ひぐらしの記

ひぐらしの記

前田静良 作

リニューアルしました。


2014.10.27カウンター設置

内田川(熊本県・筆者の故郷)富田文昭さん撮影

 

夏の木陰の恵み」

 7月19日(水曜日)、このところの書き出し同様に、のどかな夜明けが訪れている。未だに気象庁の梅雨明け宣言はないようだけれど、私には腑に落ちない思いがある。気象のプロを自任する気象庁の「後だしへま」でなければと、老婆心をたずさえておもんぱかるところがある。なぜなら、このところの陽射しの厳しさは、体感的にはすでに梅雨明け後の夏の日照りと思うばかりである。
 きのうは、歯医者帰りに買い物を兼ねた。大きな買い物用リュックを背負う首筋には、汗がタラタラと流れ続けた。私はハンカチを手にして、流れ出る汗を拭き続けた。街行く若い女性の中にはチラホラと、本当の命名(商標名)は知る由ないが、小型の「電動携帯扇風機」を手にして顔の前にかざし、歩いている人たちがいた。テレビ映像でも街中にあってもこの光景は、未だに男性ではほとんど見ない。だとすれば暑さ凌ぎの電動携帯扇風機というより案外、現代女性のおしゃれの一つなのかもしれない。確かに、女性であれば、絵になる光景である。逆に、男性の場合は、様にならない光景である。現代のジェンダー(性差)喧(かまびす)しい日本社会にあっては、こんな表現は顰蹙(ひんしゅく)を買うのであろうか。
 現在行われている「大相撲名古屋場所」における観客席の浴衣姿も、女性に限れば絵になる光景である。手に持つ電動小型扇風機は、昨年あたりから若い女性に一気に普及しているように思えている。夏の暑さ凌ぎであれば私があれこれ言うことではなく、文明の利器の進歩を称賛するところである。暑さしのぎではないけれど、日本社会の移り変わりのことで最近、目にして驚いたことを加えればこのことが浮かんでいる。
 これまたテレビ映像のもたらしたものだが、学童が背負うランドセルには教科書ではなく、一つだけ小型のタブレットが入っていた。すると、インタービュアのインタービューに応じる学童は、こともなげに「軽くていいです」と、言った。もはや日本社会は、デジタル難民を自認する私の住むところではなくなっている。
 歯医者の診療椅子に横たわり私は、歯の痛みの場合の古代人はどうしていただろうかと、野暮のことを浮かべていた。このところは日本社会の止まらず世界中で急に、「ChatGPT,生成AI」すなわち、AI(人工知能)からみの話題が沸騰している。私の場合、日本社会の変容にはほとほと汗をかくばかりである。
 きのうの私は、深緑を増す葉桜の下、しばし半増坊下バス停のベンチに座り憩いながら、木陰のもたらす自然界賛歌に浸っていた。能無しの私には、ぴったしカンカンの自然界の恵みである。

寸時の幸福を呼ぶ「冷ややっこ」

 「海の日」を含む三連休明けの夜明けが訪れている。いや、もはや夜明けの頃は過ぎて、まがうことない夏の朝である。見渡す天上の大空は一面、純粋無垢の青色の広がりである。それに朝日が輝いて空中と地上もまた、朝日の恩恵を得て純粋無垢に輝いている。この光景をしばし眺めているわが気分は、すこぶる付きにのどかで穏やかである。夏の朝はやはり、人間が自然界からたまわる無償のプレゼントと言えそうである。
 本当のところこんな夏の朝に出遭わなければ、きょうの私は極めて気分の重たい日である。なぜならきょうの私には、午前10時予約済の歯医者通いが予定されている。このこともあって遅く目覚めた私は、文章は端から休むつもりだった(6:21)。ところが、パソコンを起ち上げてしまった。喜ぶべきか、それとも悲しむべきか。わが性(さが)は、習性になりかかっている。やはり、悲しむべきであろう。なぜなら、ネタのない文章に呻吟を強いられている。しかしながら、パソコンへ向かえば何かを書いて、消化不良のままであっても、閉じなければならない。これこそ、悲しい性のゆえんである。
 歯医者通いを始めて以降の私は、御飯時に難渋を極めている。おのずから、硬い食べ物は遠ざけている。いや、具体的には夏という時節もあってか、必然的に「冷ややっこ」(豆腐)が増えている。ところが、幸いにも子どもの頃から冷ややっこは好物の一つである。好物に助けられることは、身に沁みて幸福である。しかしブランドを変えて、冷ややっこを貪るたびに私には、不満タラタラの思いが駆けめぐる。不満の元は、もちろん郷愁ばかりではない。すなわちそれは、子どもの頃に村中のご夫婦の豆腐屋から買っていた手作り豆腐の美味しさゆえんである。確かにそれは、ブランドを変えて売り場にあふれている現代製法の豆腐の味をはるかに凌いでいる。夏の夕方、母に頼まれて買っていた四角四面の分厚い豆腐の味は、現代のあらゆるブランド名を超越し、飛びっきりの美味しさだった。布目の跡がくっきりとして、文字どおり冷ややっこの食感あふれるものだった。今でもありありと浮かぶのは、「栗原豆腐店」の豆腐の美味しさである。きょうはこのことを書き殴りに書いて、歯医者通いの準備にとりかかる。
 朝日は夏の風を呼び込んで、いっそうさわやかに輝いている(6:43)。

海の日

 「海の日」(7月17日・火曜日)、夏の朝ののどかな夜明けが訪れている。何物にも勝る夏の朝の、人間界に対するプレゼントである。これに出遭える喜びがなければ、私の場合は生きる価値(甲斐)はない。たぶん、ウグイスもそうであろう。朝っぱらから、高鳴き声を続けている。名を知らぬ小鳥が、電線を止まり木にして飛び交っている。これらもまた、夏の朝の快感に酔いしれているのであろう。とどまることを知らず、自然界賛歌を歌い続けたいところである。
 ところが、そうはいかないのが人の世の習いである。メディアが伝えるニュース項目に目を遣るとこの時期、海や川で命を亡くす人は多々である。豪雨は九州地方を皮切りに中国や山陰地方、そしてとどめには東北地方を舐め尽くし大雨被害をもたらしている。それらの惨状や惨禍は、テレビ映像で観るだけでも忍び難いものがある。結局、人生とは人の世界がもたらす苦しみを凌ぐだけで済まされるものではなく、同時に自然界がもたらす災害をもはねつけなければならない。まさしく人生には、至難の技を強いられる。だからそれに立ち向かうには、もとより強靭な精神力が求められる。
 このことを鑑みれば人の世は、精神薄弱の私が済むところではなさそうである。ところが生まれたかぎりは、常に愚痴をこぼしたり、泣きべそをかいたりしながらも生きなければならない。わが人生に負荷された、まったくあかぬけない宿命と言えるものかもしれない。
 現在の私は、9月中頃を打ち止めにして、ほぼ一週間おきに歯の予約・治療中にある。明日にも予約があり、通院しなければならない。この先、なんでこんなに多く通院しなければならないのか。摩訶不思議というより、憮然とするところがある。治療中とはいえ、歯並びは穴ぽこだらけである。加えて、既成の入れ歯は固定剤をつけても、すぐにゆるゆるするばかりである。挙句、御飯時の楽しみは損なわれ、それらに気を遣うため御飯自体、なんだか旨くない。それなのに夏痩せ願望は叶えられず、身体はプクプク太るばかりである。
 きのうは年に一度の鎌倉市が補助する定期検査で、最寄りのS医院へ通院した。恐るおそる体重計へ乗った。針は83キロ当たりでぴたり止まった。女性看護師は身長を計った。こちらは5センチほど縮んでいた。採血結果は、一週間のちの通院のおりに判明する。先日の「大船中央病院」(鎌倉市)の消化器内科への外来のおりには、主治医の宣告により8月29日に大腸の内視鏡検査が予約された。そののちの予約済には11月、「大船田園眼科医院」における緑内障の経過観察がある。こんな書き殴りの文章は、尻切れトンボを厭(いと)わずもうやめよう。
 海の日にあっても、鎌倉の海(由比ガ浜海岸)へ、まったく行き来のしないわが気分である。目の保養の気分さえ起きないのは、たそがれどきはとっくに過ぎて、宵闇深いところへわが身体が突っ込んでいるせいであろうか。朝日が輝いて、のどかな朝ぼらけにある。また、小鳥が飛んでいる。ウグイスは、鳴き続けている。自然界の恵みで、生きる楽しみはまだちょっぴりあるのかもしれない。ただ、周辺には空き家が増えている。人の世は、自然界とは別物のようである。

わが人生に授かる、助太刀

 「情けは人の為ならず:人に親切にしておけば、その相手のためになるばかりでなく、やがてはよい報いとなって自分に戻ってくるということ。人のためならずは、人のためではないという意味。因果応報の考えに基づいていう」
 わかりきっていることをあえて電子辞書にすがったのは、この成句は多くの人が意味の取り違えをするという。私が文章を書いているのは、この成句にかなり同義するところがあるからである。しかし、文章書き素人の私にとって、文章を書くことにはほとほと疲れるところがある。
 きのうは書き殴り文特有に、だらだらと長い文章を書いた。挙句、書き終えると、疲労度はいや増していた。「捨てる神あれば拾う神あり」。すなわち、お二人の神様のお褒めのコメントにより、わが疲労は癒されたのである。いつものことながら文章を書き終えると、ホッと安堵感が心身に染みわたる。文章の出来不出来にかかわらず、ちょっぴり味わえる快感である。いや、それほどに、文章書きに苦慮している証しである。
 7月16日(日曜日)、いつものように(もう書けない、もう書かない)という、思いをたずさえて起き出している。すでに淡い朝日の夜明けが訪れている。現在、心中にはこんなことが浮かんでいる。それは、わが身体の器官にかかわる戯言(ざれごと)である。言葉を変えればわが欠陥器官を補う、助太刀のあれこれである。一つは近眼を補う眼鏡、一つは歯の欠損を補う入れ歯、一つは耳の難聴を補う集音機、皮膚には日常的に痒み止めの薬剤が欠かせない。舌とて、舌先に口内炎の絶えることはない。身体の五官は、眼(視覚)、鼻(嗅覚)、耳(聴覚)、舌(味覚)、皮膚(触覚)である。ところが私の場合は、五官いずれにも無縁では済まされない欠陥人間である。これらにさらに付け加えれば、凡愚の脳髄には電子辞書の助太刀がなければ、にっちもさっちもいかない。
 生きている価値(甲斐)があるとは思えないけれど、83歳の胸の鼓動は続いている。きょうのわが予定には、最寄りのS医院への通院がある。採血のためゆえに、朝御飯抜きの通院である。朝日は梅雨晴れから、夏の朝の光に変わり始めている。
 きのうよりはかなり短い文章だけれど、疲労度はさして変わらない。文章書きはほとほと厄介である。だから、こんな文章でも書き終えれば、私はホッとする。結局、助太刀頼みのわが人生である。それらのなかでは、人様の優しいコメントこそ、効果覿面の助太刀である。浅ましい人間と自覚するところだけれど、あからさまにおねだりしてでも、それがなければ「ひぐらしの記」の継続はあり得ない。きょうあたり、梅雨明けを願っている。それに見合う、すっきりした青空である。

わが命83年、人もウグイスもみな優しい

 令和5年7月15日(土曜日)、わが83歳の誕生日の夜明け前にある(3:59)。窓の外は未だ暗闇であり、わが誕生日にたいするウグイスの祝福メッセージは届かない。ところが、高橋弘樹様の祝福メッセージは、いつもの「大大大エール」付きですでに、掲示板にご投稿を賜っている。感謝の厚志を掲示板にしたためてのち、この文章を書いている。
 きのうは思いがけない郵便が、郵便受けに届いていた。手にした「SmartLetter(スマートレター)の送信者は、「ひぐらしの記」の共著をなす、竹馬の友・ふうちゃん(ふうたろうさん)であった。胸の鼓動が高鳴り、スマートレターを開けると、短くこんなメッセージが記されていた。「かつ子さんから送られてきました。読みましたので、静良君に送ります。富田文昭」。送られてきたのは、熊本県地方紙「熊本日日新聞(熊日)」の記事の切り抜きであった。記事とはいえ、連載物の『わたしを語る』という、読み物であった。読み物の意図を伝える太字部分をそのまま記すと、こう書かれている。夢と感動子どもたちに 感性を育む活動70年 熊日童話会会長 渥美多嘉子。切り抜きは①から㊸、期間にして令和4年11月15日から12月29日までのものすべてである。少しずつ読んでいくうちに、先ずはかつ子さん、そしてそれを回してくれた文昭君の意図と優しさが身に沁みてきた。
 かつ子さんは、現在は熊本市内に在住のふるさとの同級生である。作者・渥美多嘉子さんとの面識はない。だから記事の中の拾い読みで、作者の周辺事情を知るのみである。主なところはこうである。私は1937(昭和12年)1月13日、父蔵原頼信、母は早子の元に、三男四女・7人きょうだいの三女として旧城北村(現在の山鹿市菊鹿町)に生まれました。経済的に厳しいと分かっていても、どうしても高校に行きたかった私は、父に無理を言って、進学を許してもらい、鹿本高校に合格しました(注:文昭君と私の母校)。1955(昭和30)年、鹿本高校を卒業し、熊本市古京町の国立熊本病院付属高等看護学校に入学しました。私は1988(昭和58)年、熊日に載った童話会のお話し会の告知を読み、参加したところ、ぐいぐい引きつけられて、その場で入会しました。これまでが一応、作者の人となりである。
 掲載文は一回あたり、2000字ほどでしょうか。文章の中には「内田川」をはじめいたるところにふるさと情景が描かれている。このため確かに、ふるさと慕情つのるところがある。だからそのための、かつ子さんと文昭君の粋な計らいのプレゼントだったのである。私は文昭君の許しを得て、かつ子さんへ御礼のメールを送信した。するとすぐに、かつ子さんより返信メールが届いた。
「長い間、ご無沙汰いたしました。お変わりありませんか? 遅くなってすみません。大雨大変でしたね。熊本市内も7月盆ですか? きょうはお礼を申し上げます。新聞の切り抜きが文昭君から回ってきました。おかげさまで、ふるさと慕情がつのっています。ありがとうございました」
「今晩は本当に久しぶりです。あちこちで大雨被害が出ていますね。雨も昔と比べると、温暖化の影響ですかね? 梅雨明けが待ち遠しいです。昨日は御盆の入りで、菊鹿までお墓参りに行って来ました。故郷は田植えも済み冷風で暑いときは田舎が過ごしやすいと感じます。文昭さんから新聞の切り抜きが届いたそうで、静良さんまで回してもらい有り難いです」
 明日はお誕生日でしょう、格好よく絵文字二つが並んでいた。だけど私には、それをここで記す能力はない。二つの絵文字を見ながら、(奥様とケーキを食べてお祝いしてください)と、翻訳したのである。私自身には83歳を祝う気分はないけれど、高橋様とかつ子さんから祝福を受けたかぎり、へそ曲がりは返上し、素直に祝福気分にひたっている。
 一方で、身勝手な長文を詫びるところである。内視鏡検査の予約日は8月29日、検査開始時間は午後3時である。すっかり、夜が明けている。私は83年も生きてきたのだな……。ウグイスがお祝いエールを送っている。

心急く、通院日

 7月14日(金曜日)、「7月盆」のさ中にあって、夜が明けて朝が訪れている。生きていればこそ、日を替えて朝に出遭えることは、生きている者の最大幸福の一つである。あの世に、朝があるのかどうかはわからない。だから私は、あの世へ行き急ぎはしたくない。
 きょうは、命を長持ちさせるためにほぼ半年前に予約されている通院日である。きょうの病医院は、歯医者や耳医者などの部分器官の手当ではなく、身体のエンジン部分をなす内臓器官の検査是非(可否)のための受診である。具体的には「大船中央病院」(鎌倉市)の診療科の一つ「消化器内科」への外来である。私は、主治医の診立てにすがるしかない。歯痛や難聴(緑内障の経過観察)のように自覚する症状はない。けれど、それらを凌ぐ気分の重たい通院である。
 電子辞書にすがることなく私は、自分流の一つの言葉を浮かべている。それは「生きるための苦しみ」、すなわち「生活苦」という言葉である。文字どおり私は、日々生活苦に取りつかれては喘いでいる。電子辞書を開いた。「生活苦:生活上の苦労。特に、少ない収入で生活していく上での苦労」。わが浮かべている生活苦と、辞書の説明書きの生活苦との違いは、もとよりわかりきっている。しかしながらあえて、わが思いの生活苦を浮かべている。なぜなら、生きる活動(生活)には収入(金)の不足にかぎらず、すべてに苦労が付き纏っているからである。私の場合は広義、辞書の場合は狭義、共に生活苦と言えるであろう。
 ネタのない継続文は、つまらないことでも書かなければ頓挫に見舞われる。まさしく、気狂い沙汰模様である。しかし、精神科への外来は、自己診断ではまだ先延ばしにできそうである。夜明けの空は未だにぐずつく梅雨空であり、わが望む清々しい夏空は持ち越しである。予約時間は午前9時、通院準備に心が急いている。

つらい夏の朝

 7月13日(木曜日)、目覚めてみると夜が明けている(6:28)。きょうは時間にせっつかれて、文章は書けない。真夜中に目覚めてうろうろしていたため、寝床に寝そべるといつの間にか、眠りこけていた。もちろん、ぐっすり眠れたとは言えない。しかし、それでも睡眠に恵まれて、寝起きの気分だけは快感である。しかしながら一方、心急いて文章は書けない。だけど、一つだけ書いておかなければならないことがある。きょうは「7月盆」の入り日である。様々な思いが交錯する中にあって、「御霊新入りの次兄の悔しさ」が、わが胸を締めつけている。到底、「迎えに来ました」とは言えない。夏の朝にあって、わが胸の痛みがまた一つ増えた。どこまで続く、夏の朝のわが胸の痛みであろうか。きょうは確かに駄文、しかしどんな名文を書いても、読んで誉めてくれるきょうだいは、もはやだれもいない。つらい夏の朝である。

恨めしい朝日の輝き

 7月12日(水曜日)、時間はまだ早いけれど、日長の頃であり、薄っすらと夜明けが訪れている(4:29)。大空は、淡く彩雲をちりばめている。未だに梅雨の合間の晴れの夜明けだろうか。それとも、気象庁の梅雨明け宣言のしくじりによる、すでに梅雨が明けている夏空の晴れだろうか。どちらにしても穏やかな大空の眺望である。
 ところが、こんな暢気な表現はご法度である。このところのテレビ映像はほぼ連日、九州地方を中心にして所を変えて、豪雨惨禍の恐ろしさを伝えている。豪雨のもたらす災害は、洪水、増水、濁流など、加えて土砂崩れや山津波(鉄砲水)などである。とりわけ洪水は、住宅や田園を水浸しにしたり、土砂崩れは直下の家屋を倒壊させる。もちろん、死亡者および行方不明者という、人の命を絶つ惨禍は、そのたびに多大である。
 わが生誕の地は、当時の熊本県鹿本郡内田村(現在、山鹿市菊鹿町)である。生家は「内田川」の川岸に建ち、生業は内田川から分水を引いて水車を回し、精米業を営んでいた。それゆえに私は、豪雨のたびに生家(母屋)の裏を流れる内田川の増水の恐ろしさを体験している。内田川にかぎらず、川の増水の恐ろしさは、洪水災害を引き起こし、まさしく「百聞は一見に如かず」であり、テレビ映像に観るとおりである。土砂崩れの恐ろしさもまた然りである。川上から轟轟(ごうごう)と唸りを立てて、岩石、材木、家屋の調度品(畳など)が流れゆく光景を見遣る心境は、もはや生きた心地などあり得ない。この光景の恐ろしさは、今でもわが心象のトラウマ(心的外傷)となり、テレビ映像を観るたびにわが心中を脅かしている。
 ところがきのうは豪雨災害の映像に加えて、関東地方のある地域における竜巻惨禍も映し出された。竜巻は未体験だが、一瞬にして家屋が吹っ飛ぶ光景の恐ろしさはこれまた限りなく、残念無念の心地である。
 朝日がのどかに輝き始めている。しかし、きょうの夜明けだけには恨めしく、このところ続いている自然界賛歌は、パタッとお預けである。

きょうもまた、朝日すがり

 7月11日(火曜日)、朝日は未だ起きずに、雲隠れ中である。私はすでに起きて、身につまされた思いを浮かべている(4:25)。私はこの先あと何度、朝日を迎えるであろうか。それまでわが命、持つであろうか。
 きのうの私はまさに「恩に着る」、朝日の輝きに後押しされて、気の乗りのしない予約済の歯科医院へ向かった。予約時間は午前10時、定期路線バスに乗車し、9時45分頃に、外来待合室へ入った。待合室に人の姿は見えず、院内特有のひっそり閑が漂っていた。院長先生はじめスタッフの姿も、受付の開いた小窓越しに垣間見えず、集音機を嵌めた耳にも、足音や物音を感じない。私はこの日もまた、帰りの買い物を考慮し、国防色の大きなリュックを背負い、出かけてきた。リュックの中から分厚い財布を取り出した。財布が分厚いのは札のせいではなく、数多の診察券とポイントカードを含むカード類の多さのせいである。加えて、健康保険証や介護保険証も、膨らみに一役買っている。窓口係(奥様)の姿は見えない。それでも私は、窓口に置かれている「診察券と保険証をここに入れてください」の表示のある箱に、意識して、聞こえるように「ドスン」と入れた。ドスンが呼び水になったのか、すぐに奥様が小窓を開かれて、診察室の方へまわられた。こんどは、診察室のドアを開けて、「前田さん、お入りください」と、一声かけられた。私は(あれ! 早いな)と、怪訝(けげん)な面持ちで、「おはようございます」と言って、神妙に診察室へ入った。診察室には院長先生、奥様、そして一人の顔見知りの若い女性・歯科衛生士の姿があった。歯科衛生士は、三つほど並んでいる診療椅子の一つに、私を導かれた。私はリュックを足場の所定のところに置いて、そのうえに外したマスクと眼鏡を置いた。診療椅子に腰を下ろした。横に置かれている紙コップを手に取り、勝手知った口すすぎを三度した。院長先生がそばに来られた。私は「おはようございます。よろしくお願いします」と、言った。診療椅子が倒されて私は、院長先生が診療しやすいように、生来の大口をさらに精一杯開けた。患者・私の唯一の切ない優しさである。院長先生は早口で、この日の施療の説明をされた。長ったらしい序章はこれまで。いよいよ、厳しい宣告の訪れである。院長先生の言葉が、わが耳を覆ったのである。
「治療が終わるまで、最後の入れ歯を入れるまでには、この先2か月ほどかかります。9月半ばころまでかかります」
 大口を開けていた私は、納得や抵抗の言葉は吐けなかった。
 この日の診療は終わった。渋々私は、診察室から離れて、立ち居振る舞いをされている院長先生の横を「ありがとうございました」と言って通り、診察室を出た。このとき、院長先生の呼応なく、わが気分は沈んだ。
 待合室へ戻りしばらく、ソファに座っていた。受付の小窓が開いて、「前田さん」と呼ばれた。やおら立ち上がり、小窓へ近づいた。「お待たせしました」「お世話になりました」。次回の予約日の応答の末に、「次回は、7月18日、火曜日の午前10時です」と、決められた。私はこの先の2か月、(何をされるのだろう?……)。腑に落ちない気分で院外へ出た。この先の買い物めぐりには、さらに腑に落ちない気分がいや増していた。挙句、やけのやんぱち気分が旺盛だった。2か月、わが命は持つであろうか。
 すっかり夜が明けて、朝日は皓皓と輝いている(5;20)。きょうもまたわが気分直しは、朝日すがりである。

恩に着る、朝日の輝き

 7月10日(月曜日)、久しぶりに二度寝にありついて、ぐっすり眠り起き出して来た。すると、朝日がキラキラ輝いている(5:50)。胸の透く愉快な気分である。きょうには気分の重い歯医者通いがある。予約時間は午前10時である。朝日の輝きは、重たい気分を和らげている。まさしく恩に着る、幸先の良い朝日の輝きである。朝日は気分の重い歯医者通いを、(気にするな、行け行………)と、後押ししている。きょうはこのことが書けて、大満足である。だから、これだけを書いて文章を閉じ、恥じを晒してもまったく悔いることはない。いや、棚から牡丹餅気分でひとしきり、自然界賛歌を唱えたい。「日光けっこうコケコッコー」の気分である。丁寧に歯を磨いて、歯医者通いの準備に取りかかろう。朝御飯は抜こうかな。いや、昼御飯の難渋を思えば、早い朝御飯になるだろう。
 朝日の輝きは、青天上に白無垢姿の花嫁を見ている思いである。気象庁がこれに梅雨明け宣言を重ねれば、二重の自然界讃歌となり、ひとしきりでは済まない思いが充満している。