ひぐらしの記

ひぐらしの記

前田静良 作

リニューアルしました。


2014.10.27カウンター設置

内田川(熊本県・筆者の故郷)富田文昭さん撮影

 

八月は気分の重たい月

 八月七日(日曜日)、夜明けの空は、朝日の見えない曇り空である。このところは、こんな夏の夜明けが続いている。この二日は昼間でも、真夏とは思えない寒気を感じていた。この先は、真夏や盛夏という言葉に逆らい、「生煮えの夏」になるのであろうか。もちろん、季節狂いは歓迎できない。しかし、いくらか望むところはある。
 道路を掃いていると、日増しに落ち葉が増えている。真夏にあっては炎天下、たぶん木の葉も生きづらいのであろう。木の葉は日照りに耐えきれずに枯れて、落ち葉と名を変えて、掃いている路上に野垂れ死にしている。憐憫の情が擡(もた)げてくる。いくつかを指先で拾ってみる。すると、枯葉とは言えないほどに瑞々しい生葉(なまは)もある。また、色のすがれた病葉(わくらば)もある。若死に病死、「まだ、生きたい!」と叫ぶも、叶わぬ人間模様の写し絵さながらである。だとしたら「鬼の目にも涙あり」、一瞬、私は掃く手を緩めたくなる。
 毎年八月、わが気分は重たい月である。それは今年で言えば七十七年前(昭和二十年・一九四五年)の日本の国における出来事、すなわち「広島、原爆の日」(六日)、「長崎、原爆の日」(九日)、そして「日本国、終戦(敗戦)の日」(十五日)が想起されてくるゆえんである。わが異母兄の一人は、フィリピン・レイテ島沖の戦場で命を絶った。わが次姉は、主治医に「戦争さえなければ、死ぬことはなかった」と、病床周りの家族に告げられて、薬剤が手に入らずに、若い命(十八歳)を盲腸炎で断った。これらに加えて、昨年の八月二十二日には、ふるさとの長兄がこの世から姿を消した。その妻(義姉)は、それより前の八月一日に亡くなった。私は甦る日本の国の出来事と、このところのわが身にまつわるつらい出来事を重ねて、きょうの文章を閉じることとする。
 私は為政者の定型の挨拶言葉、すなわち「哀悼の誠を捧げる」は白々しく、聞き飽きている。実際には言葉にできないほど、つらく悲しい出来事である。再び言う。私にとっての八月は、気分の重たい月である。そうであればわが命も兄姉に重ねて、できれば八月に尽きたい。なおできれば、枯れた木の葉にように、チラチラと静かに舞って…、野垂れ死にしたい。

「広島、原爆の日」

 令和4年(2022年)8月6日(土曜日)。77年前のこの日、この時間、(昭和20年(1945年)8月6日、午前8時15分、広島市において、原爆が投下された。風化してはならず、忘れてはいけない、悲しい記憶である。この時の私は、生誕地・熊本県の片田舎において、5歳と1っか月だった。それゆえに私は、原爆投下の悲惨な状況は、まったく知るよしない。だから、悲惨な状況はそののちの学びで知るだけである。
 きょうは、いつもの文章は休みを決め込んでいる。しかし、表題を記して、学んだ記憶を新たにしている。これくらいは、生きている者の哀しい務めだからである。

わが身に漂う閉塞感

 八月五日(金曜日)。いまだ真っ暗い夜明け前、二度寝にありつけず起き出してきて、書くまでもないことを書き出している。わが文章は、「書いて、読んで」、気分の滅入るものばかりである。書けば、わが現在の生き様を映して、おのずからなさけない文章になる。だとしたら、書かないほうがベターである。もとより、私自身が知りすぎていることではある。だから心中では、(もう、書かない。これで、おしまい!)と、呪文(じゅもん)を唱えている。「雉(きじ」も鳴かずば撃たれまい」。こんな成句を浮かべている。すなわち書かなければ、人様にたいし恥をかくことも、私自身の煩悩(ぼんのう)をさらけ出すこともない。私とて、楽しく愉快な文章に飢えている。ところが、実際には真逆(まぎゃく)な文章を書いている。もとより、わが小器とお里の知れるところである。
 この誘因を成すのは何だろうか? と、あえて心中の答案用紙に解答のない自問を試みている。すると、即そして総じて浮かぶのは、わが人生の終末期に漂う閉塞感である。こうなるとすべてが始末に悪く、もはや展望への望みはない。閉塞感は、現下の社会事情と目下の個人事情からもたらされてくる。言うなればわが周囲事情のすべてであり、もちろん個人事情さえ自力ではとうてい解決の糸口さえありえない。社会事情だけに言及すれば、主たる閉塞感の誘因はこれらである。ひとつは、新型コロナウイルスの終息に目途が立たないことである。そしてひとつは、世界の国々が常にハラハラ状態にあることである。さらにひとつは、デジタル社会に身を置くことである。これらは、私自身ではまったく手に負えない難題である。閉塞感つのる個人事情の多くは、私自身のみならず身内・縁者の加齢からもたらせている。これまた、私自身ではにっちもさっちもいかない難題である。結局私は、まったく抗(あらが)えないことにじたばたして、残り短い命をみずから縮めている。自虐精神は、わが「身から出た錆」とはいえ、まったくなさけない。
 私はこんな馬鹿げたことを十五年ものの長い間、書いている。だから、とうに書き納めどきにきていると自覚し、そして飽き飽きしながら書いている。だから自分自身、楽しく愉快な文章にはありつけない。まして人様の場合は、況(いわん)や! である。「身も蓋もない」、もっぱら空き時間潰しの文章を書いてしまった。だから、現在の心中の呪文は、(くわばら、くわばら!)である。今にも雨が降りそうな夜明けである。心中の雨は、土砂降りである。いたずら書きのごとく長々と書いて、様々な恥と煩悩をさらしてしまった。悔いても、「後の祭り」である。

屍(しかばね)の戯言(ざれごと)

 ブログの文章は炎上やバッシングを避けるため、ネタに自己制限をかけてきました。それゆえ、毎日似たよう文章の繰り返しとなり、自分自身、飽き飽き気分で書いてきました。おのずから、義理や好意で読んでくださっていた人たちは、しだいに遠のいてゆきました。いくら謝っても謝りきれない、私自身がしでかした悔恨です。こんななかにあって、今なお読み続けてくださる人たちがいます。これらの人たちには逆に、いくら謝意をいだいても、いだきききれるものではない、わが身に余る果報です。
 突如、こんなことを書いているのは、「ひぐらしの記」の終焉の灯火(ともしび)が、明滅しているせいかもしれません。「ひぐらしの記」の執筆を含めて人生行路は、気の持ちようすなわちモチベーション(心意気)の高低に影響を受けます。私の場合、モチベーションが高いときには、生きる喜びにあふれています。ところが逆に、モチベーションが低いときには、たちまち「生きる屍(しかばね)」状態へと沈んでいます。言うなれば人生行路は、モチベーションを基準にして、二者択一すなわちどっちかへ転ぶ状態になりがちです。こんな遠回しの表現は止めて、現在のわがモチベーションは低く、ずばり生きる屍状態です。瞬時のエンストであれば、再駆動にありつけます。ところが、装置全体が壊れていたら再駆動は望めず、ここで万事休すです。
 「ひぐらしの記」を書く装置とは、心模様すなわちモチベーションとして現れる精神状態です。モチベーションの有無や高低を測る、たとえば体温計のような測定器はありません。もちろん、解熱剤のような薬剤もなく、それだけモチベーションの低下は、始末に負えないほどの難物です。これにたいする処方箋は、まわりまわってみずから精神力にすがる、克己心や自己発奮あるいは鼓舞などしかありません。「言うは易く行うは難し」。
 現在の私は、モチベーションの低下に見舞われています。夏の暑さのせいではなく、生来のひ弱な精神力のせいです。単なるエンストなのか、それとも装置全体(精神)の壊れのせいなのか。ハード(身体)は、年齢(八十二歳)並みを超えて、正常に動いています。ところがソフト(精神)は、年齢並みから外れて老い耄(ぼ)れ、いや病に罹っているのかもしれません。幸いなるかな! 自己診断では、病はまったく認知していません。しかし、人様診断ではどうかな? と、思っています。
 この文章に似た文章は、近いところで書きました。だから、二番煎じの文章です。こんなことではゆくゆくは? いやたちまち、読者ゼロ人が懸念されます。すでに精神が病に罹っているような、冴えない文章を書きました。薬剤要らずの効果覿面の処方箋は、心地良い夏の朝にすがっています。

子どもの頃の夏の思い出

 八月二日(火曜日)、日中は猛烈に暑く、朝夕は涼しい、本格的な夏の訪れにある。起き出してきて、涼しい夜明けに身を置いている。そして、童心に返り、「子どもの頃の夏の思い出」をランダムに浮かべている。総じて、楽しい思い出を育んだのは「夏休み」だった。午前中は『夏休みの友』と、漢字の書き取りなどの宿題をした。宿題を終えると、わが家の裏を流れている「内田川」へ、猿股パンツを穿いていや多くはムチンで、跳んで行った。内田川にまつわる思い出は尽きない。水浴び、魚突き、箱メガネ、大きな岩に腹ばいになっての甲羅干し。ひりひり焼けると、すばやく水中に飛び込んだ。水浴びが長くなると、ブルブルグル震えて、唇は紫色になった。いたたまれず、岩を抱いて甲羅干しをした。こんなことを繰り返して、内田川と郷愁の双璧を成す「相良山」に太陽が沈む頃まで、私はほぼ毎日、川遊びに耽っていた。
 ゴロゴロさん(雷)が鳴り、入道雲がムクムクと沸いて、夕立が来そうになると怖くなり、わが家へトンボ帰った。母が「茶上がり(三時のおやつ)だよ!」と言って呼びに来ると、一時中断してわが家へ帰り、毎度毎度、ソーメンと西瓜を食べた。西瓜腹になると、再び内田川へ走った。さてそれらのほか、思い出のランダムの羅列はこれらである。まずは、アイスキャンデー売りとそれを追っかける、「待って、くださあーい……」の掛け声である。手には汗ばんだ一個の銭が握りしめられていた。
 蚊帳吊り、線香花火、蝉取り(多くはアブラゼミ)、しょんべんをひっかけられて、取り逃がすこともあった。ときには里山へ入り、ハサンムシ(クワガタ)を捕った。わざとハサミに指先を入れると、痛くて血が滲み出た。西瓜を食べるときには、丸出しのお腹に涎れと汁がコラボを演じて、ポタポタと垂れた。ソーメンの汁は、明けても暮れても生醤油の中に砂糖が入っていた。私は食べ飽きた。ところが父はソーメンが大好きで、馬がバケツ一杯を啜るように、スルスルと何杯も食べていた。私は食べ飽きたせいで、好きになれなかった。このことは現在まで尾を引き、麺類はこの世になくても構わない。
 上半身裸暮らしが多くて、浴衣の思いではない。夏祭りのときの思い出は、ラムネ、ニッキ水、かき氷、綿菓子である。父は短い昼寝を常習にしていたけれど、私は昼寝なく内田川で遊んでいた。生誕地・熊本(当時、鹿本郡内田村)は、炎天すなわち暑すぎる夏だった。わが家の涼(りょう)の取り入れは、内田川の川風と商店名の入ったウチワ(団扇)だけだった。それでも不満なく、弱音を吐いた記憶はなく、今朝は楽しい思い出ばかりが噴出している。わが人生出だしの頃の、尽きない思い出である。そしてそれらは、わが夏好きの根幹をなしている。惜しむらくは内田川が遠のいて、思い出は少しずつ色褪(あ)せて、つれてわが人生には「後がない!」。しかしながらありがたいことには、薬剤に頼らくとも「子どもの頃の夏の思い出」は、わが生存を長引かせている。
 ひんやりとする夏の夜明けは常に心地良い。とりわけ今朝は、思い出がよみがえり、輪をかけて心地良く、わが気分はすこぶるつきに良好である。夏の暑さ凌ぎには、「子どもの頃の夏の思い出」こそは、飛びっきりの無償の良薬と言えそうである。

八月一日

 八月一日(月曜日)。過ぎた七月は、気張って書いた。嗚呼、眠れない。仕方なく、起き出してきた。心身に、焼きが回っている。生きる、エネルギーが尽きている。八月は夏休みというより、九月になっても始業式(再始動)のない長期休暇になりそうだ。きょう、今現在は生きている。「一日生存」、このところのわが努力目標になっている。私は、嘘のつけない正直者である。

七月最終日

 七月最終日(三十一日)、区切りよく週末日曜日の夜明けを迎えている。気象庁の予報は外れず、おとといあたりから日本列島には、本格的な夏が訪れている。その証しには、日中には暑熱をともなう厳しさがあり、そのぶん朝夕には、冷気をともなう心地良さがある。きょうの夜明けは、典型的な夏の朝である。冷気は肌身にひんやりとして、すこぶるつきの心地良さである。
 顧みれば七月は、文章の出来はともかく、皆勤賞をもらってもいいほどに、無欠席で書いた。皆勤賞がなければ自己惚れ、すなわちちょっぴり自惚れてみたくなっている。「一寸の虫にも五分の魂」。私は掲示板のリニューアルに報いるため、かなり気張って書いた。それゆえ、いくらかその役割は果たせたかなと、これまた自負しているところである。しかしながら実際には、「草臥れ儲け」だけのところもある。
 「一寸先は闇の中」、八月はその反動で休みがちになりそうである。わが年齢は七月の半ば(十五日)にあって、八十二歳に到達した。だから気張ったところで、人生燃え尽き症候群の後半を生きながらえている。疲れは即、命の絶え時でもある。もはやわが人生は、相撲の土俵になぞらえれば「徳俵(オマケ)」を踏んでいる。こんな遠回しに言わずズバリ言えば、「ハッケヨイヨイ、残った、残った!……」の状態である。生まれついて無い頭脳は、加齢を理由にして日々止めどなく衰えるばかりである。とりわけ、語彙(言葉と文字)の忘却が進めば文章は、たちまち書き止め状態に見舞われる。加えて、これまた生まれつき指先不器用がさらに進めば、キー叩きは文字どおりお手上げ状態になる。こんな心境で、七月最終日を迎えている。
 加齢とは人間にかかわる切ない現象であり、だれにも明日の生存の保証はない。まして現在、この世は新型コロナウイルスの蔓延禍にある。それゆえ、私にかぎらずだれしも、心して八月を迎えるところであろう。本格的な夏の訪れにともなう暑熱の厳しさは、ひたすら耐えるより便法はない。八月すなわち真夏に向かうにあってわが願うのは、天変地異の鳴動のない夏空である。夏空に望むのは、「夕立と虹」くらいである。

文章は手に負えない

 七月三十日(土曜日)、週間天気予報によれば、今週末すなわちきょうあたりから、本格的な夏の訪れである。この予報はぴったしカンカンで、清々しい夜明けの訪れにある。私には風景を芸術的に描写する能力はない。だから、肩ひじ張らず眼前に見たままに描けば、朝日に照らされて大空一面は、真っ青の日本晴れである。言うなれば天上は、本格的な夏空である。地上はそのおこぼれを頂戴し、さわやかな夏の朝である。
 さて、私は文章を書いて、恥を晒すことには吝(やぶさ)かでない。しかしながら、身には堪えている。それは、継続のためにはネタ不足を補うために、自分自身の恥を晒してまでも、ネタ不足を埋めているからである。ネタさえあれば文章は、文意に沿って語彙(言葉と文字)を並べてゆくだけである。確かに、これだけでは文章には程遠いけれど、一応格好はついてひとまずほっとする。
 六十(歳)の手習いにすぎない私が文章論を記すことは、烏滸(おこ)がましいかぎりである。それでも私なりに、文章を書くにおいて、意をそそぐものはある。反面それは、間違ってはいけないと、気を懸けるものである。それらの筆頭は、文意を外れた文脈の乱れである。究極、これだけで、文章とは言えない。だから、そのほかは、誤りの枝葉である。そしてそれらには、用いる語彙の不適当、漢字の誤り、パソコンで書いているから転換ミスの放置、さらには誤字脱字など、うっかりミスが多々ある。すると、「書かなきゃよかった!」、すなわち気分が晴れることはない。
 「捨てる神あれば拾う神あり」。ただし、ときたま憂鬱気分が癒されることがある。それは、思いがけずふと、文脈にふさわしい語彙が浮かんだときである。そのときは、まさしく快感である。ときたまと書いたけれど、実際にはめったにないゆえ、訂正しなければならない。なぜなら、十五年ものの長いあいだ書いてきたけれど、快感をおぼえた記憶はない、いや少しはあっても薄らいでいる。快感がないのはずばり、六十(歳)の手習いの祟(たた)りであろうか。
 きょうは起き立てにあって、いやきょうもまた、独り善がりに「犬も食わない」文章を書いてしまった。ひたすら、忝(かたじけな)く思うところである。短い文章ながら、文章の体(てい)に誤りがあれば、たちまち気分が滅入るところである。それであればきょうは、ようやく訪れた夏の朝の気分を堪能し、気分を癒したいものである。朝日の輝きが照らす、天上、地上、そしてその空間は、真空管さながらにきわめてさわやかに清浄である。文章は手に負えない。

医療破綻にかかわる下種の考察

 七月二十九日(金曜日)、きのうの昼間を引き継いで、いよいよ訪れた真夏の夜明けを迎えている。夏好き、夏嫌いの人もいることから、良い悪いは別にして本格的な夏モードである。肌身に感じる夜明けの心地良さは、これまた夏モードである。真夏にあっては、昼間の暑さには辟易する。確かに、きのうの昼間の暑さには、それを実感した。そのぶん、夏の朝、夏の夕暮れの心地良さは、これまた格別である。しかし、地震をはじめとする天災がなければ、夏の暑さなどなんのその! 自然界の恩恵は無限大である。しかしながら現下の日本の国にあっては、そんな暢気(のんき)なことは言っておれない。なぜなら、新型コロナウイルスス蔓延のせいで、「医療破綻」が日々現実味を増している。医療破綻とは、病気になっても病医院へは掛かれない、診てあげたくも医者が診てやれないということであろう。挙句は、患者のほったらかしである。具体的には、「当院は、診療および診察、お断りします」ということなのであろうか。そうであれば当該の病医院とて、経営が成り立たないはずである。だからまったくの診療拒否ではなく、患者が多くて手に負えない状態であろう。わが下種の勘繰りをすれば、なんだか腑に落ちない医療破綻である。
 子どもの頃のわが家の茶の間の棚には、まるでそのためにわざわざ棚をこしらえたごとくに、富山の配置薬の薬箱がいくつも押し込められていた。人の好い母は、どれもこれもが断り切れずに置いたのであろう。入れ替わりめぐって来る配置薬の人には、そのたびに頭を下げ背中をエビ型にして、こう言って謝っていた。「ちっとも、服んでいませんもんね、申し訳なかです。そろそろ、回ってこられるから、ちっとは服まんといかんばいとは、言ってはいましたばってん……」。ところが、回ってくる人はみな、まるで親戚のごとく愛想の良い人ばかりだった。「薬は、服まれないことに、越したことはなかですよ」と言っては、悪びれずニコニコ顔で数えていた。私は風船を欲しさに、傍(そば)に立っていた。母の支払いは小銭程度であっても、風船はたくさんくれた。
 目下、新型コロナウイルスは、さらに感染力を強めて蔓延中である。だけど、わが家には配置薬はおろか、市販の薬の買い置きを入れる薬箱はない。病医院からもらった服み残しの薬袋は、てんでんばらばらに散らばっている。これらのことから現在の私は、思案投げ首状態、手っ取り早く言えば思案中のことがある。それはコロナ下にあっては、市販の解熱剤と鎮痛剤くらいは買い置きしておくべきか! ということである。もちろん、医療破綻を見越しての事前の備え(配置薬)である。防災には様々な備えのグッズ(備品)がある。それらを真似てとりあえずは、頓服薬の解熱剤と鎮痛剤に限るものである。言うなれば、新型コロナウイルス対応の防災グッズ(薬剤)である。
 私は、実際の医療破綻現場は知るよしない。しかし、日に日にこの言葉が現実味を帯びて、わが身を脅かしている。きわめて、厄介な言葉でありかつ現実である。真っ白けの朝日の輝きに、恐ろしいウイルスが潜んでいるとは思いたくはない。

気持ちの良い朝

 七月二十八日(木曜日)、気持ちの良い夏風が網戸から吹き抜けてくる。気のせいであろうか、これまでとは違う感じのする夏風である。今週末、すなわち明日あたりから、「本格的な夏の訪れ」という予報がある。本格的な夏とは、暑熱の厳しさをともなう真夏である。もちろん盛夏とも言われて、巷間では「暑中お見舞い」の言葉や葉書が、飛び交う季節である。人間のみに与えられたすぐれた交情である。そして、いつの間にか、「残暑お見舞い」へと、変わってゆく。日月どころか歳月のめぐりは、体操競技の大車輪のごとしである。
 昨夜は悶々としているうちに、いくらか二度寝にありついていた。それゆえ寝起きの現在は、執筆時間に迫られて、心が急いている。二度寝にありつけず起き出すと、執筆時間は余るほどある。どっちもどっち、碌なことはない。就寝時の私は、安らかな睡眠願望である。人間の基本の基、すなわち最も心安らぐはずの睡眠に脅(おびや)かされるとはなさけない。もちろん、若いときには思い及ばなかった仕打ちである。加齢は、いろんなところで心身を蝕(むしば)んでくる。
 心は急いているけれど、とりたてて書くネタ、書きたいネタもない。無理矢理書けば、新型コロナウイルスのことばかりが浮かんでくる。しかしながらこれには、もう飽き飽きしている。だからきょうは、これで書き止めである。もちろん、表題のつけようはない。本格的な夏の訪れの二日前にあって、朝日は外連味(けれんみ)なく澄明(ちょうめい)に輝いている。心は急くものの気持ちの良い朝である。朝御飯の支度の前に、しばしこの気分を堪能するために、これで結文とする。