ひぐらしの記
前田静良 作
リニューアルしました。
2014.10.27カウンター設置
太陽光線、礼賛
昼と夜、昼間と夜間、朝方と夕方、そして昼前と昼下がり。浮かぶままに書いたけれど、もちろん一日(二十四時間)の区分は、なおさまざまに言い表される。おのずからこれらのすべてに、太陽光線がかかわっている。大雑把に言えば太陽光線の有る無し、あるいは強弱である。
きのう書いた表題「日向ぼっこ」には、太陽光線の恩恵をつらつらと、書いた。春立つ日にあって私は、まさしく暖かい太陽光線の恩恵に浸りきっていたからである。ところが昨夜、すなわち夜間にあって太陽光線は遠のいて、私は暗闇の中に寝床を敷いて、眠りに就いていた。人工の熱源をなすエアコンは、壊れたままにほったらかしにしている。だから、今や大型ごみ同然の無用の長物となり、悔恨きわまる銭失いの姿をさらけ出している。あえて点けっぱなしにして、頭上の蛍光灯に頼っても、もちろん熱源の足しにはまったくならない。こんなみじめなわが生活事情にあって昨夜は、この冬一番の寒さに見舞われたのである。すると、ひなたぼっこのときとは真逆に、太陽光線のありがたさと恩恵を再び知る夜となった。
夜明け前にあって、寝起きのわが身体は、今なお、ブルブル、ガタガタと、震えている。表題はきのうの続編をなして、「太陽光線、礼賛」で、いいだろう。日長になり、ほのかに、朝日が射しはじめている。太陽光線のありがたさが身に沁みる。
日向ぼっこ
茶の間で、窓ガラスから射し込む暖かい陽ざしを背中いっぱいに受けて私は、まさしく季節の春と、この世の春のコラボレーション(共感)に浸りきっていた。心身には生きている悦びが満ちあふれ、同時に快い眠気をもよおし夢心地に陥っていた。ふあふあとした夢心地にあって、こんなことを浮かべていた。人間界にあって自然界の恵みは、有象無象それこそ無限大にある。確かに、食材や生薬などどれがなくても、たちまち人の息の根が止まりそうなものばかりである。山岳および海洋、山崩れや津波の恐怖はあってもこれまた、山河自然の恩恵ははかり知れない。しかしながらやはり、自然界の恵みにあってはこれらをはるかに超えて、陽ざしすなわち太陽光線こそ特等の優れものとだと、確信した。
きのうの「立春」(二月四日・金曜日)にあって、日向ぼっこをむさぼっているおりに浮かんでいた、わが愚かなるしかし愉快な感慨である。
立春
寒気を遠のけて、よちよち歩きの春が来た。それでも、確かな春の足音である。庭中の梅の木の蕾は、ほのかに綻びはじめている。同時に願っていたわが家の春は、いまだ蕾にはなりきれず、それ欲しさにせっせと途中を歩いている。しかし、いっときの暗闇は抜けて、ほんのりと出口の明るさが見え始めている。
人生は「万事、塞翁が馬」。このところの私は、いつものマイナス思考をかなぐり捨てたかのように、やけに達観を決め込んでいる。この心境、もちろん悪いことではない。遅まきながら、世渡りの術を悟り、学んでいる。寝起きの気分は悪くない。
立春、心地よい言葉である。一年の「春夏秋冬」のスタートにあって、やはり私は、欲深くわが家の春を願っている。「来い、来い」。
「一日多善」
学童の頃にあっては何かにおいて、「一日一善」を目標に掲げていた。すると、この目標は主に、家事手伝いで叶えていた。これには、子どもなりの魂胆があった。それを果たすと母ちゃんは、坊主頭をなでなでして、「とても、ありがたいばい!」と、言ってくれた。頭なでなでとこの言葉は、笑顔の母のご褒美だった。お腹や口に実益のあめ玉などではなくても、私にはうれしいご褒美だった。
妻の異変のことから発した余儀ないことではあるけれど、現在の私は、「一日多善」の実践中である。まるで、「肥後もっこす」の最後の砦みたいに守り続けてきた電気洗濯機の扱いも、今や妻の特訓を受けてお茶の子さいさいである。ベランダ干しも、真下の道路歩きの人たちの目には異様に映っていようが、もはや私には戸惑いや恥じらいなどみじんもない。ただただ、主婦業の大変さをいまさらながらに悟っている。もちろん、ご褒美はねだってはいないけれど、それでもやはり、痛々しい妻の口から洩れる「パパ、ありがと!」の言葉は、老いた体と心の励みになっている。
きょうは「節分」、夫婦相和し福豆をばらまいて、鬼退治を試みる。もちろん、いつもよりひどく、できれば木っ端みじんの鬼退治である。
華の兄弟・惜別
限りなく惜しむにあって、多言は要しない。けれど、胸中には尽きることなく、称える言葉が浮かんでくる。出色、花形、人気。そして英傑、などなど。二人して一世を風靡、すなわち昭和時代を華やかに彩られた文字どおりの「華の兄弟」にあって、兄・慎太郎氏が亡くなられた(令和4年・2022年2月1日、89歳)。弟・裕次郎さんは先に逝く(昭和62年・1987年7月17日、52歳)。
二月一日
今や寝床は歩んで来たわが人生行路を振り返る、悲喜交々の回り舞台と化しています。おのずから寝床は、安眠を貪る安らぎの場所ではとうにないです。寝床の中では、神社仏閣の境内で走馬灯が回るかのように、いろんなそしてさまざまな過去劇が洪水の如く、わが胸中に現れます。もちろんそれらの多くは、喜劇すなわち楽天劇ではなく、あらためて憂鬱感や悲しさに沈む、文字どおりの悲劇ばかりです。
高橋弘樹様はじめ親愛なる人たちからたまわった、わが身に余る大お世辞を真に受けて、パソコンを買い替えました。わが身辺の困難時、とりわけ出費多端なおりをも顧みず、なけなしの金をはたきました。すなわち、この先、寝床の中でめぐる過去劇を綴る、手立てにありついています。学童の頃の「綴り方教室」になぞらえれば、文房具すなわち鉛筆と消しゴム、加えて鉛筆削りの代用にしていた小刀『肥後守(ひごのかみ)』が出そろったことになります。鉛筆は折れれば取り換えるか、その先を削れば再び書けます。ところが一方、パソコンは一旦トラブれば万事休すとなり、悔しさと銭失いの気分横溢に見舞われます。
月替わり、二月一日にあって、寝起きにこんな幼稚な文章を書いてみました。たぶん、脳髄が緩む、春が近いせいでしょう。
夜は長い
十二月十二日(日曜日)、4:34。目覚めた。生きている。起きた。パソコンを起ち上げた。頬杖をついている。書けない。止めよう。現在の心境である。
世の中は、年の瀬にある。何も用事はない。だから、焦ることはない。しかし、忙しい気分である。やはり、年の瀬のせいであろう。年の瀬の大掃除は、今や断捨離をまじえた終活である。きのう、ちょっとだけ試みた。ちっとも、いやまったく捗らない。イライラした。止めた。
自分が先に逝けば、妻に迷惑をかける。これは避けたい。妻へのささやかなほどこし、いや究極の愛情を胸に置く。ところが、わが意思に反し、片づける片っ端から、元のところへ戻る。止めた。断捨離は、妻の生存中は不可能である。結局、わが家の終活は、共に息の根が絶えたときこそ完結である。その間、イライラするのは大損である。まったく妙な、悟りの心境を得た。挙句、年の瀬の大掃除は、未達のままに打ち切った。
ソファにもたれて、日向ぼっこで、切ない気分を鎮めた。しかし、まだ気分は鎮め切れていない。いや、なおイライラしている。だからこの先、文章が書けない。止めた。「冬至」(十二月二十二日)を十日後にひかえて、夜は長い。
睡眠薬を買えば、済むことだが…
癖になりそう。いや、すでに悪い癖になっている。もう文章は、書きたくない。こんな文章は、書きたくない。十二月九日(木曜日)、きょうもまた真正の真夜中、すなわち一時近くに一度目覚めて、二度寝にありつけなかった。数えるにはばからしいほどに、何度となく右左、正面、そして、左右へと寝返りを打った。この世にあって、眠ることに苦闘することほど、馬鹿らしいことはない。
きのうの夜は、身悶えに負けて起き出し、パソコンを起ち上げ、夢遊病者のごとくに指を動かして時間潰しを敢行した。同時に、気分休めを狙った。もとより、文章とは言えない作業に、賭けたのである。一応、功を奏して、再び寝床に就いた。幸いにも、眠りに落ちていた。逆コースのパソコンへのとんぼ返りは免れた。
ところが、先ほどはきのうとは違って起き出すことなく、眠りにつく方法を探りめぐらしていた。もとより、睡眠薬の服用の体験はまったくない。その理由はこうである。眠ることになんで? 金をかけて薬にすがらなければならないのか。それはすなわち、わがケチ精神で、銭失いを嫌っているにすぎない。
さて、眠り薬の代わりに探り当てたのは、人生の原点返りだった。それは、なかんずく楽しかったことに、思いをめぐらした。するとやはりそのころは、小学校へ上がる前あたりから、小学生時代にほぼ凝縮し想起された。中学生になると、人生行路の茨道が次々に現れ始めていた。さてさて、浮かぶままに飽きずに、列挙を試みよう。そして、小学一年生のころの「綴り方教室」を真似てみよう。水浴びは楽しかったなぁー。魚取りや魚釣りは、楽しかったなぁー。蝉取りは楽しかったなぁー。ハサンムシ(クワガタ)やカブトムシ捕りは楽しかったなぁー。椎の実拾いは楽しかったなぁー。メジロ落とし(捕り)は楽しかったなぁー。小川のメダカ掬いや、サワガニ捕りは楽しかったなぁー。トンボ掴みやホタル狩りは楽しかったなぁー。レンゲソウの上の寝そべりは楽しかったなぁー。カワセリ、ヨモギ、ノブキ、ノビル摘みは楽しかったなぁー。ギシギシ、スカンポの生齧りは楽しかったなぁー。独楽打ち、カッパ(メンコ)、凧揚げ、みんな、楽しかったなぁー。正月遊びのトランプ、スゴロクは楽しかったなぁー。意識して、怖かったことはやめにした。もっと、眠れなくなるからである。いつの間にか、スヤスヤと二度寝に落ちていた。
現在、パソコン上のデジタル時刻は。5:06である。目覚めの気分は、きわめて良好である。あすの夜には、こんな馬鹿げた文章は書かずに済む。東京都国分寺市に住む次兄宅へ泊りがけで出かけるためである。ところが、楽しい訪問ではない。あす朝九時から行われる、義姉の葬儀への参列のためである。今夜は納棺式という。あすの早出ではこころもとないゆえ、泊りになりそうである。休筆、必ずしもうれしくはない。次兄宅で眠れず、夜通し悶々とすることを恐れている。
真夜中の迷い文
眠いのに、ああー、眠れない。仕方なく、起き出してきた。十二月八日(水曜日)、長い夜にあっては真夜中とも言える、1:33、と刻まれている。目覚めて寝床の中で、こんなことをめぐらしていた。頭脳は凡庸(ぼんよう)、顔は醜面(しゅうめん)、体躯は寸胴(ずんどう)、ふりがなの要はないけれど、あえてふった。わが生まれつきの内外形である。生まれつきの欠点に悩むのは、それこそ愚の骨頂の大損である。だから私は、こんな生まれつきには、意識して悩まない。一方、後天のさまざまな悔いごとを浮かべていると、悩みは尽きることなく湧いてくる。本当のところはこれとて、人生終焉間際にあっては、どうなることでもない。だからこれまた、輪をかけて大損である。
確かに、一生、牢獄暮らしの人を思えば、悩むことでもないはずだ。いや、比べようによっては、わが身は幸福の範疇に入るであろう。なぜなら、八十一歳にあってもわが身体はいたって健康であり、精神状態とてどうにか文章が書けている。それでも悩みが尽きないのは欲張りなのか、それとも人間だれしもに具(そな)わる業(ごう)なのか。いやはや私は、身の程をわきまえない欲張りなのであろう。
こんな愚かごとを書き終えて、再び寝床へトンボ返ってみる。二度寝にありつけるはずはない。しかし、再びパソコンに向かわずに済めばそれは、なお悶えているか、寝入っているかの証しではある。確かに、現在のわが精神は、夢遊病者の状態にある。しかし、主治医に精神病の診断は受けていない。だから、自己診断は真夜中のさ迷いである。こんな身も蓋もない文章など、書かなければよかったのかもしれない。それでも、十数分間の気分休めにはなったようである。わが身勝手を、かたじけなく、思うところである。
身に沁みる「苦悩」
十二月七日(火曜日)、いまだに夜明け前にあって、きょう一日の始動のために、寝床から抜け出してきた。幸いにも、きのう身に堪えていた寒気は緩んでいる。だから、泣き言は免れるかと言えば、そうは問屋(とんや)が卸さない。なぜなら、寒気の有無にかかわらず、いつものわが精神的苦悩が始まることとなる。
文章を書くには書き殴りや走り書きの駄文であれ、わが精神には常に苦悩がつきまとっている。そうであれば苦悩を嫌って、文章書きを止めれば、確かに苦悩はたちまち尽きて、精神には安堵がもたらされる。生来、わが脳髄は、きわめて凡庸いや凡愚である。それなのに私は、大沢さまに唆(そそのか)されたわけでないけれど褒め殺し、いや無限大のご好意にさずかり、文章を書き始めて以来、これまで続けてきた。そしてその歳月と、文章の量すなわち文字数は、もはや何年をかけても読み返しができないほどの無限の域にありついている。それゆえ私は、身に余るどころかまったく思い及ばなかった果報者にありついている。いやこのさずかりは、わが生涯にあって、唯一無二の果報である。だから、実際のところは大沢さまのご好意にたいして、どんなに感謝してもしきれるものではまったくない。
さて、目覚めると私には、寝床の中でしばし、いや長い時間さまざまな妄想に耽る習癖がある。多くは悪癖であるけれど、一概に悪いことばかりでもない。なぜなら、たまには果てしない夢想に耽り、精神安定剤の役割にありついている。なお妄想を空想に置き換えれば、いろんな学びの場でもある。しかしながら多くの時は、苦悩に陥っている。やはり、悪癖であろう。できれば安眠をむさぼり、寝起きの気分を清々しくしたいものである。
さて、先ほどの寝床の中では、こんなことを心中にめぐらしていた。そしてこのとき、心の襞(ひだ)に張りついていたことを言葉にすれば、それはまさしく「苦悩」だった。子どものころの玩具(おもちゃ)、すなわち「積木遊び」と現在の文章書きには、共に似ているところがある。もちろん、わが身に基づく考察にすぎない。似ているところの筆頭は、共に精神に苦悩がつきまとうことである。確かに積木細工は、遊びとして考案された文字どおりおもちゃである。それでも知恵や工夫に加えて、さらに手先不器用ではそれをなし得ず、もちろん遊び心にはまったくありつけない。その証しに私の場合、積木は遊具にはなりきれず、精神虐めのおもちゃにすぎなく、楽しみに触れることなどなかった。挙句、積木(木片)自体が憎たらしく思えていた。
文章にあって、積木の木片の役割をになうのは、語彙(言葉と文字)である。少なくとも語彙を覚えるか、あるいはそれを駆使しなければ文章は書けない。さらに私の場合は、キーを叩いて文章を書いているため、手先器用が肝要である。ところが私は、生来の凡愚のみならず、きわめて手先不器用の生い立ちである。その証しにはスラスラどころか、水中の飛び石を渡るときのようにしどもどころでもあり、はたまた五月雨式(さみだれしき)にとぎれとぎれさえにもありつけないことでもある。結局、おもちゃの積木細工とわが文章書きの最も似ているところは、共に苦悩の塊(かたまり)を余儀なくされることである。
きょうの寝床の中の目覚めにあっては、こんなことを浮かべていた。楽しい夢想か空想か、いやはや苦悩つきの確かな妄想であった。長閑(のどか)に、夜明けが訪れている。