ひぐらしの記

ひぐらしの記

前田静良 作

リニューアルしました。


2014.10.27カウンター設置

内田川(熊本県・筆者の故郷)富田文昭さん撮影

 

『期限、あれこれ』

 六月十三日(日曜日)、私には焼が回っている。目覚めて寝床の中で私は、こんなことをめぐらしていた。食品には賞味期限や消費期限などの記載がある。機械類には耐用年数という期限がある。枯れる植物には、一年生植物(一年草)、二年生植物(二年草)、そして多年生植物(多年草)という期限がある。そして人の命には、寿命という期限がある。この世の物事にあって耐えられる期限は、ことごとく有限である。もちろん期限までに届かず、途中で腐ったり、壊れたり、枯れたり、かつ人の命であれば失くしたり、亡くなったりすることなど多々ある。とりわけ、人の命にかぎればあまりにも無常ゆえに、このことには意図してあっさりと、「運命」という虚しい言葉が添えられている。すなわち、生きとし生きるもの、ほか森羅万象にわたり、あらかじめ想定された期限に背く現実を有している。目覚めたのちとはいえ、こんなことが浮かぶようではもとより、望む熟睡にありつけるはずはない。おのずからこれらのことが、私に焼きが回っている確かな証しである。
 私は常に心中に何らかの語彙(言葉と文字)を浮かべている。それは、語彙の生涯学習を掲げているゆえである。目覚めてきょうは、期限という言葉が心中に、ぐるぐると回っていた。確かに、期限とはきわめて安易な言葉である。ところが一方、その現実を突き詰めれば、途轍もない言葉である。まして、人の命の「寿命」をあからさまに「期限」に置き換えれば、言葉の重みにあらためて慄然とするものがある。目覚めて切ない、きょうのわが生涯学習の一端の披露である。
 精神混沌ゆえに、休むべきだったのかもしれない。関東地方にはいまだに気象庁の梅雨入り宣言がない。しかし、夜明けの空は重たい梅雨空である。たぶん、わが重たい気分で眺めているせいにちがいない。こんな駄文には表題のつけようはない。しいてつければ駄文の証しそのままに、『期限、あれこれ』、しか浮かばない。

気分休めの「ワクチン」効果

 六月十二日(土曜日)、パソコン上のデジタル時刻は、現在3:34と、刻まれている。パソコン自体はとっくに起ち上げて、すでにメディアの報じる主な配信ニュースを読み尽くしている。言うなれば目覚めて起き出して来たゆえの暇つぶしである。そうこうしているうちに、みずからの文章を書きたい気分が湧出すればと、願っていた。ところがそれは、叶わないままである。その誘因は、このところ常態化しているわが怠け心である。あけすけに言えばこのところの私は、まったく文章が書けなくなっている。いやなさけなくも、書く気分を殺がれている。
 新型コロナウィルスに抗する二度目のワクチンは、おととい(六月十日・木曜日)に打ち終えた。それによる上腕の痛みは、一度目同様に顕れている。しかしながらこれまた、一度目同様に三日目となるきょうあたりから、痛みはかなり緩和、軽減されつつある。私の場合、不要不急の外出は控えて、一週間二・三度の買い物行を実践するだけである。これくらいの外向き行動ではワクチンを打つまでもなく、私はコロナに罹るはずはないと、高を括っていた。それでも打ったのは、国家事業に素直に応じるためだった。
 ところが、打ち終えるとやはり、気分の安らぎをおぼえている。この気分こそ、まさしくワクチンによる予防注射の恩恵と、言えそうである。ひいては、人間の知恵にさずかる明らかな恩恵である。さらにワクチンは、日本の国のみならず、世界中の人々と共通の行為をした安らぎ感をもたらしている。すなわち、老いて、端くれとはいえ、まだまだ私は、人間の範疇にあるという、気分の安らぎ感である。
 文章の体をなさないけれどこの気分を記して、約十分間の書き殴りに甘んじて、結文とするものである。やはり、文章が書けない。夜明けまで、悶絶しそうである。

ワクチン接種、完結日

 新型コロナウイルスへの感染を免れるためには、私は政府や自治体のさまざまな呼びかけに素直に応じてきた。呼びかけの本源をなすものは、おおむね自らの行為や行動を粛(つつし)むことであり、文字どおり「自粛」の要請である。これらの行為や行動は、いまだ過去形で表すことはできず、今なお現在進行形の渦中にある。私にかぎらず日本国民、さらには日本在住の外国籍に人たち、すなわちだれもが一年半近くにわたり、我慢という自粛を強いられている。それでも今なお、感染を抑え込む決め手にはありつけず、すべての人々は日々感染に慄(おのの)いている。
 新型コロナウイルスは、すでに多くの感染者とそれによる死亡者をもたらして、現在なおこの先、恐々とするありさまである。この恐ろしい状態は、戦時模様にさえ擬(なぞら)えている。それゆえに、新型コロナウイルスに抗するのは、日本の国の国家事情である。いや、限られた対象国同士の戦争とは異なり世界中の国共々に、新型コロナウイルスの感染抑え込みにはまさしく、確かにいくらか似つかわしい戦時状態を呈している。
 抑え込みの施策は、これまた世界の国々共通に、個人に課されている行為や行動の自粛が大本(おおもと)となっている。このため効果は遅々たるものであり、そのため人類すなわち世界の人々は、新型コロナウイルスに抗するワクチン開発に望みをかけてきた。そして人類の知恵(者)は、驚くべき速さでこの望みを叶えたのである。いまだ途中経過とはいえ、人間の知恵(者)の輝く勝利である。なぜなら、ワクチン接種の先行の国々や人々は、ワクチン接種の効果で、段々と自粛の無い元の生活に戻り始めている。
 ワクチン接種が遅れた日本の場合は、現在はいまだ効果にはありつけず、現在は政府および自治体こぞってのワクチン接種作業に大わらわの状態にある。ワクチン接種は、まさしく国家事業である。おのずからこれには逆らえず、私の場合はきょう(六月十日・木曜日)が、完結編の二回目のワクチン接種日である。ワクチン接種の効果があらわれるのは、この先になるけれど、自粛の行為や行動は晴れて少しずつ解禁されそうである。
 きょうのワクチン接種にあって私は、関係者にたいしマスク越しに大きな声を出して、お礼の言葉を述べるつもりである。「声を出してはいけませんよ!」と、咎(とが)められることなく、マスクの上の額(ひたい)には、ほほ笑まれる表情があらわれるであろう。言うなればきょうは、見知らぬ者同士がマスク越しに、ほほ笑む日になりそうである。
 生存、いや人間、「捨てたものではない」。加齢の身に訪れた、ひとときの「人間賛歌」の享受日になりそうである。

無能力の祟り

 六月九日(水曜日)、やはり再始動はおぼつかない。三時間足らずの睡眠ののちに目覚めて、その後は二度寝にありつけず、三時間余りを悶々と体を寝床に横たえていた。この苦悶に耐えきれず、起き出して来た。そして、やおらパソコンを起ち上げている。何たる体たらくぶり! かと、自分自身にたいしひどく、悲憤慷慨をおぼえている。こんな文章を書くとは予期しないどころか、いや文章と言える代物ではない。もちろん、気分鎮めにはちっともならず、恥晒し、いや恥の上塗りを招いている。そうであれば書かないことに、越したことはない。まして、投稿ボタンを押すことなど、狂気の沙汰である。そう自認してもおそらく、私は投稿ボタンを羽目になるだろう。なぜなら、確かに文章の体をなさなくても、せっかく書いたものを反故にすることは、現在の私にとってはきわめてもったいないからである。私の場合、それほどに頓挫したあとの再始動には困難を極めている。
 これまでの私は、どれほど多くの文章を書いてきたことだろう。大袈裟な表現を好む私にすれば、四百字詰め原稿用紙に換算すれば多分、軽トラの積載量制限をはるかに超えて、なおあふれ出すほどにもなるかもしれない。まさしく、屑やゴミさながらの駄文の重ねである。なぜなら、いっこうに学習にはなり得ず、挙句に私は、こんな身も蓋もないみっともない文章を書いている。直近の文章の二番煎じの表現を用いれば、私はまさしく「惰性の美学」を損ねた祟りに喘いでいる。だけど嘆くまい、いやトコトン嘆こう! わが無能力の証しであり、祟りである。
 夜明けて、梅雨入り宣言間近の朝日がピカピカと照り輝いている。嘆きの気分は、いくらか解れている。やはり、もったいないから投稿ボタンに人差し指をかけて、駄文は店じまいである。駄文をつづり、人様にはかたじけない。いやいや、自分自身にもほとほと、忝(かたじけな)い。こんな文章を書くようでは、もちろん再始動のエンジンには、今なおありつけないままである。

「惰性の美学」を損ねた祟り

 このところの私は、闘わずして自分自身に負けている。すなわち、克己心をすっからかんに失くしている。惰性という継続をみずからの怠け心で断ったのちの再始動には、ほとほと困難を極めている。もちろん、これまでも何度となく体験してきた厄介事である。
 「ひぐらしの記」の継続は、もちろん人様から褒められるものではない。なぜなら、単なる惰性の積み重ねであることを私は、絶えず強く自認してきたところである。人間の営みにあって惰性は、必ずしも褒められる行為ではない。ところが、私にかぎれば惰性は、必要悪を超えて継続の本源を成してきた。言うなれば私は、惰性にすがって「ひぐらしの記」の継続にありついてきたのである。
 電子辞書を開けば『惰性』には、「今までの習慣」という説明書きがある。すると私は、ようやく根づきかけていた習慣をわが怠惰心で、無下に反故にしたのである。その祟りにあって現在の私は、再始動に怯えて苦悶を強いられている。すなわち今の私は、「惰性の美学」をみずからほうむった罰当たりをこうむっている。こんなことはどうでもいいけれど、六月七日(月曜日)、私はまったく久しぶりに昼間にあって、こんな文章を書いている。
 窓ガラスを通して眺める山の法面には道路に沿って、今こそ見頃! とばかりに、アジサイが妖艶に色づいている。その後衛をなすところは園芸業者の植栽であり、もとは商売用の枇杷の木が売れ残り、今や枇杷の実が鈴生りとなり、黄色ピカピカに輝いている。これらの光景に見惚れていると、萎えていた克己心にいくらか、カンフル剤が打たれた気分である。昼間の文章からさずかった、ちょっぴりのプレゼントである。しかしながら継続の糧(かて)になるには、もとよりまだまだ心もとない。

加齢、休みます

 五月二十六日(水曜日)、継続だけが取り柄の『ひぐらしの記』も、継続に翳りが現れています。継続するにあっての根幹をなす、意欲の喪失に見舞われているからです。かかりつけの主治医先生に相談すれば、おそらく「加齢のせいですね!」と、悪びれることなくひと言で、一蹴されること請け合いです。確かに、病を診立てる主治医先生にすれば、手間ひまかからずもっとも的確な診断になりそうです。
 この言葉には、「いや…」と、口を挟むことのできない無慈悲さがあります。だから抵抗できずに、「そうですね…」と、心無い相槌を打って、不承不承ながら、納得せざるをえません。こんな「犬も食わない」文章を書いて、きょうは休みます。
 明るい朝の陽射しの下、起き立てすぐに、道路を隅から隅まで丁寧に掃いて来ました。ところが、この日課も加齢のせいで、今や「風前の灯」状態です。加齢を嘆くのは馬鹿げていますから、もちろん嘆いてはいません。素直に、諦めています。

新型コロナウイルスとの戦い、つれづれ

 余儀ない新型コロナウイルスとの戦いのせいで、私は人類共通の光景に遭遇している。このことでは語弊があるけれど、ちょっぴり感慨深いものがある。惜しむらくはこの光景がもっと早く訪れていれば、多くの人の命が絶えずに救われていた。そのことでは残念無念この上ない。一方ではこんなにも早く無から有、すなわちワクチンを生み出した人類の知恵に驚嘆し、拍手喝采をせずにはおれない。人類は、確かな万物の霊長の証しである。
 きのう(五月二十四日・月曜日)から、日本の国の東西を分かつ大都市、すなわち東京都と大阪府においては、ワクチンの大規模接種が始まった。おのずからきのうのテレビニュースと映像は、ほぼ接種会場模様で埋めつくされていた。それは日本国民がどれほど首を長くして、ワクチン接種を待ち望んでいたかの確かな証しでもあった。そしてそれはどちらかと言えば背に腹はかえられない、付け焼刃と思える接種会場模様だった。ところが小さなトラブルさえなく、スムースにスタートしたと、伝えられている。このことでは、日本国民の節度と良識に安堵するところである。
 私の場合はすでに、一回目のワクチン接種は終えている。このおりの接種模様は、きのうテレビで観た接種光景とまったく同様である。私の場合もまた、普段のかかりつけの病医院ではなく、鎌倉市の行政が用意した三菱電機提供の体育館だった。初入りの体育館には、あちらこちらに急ごしらえの数々のブースが設けられていた。先ず私は、準備万端かつ用意周到な会場風景に度肝を抜かれた。同時に私は、接種にかかわる多くの係員の組織だった陣取りと尽力に驚嘆した。私は心底より感謝した。「瓢箪から駒」とも思える実体験であった。私は、まさしく人間の素晴らしさを実感した。
 幸いなるかな! 軌を一(いつ)にして、このところの東京都と大阪府の感染者数は、明らかに減少傾向にある。一方では二番煎じの記憶になるけれど、日本列島の南北の果てに位置する沖縄県と北海道にあっては、いまだに感染力の衰えを見ないままである。そのため沖縄県は、おととい(五月二十三日・日曜日)から六月二十日(日曜日)まで、緊急事態宣言を余儀なくしている。これに加えて、すでに宣言下(五月三十一日・月曜日まで)にある北海道を含む九都道府県は現在、そこまでで解除か、さらなる延長とするか? の思案のしどころにある。延長となれば期限は、沖縄県に同調するのであろうか。それとも、別の期限が設けられるのであろうか。大規模接種開始にあっても、まだまだこの先気分が休めない、新型コロナウイルスと日本社会の戦いである。両者の知恵比べであれば、人間が負けるはずはないと、高をくくっているところである。ただ、勝利の目安いや勝利の日はいつになるのか? なおもどかしい戦いに明け暮れそうである。
 わが二回目の接種予定は、六月十日と決められている。ところが、妻は予約にあぶれて先延ばしの未定である。だからと言って慌てることはない。なぜなら私は、国家事業とそれを支えるスタッフ(関係者)の並々ならぬ献身に接して、万感の思いを込めて信頼しきっているからである。人間はやはり、崇(あが)められる確かな万物の霊長である。このことは一回目に感じた、わがゆるぎない実感である。語弊はあるけれど、確かな感慨である。

私信

 先ずは掲示板上において、私信をしたためることをお許しください。本来であればいただいたお便りにたいする返書は、謹んで手紙などですべきこととは重々(じゅうじゅう)理解しています。このことでは現在したためている文章は、手抜き文として大きなお咎(とが)めをこうむらなければなりません。だから恥じ入りて、冒頭にて謝りとお詫びをさせてください。
 まったくの私信でありながら掲示板を利用していることでは、お相手の方が毎日、掲示板を覗いてくださっていることを、お便りに書かれていたからです。そのことに甘えて私は、確かに手抜きと自覚しながらも、はがきや手紙にかえて、返礼文をしたためているところです。このことを私は、お相手の方そしてご常連の読者各位様にたいし、あらためてご寛容とお許しを切に願うものです。
 おはがきをいただいたお方、すなわちお相手のお方を事前のお許しを得ないままにご紹介させていただきます。そのお方は現在、三重県にご在住のお方です。これに加わるご紹介は、現代文藝社と「ひぐらしの記」の取り持つ御縁としか、私は知ることができません。そのことより見ず知らずにもかかわらず、それでも手間暇をかけて、おはがきをくださったことには、そのお方のお人柄が偲ばれるものです。この文章を借りて、重ねて感謝と御礼を申し上げます。心中より謹んで、ありがとうございます。
 さて、まことに身勝手ながらおはがきのなかの二か所の文章を原文のままに、この文章に転載させていただきます。一つは、毎日欠かすことなく現代文藝社の掲示板を拝見し、前田様の文章に接することで元気と勇気を頂戴している次第です。前田様の文章から、「継続は力なり」という格言を思い出します。一つは、前田様は一体どのような高校生でしたか? そのあたりのことを掲示板で読んでみたいです。さてさて一つ目は、この上ない喜びにさずかり、重ね重ねて御礼を申し上げます。
 そして、二つ目こそ、この私信をしたためている唯一無二の理由です。なんら、特長とすべきところのない高校生時代だったゆえに、返事には梨の礫(つぶて)こそ、最良の返事と心得ていました。一方ではわが身に余るおはがきにたいし、無礼のままであってはと、甚(いた)く心を痛めていました。それゆえにわが心痛を鎮めるために、初対面の履歴書代わりに、わが自己紹介のさわりを以下に書きとどめます。
 私は昭和十五年(1940年)の誕生で、現在八十歳です。出身地は旧自治体名では、熊本県鹿本郡内田村(現在山鹿市菊鹿町)です。生誕地内田村は、熊本県北部に位置する山あいの盆地で、すなわち農山村産品の上がり、いや自給自足に生業(なりわい)を託する鄙びた片田舎が原風景です。当時の小学校および中学校は、校地をほぼ同じくする六年、三年つごう九年間、持ち上がりの村立内田小学校、そして村立内田中学校でした。現在は、ご多分にもれず過疎化のあおりを食って閉校を余儀なくし、両校名共に思い出の彼方に飛んでいます。中学校を出て高校進学を希望する者は、ひと筋の県道を約二十キロ(五里ほど)自転車で下り、普通高校として町中に一校存在する、熊本県立鹿本高校へ通うしかほかはありませんでした。鹿本高校は今では校地をさらに遠くへ移して、同じ校名で今も存在しています。
 さて、小学校および中学校時代の学業は、片田舎の学校に加えて、戦後からまもないころゆえにその貧弱さは、言わずと知れるところです。私は6・3・3・4の学制発足年の昭和二十二年四月に、小学校一年生として修学の身を始めています。小学生時代はさておいて、中学生および高校生時代のわが学校生活は、高校および大学への受験準備と部活にほぼ凝縮されています。小学生時代は、すべてが洟たれ小僧の時代でした。中学生になると、部活のバレーボールと、ときたま陸上の対外試合に駆り出されて、それらの練習に明け暮れる毎日でした。塾など、あるはずもない。これを補うのは、放課後に希望者を募り設けられていた課外授業にすがるだけでした。
 高校生時代もまた私は、中学生時代の延長線上で部活にはバレーボール部に入り、なおいっそう練習に明け暮れていました。おのずからこれまた、大学入試に向けての課外授業は、まったく縁無しになりました。顧みて、今なお悔い残るところです。これらのこと以外記すところはなく、私はただ平々凡々を貪(むさぼ)るだけの典型的な田舎の凡児だったのです。
 最後に、「ひぐらしの記」にかかわることゆえに、文章にちなむことを付記すれば、これまた付け焼刃の六十(歳)の慌てふためく手習いにすぎないものです。なんらとりえの自己紹介は、はなはだ骨の折れる作業です。御好意に甘えてこれでお許しを願うところです。こののちもよろしく、お付き合いを願ってやみません。ご健勝とご清祥を、衷心よりお祈りいたします。謝辞。

梅雨と感染、二つの地上戦

 五月二十二日(土曜日)、関東地方は気象庁の怠慢ぶりのあらわれでもあるかのように、いまだに「梅雨入り宣言」をみないままである。ところがわが体感では、とっくに梅雨入りを感じている。実際にもきょうの夜明けの空は、またもや小雨まじりのどんよりとした梅雨空である。こんな日が続けばデータにすがることなく、梅雨入り宣言でも構わないであろう。もちろん、科学無知きわまりない、わが凡愚の下種の勘繰りである。
 きのう(五月二十一日・金曜日)の文章にあっては、私は書き殴り文をさらけ出し、だらだらと長い文章を書いてしまった。かたじけなく、心底より詫びるところである。読んでくださる人は疲れるけれど、書いた私も疲れ果てていた。そのためきょうは、休養を決意していた。しかし、こんなことで挫けてはならないと意を替えて、私はメディアの伝える配信ニュースの引用を試みる。もちろん自力では叶わず、他力にすがる継続にすぎない。
 さて、幸いなるかな! 東西の大都市、すなわち東京都と大阪府における新型コロナウイルスの感染者数は減少傾向にある。ところが一方、日本列島の南北に位置する沖縄県と北海道においては、感染者数が過去最多を更新続けて、なお増勢傾向にある。日本国民であれば当該自治体の出来事として、他人事(ひとごと)にはならず憂慮すべきことである。
 沖縄県はきのう、感染者数が過去最多を記録し、あす(五月二十三日・日曜日)から、六月二十日(日曜日)まで余儀なく、緊急事態宣言の仲間入りをした。北海道は先駆けて現在、緊急事態宣言下にある。それでも、感染状況はこんな状態にある。日本国民にとっては、つらくかなしい由々しき現実である。
 【北海道は全国最悪レベルの状況 過去最多の727人感染】(朝日新聞デジタル2864)。「北海道では21日、新型コロナウイルスの感染者が新たに727人確認された。13日の712人を上回り過去最多を更新し、3日連続で600人を超えた。死者は12人。感染力が強いとされる変異ウイルスが猛威を振るっており、全国でも最悪レベルの感染状況だ。鈴木直道知事は定例会見で『最大限の危機感を持って感染拡大を食い止めたい』と述べ、16日からの緊急事態宣言後初となる今週末の外出自粛を呼びかけた」。
 梅雨入り宣言最速の沖縄県は、梅雨真っただ中の戦いのさ中にあり、梅雨のないと言われる北海道は、新型コロナウイルスの感染恐怖のさ中にある。声なき声で、双方の苦闘にエールを送らずにはおれない。さいはて、南と北の自治体、とことんがんばれ!。「旅行者から持ち込まれた感染!」と、言われると日本国民のひとりとして、ただただ立つ瀬がない。きのうよりちょっぴり短い文だが、だらだら感は否(いな)めない。

ワクチン接種、体験報告

 五月二十一日(金曜日)、「ひぐらしの記」の読者にあっては、おそらく先駆者であろうのとかんがみて、わが体験報告を試みています。きのう(五月二十日・木曜日)、私は新型コロナウイルにかかわる一度目のワクチン接種の行動と行為を体験しました。試みている報告は、接種に至る行動と接種行為、そして現在のわが状態です。
 まったく手慣れないスマホ操作に手を焼いて、どうにか予約に漕ぎついていた時間は、午前十一時から半の間でした。出かける準備は、前日までに万端ととのえていました。十時四十分あたりにスマホで、「大船交通」へ呼び出しの電話をかけました。約十分で迎えの車が、わが家の門付けに止まりました。車内に乗り込み、私は「コロナ会場の『三菱体育館』までお願いします」と言って、運転士の応答を待って、互いに短い会話を交わし合いました。そして私は、鎌倉市から届いている無償のタクシー券を手渡しました。運転士は心得ておられて、もめごとなく丁寧に対応されました。タクシーは十一時近くに体育館の玄関口に着き、エンジン音を止めました。玄関口あたりには、多くの人が出たり入ったりしていました。玄関口の外に並べられていたパイプ椅子には、数人が腰を下ろされていました。これらの人たちは、帰宅に向けてタクシーの到着を待っている人たちでした。付近には、ハンドマイクを手にした男性が整理係を務めていました。私が降車すると、並んでいたひとりの人が空いた車のタクシーに、急いで誘導されました。表現は悪いけれど玄関口周辺は、見渡すかぎり高齢者ばかりがウロウロしていました。私も、この光景に加わりました。いや、この光景に加えて、それらの人をベルトコンベヤーさながらに、手際よくさばく中年男女が、あちらこちらに陣取っていました。国家事業ゆえに、一目見るからに壮大かつ手際良い流れ作業です。
 私は、前日百円ショップで買い求めていたスリッパに履き替えて、おずおずと鏡面のように透き通った体育館の床に足を踏み入れました。こんなことが無ければ、もちろん足を踏み入れることのない体育館です。私は、天上高く、煌めく明かりの体育館の素晴らしさに度肝を抜かれました。広い館内は、すっかり接種会場へ模様替えがととのっていました。至る所に、ソウシャルデイスタンスを配慮されたパイプ椅子が置かれていました。それらの椅子には、係りの人たちが手際よく順送りに座っている人たちを誘導していました。
 注射針を打つブースまでたどり着くには、二度ほどパイプ椅子を渡り替えしなければなりません。肝心要の注射針を打つブースには、1~4の番号はふられていました。私の番が来て、「三番に入ってください」と言われて、私は女性係員にブースへ誘(いざな)われました。いよいよ私は、面談者(接種実践者)と出会い、接種の実行に辿り着きました。あらかじめ記載していた問診票を読んで、注射針をたずさえている人は、中年の女性でした。私は明るく「こんにちは」と言って、さらには「ご苦労様です。よろしくお願いします」と、ねぎらいの言葉を発した。そしてなお、野暮な言葉を加えた。
「お医者様ですか?」
 係りの女性は悪びれることなく、「わたしは看護師です」と、言葉を返された。
 すぐさま、私は言葉を重ねた。
「そうですか。時代の花形ですね。大変でしょうけれど、私たちにとってあなた様は、神様です。ありがとうございます」と、私は言った。
 この言葉が功を奏したのか。ブース内は、たちまち和んで、家庭的な雰囲気に様変わりした。私は半袖の肌着をまくりあげ、左肩を出しました。注射針が音無く刺さりました。思っていたほどの痛みはなく、安堵しました。ワクチン接種は、とどこおおりなく無事に終わりました。私は丁寧にお礼の言葉を述べて、このブースを後にしました。
 次のところへ向かい、次回の手続きが行われました。二度目は、六月十日と決められたものを手渡されました。最終コーナーではパイプ椅子に座り、約十五分間の経過観察を強いられました。私の場合は十一時四十五分までであり、その時刻になると退出(帰り)が許さることとなります。私は館内の大時計を凝視続けて、時計の針が定刻へめぐりくると、帰り支度をととのえて館外へ出ました。
 帰宅にはタクシーを呼んで、再び無償のタクシー券を利用しました。現在のわが状態は、注射針を刺した右肩全体に酷い痛みをおぼえています。しかし、気分の異変はまったくなく、気分はすこぶる安着状態です。書き殴り文を長々と書いて、謝りたい気分満杯です。二度目も進んで、打ちに参ります。