ひぐらしの記

ひぐらしの記

前田静良 作

リニューアルしました。


2014.10.27カウンター設置

内田川(熊本県・筆者の故郷)富田文昭さん撮影

 

寒さと恥晒しで、身が震えている

 1月17日(火曜日)、きのう緩んでいた寒気は一夜にして戻り、起き立ての私は、まったく火の気のないパソコン部屋で、ブルブル震えている。嘆いても仕方のない、季節相応の寒さである。カレンダー上の「大寒」(20日・金曜日)はすぐそこにある。寒気に一利あるとすれば気を締めて書き終え、階下の茶の間へ下りて、人工の暖を取ることである。しかしながら気の引き締めは叶わず、走り書きと書き殴りのコラボ(競作)となり、茶の間へ逃げ込むこととなる。結局、気の利いた文章は果たせず、人工の暖を取るだけとなる。就寝にあっては安眠を遮られ、起き立てにあっては文章に悩まされ、昼間にあっては生存(命)に脅かされる。わが日常生活における、つらい心模様である。小さいこととはいえ、わが人生(生涯)にまつわる厳しさの一端である。しかし、私にかぎらず世の中の人だれしもにも、生涯をまっとうするには厳しさがある。
 私はパソコンを起ち上げると真っ先に、ヤフー画面を開いている。そして、連なるニュース項目を見遣る。見遣る項目は、新聞記事の総覧みたいなものである。ごちゃまぜに、10項目くらいの見出し記事が羅列している。すなわち、人間の生き様を表す社会編である。それらを読むと多くの記事は、人間だれしも生きる苦しみの証しをなしている。なんで人間社会は、こうも悪徳まみれだろうと思うばかりである。いつものことだがまったく、善徳や良徳を表す見出し項目には遭遇しない。悪徳を並べるのは目立ちがりやのメディアの習性なのかと、勘繰りたくなる。いややはり、世の中の出来事は悪徳まみれなのかもしれない。ちっとは綺麗な人間社会を夢見て、いや現実に見て、あの世へ逝きたいものである。
 項目の中には開いて、深読みするものもある。ところがそれをすると、そののちの「ひぐらしの記」の執筆時間が圧縮される。あるいは、悪徳記事を深読みすれば、気分の落ち込みに見舞われて、文章書きの気分を殺ぐことになる。それを避けるために多くは、項目だけをサラッと読んで、駆け足で「ひぐらしの記」へ向かっている。こんなときにはもとより、気の利いた文章など書けるはずもない。なさけない、楽屋事情(話)である。こんな文章は、先へつなぐ必要はなく、これで書き止めである。いや、書かなければよかった、思う30分間ほどの書き殴りである。寒気に身が震えている。重ねて、恥を晒したことに身が震えている。夜明けはまだ先にある。幸いにも生存を叶える、命の鼓動は脈々とある。

戯れ文

 1月16日(月曜日)、二つのごく小さい僥倖に恵まれて起き出している。一つは、「大寒」が今週(20日・金曜日)にひかえているのに、寒気は大緩みにある。一つは、恐れていた起き出し時刻の早さ(3時近く)の定着を免れて、いい塩梅の頃(4:59)に起き出している。この二つとは異なり、こちらは僥倖とは言えない不断の恵みだけれど、書けば読んでくださる人がいる。逆に言えば、読んでくださる人が絶えれば、即刻書き止める。このことは、虫けらの固い意志である。
 あえてこの理由を書けば、寝起きの眠気眼に加えて朦朧頭で、さらには文章に難儀し、恥を晒して書くまでもない私日記にすぎないからである。確かに、寝起きの駄文とはいえ、文章の体裁をととのえることには、ほとほとつらいものがある。換言すればそれは、わが脳髄の出来をはるかに超えた苦悶の作業である。挙句、こんな文章を書いては、あけすけに読んでくださることをねだっている。私は、身の程知らずの欲張りである。確かに、私日記であれば秘かに書いて、人様の目に晒さずとも満足すべきものである。ところが、これに反する心境をたずさえているのは、私日記をブログに認(したた)めているせいなのかもしれない。すなわち、ブログこそ欲張りの根源を為している。いや、ブログゆえに、人様の厚誼に出合い駄文継続の支えにあずかっている。ネタの浮かばない起き立ての文章には、私自身、何を書いているのかさっぱりわからない。たぶん、頓珍漢なことを書いていることだけは、はっきりと請け合いである。
 きのうの「小正月」が過ぎて、いよいよ正月気分はおさらばとなる。だとしたらこの先、少しは増しな気の利いた文章を書かなければならない。きょうは三十分近くの殴り書きで済まして、気分鎮めを試みることにする。夜明けはまだ先だけれど、寒気の緩みにすがり、長く頬杖をついて迷想を愉しむつもりである。こんな文章は読んでくださらない人がいても、もちろん書き止めの原因にはならない。なぜなら、単なる身勝手な継続文にすぎないからである。やはり文章は寒気に身震いしてこそ、体裁をととのえる意気が沸き立つのかもしれない。ほとほと、かたじけない文章である。デジタル時刻は現在、5:34と刻まれている。表題のつけようがない戯(ざ)れ文である。

小正月・旧正月

 1月15日(日曜日)。おととい、きのうに続いて、きょう三日目、ほぼ同時刻(三時前)に起き出して来た。私は、こんな時刻の起き出しの定着を恐れていた。ところが、あにはからんや! 三日も続いてしまった。それゆえにこの先へ続けばと、恐怖感つのるばかりである。
 しかしながらきょうの起き立てには、この二日とは違って、かなり安穏するところがある。おとといときのうの場合は、目覚めて起き出すまでには二時間余、寝床の中で眠れず悶々とし、仕方なく起き出した。そのせいで起き立ての気分は、憂鬱状態に陥っていた。ところが、この二日に比べればきょうの寝起きは、形(時刻)はほぼ同じでも中身は、雲泥の差と言えるところがある。きょうの場合は、二時間余の悶々とする時間は免れ、ぐっすり眠れて起き出している。おのずから起き立ての気分は、全天候型に良好である。わが日常生活における気分の良し悪しを最も左右するのは、あらためて安眠の可否であることを知るところである。
 起き立てにあって、電子辞書を開いた。
 【袋小路】「行き詰まって通り抜けることのできない小路。転じて、物事の行き詰まること。対比の言葉は抜け小路」。
 なぜ? 知りすぎている安易な言葉なのに、あえて電子辞書を開いたかといえばこうである。すなわちそれは、人生の晩年を生きる現在のわが身の立場を象徴しているかのように思えたからである。具体的にはもはや過去にこだわりすぎることはできないし、無論、この先のことは書けない。そのため、ネタ不足に陥った現在の状態を、まるで袋小路だな! と、思っていたからである。
 ネタ不足に手を焼いてきょうの私は、カレンダー上の「小正月」(きょう15日)にかんがみ、ネット記事を閲覧した。以下は、似通った二つの引用文の抱き合わせである。「小正月とは、正月15日の行事である。または、14日から16日までの3日間、または、14日の日没から15日の日没まで、または、望の日、または、元日から15日までの15日間ともされる。 本来旧暦だが、明治の改暦後は新暦1月15日、もしくは、2000年からは成人の日に行われる場合もある。1月1日の大正月に対して,1月15日を中心にした数日をいう。農耕に関する様々な予祝・年占(としうら)の行事や,鳥追い・どんど焼き・なまはげなどの行事が行われる。二番正月。松とりて、世こゝろ楽し、こしょうがつ( 芭蕉)」。
 私は「小正月」にまつわる子どもの頃の思い出にすがり、小正月を祝っている。懐かしく甦る思い出は二つある。一つは「どんど焼き」であり、一つは母が煮炊きした雑煮餅を、父と数を争って食べたことである。当時の父と母は、「小正月」を「旧正月」と言っていた。再び、電子辞書を開いた。【旧正月】「旧暦の正月」。やはり私は、ネタに過去のことを書かないと、袋小路に嵌った状態にある。夜明けは、まだ先のところにうずくまっている。デジタル時刻は、4:19である。

「嗚呼、眠れない!」、続編

 1月14日(土曜日)。きょうの文章はきのうの「嗚呼、眠れない」の続編である。きのうとまったく同様に、寝床で二時間余を悶々として眠れず、両目玉冴えて起き出して来た。すると、パソコン上のデジタル時刻もまた、きのうとほぼ同じ2:58と刻まれている。
 私にはデートという、洒落た記憶はない。結婚前の私は、妻と歩いていてもわが田舎者には恥ずかしくて、手を繋いだり、腕を組んだり、はたまた肩を抱いたり、したことは一度さえなく、間隔を空けて歩いていた。ところが現在の私は、妻のヨロヨロの足取りを支えるために仕方なく、手を取り、腕を組んで歩いている。傍目に見るこの光景は、82年生きてきたわが成れの果てである。
 確かに、人生行路は茨道である。わが体験を顧みれば人生行路にあっては、何度もいやひっきりなしに「進み方、生き方」の厳しい関門が訪れる。まずは、進学・進路の選び方と、それに伴う試験が訪れる。それを終えるとこんどは、就活と言われる就職、すなわち職業選択とそれに伴う試験が纏わり着く。大方これに次のは、婚活と言われる結婚問題、すなわち妻(配偶者)選びの関門が訪れる。勤務する会社における昇進試験も、これまた厳しい関門である。働く時代にあっては、仕事を熟(こな)すことそれ自体、日々に横たわる関門である。そして、仕事の打ち止め(定年)を無事に迎えることは、さらに大な関門である。定年を迎えて、仕事を離れて身も心も自由人になればほどなく、来し方や生き方の総ざらいと、その先への身構えが訪れる。これまた、文字どおり心身に堪える関門である。こののち、人生行路の最後の関門は、終活と言われる「命、仕舞い」の準備である。人生行路の終着駅は、「命の終焉」である。未体験だがこれにも、大きな関門がありそうである。
 電子辞書を開いた。【関門】①関所の門。関所。②通過するのがむずかしいところ。使用例、「人生の最初の関門」。
 確かに、きょうの文章は、これまたきのう同様に夜明けまでの暇つぶしである。しかし、実際のところこんな短い文章では、暇のつぶしようはなく、いまだデジタル時刻は3:29にすぎない。だからもとより、暇つぶしの足しにはならない。ところが、こんな文章を書きたくなったことにはこんな理由がある。すなわち、きょうとあす(15日)の二日をかけて、「大学共通入試」が行われるからである。受験生の健闘を願うとともに、過ぎた遠い日のわが苦悶が想起されたゆえでもある。それはまさしく、わが人生行路の青春時代に賭けた大きな関門だった。そしてそれは、大道(王道)をくぐり抜けることは叶わなかったけれど、逸れた小道をやっとこさくぐり抜けた、わが人生行路における第一関門だったのである。
 現在の私は、「嗚呼、眠れない!」が、あす、その先へ定着するのを恐れている。結文の表現はきのう同様に、夜明けはまだはるか先にうずくまっている、でいいだろう。

嗚呼、「無情」。長い夜

 1月13日(金曜日)。嗚呼、眠れない。寝床で悶々すること2時間余、起き出して来た(2:54)。心象(風景)は、時々刻々に変化する魔物である。きょう書けているからと言って、あすも書けるとはかぎらない。継続を叶えることは、極めて困難事である。その証しには、今にも書き止めを食らいそうである。常々私は、文章継続の困難さに脅かされている。だとしたら、きれいさっぱり止めれば、気分の憂鬱や動揺は免れる。人生の晩年を生きる私は、確かに継続の可否の決断のしどころにある。これまた、悶える苦しい決断である。
 人生行路は、大まかに時代を区切りそれを連ねて命の終焉へ辿り着く。換言すれば命(人生)の生涯である。一つは、生まれて親の愛情に育まれる幼年時代。一つは、学びに就いて小学生、中学生、高校生、なお何かの学びを続ける場合の学び舎の時代。高校を卒えて実業に就いたとしてもこの時期は、なお学び舎の延長線上にあると言っていいだろう。総じて、青少年時代である。一つは、おとなの仲間入りをして実業社会で堂々と働く時代である。これすなわち、定年(60歳あたり)を区切りとする壮年時代である。一つは、こののちに訪れる老年時代である。わが大まかな時代分けゆえに、もちろん人それぞれに思いや区分は異なるであろう。しかしながら、異なる人生行路であってもまっとうすることは一様に困難事である。
 こんなことを、安眠をむさぼれる寝床に浮かべているようでは、もとより眠れるはずはない。私には人生晩年の焼きが回っている。嗚呼、「無常」は、あの世へ導くお釈迦様の身勝手な説法(言葉)である。私の場合は言葉を変えて嗚呼、「無情」である。寝つけの頓服薬が市販されていれば買って、のみたいところである。あっても、人生の晩年を生きる私には効き目はなさそうである。夜明けは、まだはるか先にうずくまっている。起きて、悶々とする長い夜である。

人生、気狂いの雑感

 1月12日(木曜日)、起きてまだ夜明け前にある。もとより、安眠と癒しを貪るはずの寝床は、様々な妄想が駆け巡る運動場さながらに化している。人生とは悩み苦しみて、死ぬまで生きることである。82年生きて、わが確かな悟りである。しかしながら実際の苦悩はこの先にあり、それゆえに未体験である。
 人生の孤独とは究極、ひとりで生まれ、ひとりで死ぬことである。起き立ての私は、気狂いしているわけではなく、確かな性根をたずさえている。しかし、性根はさ迷っている。寒気のせいではない、寒気はいつもより緩んでいる。言うなればお釈迦様の説法の真似事をして、書いてみたくなったにすぎない。もっとあけすけに言えば、ネタ不足を起き立てのダジャレで補ったものである。いや、ダジャレとも言えない、わがこれまでの人生行路から学んだ正鵠(せいこく)である。何たる果報者、いや何の祟りであろうか? 
 わが凡愚・凡庸をはるかに超えて、私は文章を書き続けている。そのせいで、書き疲れている。とりわけこのところは、長い文章を書いている。そのため、疲れがどっと出ている。だからきょうは、休養に逃げ込むつもりだった。ところが、夜明けまでの暇つぶしに、パソコンを起ち上げた。挙句、気狂い症状みたいな文章を書いている。「コケッコー」の早起き鳥はいないけれど、早起きを悔いている。
 鳥インフルエンザウイルスにちなむ「鶏り殺つ」のニュースは、つらさ堪えないものがある。尻切れトンボだが恥じず、意図して短い文で閉じるものである。暇をつぶして、夜明けが近づいている。

「鏡開き」

 1月11日(水曜日)。まったく火の気のないパソコン部屋の椅子に座して、現在、デジタル時刻は3:58と刻まれている。寒さで、体が震えている。だけど、寝床が恋しいとは言えない。なぜなら、わが意志で抜け出して来たからである。冬季にあって、目覚めて起き出したままに寒さに震えている私は、とことんなさけない愚か者である。
 寒い季節であっても昼間のパソコン部屋には、燦燦と太陽光線が暖気をそそいでいる。昼間の太陽光線を味方につければ、もちろんこんな泣き言・恨み言など書かずに済む。ところが、なんどか昼間に文章書きを試行したけれど二日と続かず、元の木阿弥すなわち元の鞘(未明)に収まり返っている。気象庁によれば一日・二十四時間の中では、気温は未明が最も低いという。繰り返せば、ほとほと私は、バカ者・間抜け者である。せっかくの昼間の太陽光線の恵みを放擲(ほうてき)するようでは、もとよりこんな泣き言など吐いてはならないはずである。しかし、泣き言を言っている。生来、私は弱虫・泣き虫である。
 机上のカレンダーへ目を遣ると、きょうには二つの歳時(記)が記されている。一つは「蔵開き」、一つは「鏡開き」である。いずれも、知りすぎている歳時(記)だけれど、生涯学習の復習を兼ねて電子辞書を開いた。
 【蔵開き】:「新年に吉日を選び、その年初めて蔵を開くこと。多くは1月11日とし、福神に供えた鏡餅で雑煮を作ったりする。
 【鏡開き】:「①正月11日ごろ鏡餅を下げて雑煮・汁粉にして食べる行事。近世、武家で、正月に男は具足餅を、女は鏡台に供えた餅を正月20日(のち11日)に割って食べたのに始まる。鏡割り。②祝い事に酒樽の蓋を開くこと。鏡抜き」。
 辛党すなわち辛味(アルコール類)はさっぱりで、甘党すなわち甘味(駄菓子類)一辺倒の私は、甘酒さえ用無しにきょうは、ふるさと便の丸餅を用いて、好物の「汁粉(善哉餅)」を鱈腹食べるつもりでいる。オマケには無病息災を願うつもりだけれど、ところが意に反し、胃部不快感をいや増す恐れもある。しかしながら、きょうだけは「そんなこと、知ったこっちゃない!」、餓鬼(食いの)楽しみである。
 雑煮餅は、「小正月」(15日)の愉しみである。そのため次の買い物にあっては、市販の胃薬を買い置きしなければならない。目当ての薬は、私に生活資金を存分に与えてくれた「エーザイ」の整胃薬「セルベール」である。体全体が冷えてきて、この先は書けない。デジタル時刻は、未だ暗闇の4:55である。なさけない。

「謝意」文

 1月10日(火曜日)。元旦、三が日、七草、ほか「初」という冠を付けた歳時(記)は、日ごとに過ぎている。加えて、きのうの「成人の日」(9日・月曜日、休祭日)へ連なる三連休も過ぎた。現在は、起き立ての夜明け前にある。きょうあたりから実質、働く人も、学び舎で学ぶ人も、新年の本格稼働に勤しむことになるであろう。これらの人の例外に属する人は、自営業を生業にする人、世のため、人のため、そして自分のために社会貢献や公務に就く人たちであろう。さらにはこれらの人たちを超えて、休むことなく勉学のフル回転を強いられているのは、様々なレベルの受験生である。
 職業を持たない私の場合は、もはや働くという言葉自体が死語に近いところにある。実際には死語とは言いたくないから、縁遠いと換言するところである。なぜなら、わが日常生活に負荷されている仕事、すなわち妻を支える主婦業、分別ごみ出し、当住宅地の周回道路をなすわが家周りの掃除はすでにしている。
 さて、「ひぐらしの記」は、旧年の年の瀬および暮れから明けてきょうまで、休むことなく書き続けている。ところが、世の中の人たちが本格稼働に就くきょうは、書くことに疲れていて、休みたい思いで起き出している。確かに、休むことなく書き続けてきた。しかし、文章書きは仕事ではないので、書き続けたことを自惚れることはできない。換言すれば、仕事を持たない老人の行き場のない暇つぶしにすぎない。ところが、この間において秘かにちょっぴり自惚れているのは、心して愚痴こぼしの文章を遠ざけ得たことである。しかしこれも、もはや消費期限が切れて、きょうあたりからぶり返している。
 私の場合は、もとより愚痴こぼしの文章を避ければ、たちまち頓挫の憂き目を見る。言うなれば様々な愚痴こぼしは、わが文章立ての骨格を成すものである。それでも愚痴まみれの文章は、自分自身はもとより厚意にさずかるご常連の人たちの気分をも損ねることとなる。自分自身の気分を損ねるのは、自業自得ゆえに仕方がない。しかしながら、親愛なるご常連の人たちの気分を損ねるのは、わが大きな罪作りである。対面なく文章で詫びて済むものではないけれど、衷心より謝意を示すものである。
 「謝意」とは、きわめて都合の良い言葉である。知りすぎている言葉だけれど、習性にしたがって電子辞書を開いた。
 【謝意】①感謝の気持ち②謝罪の心。お詫びの気持ち。
 すなわち私は、心してご常連の人たちに対し、謝意をいだいている。とりわけ現在の謝意には意図して、罪償いと罪滅ぼしのわが意を託している。いやこの先も、厚意にさずかるご常連の人たちに対しは、一寸たりとも謝意を忘却することはない。このことは自戒というより信念である。世の中の人たちの本格稼働開始にあたり、私はこのことをわが胸に銘じて、愚痴こぼし文章の許しを得たい思いである。
 書き疲れている私は、身勝手にこのことを記して、指先の動きを畳むものである。やはり最後は、愚痴こぼしで閉めることになる。幸いなるかな! 胃カメラは腫瘍や芥子粒ほどの傷も探しきれなかった。けれど、旧年からの胃部不快感はなお続いている。
 庭中へ飛んで来る山のメジロを真似て、薬剤代わりに椿の花びらの甘い蜜を舐めたら、案外治るかもしれない。子どもの頃のわが母は、嗜好というより薬剤代わりに何かというと、お顔見知りの人が育んだ蜂蜜を舐めさせてくれた。すると、ケロッとではないけれど、なんだか効いていた。書き殴りの駄文とはいえ、私には手に負えないものである。だから、おしまい。夜明けまでの制限時間内に収まった、謝意文である。

成人の日

 きょうは「成人の日」(1月9日・月曜日、休祭日)。遠い日の思い出というより、空(から)ごとの夢まぼろしになりかけている。確かに、私のみならず人は、華ある成人(式)を迎えても、年月を過ぎれば必定、老い耄れの姿をさらけ出す。このことは人間のみならず、生きとし生きるものの宿命(定め)である。だから、新たな成人(式)を寿(ことほ)ぐことすれ、むやみにやっかむことなく、いくらかのやせ我慢でことたりる。そうは言ったものの正直なところ私は、かなりやっかんでいる。これは82年生きても、年の功を重ねることなく過ぎた、わが虚しさの証しなのかもしれない。
 顧みてやはり若さは、それだけで人生行路における、無償で得られる宝物である。しかしながら、その宝物を無駄にすると、年月過ぎてしっぺ返しをこうむり、人生の晩年においては後悔まみれとなる。このことはわが身を省みて諭(さと)す、切ない老婆心である。老婆心はあえて、老爺心に置き換えることのない、「婆・爺」の共通語である。
 さて、何度も繰り返し書いているけれど、随筆集と銘打っている「ひぐらしの記」は、すっかり私日記スタイルに成り下がっている。その証しにはしっかりと態勢をととのえて書くことなく、私は起き立ての心象(風景)のままに書いている。いや実際には、起き立てにふと心中に浮かんでいることをネタに書いている。挙句、書き殴りや、ときには走り書きを強いられている。このことは、後悔というより反省である。ところがいくら反省を重ねても、いまだいっこうに正すことができずじまいである。六十(歳)の手習いにすぎない私は、もとより文章というよりいたずら書きの作文にさえ手を焼いている。こんな嘆きを起き立てにこうむるのだからわが一日の始動は、おのずから泣きべそまじりとなる。そのうえ、文脈の乱れや誤字脱字など、すなわち失策をしでかせば一日じゅう暗い気持ちになる。そのたびに、「ひぐらしの記」の継続の可否や是非に決断を迫られて、わが心は大揺れとなる。
 私にはもう「成人(式)の日」は来ない。そうであるなら、「老人や老齢の日」をどう費やすか? と、私は日々苦心や迷い言を重ねている。文章に手古摺るのは、もちろん序の口であり、生きるための難題はほかに箆棒(べらぼう)にある。時節柄、起き立ての寒さが身に沁みる。老齢の身を生きる苦しさは、ずいとわが身に沁み込んでいる。

たまゆらの幸福

 私は茶の間のソファに背凭れていた。恐れていた降雪予報は外れた。まるで、予報の外れを償い詫びるかのように、早春の陽光が窓ガラスを通し見ている視界へ、限りなくキラキラふりそそぐ。もちろん、自然界が詫びることはない。予報を外したことで詫びるとしたら、気象庁とか気象予報士の名を着る人間である。しかしながらこれらの人とて、番外編の好天、煌めく陽光にありつけて、詫びることはない。
 山から緑(あお)く艶々に光る初々しい姿のメジロが番(つがい)で、庭中のツバキの花びらへ飛んで来た。心許なく小枝や葉っぱを揺らし、飛び飛びに仲良く分け合って、仰向けに蜜を吸い始めた。いつも先導するシジュウカラは見えない。私は、たまゆらの幸福に酔い痺れていた。人生の晩年を生きるわが身は、やがて斃(たお)れる。
 きのう(1月7日・土曜日)の昼間の寸描と、そのおりのわが心象風景である。きょう(1月8日・日曜日)の私は、わざといつもとは違う書き出しをした。それは起き立てのわが心中に、「玉響(たまゆら)」という、言葉が浮かんでいたせいである。普段はあまり用いないけれど、文字どおり心に響きの良い言葉である。すると、語彙の生涯学習を掲げる私は、学童の頃の「綴り方教室」に倣って、「たまゆら」を用いて、一文を綴ってみたくなったのである。言うなれば生涯学習にちなむ、言葉の復習(おさらい)である。
 私は「たまゆら」を見出し語にして、手元の電子辞書を開いた。
 【玉響(たまゆら)】①(万葉集の「玉響(たまかぎる)」を玉が触れ合ってかすかに音を立てる意としてタマユラニと訓じた)ほんのしばらくの間。一瞬。一説に、かすか。方丈記「いづれの所を占めて、いかなるわざをしてか、しばしもこの身を宿し、たまゆらも心を休むべき」。「たまゆらの命」。②草などに露の置くさま。
 きのうの私は、妻が予約済の髪カットへ、大船(鎌倉市)の街中にある美容院、いや小汚いビル内の一室へ引率同行をした。降雪予報の外れに変わる、思いがけない早春の陽光は、ふたりには万々歳だった。
 忝(かたじけな)い一文をしたためて、夜明けを待つことになる。きのうの陽光が温めたパソコン部屋は、暖を引きずりこころもち寒気が緩んでいる。自然界も、気象プロの人間も、予報の外れを詫びることはない。私にはありがたさの極みにある。