ひぐらしの記

ひぐらしの記

前田静良 作

リニューアルしました。


2014.10.27カウンター設置

内田川(熊本県・筆者の故郷)富田文昭さん撮影

 

偉業にまつわるエピソード

 きのう(令和二年・二〇二〇年)、感銘を受けた国内外の出来事を一つずつ記録に留め置くものである。一つはテレビで視聴したアメリカ大統領選挙における、バイデン新大統領の勝利者宣言の演説の素晴らしさである。すなわち、バイデン新大統領の演説は、混迷を深めていた選挙を一挙に打ち晴らすものだった。広大なアメリカ合衆国は、一人の有能な個人で救われたとも言える、気高く劇的な演説だった。
 日本国内の出来事では、プロ野球・読売ジャイアンツ球団に所属する坂本勇人選手の快挙・偉業だった。坂本選手はきのうの東京ヤクルトスワローズ戦(東京ドーム)において、2000本安打を達成した。2000本安打達成自体は史上53人目である。これに加えて特筆すべきは、31歳10か月という、史上2番目の若さでの達成である。このことからかんがみると安打の記録は、この先まだまだ途轍もなく伸びるであろう。残念ながらわが余生では、それを見届けることはできない。私はジャイアンツを宿敵とするトラキチ、すなわち狂人まがいの阪神タイガースファンである。それでも、坂本選手の偉業は称えずにはおれない。そのためきょう(十一月九日・月曜日)は、坂本選手とマー君(ニューヨークヤンキース球団所属・田中将大選手)にまつわる小学生時代の微笑ましいエピソードの記事をそっくりそのまま引用するものである。二人の少年の志は、国内外で大きく実ったのである。バイデン大統領の品格に加えてこれまた、人間の素晴らしさの証しである。
 【怒られ半べそ……マー君父に諭された坂本少年が今や】(2020年11月8日20時22分 日刊スポーツ)。坂本がエースで、マー君が捕手。右打者史上最年少で2000安打を達成した巨人坂本勇人内野手と、ヤンキース田中将大投手は小学生時代に同じチームでプレーしていた。球界内外で広く知られるエピソードだが、2人が円熟期に入った近年、その数奇な運命はさらに際立つ。2人が所属した昆陽里タイガースの当時の監督、山崎三孝さん(75=現理事長)は、坂本について「勝った、負けたで泣いたことはないけど、野球を雑にやっていて『やめてまえ。帰れ。2度と来るな』と怒ったことが2回、あります」と思い返した。「1回目は5年生の時。ショートをやっていて、5月か6月かの練習で、できるのに手を抜いていた。2、3歩、動いたら捕れるのに、手だけ伸ばしていた。それで怒りました。半分、泣いてました。その後、マー君の父親、田中コーチが10分ほど口説いて、私のところに謝りに来ました。『ちゃんとします。許して下さい』と。先輩の投手のところにも謝りにいってました」「2回目は6年生の時。夏休みの伊丹での大会、初戦の先発メンバーを外しました。べそかいたけど、みんなの前では格好つけたいタイプ。陰で涙を浮かべていた。こっちに来ても帽子を深くかぶって、なかなか取らなかった。格好をつけるのは、今でもそうでしょう。ただ、今は周りの目標が坂本選手になった。もう手を抜けない。自分が手を抜いたら、周りに注意できなくなる。キャプテンをさせて、今の立場になったのは一番いい。一選手のままだったら、あそこまで伸びてないのでは。立場が伸ばした」と感じている。6年生でエースになった坂本は、中学、高校を経て日本を代表する遊撃手になり、捕手だった田中は大リーグで活躍する投手に成長。第2の坂本、マー君の育成へ、75歳になった山崎さんは「枯れ木のにぎわいです」と笑いながら、今でも週3回はグラウンドに通っている。教え子たちの活躍は何よりも楽しみ。「ハードルが高ければ高いほど、向かっていく。毎日、テレビで応援してますよ。妻から『お風呂に入って』と言われても『この打席が終わってから』って言ってます」

哀れなるかな五官、年寄りの証し

 令和二年十一月八日(日曜日)、パソコンを起ち上げると、ヤフーニュースの項目にはずらり、アメリカの大統領選挙における帰趨が並んでいた。私はバカ騒ぎに同調するほどバカではないため、どれひとつ記事を読むことはなかった。バイデン氏が勝利確実 米報道・バイデン氏が過半数 開票速報・バイデン氏「信頼得て光栄」・バイデン氏支持者 喜び爆発・トランプ氏 敗北認めない姿勢・トランプ氏、ゴルフに向かう。
 こんなことより、私自身のことが一大事である。この世で最も柔らかい食べ物と思われるヨーグルトを食べている最中に、前歯の一本がポロリと、ふぁふぁのヨーグルトの中に落ちた。音がするはずもなく目で確かめ唖然として、親指と人差し指を濡らし挟んで拾い上げた。悔しさがつのり、慄然とした。恐る恐る欠けたところへ人差し指を当ててみた。死火山の噴火口みたいにポッカリと大きな穴が開いていて、武骨な指先がすんなりと入った。現在治療中の部位ならまだしも、治療部位から免れていた歯の欠け落ちである。表現を変えれば、悄然とした。
 両耳の難聴は、ますます度を強めている。金婚式を超えて慣れ親しんできた妻との会話によるコミュニケーションは、聞こえたふりしての実のない空返事ばかりである。
 目は人生最期の時まで、緑内障進行防止の点眼薬の囚われの身になりそうである。国庫の財政事情からすれば、医療費の無駄遣いと言えそうである。皮膚は恥を忍んで正直に書けば、約半世紀にわたり「痒痒病(かゆかゆびょう)」にとりつかれている。ところが、病院通いを嫌って、市販の痒み止めでお茶を濁しているありさまである。
 口内は数年前のピロリ菌退治が功を奏して現在は治まっているけれど、物心がついた頃より口内炎の痛さに悩まされ続けてきた。五官にあって鼻だけは唯一、今でも本来の機能を保っている。ところが鼻の造作(ぞうさ)は、鏡を翳(かざ)すと見るも哀れな団子鼻である。しかし、今さらながら造作の不出来など、気にしてどうなることでもない。病に罹らず本来の機能を果たしてくれさえすれば、恩に着るところである。いや、今では愛(いと)おしい団子鼻である。
 五官ではないけれど、せっかくだから二つほど書き足せば、顔面は皺くちゃで、頭部はピカピカの禿げと残り毛の真白髪の光景を曝け出している。すなわちわが身体は、五官や目で見えるところの一部だけでも、今や年寄りの証し横溢である。目に見えない身体内部(内臓)の衰えなど、知らぬが仏である。
 唯一、救われているのは、バカをバカと認識するほど、わが脳髄が馬鹿ではないことである。晩秋から初冬にかけての夜は、いと長し。

晩秋の夜は長い

 海の向こうのはるかに遠い異国・アメリカのこととはいえ、毎日テレビニュースで醜態ぶりを見せられると、ほとほとうんざりする。世界の盟主を自任するアメリカがこんな国であったのかと、日々驚くばかりである。こんな国に操られ、従順を余儀なくしてきた国々は哀れである。無念かな! わが日本の国は、それらのイの一番に連ねている。
 今さらながら私は、ひとりの人間のしでかす恐ろしさを身に染みて学んでいる。教科書で学んだかつての世界の独裁政治は、国民という民衆の考えなど、有無を言わせぬものがあったようである。このことからすればこのたびのアメリカの騒ぎぶりには似て非なるものがあり、むしろ歓迎すべきものであるかもしれない。しかしながらやはり、尋常ではない混乱ぶりである。
 民主主義の根幹をなす選挙にあって、私には腑に落ちないことだらけである。簡易に「分断」という言葉が用いられているけれど、アメリカの国に根づく何かがあるのかと、疑うばかりである。負けが濃厚と言われている候補者は、選挙の打ち止め、やり直し、票を数えるな! などと、言いたい放題の悪態ぶりである。さらには、法廷闘争という言葉が飛び出している。ほとほと、呆れるばかりである。
 この騒ぎの中にあってあらためて学んだのは、人間につきまとうエゴ(利己主義、自分本位)である。やんぬるかな! このたびは、世界中の人々の目に晒されたエゴの丸出しである。醜い争いの状況を繰り返し垂れ流すテレビニュースは、もう打ち止めを願うところである。確かに、それなら観なけりゃいいものだけれど、テレビニュースはこのことばかりで、いやおうなく目に入る。
 こんなおり、日本社会にあっては、おととい、きのうと連日、新型コロナウイルスの感染者数が千人を超えている。恐れていた第二波が現実になりつつあると、言えそうである。きょう(十一月七日・土曜日)の数値が気になるところである。
 ところが、新型コロナウイルスは、世界中で勢いを増していると、伝えられている。好季節にあっても、世界の人々の気分の休まるところはない。特にアメリカでは選挙騒ぎの間隙をついて、感染者数が増え続けているという。飛んだとばっちり、選挙の騒ぎが止んで、「開けてびっくり玉手箱」と、ならないことを願うばかりである。
 ひとりのバカのしでかしだから、嘆くのはソンソン(損々)である。晩秋の夜は長い。書き続ける時間は、まだたくさん残っている。しかし、この先を書く気分は殺がれている。

万物の霊長、すなわち人間の面汚し

 疲れているせいであろう。久しぶりに二度寝が叶い、目覚めて起き出してきたのは、夜明けて七時頃である。長く眠れたことではありがたいことだがそれはそれで、文章を書くうえでは焦燥感まみれになっている。同時に、秋の夜長を台無しにしたことでは、いくらかもったいない気分にある。しかしながら、それは言うまい。なぜなら、このところの私は、夜長の時間の手持無沙汰に陥り、快い瞑想に耽るどころか、迷想ばかりにとりつかれていた。このことを思えば、夜長を台無しにしたきょう(十一月六日・金曜日)の目覚めは、棚ぼたの恵みと言うべきであろう。
 焦燥感にとらわれた走り書きは、もちろん文章の体を成していない。そのため、現下の日本社会において、一つだけ気になっている憂える出来事を書きとどめるものである。それはこのところメディアのニュースで伝えられてくる、農産物や家畜の盗難事件の多さである。確かに、昔でも西瓜や果物などの泥棒には、生産者は憤懣やるかたなく手を焼いていた。しかし、当時の盗難事件は、コソ泥に輪を掛けたくらいで済んでいた。もちろん、生産者にすれば盗難の悔しさに大小はなく、生業(なりわい)に大きな痛手を被っていた。確かに、命を込めた生産物を泥棒に攫(さら)われた生産者の憤りは、小さいとは言えなかった。花泥棒に遭われた人の憤慨も同然である。
 このところのメディアニュースでは、当時とはうってかわって、職業人(仕事)さながらの大掛かりな盗難事件が相次いで伝えられてくる。盗まれる農産物は、野菜や果物はもちろんのこと、それらにかぎらずあらゆるものへ広がりつつある。家畜の盗難事件では、私が度肝を抜かしたニュースの一つには、豚を盗んで自分たちの腹ごしらえにしたというものがあった。テレビ映像には、モッコではこぶかのように二人して、豚を運ぶ光景が映し出されていた。よくもこんなことまでできるものかと唖然、嘆息交じりに眺めた映像だった。
 人間は、ほとほと悪徳である。農産物にかぎらず家畜の盗難事件には、もはや生産者の嘆きばかりではなく、日本社会の劣化を憂える世情にある。この先際限なく、先ずは海産物の養殖への波及を恐れるところである。日本社会は、人心が乱れてなお行き末が案じられる。目下は、農産物や畜産物の盗難事件のもたらす多難な世情にある。生産者の痛手や嘆きには同情や共有の余地なく、無為に傍観するばかりである。さまざまなところから伝えられてくる盗難事件の多さは、日本社会の憂える世情の確かな一つである。
 人間は生きとし生けるものにあって、言葉のうえでは万物の霊長と崇められてきた。ところが、実際には愚か者の筆頭に位置する証しが続いている。

矍鑠(かくしゃく)

 わが未知の異国・アメリカ合衆国は、聞きしに勝る広い国である。いまだにこのたびの大統領選挙における決着、すなわち勝利者宣言は梨の礫(つぶて)の状態にある。異国のイベントゆえに、結果を待ち望む気持ちはさらさらないけれど、しかし早手回しの決着を望むところはある。なぜなら、昨夜の七時台のNHKテレビニュースにあっては、日本国内のニュースはそのニュースに押しのけされた状態だった。私は辟易して、チャンネルをプロ野球・阪神タイガース対東京ヤクルトスワローズへ回した。それでも私は、アメリカ大統領選挙の戦況を伝える映像から、一つくらいご利益(りやく)を得ようと、こんな言葉を浮かべていた。言うなれば、わが現場主義の語彙(言葉と文字)の学習(おさらい)であった。
 浮かべていた語彙は、「矍鑠(かくしゃく)」である。言葉自体はきわめて日常語である。しかし、漢字は小難しい書き慣れない文字である。この言葉が浮かんでいた誘因は、映像で観る両候補の元気盛んな姿である。両候補の年齢を記すと、共和党のドナルド・トランプ候補は七十四歳であり、一方相対する民主党のジョー・バイデン候補は七十七歳である。電子辞書を開いて意味調べをするまでもないけれど、私は開いた。『矍鑠』:「年老いても、丈夫で元気なさま」。説明書きは、たったこれだけである。
 知りすぎていたことだから、これだけで満足しては、わが生涯学習にはなり得ない。私は、矍と鑠の漢字の成り立ちと、意味調べを試みた。するとともに、元気のよいさま、盛んなさま、という説明書きがあった。結局、二つの意味を重ねて熟語としては、先の「年老いても、丈夫で元気なさま」の意味を成していたのである。
 私は学童時代に立ち返り、何度か、漢字の書き取りをした。ただ、それまでのことである。秋の夜長にあって、なんらのネタ無しである。きょう(十一月五日・木曜日)は、その祟(たた)りの文章である。なさけない!

たび重なる「秋の夜長の瞑想(迷想)」

 人生において、「生き恥を曝(さら)す」人はたくさんいる。それぞれの人生における、逃れられない宿命とも、言えそうである。同義語としては、「晩節を汚(けが)す」という、言葉が浮かんでいる。必ずしも、同義語ではないのかもしれないが、そうであればわが知識の貧弱さである。
 国内外を問わず首班選挙に立候補する人は、必ずしもすべての選挙民に崇(あが)められることはない。いや、おうおうにして恥を晒(さら)したり、非難を蒙(こうむ)らなければならない。しかし、相手の候補者を打ち負かし勝利すれば、宿願の栄光と憧憬の座にありつける。すなわちそれは、だれもが体験できない快感と名声にあふれている。そうであれば就寝中の夢見にあって、だれしも一度くらい見てみたい栄光の座である。
 まるでアメリカが日本の国に憑依(ひょうい)でもしたかのような、騒々しアメリカ大統領の中間選挙戦は、ようやく決着の時を迎えている。騒々しさに辟易していた私にすれば、この日の到来は願ったり叶ったりである。すなわち、長い選挙戦の結末日が訪れている。
 【トランプ政治の継続か終焉か 米大統領選、投票始まる】(朝日新聞デジタル)。「共和党のドナルド・トランプ米大統領(74)と民主党のジョー・バイデン前副大統領(77)が争う米大統領選は3日、投票が始まった。即日開票されるが、郵便投票の急増から一部の州では開票作業が遅れる見通しで、両者が競り合う展開となれば、勝者判明まで時間がかかる可能性もある。」
 この選挙戦で私は、二つのことを学んだ。一つは日本の国に居ながらにして、アメリカの地理や国民感情をちょっぴり学んだことである。そしてこれは、教科書による空虚な学びをはるかに超えて、臨場感あふれる生々しい学びだったのである。
 そして一つは、人間の勝利にたいする執念と言おうか、いや、単刀直入言えば相手を蹴落とすための手練手管と罵詈雑言の浅ましさであった。それは、強欲(ごうよく)むき出しの人間の浅ましさでもあった。言うなれば、人間の言葉のしでかす惨劇を観た思いだった。劇仕立ては、嘘八百はおろか、共に人格喪失の詰(なじ)り合いがあらすじだったのである。「勝てば官軍負ければ賊軍」。栄光の座につきまとう、人格喪失の哀しさである。私は「生き恥は曝す」けれど、幸いにもこうまで醜(みにく)い恥を晒すことはない。言うなれば「庶民ゆえの幸福」である。
 秋の夜長は、負け惜しみの瞑想(迷想)に耽(ふけ)るばかりである。おのずから、悪戯(いたずら)書きをともなっている。

文化の日(祝日)

十一月三日(火曜日)、夜明け前は雨。昼頃から晴れの予報。
休みます。

大阪市の「都構想」、否決

 十一月二日(月曜日)、目覚めの気分は重たく、そのまま起き出してきた。そのため、文章を書く気分がまったく殺がれている。明らかに、起き出して来たままに書く、習わしの祟(たた)りである。
 私はこの習性をこれまで、何度あらためようと思ったことであろうか。そして、実際にもなんども、昼間への移行を試みた。しかしながらそのたびに実らず、元の木阿弥を繰り返してきた。昼間に文章を書く難点は、雑念に惑わされることだった。
 現在の私は、気分の開かない眠り病の状態にある。もちろん、こんなことでは心象風景で書く文章は書けない。そのためきょうは、引用文にさずかるお茶濁しである。しかしそれは、きのう書いた二つの関心事のうちの一つの結果報告であり、あながちまったくのお茶濁しとは言えないところもある。東京都と東西を分かつ、西の大都市のことゆえに住民投票の結果には、私にも少なからず関心があったのである。
 【大阪都構想、反対多数 大阪市存続へ】(朝日新聞デジタル)。「大阪市を廃止して四つの特別区に再編する大阪都構想の是非を問う住民投票が1日行われ、約1万7千票の僅差で反対多数となった。前回2015年に続く否決だ。大阪維新の会代表の松井一郎市長は23年4月の任期満了で政界を引退すると表明した。当日有権者数は220万5730人、投票率は前回を4・48ポイント下回る62・35%だった。」
 別段、わがコメントはない。強いて言えば大阪市民の揺れ動く心境を見る思いである。すなわちそれは、住民投票という、大阪市民の意志の反映の悩ましさである。
 いよいよあす(三日)は、もう一つの関心事として記したアメリカ大統領の選挙日である。関心事とはいえこちらは、異国のイベントにすぎない。
 秋の夜長にあってこの文章は、単なる継続文みえみえであり、もちろんなんらの価値もない。引用文にすがる文章はほとほと切ない。それでも、わが無能ゆえに、しかたない。

晩秋から初冬へ、

 十月より月が替わって、十一月の初日(一日・日曜日)の夜明け前に身を置いている。寒さはそんなに感じなく、気分的には可もなく不可もない、いまだ真夜中のたたずまいにある(3:30)。
 現在、胸中に浮かべているものの一つには、歳月のめぐりの速さ感がある。今年すなわち令和二年(二〇二〇年)は、日々新型コロナウイルス感染恐怖に慄いているうちに、早や二か月を残すのみになった。なんたる時の流れの速さ感であろうか。まさしく、きりきり舞い状態にあり、もちろん、オチオチできない気分に晒されている。
 もとより今年は、「東京オリンピックおよびパラリンピック」の開催年だった。しかしながらそれらのイベントは、世界中が新型コロナウイルスの渦中にあっては、余儀なく来年への延期となっている。ところが、新型コロナウイルスに終息の兆しさえ見えないなかにあっては、来年開催の確証は未(いま)だしのままである。
 人の営みは新しい生活様式というふれ込みや要請の下に、さまざまなところで新型コロナウイルスへの対応が求められてきた。おのずから人の生活は、わが身の感染を恐れて忠実に対処してきた。それでも、日本社会における新型コロナウイルスがもたらしている災禍は、こう伝えられている。すなわち、感染者数十万一五七五人、死者数一七六九人、入院・療養中六一〇八人、うち重傷者一六一人、退院者数合計九万三一三四人である。(朝日新聞、十月三十一日午後八時現在)。 今や定番となっている日々のカウントの更新模様は、この先いつまで続くのであろうか。すると、いま現在恐れていることは、わが余生は新型コロナウイルスまみれになったままで、人生の終焉(しゅうえん)を迎えることである。しかしながらその恐れは、まんざら馬鹿げた杞憂には思えないところがある。いやいや、現実になる確率のほうが、はるかに高いように思えている。
 歳月のめぐりでは過ぎた九月になるやいなや、お節料理の予約を急かすはがきやダイレクトメールが郵便受けに投げ込まれていた。それに続くものではきょうは、年賀はがきの売り出し日である。はたまた、街中にはすでに喪中はがきの印刷案内も目立っている。祝賀気分、不祝儀(ぶしゅうぎ)気分、入り乱れて、歳末商魂はけたたましいばかりである。
 さて、十一月の初っ端にあっては国内外において、他人事(ひとごと)とも思えない二つの政治ショーがある。その一つ、日本国内においては、きょうには「大阪の都構想」にかかわる住民投票が行われる。そして一つには、三日に予定されているアメリカの大統領選挙がある。どちらの選挙も、私には関心事である。そして、季節めぐりは一週間のちにはカレンダー上に、「立冬」(十一月七日・土曜日)の表示がある。寒気に極端に弱い私には、最も恐れる季節の到来である。
 やや気分が緩むものでは、「小春日和」という、季節用語がある。ところが、それに対(つい)をなして気分が滅入るものもある。それは、「木枯らし一号」である。新型コロナウイルスの勢いが衰えないかぎり、これまでに引き続いて、それに戦々恐々とする十一月の始まりである。「アーメン」とは言えず、「くわばら、くわばら……」である。

「悪徳の栄え」、人間不信

 言葉は必要に応じて生まれる。もちろん、事象が無くなれば死語となる。そして古来、事象が無くならないため、今なお存在する言葉は数多(あまた)ある。その一つには、「正直者は馬鹿を見る」、という成句がある。必ずしもすべてが意図した不正ではなく、制度(ルール)の不備、つまり申請等のわかりづらさもあるであろう。しかしながらこんな記事に出合うと私は、一緒くたに人間不信に陥るところがある。
 実際には、人間につきまとう悪徳にうんざりする。もちろん私は、世の中にはこのことだけではなく、さまざまなところでこれに似た事象があることを知りすぎている。そう思うと、今さらだけど人の世が、つくづく厭(いや)になる。
 【持続化給付金、返還申し出6千件 不正受給逮捕後に急増】(朝日新聞デジタル)。「新型コロナウイルスの経済対策の持続化給付金を不適切に受け取る事例が相次いでいる問題で、経済産業省は30日、返還の申し出が6千件以上あったと発表した。不正受給による逮捕報道を受けて申し出が急増しているという。」
 この記事では返還の申し出をしないままの人がどれくらいいるのかは、まったく分からない。すなわち、どれだけ多くの人が不正をたくらみ、今なおほおかぶりしているのかは分からずじまいである。まさしく、悪徳がのさばる「正直者が馬鹿を見る」現象である。こんなことでは、せっかくの善政に水を差されたこととなる。
 この件にかぎらずまるで泥縄式の政府の施策にあっては、さまざまなところで悪徳をのさばらしているようなメディアの報道が絶えない。すなわち、「GO TO トラベル(旅)」キャンペーンのほか、さまざまな施策において、付け焼刃施策による綻(ほころ)びが出てきているようである。この挙句にはこれまた、「正直者が馬鹿を見る」ことともなる。なんだか、「悪徳の栄え」を見ているようで、私はすっきりしない気分である。
 きょうは十月の最終日(三十一日・土曜日)、秋の夜長はこの先、いよいよ深まるばかりである。長い夜にあって、切なく人間不信がつのるばかりである。こんなことを書くようでは、歯を抜いた傷跡がズキズキと痛むばかりである。