ひぐらしの記

ひぐらしの記

前田静良 作

リニューアルしました。


2014.10.27カウンター設置

内田川(熊本県・筆者の故郷)富田文昭さん撮影

 

心地よい夏の朝風

 7月21日(日曜日)。窓ガラスを開けると、心地良い夏の朝風が吹き込んで来た。わが起き立ての憂鬱気分は、自然界の恵みに出合ってかなり緩んだ。わが人生には焼きが回り、とうに盛りを終えて薹(とう)が立っている。連日の悪夢に抗戦を挑んでいたところ時が過ぎて、起き出しが遅れた。挙句、二つの日課のいずれも、果たせない。一つは道路の掃除、一つは文章の執筆である。自業自得と悟り、諦めるにはあまりにも腹の立つ、夢の中の悪鬼の仕業である。
 気分を直してパソコンを起ち上げ、文章を書き始めている。ところが、一度躓(つまづ)いた気分は、やはり立ち直せず、わが凡愚の苛立(いらだ)ちの因になっている。バカなことを書いてしまった。この先は書かず、結び文としたいところである。一方では欲深く、せっかく書き始めた文章だから繕(つくろ)って、継続文の装いにしたい思いがある。まもなく開幕する「パリオリンピック」のテレビ観戦が続けば、おのずから継続は断たれることとなる。だったら、この文章を継続文の一つに仕立てて置かなければならない。焦燥感つのる、現在のわが心象風景である。
 行きつけの「大船市場」(鎌倉市大船の街)には夏の売り場を彩り、食感をそそる旬の夏野菜が溢れている。わが好物のキュウリ、ナス、トマトは、確かに今や夏限定ではなく年じゅう出回っている。しかしながら私は、キュウリ、ナス、トマトは、夏野菜三品として旬(しゅん)の有卦(うけ)に入っている。すなわちそれは、本来の旬の美味にあずかれるからである。加えて、夏のキュウリ、ナス、トマトには、母恋慕情と郷愁が重なり、さらには幸福感が重なるのである。
 子どもの頃の夏の食卓には連日、母が前掛けをして、頭や首周りから汗まみれの手拭いを垂らして、裏の畑からもぎ取って前掛けに包んだ、キュウリ、ナス、トマトが上っていた。これらに父の大好物のソーメンは、夏の食卓の定番を成していた。私はソーメンを食べ飽きてトラウマ(心的外傷)となり、現在は要なしになり、ソーメン好きな妻から、ブツブツと顰蹙を買う元となっている。
 夏野菜三品に加えて、夏限定のわが大好物には西瓜とかき氷がある。かき氷は今夏、すでに二度食べている。ところが、西瓜はまだである。売り場に並んでいるのを見遣りながら私は、「買って、持ち帰るには重たいなあ……」と、声を控えた嘆息を吐いている。私は、半身や四分の一に切り分けられた西瓜には哀れみを感じて、買いの手を控えている。西瓜はやはり、手触りのよい丸玉にかぎるのである。母が丸玉に包丁を入れた瞬間の「バリバリ音」こそ、丸玉西瓜の醍醐味であり、西瓜にまつわる親子の情愛が迸(ほとばし)るのである。いまだに持ち越しの今夏の西瓜は、近いうちの妻の通院のおり、娘が車で来るまでおあずけである。
 時間の切迫に追われて、書き殴った文章は、とんだ長い文章になってしまった。謹んで、詫びるものである。だけど、書けそうもない文章が書けた。たぶん、心地良い夏の朝風が気分を解してくれたからであろう。まさしく、夏限定である。堪能しなければ、夏の好物同様、これまた大損である。

夏が来れば、秋が来る

 7月20日(土曜日)。いまだ夜明け前だけれど、薄暗く夜が明けたら、道路の掃除へ向かうつもりでいる。まもなく、夜が明けそうである。おのずからこの文章は短くなり、実のない文章のままに閉じる。道路の掃除と文章執筆の交差時間を解決しなければならない。このことはこれまで、わが解決すべき宿願のテーマとなっていた。ところが、今なお自己解決をみないままに悩み続けている。挙句、文章は書き殴りを食らい、また継続が危ぶまれる。
 さて、梅雨が明けた。本格的な夏が来た。しかし、夏の暑さはいまだ初動にあり、こののち真夏へ向かうにつれて炎暑の夏が訪れる。ところが昨夜、就寝中の風は(もう秋風)とも思うほどに、肌身に冷ややかだった。私はうれしい気分を撥ね退けて、季節めぐりの速さ感に戸惑った。まさしく、人生の終盤を生きる者(私)固有の哀感に晒されていたのである。なぜなら、季節いや時のめぐりの速さ感は、わが残りの生存期間を縮める思いに陥っていたのである。抗えないことに思いを詰めるのは、まさしくバカ丸出しである。
 淡い朝日の光をともなって、夜が明けた。同時に、私が設けていた制限時間が切れた。私は道路へ向かう。ウグイスは、頻りに鳴いている。

心地良い夏の朝

 7月19日(金曜日)。気象庁の梅雨明け宣言翌日後の晴れた夜明けが訪れている。きのうは棚ぼたの僥倖と思える好日に恵まれた。その事実を併記し、「自分祝い」を試みている。一つは関東地方においては、梅雨明け前特有の大雨による被害(大過)なく、スムースに梅雨が明けたことである。そして一つは予告なく、東電がわが掃除区域の架線に絡む高木の幹や枝葉を切り落としてくれたことである。私にとってこの作業は、人間神様とも思えるほどにうれしいものだった。
 切り落されたところは、頭上に見上げる山の中ではほんの一部にすぎない。しかしこののちは、道路上に落ちてくる枝葉を大きく減らしてくれることは確かである。私はありがたさとうれしさのあまり、しばし佇んで作業に目を凝らしていた。実際の作業は、それようの超大型の貨物トラック、ゴンドラ付き起重機などを持ち込んでなされていた。時間的にも朝早くから、午後の三時過ぎあたりまで行われていた。作業員は男性の4、5人だった。この間、私はわが家から時間をみはらかって、三度ほど現場に出向いて、丁寧にお礼の言葉を述べた。私自身、かなり異常な行動・行為に思えていたけれど、そうしないではおれないほどに、感謝の気持ちが湧きたっていたのである。作業の終いにはさすがに東電、切りっぱなしではなく、道路をくまなく箒で掃いて清めていた。
 起き出して来て窓ガラスを開けて道路を眺めると、いつもに比べて落ち葉は少なく、ゆえに道路の掃除を免れて、この文章にありつけたのである。切り落した高木の切り口は、あちこちで生々しく、朝日に光っている。まったく久しぶりに、気分の好い夜明けである。高橋弘樹様が褒め称えてくださった善行が、ちょっぴり日の目を見たのかもしれない。
 本格的な夏の陽射しの訪れも、きょうだけは厭わない清々しい、梅雨明け後初日の夏の朝である。棲みかを突如奪われたウグイスに気を揉んでいたけれど、ウグイスはいつもの朝のように朗らかに鳴いている。

切ない文章

 7月18日(木曜日)。いつもより遅く目覚めて、そのうえに悪夢に魘されて、気分が鬱に陥り文章は書けない。そうであれば道路の掃除へ向かおうと、窓ガラスを開いて道路を見た。道路は生渇き状態にあり、掃こうと思えば掃けないことはない。ところが、こちらも時間的に出遅れて、今から出向いても散歩常連の人たちは、すでに歩き去っている。それらの人たちに出遭えなければ、掃除は苦痛だけで愉しみは殺がれることとなる。だからやむなく、道路の掃除は昼間へ延ばしてこの文章を書いている。しかしやはり、こちらもこのお先は書けずじまいである。わが現在のなさけない心象風景である。
 だけど、せっかくだから一つだけきのうの続きを書けば、このことが浮かんでいる。今朝の夜明けの空は、いまだ梅雨空である。ところが、きのう耳にした気象予報士の天気予報によれば、日本列島の各地方は、今週末あたりから続々と梅雨明けになりそうである。関東地方もこの範疇に入りそうである。このことだけを記し、気分の悪さを言い訳にして、結び文とするものである。表題のつけようのない、切ない文章である。

季節の雨は、消費期限切れ迫る

 7月17日(水曜日)。夜明けの薄明りの下、雨は止んでいるものの、夜来の雨が残したばかりの跡が、くまなく道路を濡らしている。隅々には、濡れ落ちた木の葉が汚らしくべたついている。起き出して来て、窓ガラスを開いて、道路を眺めたときの原風景である。今朝は、道路の掃除はできないと腹を決めた。ゆえに、心を鎮めてパソコンへ向かっている。いや、鎮めきれてはいない。
 一方では、こんな気分に苛まれている。すなわちそれは、道路が乾いた後に急かされて掃く、面倒くささと気分の鬱陶しさである。梅雨の季節の雨は、まもなく消費期限が切れる頃にある。期限が切れて、気象庁の梅雨明け宣言は来週あたりであろうか。それとも豹変し、今週末あたりになるのであろうか。こんないい加減な自己観測は、気象予報士の予報を観ていない祟りと言えそうである。
 日本列島のあちこちでは、すでに梅雨明け前特有の大雨による災害(被害)が報じられている。それなのにすでに梅雨明け宣言を受けたのは、沖縄地方だけに限られている。なんだか日本列島は、自然界(気象)に小馬鹿にされている感じである。もう十分に梅雨明けの証しとなる雨は降り、それによる災害はもたらされている。もしかしたら、関東地方だけがまだ降り足らないと、気象が駄々をこねているのであろうか。
 きのうのテレビ映像には、「京都・祇園祭の大雨」状況があった。京都の街は、大雨による人出の大混乱ぶりを見せていた。この映像を観れば、確かにこれまでの関東地方(鎌倉の雨)は、比べようもない小降りである。だとしたら、この先の雨が気になるところである。降りやんでいた雨は、風をともなって降り出している。私は欲深く、災害をもたらす大雨にならないことをひたすら願っている。なぜならわが家は、鎌倉市指定のハザードマップでは、土砂崩れ危険区域にある。

すでに、84歳

 7月16日(火曜日)。「海の日」を含む、三連休明けの夜明けを迎えている。雨降りではないものの、曇天の梅雨空である。きょうにあってふるさとは、7月盆の送り日(火)である。現在、わが生家を守るのは、亡き長兄の長男(甥っ子)とその奥方である。この二人が守っているかぎり、わが心中のふるさと観とふるさと慕情は、尽きることはない。このこともあってきのうの私は、LINEメールで二人にたいし事前の墓掃除とお盆における、すなわち二度にわたる「迎えと送りの墓参り」をねぎらった。
 きのうの文章を再び繰り返すと、お盆の最中のきのう(7月15日)は、わが誕生日と母の祥月命日が重なる日でもあった。毎年訪れるこの重なりは、自分的には奇跡とも思える悲しい日であり、あるいは一層うれしい日でもある。さらには盆と重なり、わが誕生日にあっての母は、風雨に晒される野末の石塔(墓)から、4日間の限定にすぎないとはいえ、わが家に帰ってくるからである。しかしながら母は、姿無き御霊として仏壇に祀られ、無言で居座っているにすぎない。仏壇のある座敷には数多くの盆提灯が立ち並び、さらに何本かは天井から下がり、仏壇にはロウソクの火が灯り、線香の臭いがしていたはずである。母の生存中にあって、母が取り仕切っていたよみがえる盆の原風景である。
 きのう私は、年齢を一つ加えて84歳になった。たった一つだけにすぎないのに84歳になると、まるで大きな岩石みたいに重くわが心身を脅かしている。挙句、このときから私は、極度の寂寞感に苛まれている。それゆえにきょうは寂寞感に負けて、端から文章を書く気が殺がれていた。ところがそれを覆していただいたのは、高橋弘樹様から賜った「祝、誕生日メッセージ」である。高橋様にかぎらず人様からさずかる善意を無為・反故にすれば、私はもはや「生きる屍」である。
 時の流れは年数を加え、人の命は年齢を加えてゆく。つれて確かに、寂寞感はつのるけれど、じたばたしてもしようがないと、思うしかない。きのうの私は、日本列島のあちこちに住む甥っ子と姪っ子にたいして、こんなLINEメールを送信した。
「きょうは84歳の誕生日です。自分お祝いのために、今、独りで、鎌倉市大船の街のお店で、童心に返り大好きな千円かき氷を食べています」
 1000円のつもりで注文したかき氷はなぜか? レジでは1210円を払わされた。かき氷の美味しさは、子どもの頃の「相良観音様」の参道で、5円硬貨を払って食べたものに負けていたのである。

嗚呼、きょうから84歳

 令和6年(2024年)7月15日(月曜日)。「海の日」(祝休日)にあって、三連休の最終日である。きょうはわが84歳の誕生日であり、重ねて母の何回目かの祥月命日でもある。今、身体のあちこちには、ヌルヌルと汗が溢れている。1時間半ほどの道路の掃除を終えて、駆け足で戻りパソコンへ向かっている。早起き鳥(ウグイス)に急かされることなく、5時前に目覚めて道路へ就いて、掃除を終えてきたのである。このところの雨のため、掃けずにいた道路を懸命に掃き清めると、70リットル入りの透明袋に落ち葉がいっぱいになった。散歩に回る何人かの人は、「大変ですね。ご苦労様」と、言ってくれた。他人様の言葉と優しい心根が、重たい気分を解した。きょうは雨上がりの道路の掃除を優先したため、この先、文章を書く時間はない。そのため、誕生日にちなむ文章は書かずに、やむなく結び文とするものである。
 きょうには、誕生日にちなむ祝膳の予定はない。きのう食べた買い置きの「鹿児島産ウナギ」が祝膳の代わりを成していると思えばいいからである。ただ心残りは、「ふるさと・内田川」で獲れたウナギであればと、思うところである。草葉の母は、わが84歳の誕生日を知ることはない。残念きわまりない。

よみがえる「ふるさと盆」の追想

 7月14日(日曜日)。ふるさとは「7月盆」の最中(さなか)にある。起き出して、「お盆」の追想に耽っている。それぞれの御霊を浮かべている。今や、ただひとり生きているわが務めである。まぼろしの墓(前田家累代の墓碑)は、わが心中に建っている。盆にかぎらず春・秋の彼岸、あるいはときどきの墓参りの原風景は、こうである。母は「墓参りに行くばい……」と言って、決まって私を連れだした。墓参りどきの母は、野良仕事の普段着から、いくらか見栄えのする装いに替えていた。たぶん母は、道すがらに出遭う人様にたいし、気兼ねをしていたのであろう。
 わが子どもの頃、すなわち生家の当時の行政名は、熊本県鹿本郡内田村だった。現在の行政名は、熊本県山鹿市菊鹿町である。ふるさとと言うにはやはり、内田村こそしっくりする。熊本県の北部地域に位置し、熊本、福岡、大分と県境を分け合う尾根に囲まれた内田村は、山囲いの盆地を成していた。もちろん、今なお変わらない。当時の村人のほとんどは、農業と山林の上がりを生業にしていた。何らかの仕事を兼ねていても、生計は主にそれらの上りにすがっていた。農家は狭隘な田畑、さらには家畜(牛馬)の入れようのない鍬や鎌頼みの段々畑にすがっていた。もとより、村人の生計は、自給自足を旨に営まれていた。山林へ向かう人の仕事とて、炭焼き、椎茸作り、筍(たけのこ)の掘り出しくらいで、実入りを増やす大掛かりな山働きなどなかった。それでも、村中には製材所が一軒あったから、その仕事にたずさわる人達だけは、本業として山に入っていたのかもしれない。馬車引きさんは二人ほどいた。往還(県道)には「産交バス」(九州産業交通)が定時に往復し、ときたま「〇通(丸通)」(日本通運)のトラックが走っていた。乗用車(自家用車)は見ることはなかったけれど、のちにわが家のかかりつけの「内田医院」(内田医師)」の自家用車が登場した。村中のあちこちには、よろず屋風の「なんでんもんや」の店があった。
 小学校と中学校(内田村立)の位置する村の中央の堀川地区には、内田医院、村役場、駐在所、文房具店、酒屋、鍛冶屋、精米所、畳屋などがあった。村中は地区ごとに、小さな集落(名)を成していた。わが生家は、「内田川」べりの「田中井手集落」に位置していた。墓は内田川から離れて、歩いて片道20分ほどの「小伏野集落」の小高い丘の上にあった。それは、父の生誕地が小伏野集落だったことに起因している。父はのちに、水車を回して精米業(所)を営むために、田中井手集落へわが生家を構えていたのである。内田医師、そしてふうちゃん地区の「原集落」の相良医院(相良医師)、ほか「谷川医院」(谷川医師)を除けば、村中の公務員(役場人や学校の先生)を含めて村人たちは、農家を兼ねて暮らしを立てていた。
 母が私を連れ立つ墓参りは、いつもこうだった。母は縁先のちっぽけな花壇から、自然生えみたいな草花を摘んだ。それを古新聞で束ねた。大きな薬缶にはたっぷりと川水を入れた。火付けには、大きなマッチ箱を用意した。封切らずの線香の束を携えた。私は薬缶を手提げた。野末の墓には、絶えずそよ風が吹いていた。墓標を水で浄めて、置かれている茶碗の汚れは指先でぬぐい取り、両脇の花入れには持参の花を挿げた。これらが済むと、マッチを取り出し、古新聞に火をつけた。火を線香へ移すと、燻る火を足で踏んづけて消し去った。線香立ての線香の炎がゆらゆらと空へのぼりはじめた。母は「さあ、参ろうかね……」と、言った。「うん」。私は応じた。二人は並んで腰をかがめて、墓標に向かって深々と合掌した。雨のため道路へ向かえず、時間があることをいいことにして、長々とこんな文章を書いてしまった。つくづく、かたじけない。

人間の知恵

 7月13日(土曜日)。ふるさとは7月盆の迎え日(火)にある。きのうの雨の名残で、道路は濡れている。そのため、道路の掃除はできずに、仕方なくパソコンに向かっている。仕方なくという表現は止めて、喜んでと書けばいいものの、そう書けば嘘っぱちになる。嘘は、禁物である。だから、本音を言えば、継続を断たないためのパソコンへの対峙である。きょうは、10日間の頓挫の後の再始動3日めである。言うなればこの文章は、生来の三日坊主を恐れて、それを免れるためだけの文章にすぎない。ゆえに、用意周到なネタなど持ち合わせず、ひたすら継続を願うだけのいたずら書きの文章と言えるものである。
 自分自身、この先、何を書こうかとさ迷っている。人間の生身(身体)には、様々な器官がある。それらの中で、感覚器官として五官を成しているものを順不同に記せばこれらがある。すなわち、耳(聴覚)、鼻(嗅覚)、目(視覚)、舌(味覚)、皮膚(触覚)である。すると、これらの欠陥や劣化に対しては、人間の知恵が補うこととなる。人間の知恵が生み出すものには、かぎりなく様々なものがある。しかし、凡愚の私は、それらを知ることはできない。ゆえに、生身(身体)の欠陥や劣化にかぎり、ごく常識的に浮かべているのは、薬剤と器物である。この二つの中で薬剤は別にして、今、わが知るかぎりの器物を浮かべている。すなわち、人体機能(器官)の欠陥と劣化を補助する、人間の知恵の産物類である。
 まずはわが身を照顧すれば現在は、メガネ、入れ歯、補聴器の有効さにさずかっている。妻の場合は、今のところ補聴器は要なしだけれど、この先の予備軍にはある。ところが妻の場合は、脳髄には金具が埋め込まれている。これは自転車の後部座席に乗る妻を、私が振り落としたおりの脳外科手術で埋め込まれたものである。50日を超える入院で妻の命は助かり、私は加害者という犯罪者から免れた。わが生涯にわたりまったく消えることのない、つらい事故の後処置であった。私は妻の命を救った金具を見ることはできない。けれど、このときの主治医(今は亡き院長先生)と「大船中央病院」(鎌倉市)には、これまたわが生涯において、尊敬と尊厳を欠くことはできない。
 妻は二年ほど前の転倒、そして大腿骨骨折にあっては、大船中央病院へ救急車で搬送された。私も同乗した。入院手術のおりの人造骨(人工骨)で妻は現在、歩行が叶えられている。私と妻にかぎっても、これらの人工器物の補助にさずかり、日常生活を営んでいる。もちろん、世の中の人々は、人間の知恵すなわち様々に多くの人工の器物にさずかっている。私の知るかぎりを記すと、こんなものが浮かんでいる。これまた順不同に思いつくまま記すところである。一般にカテーテル(管)と言われる器具は、部位ごとに様々な用い方で使用されている。詳細は知る由ないけれど、心臓の補助器材にはペースメーカーがある。運動機能をよみがえらせる義手や義足がある。先ほどの金具や人工骨もある。総じて、車椅子なども人間の知恵の産物と言えそうである。薬剤を生み出す人間の知恵にもかぎりはない。未知のことを書いて誤りがあれば、伏して詫びるところである。
 三日坊主で止めれば、心の安寧に行き着ける。しかし、継続を断たないために仕方なく書く文章には、安寧にはありつけない。朝日が射し始めている。道路が乾けば、掃除へ向かうことになる。あさって(7月15日)、ふるさと盆の送り日(火)には、わが84歳の誕生日が訪れる。わが命は劣化を続けている。だけど命を救う適当な器材はなく、対症療法の薬剤頼みである。人間の知恵の開発はまだ残されている。わが死後に有効な器材が現れるかもしれない。それでも悔いることなく、良しとしなければならない。ウグイスは、気分良く鳴いている。わが気分は、どんよりとくすんでいる。

青息吐息で書きました

 7月12日(金曜日)。夜明けて、曇り空である。雨は降っていないけれど、道路は雨の跡を残して濡れている。だから、きのう書いた、文章の頓挫の理由の一つは使えず、パソコンに向かっている。二者択一すなわち、今朝は道路の掃除のほうを諦めて、半ば仕方なく文章を書き始めている。文章の継続を阻害する因(もと)は、もとよりこれにとどまらずかぎりなくある。その一つは、時間的制約である。具体的なものでは、寝起きて書く文章と、ほぼ同時間帯に負荷している道路の掃除である。この制約を免れるためには、どちらかを同時間帯から、逸らせばいいことである。だれでもできる、きわめて簡易な対処法である。もちろん私も、これまで何度も試みたし、今も試みている。ところが、その試みは未だに定着をみずに、なさけなくも文章の途絶えの言い訳の一つとなっている。確かに、たったこれだけの文章にあって、時間的制約の理由を持ち出すのは愚の骨頂である。書き殴りに書いて、一度の推敲を試みても、30分ほどで済むものである。しかし、文章の頓挫は防ぎきれない。やはり、文章頓挫の根源は、総じて心(精神)の病・堕落の現象と言える気力の萎えにある。ところがそれも、一時的に現れる「モチベーション(意欲・気力)の低下」では済まされず、今や気力の萎えは常態化している。もちろん、このにっちもさっちもいかない状態を覆すことは生易しいことではない。なぜならそれには人生の晩年を生きる、抗(あらが)えない諸々の事情が絡み合っているからである。「偕老同穴・共白髪」とは優しい響きにあって、極めて惨酷なフレーズ(成句)である。すなわち、日々、配偶者(妻)の衰えを眼前にするつらさである。もとより、一方通行で済むものではなく、妻から見る配偶者(夫・私)の衰えを見るつらさも同居している。
 きょうは、きのうの一日限りで頓挫を免れるための目的で、こんな実のない文章を書いてしまった。伏して詫びるところである。日が昇り、道路が乾けば、道路の掃除へ向かうこととなる。このところ暑い日が続いたせいで、秋口まで生き延びることができない、朽ち葉が矢鱈と落ちている。掃くには面倒だけれど、掃き捨てるには戸惑いをおぼえる、木の葉の「成れの果て」である。