは言えそうにない、頑丈で精巧な水鉄砲を手にしていた。ときおり、草生(む)す傍らの山肌に試しの噴射を試みていた。わが子どもの頃で言えば、蝉取り網と言える夏の遊具であろうか。今の子どもは、水鉄砲をセミやクワガタ目がけて、噴射するのであろうか。こんなことはどうでもいいけれど、いっとき私は、わが子どもの頃の夏へ思いを馳せていた。
 バスには途中から女子高校生の群れが乗り込んだ。さらには、いつもとは違って若い男女が乗って来て、立錐の余地なく込んだ。車内の冷房はフル回転していた。ところがそれに飽き足らず、身を縮めて顔前に流行りのハンデイファンを向けている人もいた。バスを降りた大船の街は、日曜日のせいか老若男女の人出であふれ返っていた。装いは思い思いに、暑さしのぎの夏のいで立ちである。洒落た日傘を翳す人、ハンデイファンを顔に向けてる人、半袖で肌着まがいの薄手の夏服(シャツ)を着ている人、色とりどりのサングラスで日射しを遮る人、ほかさまざまに夏の街中の人出は、人間模様の坩堝(るつぼ)と化していた。
 私はハンカチを手にして、ときおり汗を拭きながら歩いた。夏の街中の人出には、様々なエネルギーが漲っていた。確かに、身に堪える暑さだけど、半面私は、エネルギー漲る夏の街中が好きである。なぜなら、人それぞれに暑さと戦い、さらに生活いや生存と闘っているように見えるからである。付け足しにわがきのうの買い物一覧を記すとこうである。キュウリ4本、ナス6個、トマト5個、小粒の温州ミカンの一袋、キイウイ3個、卵10個、アーモンドをはじめとする豆類入りまじりの袋物一つ、台所洗剤1本、ハスの煮物、アップルパイ二つ、チョコレートづくりの洋菓子一本、ウスター醤油一本。これらを大形の買い物用リュックに詰め、詰め切れないものは買い物用の大袋を片手提げにした。いつもは両手提げだけれど、暑さを慮り一袋分を買い控えたのである。
 約一時間の書き殴りは苦労したけれど、読む人がいないと思えば、推敲は免れる。夜明けて、きらきらと光る夏の朝が訪れている。文章を閉じるけれど、掃除へ向かう時間は、まだたっぷりとある(5:36)。

心地よい夏の朝風

 7月21日(日曜日)。窓ガラスを開けると、心地良い夏の朝風が吹き込んで来た。わが起き立ての憂鬱気分は、自然界の恵みに出合ってかなり緩んだ。わが人生には焼きが回り、とうに盛りを終えて薹(とう)が立っている。連日の悪夢に抗戦を挑んでいたところ時が過ぎて、起き出しが遅れた。挙句、二つの日課のいずれも、果たせない。一つは道路の掃除、一つは文章の執筆である。自業自得と悟り、諦めるにはあまりにも腹の立つ、夢の中の悪鬼の仕業である。
 気分を直してパソコンを起ち上げ、文章を書き始めている。ところが、一度躓(つまづ)いた気分は、やはり立ち直せず、わが凡愚の苛立(いらだ)ちの因になっている。バカなことを書いてしまった。この先は書かず、結び文としたいところである。一方では欲深く、せっかく書き始めた文章だから繕(つくろ)って、継続文の装いにしたい思いがある。まもなく開幕する「パリオリンピック」のテレビ観戦が続けば、おのずから継続は断たれることとなる。だったら、この文章を継続文の一つに仕立てて置かなければならない。焦燥感つのる、現在のわが心象風景である。
 行きつけの「大船市場」(鎌倉市大船の街)には夏の売り場を彩り、食感をそそる旬の夏野菜が溢れている。わが好物のキュウリ、ナス、トマトは、確かに今や夏限定ではなく年じゅう出回っている。しかしながら私は、キュウリ、ナス、トマトは、夏野菜三品として旬(しゅん)の有卦(うけ)に入っている。すなわちそれは、本来の旬の美味にあずかれるからである。加えて、夏のキュウリ、ナス、トマトには、母恋慕情と郷愁が重なり、さらには幸福感が重なるのである。
 子どもの頃の夏の食卓には連日、母が前掛けをして、頭や首周りから汗まみれの手拭いを垂らして、裏の畑からもぎ取って前掛けに包んだ、キュウリ、ナス、トマトが上っていた。これらに父の大好物のソーメンは、夏の食卓の定番を成していた。私はソーメンを食べ飽きてトラウマ(心的外傷)となり、現在は要なしになり、ソーメン好きな妻から、ブツブツと顰蹙を買う元となっている。
 夏野菜三品に加えて、夏限定のわが大好物には西瓜とかき氷がある。かき氷は今夏、すでに二度食べている。ところが、西瓜はまだである。売り場に並んでいるのを見遣りながら私は、「買って、持ち帰るには重たいなあ……」と、声を控えた嘆息を吐いている。私は、半身や四分の一に切り分けられた西瓜には哀れみを感じて、買いの手を控えている。西瓜はやはり、手触りのよい丸玉にかぎるのである。母が丸玉に包丁を入れた瞬間の「バリバリ音」こそ、丸玉西瓜の醍醐味であり、西瓜にまつわる親子の情愛が迸(ほとばし)るのである。いまだに持ち越しの今夏の西瓜は、近いうちの妻の通院のおり、娘が車で来るまでおあずけである。
 時間の切迫に追われて、書き殴った文章は、とんだ長い文章になってしまった。謹んで、詫びるものである。だけど、書けそうもない文章が書けた。たぶん、心地良い夏の朝風が気分を解してくれたからであろう。まさしく、夏限定である。堪能しなければ、夏の好物同様、これまた大損である。

夏が来れば、秋が来る

 7月20日(土曜日)。いまだ夜明け前だけれど、薄暗く夜が明けたら、道路の掃除へ向かうつもりでいる。まもなく、夜が明けそうである。おのずからこの文章は短くなり、実のない文章のままに閉じる。道路の掃除と文章執筆の交差時間を解決しなければならない。このことはこれまで、わが解決すべき宿願のテーマとなっていた。ところが、今なお自己解決をみないままに悩み続けている。挙句、文章は書き殴りを食らい、また継続が危ぶまれる。
 さて、梅雨が明けた。本格的な夏が来た。しかし、夏の暑さはいまだ初動にあり、こののち真夏へ向かうにつれて炎暑の夏が訪れる。ところが昨夜、就寝中の風は(もう秋風)とも思うほどに、肌身に冷ややかだった。私はうれしい気分を撥ね退けて、季節めぐりの速さ感に戸惑った。まさしく、人生の終盤を生きる者(私)固有の哀感に晒されていたのである。なぜなら、季節いや時のめぐりの速さ感は、わが残りの生存期間を縮める思いに陥っていたのである。抗えないことに思いを詰めるのは、まさしくバカ丸出しである。
 淡い朝日の光をともなって、夜が明けた。同時に、私が設けていた制限時間が切れた。私は道路へ向かう。ウグイスは、頻りに鳴いている。

心地良い夏の朝

 7月19日(金曜日)。気象庁の梅雨明け宣言翌日後の晴れた夜明けが訪れている。きのうは棚ぼたの僥倖と思える好日に恵まれた。その事実を併記し、「自分祝い」を試みている。一つは関東地方においては、梅雨明け前特有の大雨による被害(大過)なく、スムースに梅雨が明けたことである。そして一つは予告なく、東電がわが掃除区域の架線に絡む高木の幹や枝葉を切り落としてくれたことである。私にとってこの作業は、人間神様とも思えるほどにうれしいものだった。
 切り落されたところは、頭上に見上げる山の中ではほんの一部にすぎない。しかしこののちは、道路上に落ちてくる枝葉を大きく減らしてくれることは確かである。私はありがたさとうれしさのあまり、しばし佇んで作業に目を凝らしていた。実際の作業は、それようの超大型の貨物トラック、ゴンドラ付き起重機などを持ち込んでなされていた。時間的にも朝早くから、午後の三時過ぎあたりまで行われていた。作業員は男性の4、5人だった。この間、私はわが家から時間をみはらかって、三度ほど現場に出向いて、丁寧にお礼の言葉を述べた。私自身、かなり異常な行動・行為に思えていたけれど、そうしないではおれないほどに、感謝の気持ちが湧きたっていたのである。作業の終いにはさすがに東電、切りっぱなしではなく、道路をくまなく箒で掃いて清めていた。
 起き出して来て窓ガラスを開けて道路を眺めると、いつもに比べて落ち葉は少なく、ゆえに道路の掃除を免れて、この文章にありつけたのである。切り落した高木の切り口は、あちこちで生々しく、朝日に光っている。まったく久しぶりに、気分の好い夜明けである。高橋弘樹様が褒め称えてくださった善行が、ちょっぴり日の目を見たのかもしれない。
 本格的な夏の陽射しの訪れも、きょうだけは厭わない清々しい、梅雨明け後初日の夏の朝である。棲みかを突如奪われたウグイスに気を揉んでいたけれど、ウグイスはいつもの朝のように朗らかに鳴いている。

切ない文章

 7月18日(木曜日)。いつもより遅く目覚めて、そのうえに悪夢に魘されて、気分が鬱に陥り文章は書けない。そうであれば道路の掃除へ向かおうと、窓ガラスを開いて道路を見た。道路は生渇き状態にあり、掃こうと思えば掃けないことはない。ところが、こちらも時間的に出遅れて、今から出向いても散歩常連の人たちは、すでに歩き去っている。それらの人たちに出遭えなければ、掃除は苦痛だけで愉しみは殺がれることとなる。だからやむなく、道路の掃除は昼間へ延ばしてこの文章を書いている。しかしやはり、こちらもこのお先は書けずじまいである。わが現在のなさけない心象風景である。
 だけど、せっかくだから一つだけきのうの続きを書けば、このことが浮かんでいる。今朝の夜明けの空は、いまだ梅雨空である。ところが、きのう耳にした気象予報士の天気予報によれば、日本列島の各地方は、今週末あたりから続々と梅雨明けになりそうである。関東地方もこの範疇に入りそうである。このことだけを記し、気分の悪さを言い訳にして、結び文とするものである。表題のつけようのない、切ない文章である。