ひぐらしの記
前田静良 作
リニューアルしました。
2014.10.27カウンター設置
幸先の良い秋にあっても、マイナス思考は消えず
8月26日(月曜日)。閉めて寝ていた窓ガラスを開けると、網戸から入る風は冷えていて、気象はすっかり秋モードに変わっている。前面の窓ガラスを通して眺める大空は、秋天高く青く澄んだ日本晴れを広げている。ところどころに抱く白雲は、上りかけの朝日に照らされて、これまた見事に澄んで、重量感なくふわふわと浮いている。秋の空は季節が恵む、胸の透く一大パノラマである。こんな季節や自然界の恵みにあっても素直に酔えないのは、人生の終盤を生きるわが身の悲しさである。なぜならわが心境は、季節や歳月の速めぐり感に怯えている。つれて余生は、日を追って縮まるばかりである。常に私は、マイナス思考の祟りを食らっている。自ら認める、わが人生の大損である。
さて、きのうは行動予定にしたがって、「大相撲巡業、横須賀場所」の観覧に出かけた。妻と娘と連れ合って、親子三人連れだった。わが関心事は、大相撲巡業の催行だった。催行された会場は炎天下の広場ではなく、程よく空調がされていた屋内、すなわち「横須賀アリーナ」だった。朝の九時に開場、そして千秋楽と表記されていた閉場は午後三時だった。これに沿ってプログラムが組まれていた。まず驚いたことにはプログラムは、本場所さながらに進められていた。これらの中から時間の都合で、取り組みの番数が省かれていたところがあったのはやむを得ない。それでも再び言えば、全体プログラムは本場所同然に組まれていた。次に驚いたことは、広大なアリーナを埋め尽くしていた観覧者(人数)の多さだった。そして、屋内の観覧席もまた、大相撲の殿堂・国技館を真似て桟敷多く設(しつら)えてあった。見終えた私たち三人は、それぞれが満足して家路に就いた。
大相撲巡業の初体験は結局、愉しめた親子一大行事だったのである。そしてそれは、幸先の良い秋の訪れを感じさせた。できればそれにさずかり、わがマイナス思考は千秋楽にしたいと願っていた。ところが、日を替えて起きてみるとそれはやはり、叶えられず夢まぼろしのままである。
大相撲巡業、「横須賀場所」観覧
8月25日(日曜日)。現在のデジタル時刻は4:08を刻んでいる。二度寝をすればすんなりと起きれるかどうかを危ぶんで、仕方なく起き出している。窓の外は未だまったくの暗闇であり、夜明けの天気模様を知ることはできない。きょうは雨の予報でないことは、きのうの気象予報士から聞き知っている。加えて気象予報士は、台風10号が接近中と伝えていた。台風は来週あたりになるようだけれど、それとは関係なく大気が不安定で、どこかしこに大雨の恐れがあるようである。
私は、きょうだけは小雨さえ降らないことを願っている。なぜなら、きょうの私には妻を伴って、早出の行動予定がある。行動の呼びかけ人は、神奈川県横須賀市内に現住する娘である。あまり気乗りのしないことだけれど、もしかして三人行動は最後になるかもしれないと思い、私は渋々応じたのである。
行動目的は、「大相撲巡業、横須賀場所」の見物である。巡業とはいえ妻と娘は、大相撲は初観覧になる。私は一度だけ、正規場所の観覧を国技館で体験している。ゆえに私の場合は、番外編の巡業は物足りなくて、「二人で行けばいいよ……」と言って、最後まで行き渋っていた。しかしながら結局、病身の妻や娘が「観たい」と言えばほっとけなくて、高額の観戦料を厭わず、引率同行を決意したのである。早出行動のためきょうは、もとより文章書きは休むつもりだった。ところが、飛んだ早起きをしたため、この文章を書いた。しかし、休むつもりの文章だっただけにこの先は書けず、余儀なくここで結ぶこととする。こんな文章では願っても、継続文の足しにはならないであろう。自業自得とはいえこのところは、掲示板上のカウント数値は漸減傾向にある。
薄っすらと夜が明けた。願ってもないのどかな朝ぼらけである。私は、早出の支度に気が急いている。
「行く夏」そして「来る秋」
8月24日(土曜日)。夜明けの空は胸の透く日本晴れで、天高く輝いている。夏の高校野球の決勝戦は、京都府代表校「京都国際高校」が、東東京代表校「関東一高校」を下し、初優勝で王座に就いた。夏の高校野球「甲子園大会」が終われば、いよいよ季節は夏を遠ざけて、日々秋色を深めてゆく。
山の景色は濃緑を薄めて、少しずつ黄色や紅色を帯びてくる。セミは絶える命を惜しんで、必死に泣きじゃくる。「暑い、暑い」と言いながら、矛盾するかのように、私は「行く夏」を惜しんでいる。しかし、悲しむことはない。なぜなら自然界は、こののちには「秋」という、四季の中で最も好季節と謳われる、「時」を回して来る。だけどやはり恐れるのは、季節特有の地震と台風とのめぐり合わせである。一方、現下の日本社会の関心事の一つには、野放図な人間模様に取りつかれている。すなわちそれは、自民党の総裁選、そして立憲民主党の代表選における、「われもわれも……」と、出たがる議員の多さである。議員になればわが身の器を顧みず、図に乗ってしまうのであろうか。見苦しさ、この上ない有様である。
ところが一方、日本国民の卑近の関心事は、わが身に堪える諸物価の高騰やコメ不足などがある。高気温、地震、台風の恐怖は、私生活を脅かし続けている。なんだか、政治家と国民の間には、大きな生活感の齟齬があるようである。こんな野暮なことをめぐらすのは愚の骨頂であろう。なぜなら、季節のめぐりに安んじていれば人間は、それなりに愉快である。私の場合、夏の終わりかけにあってとうとう、この夏初めて大好物の西瓜にありついた。西瓜の買い物にあってかなり焦りそして渋々、丸玉を四分割に輪切りしたものを買った。本当であれば丸玉を買いたいけれど、重たくて持ち帰れず、輪切りで我慢した。挙句、西瓜はわが行く夏の打ち止めを演じた。一日持ち越して冷蔵庫に冷やしている西瓜には、愛惜(いとお)しさつのるばかりである。それなのに、餓鬼のごとく涎垂らしてむしゃぶりつくのは、わが浅ましさであろうか。
「行く夏」そして「来る秋」、人間は身の程に応じて、自然体こそ安楽であろう。涼を含んだ風は、起き立てのわが肌身を和み癒している。
気分の重たい、歯医者通い
8月23日(金曜日)。時は進んでも夜長傾向にあっては、未だ夜明け前にある(4:58)。雨は降ってなくて、晴れあるいは曇り空の夜明けになりそうである。就寝中には悪夢に魘されて、まったく気分すぐれない起き出しを被っている。さらにきょうの行動予定には、いっそう気分の重たい歯医者への通院がある。悪夢による気分の落ち込みは、時間が経てばおのずからいつの間にか遠ざかる。ところが歯医者通いのもたらす気分の落ち込みはそうはいかず、期限なくエンドレスを被る場合がある。
あるとき、私は上前歯の一つの欠落に見舞われた。しかしながらそののち、私は歯医者へ通院することなく長い間、その部分をほったらかしにしていたのである。それには、こんな馬鹿げた理由をめぐらしていたからである。一つは、欠落部分はぽっかり空いたままでも痛みがないことで、まるで餓鬼(子どもの頃)のように歯医者通いを拗(す)ねていたのである。そして一つは、わが余命をめぐらしてもはや、その部分の処置はしなくても痛みがないせいで、命の最期へたどり着きそうに思えていたからである。すなわち私は、前歯の処置と余命を天秤に、ほったらかしにしたままでも痛みなく、持ちこたえられそうに思っていたのである。そうこうしているうちに検診案内から、かなり日が過ぎていた。そしてやっと、通院を決意したのである。だから、きょうの通院には主治医の気分を損ねている予感が横溢し、挙句、今も通院を恐れる気分が満タンである。確かに、自分自身が決意した通院とはいえ、それでもきょうは、かぎりなく気分の重たい日である。なんだか現在の私は、「痛い、痛い」と、泣き叫んでいた子どもの頃の心境にある。
夜明けて、初秋の朝日はのどかに輝いている。私は自然界の恵みすがり、重たい気分を少しだけ和らげている。
処暑
8月22日(木曜日)。現在のデジタル時刻は、未だ夜明け前の4:09とある。夏の終わりにかけて夏風邪をひき、なおこじらせて浅い眠りで起き出している。例年ひく傾向にある夏風邪にあって、今年は免れたかな? と、いくらか高をくくっていた。ところが、夏の終わりかけにあって逃れず、またもやひいてしまった。私はやはり愚か者、飛んだしくじりをしでかしている。ゆえに、起き立ての気分はすぐれない。私は朦朧頭でしばし、机上カレンダーに目を向けていた。すると、きょうには「処暑」の添え書きがある。手元に置く電子辞書を開いた。
【処暑】(暑さがおさまる意)。「二十四節気の一つ。太陽の黄経が150度の時で、暑さが止み、新涼が間近い日。7月の中。太陽暦の8月23日頃に当たる」
太陽事情など珍紛漢紛だけれど、処暑とは暑さの打ち止めの頃を表す気象現象の言葉とは理解できた。確かにこの頃の私は、身体的に夏の出口と秋の入り口を感じている。「処暑」すなわち難しいことはほうむり、「暑さがおさまる日」とだけおぼえておこう。
さて、先日の買い物のおりに私は、今時の異常状態の社会現象に遭遇した。私は、コメの買い出しに行きつけのスーパー「西友ストア大船店」(鎌倉市大船)へ出向いた。ところが、普段見ている米棚にコメはいっさいなく、長く空き棚になっていた。私は狐につままれた面持ちで、唖然と立ち竦(すく)んだ。挙句、いろんな思いをめぐらした。その一つには今年度産の新米の出盛りを控えて、早々と旧米を一掃し準備万端、棚替えを目論んでいるのかな? と、思った。だけど、早場米とは言っても体験上、新米の出初めは九月になってからである。なぜなら私は例年、いの一番に出回る千葉県産新米を9月の始めの頃に買っていた。
私はレジ打つ、中年女性のところへ歩み寄り、「コメは、まったく無いですね」と、問いかけた。女性はすまなそう表情で言葉を返した。私の前にいた高齢の男性がレジ前から引き返した。女性の言葉はこうだった。
「あの人も、米のことを尋ねられたのですが、コメが入って来ないのです」
私はこう応じた。
「そうですか。いつもここで買っているものですから、困りました。じゃ、別のところで買います」
私はこれまで何度か買ったことのある、JR大船駅に隣接する「ルミネ」内にある店、「成城石井」へ引き返した。すると、ここには毎度買う馴染みのブランド米があり、5キロ袋を2袋つごう10キロ買った。店の方針なのかここでは、2キロ入りと5キロ入りしかなく、10キロ入り袋は置かれていない。私はそのぶん、割高を被(こうむ)羽目になっている。しかしここは、コメにかぎらず買い物代金が5千円以上になれば、配送を頼んでも送料は無料になる。私はスムースに買って、住所などの伝票を書いて、自宅への配送を依頼した。ここではコメ無しの異変は感じないままに、わが家へ帰り着いた。
妻は茶の間で点けっぱなしのテレビを観ていた。時あたかもテレビでは居並ぶコメンテーターを交えて、コメ不足すなわち「令和の米騒動」と題して、喧々諤々にコメ不足の理由が囃し立てられていた。この日にかぎらずコメ不足は、早くから今時の話題になっていたようである。ところが私は、それらの情報に無頓着だったのである。
様々な理由が交錯していたけれど、私は一点、こう決め込んだ。それは地震にかかわる恐ろしい「南海トラフ」などの情報が入り込んで、人々が早やてまわしに買占めや、買い置き行動(騒動)に走ったせいであろう。なぜなら、ペットボトル入りの天然水なども、スーパー棚から消えていると言う。防災は良くも悪くも、人間心理を異常状態にするのであろう。現下のコメや天然水の不足は防災に纏(まつ)わり、まさしく今時の日本社会に生じている異変と言えそうである。人いや人間はだれしも、生きることに必死である。書き草臥れた。こんな出まかせの長文、だれも読まないであろう。
尽きない、ふるさと慕情(摩訶不思議)
8月21日(水曜日)。網戸を覆った窓ガラスを開くと網戸から、熟(う)んだ夏風に変わり、初心(うぶ)な初秋の風が爽やかに吹き込んだ。季節はすでに夏を過ぎて、すっかり秋モード(装い)にある。いくらか寂しく、いくらかうれしい感情が迸(ほとばし)る。確かに窓の外は、夏の朝から秋の朝の風情(ふぜい)にある。輝く朝日は、柔らかな光である。この文章は短く結んで、涼しい朝のうちに庭中の夏草取りへ向かつもりでいる。もちろんそれは、道路の掃除の後になる。郷愁、望郷、懐郷、そしてずばり「ふるさと慕情」など、異郷にあって故郷を恋い慕う心情やそれを表す言葉は数多ある。だからわが能力では、それらを書き尽くすことはできない。
起き立ての私は、こんな思いを抱いていた。すなわちそれは、人間心理においてふるさと慕情ほど摩訶不思議なものはないという思いである。この心理の発露をなしたのは、きのうのこのときである。きのうの文章にあっては思いがけなく、大沢さまからうれしいコメントをさずかったのである。そのコメントは、大沢さまのふるさと・島根県出雲市、なかんずく大社町・「出雲大社」への望郷だった。このコメントに出合うとわが心理もまた、にわかに懐郷をくすぐられて否応なく増幅した。その証しにはすぐに、追っかけのコメントを書かずにおれない心模様を成した。このとき、私はふるさと慕情の摩訶不思議さにとらわれていたのである。なぜなら、今や故郷と名を変えているわが生誕地(当時、熊本県鹿本郡内田村。現在、山鹿市菊鹿町)の生活は、高校を卒業するまでの18年間にすぎなかった。そして現在の私は、誕生以来84年を刻んでいる。すると、84年における18年は短い年数である。なお、短い18年から、物心がつくまでの年数を減じれば、実質の生誕地に纏(まつ)わる生活や感情は、10年余りと言えるにすぎない。ところが、わが84年の心理状態にあっては、18年にすぎない故郷生活がふるさと慕情を成して、埋め尽くされている。まさしく、ふるさと慕情の摩訶不思議さのゆえんである。そして、この心理状態を文章にすると、短くするつもりのものがエンドレスになる。ゆえに、これを断つには苦悶を強いられる。それでも、断つ決意をして、尻切れトンボの文章を恥じず、初期の行動へ向かうこととなる。涼しい内を願っていたけれど、時が進んで朝日は昇りすぎている。尽きない、ふるさと慕情のせいである。
夏は終わりかけている
8月20日(火曜日)。就寝前には四囲の網戸から風が吹き込んでいた。いつもは網戸にカーテンを掛けて寝るのに、そのためすべての網戸に窓ガラスを重ねた。起き出して来て、傍らの窓ガラスを開いた。びっくりするほどに冷えた風が吹き込んだ。直下の道路を眺めた。雨は降っていない。けれど、満遍なく薄く濡れている。就寝前および就寝中にあっては、雨には気づかなかった。気づくほどの雨は降らなかったのであろう。もちろん、雷鳴や稲光もしなかったのであろう。
きのう、夕方に向かう頃であろうかテレビ画面の上部には、埼玉県のあちこちにおける大雨情報が盛んに流れ続けていた。雷の発生状況も伝えていた。ところが、神奈川県には一日じゅう雨は降らなかった。私は身勝手にも埼玉県の豪雨のほどなど知らぬが仏で、神奈川県と言うよりずばり、鎌倉地方への雨降りを願っていた。しかし、この願いは叶えられないままに寝床に就いた。
ところが、起き出してみると、止んでいるけれど、雨降りの跡が見えたのである。そして、雨が降ったせいなのか、心地良い涼風(すずかぜ)に遭遇したのである。私は埼玉県に降った雨の余波に感謝した。そうこうしているうちに、夏は過ぎ去るのであろうか。すると、これまた身勝手だけれど、行く夏を惜しむ気持ちが紛然としている。
きょうは起き立ての20分間ほどのとりとめのない文章で、結び文にするつもりだった。ネタが浮かばないかなしさ、なさけなさゆえである。しかし、以下に番外編を書き足すことにした。それは試合自体はテレビ観戦を遠ざけているけれど、ニュースなどから聞き知る、夏の高校野球にかかわる話題である。あっぱれのその一つは、大沢さまゆかりの島根県代表校「島根県立大社高校」の活躍ぶりである。大社高校は公立でありながら、いずれも私立高校で、先ずは強豪高校の報徳学園(地元、兵庫県代表校)、次には創成館高校(強豪、長崎県代表校)、そして準々決勝戦においては早稲田実業高校(強豪、西東京代表校)を下し、準決勝戦では神村学園(強豪、鹿児島県代表校)と対戦した。ここでは負けて、決勝戦へ臨むことはできなかった。それでも大社高校は、大きな明るい話題と、さわやかな好印象をかっさらったという。私が不断馴染みのない大社高校の活躍ぶりに目を細めたのは、大沢さまのご両親にちなんで、出雲市や「出雲大社」を浮かべてのことである。もとより、縁もゆかりもないとは言い切れず、書きたくなったのである。高校野球は、準決勝戦と決勝戦を残すのみである。夏は終わりかけて、セミは鳴き焦っている。
夏の行楽、好事魔多し
8月19日(月曜日)。職業や仕事を持つ人にとっては、行楽や享楽の後の物憂い仕事始めの人なろう。あらためて机上のカレンダーに見入っていると、先週末の10日(土曜日)から、「山の日」(11日・日曜日)、そしてその振替休日(12日・月曜日)、さらには「8月盆」の4日(13日・火曜日から16日・金曜日)、続いてまた週末2日(17日・土曜日)と18日(日曜日)となり、人によっては長い休日が可能な日が続いていた。現役時代を浮かべれば、涎が垂れそうな日が刻まれていた。しかし、この間の私は、行楽や享楽にはありつけず、悶々と怠惰な日暮らしを続けていた。いや、この間のわが日暮らしは、もはや呼吸を続けるだけの「生きる屍(しかばね)」状態だった。実際には「パリオリンピック」のテレビ観戦は打ち止めとなり、一方ではひたすら雨乞いを続けていた。ところが、雨をもたらしたのはこともあろうに台風7号だった。幸いにも台風7号は、鎌倉地方に限ればミニの雨台風どまりで大過なく過ぎ去った。台風接近のニュースを懸念していただけにこの喜びは、私には享楽におぼえていた。
この間、日本社会全体で言えば暑熱著しく、日々どこかで熱中症アラームが鳴り響いていた。加えて、テレビ画面にはこれまた日々どこかで、地震発生のテロップが流れ続けていた。お盆、学校の夏休み、さらには企業の夏季休暇、また有給休暇を利用しての長い休暇を貪る人もいた。まさしく、国内外そしてふるさと帰りなど、夏の行楽シーズンたけなわのゴールデンウイークさながらだった。そのぶん、夏特有の事故が頻発していた。具体的には車での往来による交通事故、海や川における水難(事故)が多発していた。
これらの中で私が眉を顰めたのはやはり、水浴びや水遊び中の事故だった。子どもの頃の私は、夏の間は来る日も来る日も「内田川」の水遊びに耽っていった。それでも、水難に遭うことはなかった。ところが、川や水における事故のニュースを聞くたびに私は、当時がよみがえり戦慄をおぼえていた。他人事(ひとごと)に思えず、行楽中の事故はきわめてつらいニュースだった。
行楽明けの月曜病は、我慢するよりしかたない祭りの後の災難である。私は人様の行楽を妬(ねた)むことなく、いや同情しきりである。いよいよ夏は盛りを過ぎて、夜明けの風は、秋モードになりつつある。つれて、夏特有の事故のニュースが遠ざかるのは幸いである。
雨台風の恵み
8月18日(日曜日)。台風は九分九厘の害と、一厘の益をもたらす。こんな突拍子もないことを心中に浮かべて、起き出している。台風のもたらす害は、あえて言うこともない。だから、益と感ずることだけを書けばこんなことが浮かんでいる。特に今回の台風はわが家周辺に限れば、日照り続きを断って、恵みの雨をもたらしてくれた。きのうは、こちらは無限に台風一過の日本晴れを忘れず恵んだ。加えて、きょうの夜明けにあっては季節を変えて、網戸から爽やかな秋風が吹き込んでいる。こんなに益があるのに、たった一厘ではすまなくて、一分に置き換えていいのかもしれない。
こんなことをネタ代わりにするようでは、もはや「ひぐらしの記」はおしまいである。だから、この先は書き止めにして、道路の清掃へ足を運ぶことを決意した。きのうの夕方には、ようやく乾ききった落ち葉を70リットル入りの透明袋に詰め押し込んだ。ゆえに今朝は、その仕上げ作業である。確かに、大量の落ち葉で手を焼いたけれど、きのうだけは台風のせいにはせずに、懸命に掃いた。それほどに台風のもたらした雨は、わが気分を和ましていたのである。
道路の掃除を終えれば、雨にふやけた土壌から、庭中の夏草を引き抜くつもりでいる。尻切れトンボ、悪しからず。だけど、爽やかな秋風がわが心身を潤している。行く夏を惜しんで、ウグイスが鳴いている。
ミニ台風去って、秋の装い
8月17日(土曜日)。台風7号一過の清々しく晴れた、夜明けが訪れている。恐怖心を抱いてその上、なんらかの被害を懸念していた台風7号は、恵みの雨をもたらしただけで、大過なく過ぎ去っている。しかし、わが家には被害なくとも、台風の渦に巻き込まれた人の多くは必定、大小の災難を被る。これすなわち、台風に付きまとう災いの掟(おきて)である。ゆえにわが家に被害なく、自分自身、ホッと安堵するのは不謹慎であろう。それでもやはり、待ち望んでいた雨を降らしただけで過ぎ去った台風はありがたく、(あっぱれ)と、胸の透く思いがある。わが家にかぎれば恵みの雨をもたらしただけの「雨台風」だったのである。
パソコンを起ち上げる前に私は、台風接近のニュースにともない、閉め切っていた四囲の雨戸のすべてを開いた。まずは、直下の道路を凝視した。そして、山の木々を揺らし、落とされた木の葉の量を確かめた。ところが、手に負えないほどでもない。だから私は、昼間へ向かい道路が乾いてきたら、台風一過の道路の掃除へ向かう決意をした。わが気分、山の木々、そして庭中の雑草ほか道端の草類のすべてが、台風がもたらした雨で潤っている。まったく久しぶりに遭遇している、雨上がりの夏の朝の好い気分である。おのずからわが心象は、久しく絶えていた「自然界、礼賛」のさ中にある。しかしながら台風7号は、この先訪れる本格的台風シーズンの先駆け、小手調べ程度にすぎない。今回は運が良かっただけであり、もとより台風を見くびってはいけないと、あらためて私は肝に銘じている。なぜなら、台風に屋根を吹き飛ばされた記憶は未だに生々しく消えることなく、心の襞(襞)に貼り付いたままである。台風に纏(まつ)わる、わが生涯において消えることのない忌々しい記憶である。
私はしばし指先を休めて、雨戸を戸袋に押しやり、前面の窓ガラスを通して広がる、さわやかな日本晴れを眺めている。「8月盆」はきのうの送り日(火)で過ぎ去った。「立秋」(8月7日)はとうに過ぎて、眺めている大空は天高く秋のたたずまいにある。ミニ台風無難に去って、恐れているのは、近づく本格的台風シーズンである。