ひぐらしの記

ひぐらしの記

前田静良 作

リニューアルしました。


2014.10.27カウンター設置

内田川(熊本県・筆者の故郷)富田文昭さん撮影

 

望郷、そして「ふるさと便」

 五月十三日(金曜日)、夜明けにあって、雨が降っている。この季節の雨は、無用の雨ではなく、むしろ待ち望まれる雨である。現在の雨はさしずめ、梅雨入り前、あるいは梅雨の走りの雨である。確かに、一方では鬱陶しい雨であり、人によっては、必ずしも待ち望む雨ではない。しかしながらこの時期、雨が降らなければ農家の人たちは、苗床づくりや田植えの段取りができない。その挙句、雨無しの大空を見上げては、焦燥感に駆られるばかりである。
 農家出身の私は、起き出してきては夜明けの雨空を眺めて、心中にこんな思いを浮かべている。すると、望郷は尽きず、このところのわが憂鬱気分は、とことん癒されている。望郷から賜る、確かな恩恵である。望郷こそ、私に無償のご利益を授けてくれるのである。神様が授けるご利益、はたまた「私を救ってくれる神様」と、言いたいところではある。しかし私は、不断から神様はあてにしていない。もちろん、賽銭を恵んでもなんらかのご利益にも、いまだにたったの一度さえ、ありついていないからである。言うなれば私は、神様不信の塊である。すると、すがるところは望郷、はたまたあけすけに私は、「ふるさと便」にすがっている。すなわち、あてにならない神様は、もとより無縁である。
 いよいよこの季節にあってふるさとは、田植えシーズンの始まりにある。すかさず、眼裏(まなうら)には美的田園(水田)風景が懐かしく甦っている。もちろんこの風景は、わが最期の時まで弥増(いやま)すこそすれ、無駄に尽きることはない。時代変遷のあおりを食らって、この風景にいくらの翳りをともなうのは、年中の農作業いや田植シーズンに限れば、大勢の人出から一機のトラクター作業になり替わっていることである。もちろん、両親およびその後継役を担ってきた長兄夫婦の姿はすでになく、虚しい田園(水田)風景へとなり替わっている。
 だからと言って、望郷が尽きることはない。なぜなら、実益をともなってその後継者は、ふるさとにおいてなお数多(あまた)存在する。確かに、望郷とは、心象風景の織り成す制限のない快い恩恵である。おのずから私は、常々それ以上の欲張りはしてはならないと、わが肝に銘じている。ところが人様のご好意は、わが好物を知りすぎて宅配便として、届けられてくる。すると、浅はかな私は、たちまち欲望、いや食いしん坊丸出しとなる。一方では送ってくださった人にたいして、感謝感激つのるばかりである。
 先日は思いがけなく、熊本市内に住む友人から、ふるさと便が送られてきた。甥っ子と姪っ子の好意では、春先の高菜漬けを皮切りに、タケノコ、アスパラガスなどほか、ふるさと産物が送られてきた。そしてきのうは、三個の西瓜(ブランド名:ひとりじめ)が詰まった、段ボール箱の宅配便が届いた。結局、心象風景の望郷のみならず食いしん坊の私には、幸いなるかな! ふるさと便は、春先からきのうまで、間髪を容れず「感謝感激雨あられ」の状態にある。
 沖縄地方はすでに梅雨入りし、わが心象もまたすでに梅雨入り状態にある。わが心象の梅雨入り状態の証しにはこのところ、文章を書く気分が殺がされていた。だから、望郷とふるさと便が再始動の起爆剤なればと、今朝の私は、やおらパソコンを起ち上げたのである。きょうは、ふるさとも雨の予報である。いよいよ、苗床づくりが始まるであろう。私とて喜ばずにはおれない、夜明けの雨模様である。ただ再始動は、オタオタ、モタモタである。書き殴りとはいえ、私には文章は手に負えない。

ゴールデンウイーク、「飛び石」

 私にかぎらず文章を書く者にとって、知ったかぶりの間違いは許されない。だから私は、知りすぎていると思える語句ながら、手元の電子辞書を開いている。わが誤りを防ぎ、さらにはわが身を人様の蔑(さげす)みから守るためである。こんな簡易な語句まで、電子辞書に頼るのかと、人様が驚かれること、もとより承知の助である。もちろん、それを恥じ入ることはない。
 【飛び石】:日本風の庭園の通路に伝い歩き用に少しずつ離して敷きならべた石。
 【飛び石連休】:少しずつの間隔をおいて連なる連休。
 きわめて簡易と思えた語句だけれど、きょう(五月六日・金曜日)の一日だけに用いれば、そんなに簡易な語句とは思えず、私には使用に迷うところがある。その起因するところは、「少しずつ」という、連なりをともなう説明のせいである。それでもやはり、きのうとあすの休日の間の、きょう一日の平常日をまたぐことからすれば、飛び石にはなるであろうか。いや、少しずつという説明からすれば、やはり、そうとは言えないのであろうか。結局、私はこんがらがり、語句の迷いに嵌っている。確かに、ゴールデンウイークにあっては、「飛び石連休」という言葉は、ほとんど耳にしない。これまた、わがあやふやな考察だけれど、三日、四日、そして五日と、国民休祭日が連なった後に、一日だけの平常日をおいて、再び週末二日の所定の休日が訪れるせいであろうか。
 こんな頓珍漢のことを脳裏に浮かべて、私は朝日カンカン照りの中に、起き出している。自分自身、ほとほと「バカじゃなかろうか!」と、さ迷っている。もちろん多くの人たちは、きょう一日の平常日をさまざまに工夫を凝らして、自己都合の休日にするゆえに、ゴールデンウイークという、うれしい悲鳴にありつけるところがある。
 確かに、自己都合の休日の取り方には、人それぞれにさまざまにある。オーソドックス(王道)と言えるものでは、有給休暇の取得、あるいはあらかじめ代替休日にありつけている人たちである。また、時ならぬ病、事故等で余儀なく、欠勤届や休暇届を出して、休まざるを得ない人たちである。ずる賢い休み方では無断欠勤、さらにその上では、仮病に成りすます人たちがいる。いずれにしてもきょうの平常日は、ゴールデンウイークの範疇にある。そうであれば私は、恨みっこなしに、人様が和む行楽日和を願うところである。
 夜明けの日光(朝日)は、十分わが願いに応えている。しかし、人様のゴールデンウイークも手放しで、喜悦ばかりとはかぎらない。その一つは、休日疲れという、しっぺ返しである。私にはゴールデンウイークはない。しかし、わが文章はヨタヨタに疲れ切っている。自分自身、何を書いたかもわからない、「へんてこりん」の文章である。文章は難しい、私には手に負えない。「南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏」、いや「くわばら、くわばら」。書かなきゃ、良かった。「後の祭り」である。

ゴールデンウイーク、「こどもの日」

 「こどもの日」(五月五日・木曜日)。同時に、「立夏」が訪れた。気象庁はきのう、早や沖縄地方の梅雨入り宣言をした。歳月のめぐりと、季節の移り変わりは、まるで鉄棒競技における大車輪さながらである。確かに、現在地(八十一歳)から、はるかに遠い過去を偲んでも、もはや様にならない。年号だけでも、昭和、平成、そして令和の時代へと、変遷している。このなかで私は、六十四年の昭和時代の中では、初期とも言える昭和十五年(1940年)の生誕である。世の中における同年代の有名人は、日を替えて鬼籍入りが報じられてくる。まったく見知らぬ人様の訃報だけど、素知らぬ顔もできない。いやいや、これらの報道を耳にするたびに他人事とは思えず、私はかなりの気持ちの動転を免れない。時の流れや加齢にはあらがえない。だとしたら私には、時の過ぎ行くままに身を任す、勇気が欲しいところである。しかし、もとより私には、時の流れに端然と身を任す勇気は、チラチラもない。その挙句、いくら吐いてもどうしようもない嘆息を、わざわざの如くに始終吐いている。わがお里、いや確たる小器の証しである。
 きょうもまた、駄弁や駄文は要しない。子どもの頃と、「こどもの日」は、偲びたくなるわが人生の原点である。つれて、良くも悪くも様々な原風景が心中に甦る。私は、それらを懐かしく偲んでいる。案外、時の流れも良いものである。郷愁、望郷、そして往時を偲べるのは、「生きとし生きけるもの」の中にあって、人間のみが授かる特権と言えそうである。きのうに続いて書き殴り、妻が待つ階下へ急ぐ慌ただしさにある。きょうもまた、朝日はのどかな行楽日和を恵んでいる。メソメソするのは大損である。

ゴールデンウイーク、「みどりの日」

 「みどりの日」(五月四日・水曜日)。朝寝坊にも思わぬ「福」がある。駄弁や駄文は要しない。慌てて起き出して、窓ガラスを覆うカーテンを開いた。日光(朝日)と山が織り成すコラボレーション(共演)を享けて、わが目に緑が眩しく映える。自然界が恵む風景は、もったいないほどの贅沢三昧である。まさしく、自然界が人間界に授ける無償の恩恵である。人間界も、恩知らずではない。恩恵に呼応し、きょう一日を「みどりの日」と名付けて、この風景を賛歌している。これだけで、国民祝祭日としての制定意義は十分にある。もちろんこの恩恵を享けて、人様が近場の物見遊山や行楽、あるいは遠出の遊楽や内外の旅行に酔いしれても、私には一切、恨みつらみはない。正直にあえて、わが心境を吐露すれば、わずかばかりの羨望のみである。それでも妬ましさなどは微塵もなく、私はひたすら往復の無事を祈っている。ただ、朝寝坊で難儀することは、時計の針に急かされて、尻切れトンボのままに文を閉じ、妻が待つ茶の間と、台所へ急がねばならぬことである。こんなでも、みどりの日の私は、幸福である。

ゴールデンウイーク、「憲法記念日」

 進行中のゴールデンウイークは、きょうは「憲法記念日」(五月三日・火曜日)にある。あしたの「みどりの日」(五月四日・水曜日)、あさっての「こどもの日」(五月五日・木曜日)を挟んで週末の日曜日までは、この間の一日(金曜日)に有給休暇を利用すれば、勤務の身の人たちにはまだかなりの連続休日が残されている。ゴールデンウイークと、言われるゆえんである。
 しかしながら勤務の身とて、必ずしもだれもが連続休日にありつけるとはかぎらない。なぜなら人の世は、だれかれなくみんなの支えによって、成り立っているからである。すなわち、みんなが一斉に休日をむさぼることは許されない。たとえ、まわりばんこであっても、必ずだれかの支えが必要である。もとより、自営を生業とする身の人には、ゴールデンウイーク自体が高嶺の花、いや空望みのところがある。
 とっくに職業を離れている私の場合は、「ゴールデン年中」であるため、限られたゴールデンウイークには、ピンのご利益も、キリの実感もない。もちろん、人様のゴールデンウイークに付き纏う旅心は、私には端から遠ざけられている。だからと言って、今や叶わぬ望みにあっては、妬み心もまたすっからかんである。
 ゴールデンウイークなど用無しに、わが普段のごく小さな旅心は、大船(鎌倉市)の街中までの買い物行動にあやかっている。このとき、ちょっぴり旅心にありつけるのは、余儀なく片道二十分あまり、定期路線バスに乗るからである。なんだかなさけないけれど、バスへの乗車が子どもの頃に味わった旅心を、ほんのちょっぴり蘇らせてくれるのである。きのうのテレビニュースは、日本人の外出行動が、新型コロナウイルス流行の前にたいし、全国レベルでは八割近くまで回復(戻った)したと、伝えていた。沖縄県だけには、100%と表示されていた。
 きのうの私は、大船へ買い物に出かけた。すると、この報道を聞く前に私は、買い回りする大船の街における、人出の多さに驚いていたのである。大船の街には、あえて物見遊山に出かけたくなるような、人様を惹きつける呼び物は何もない。それゆえに人出の多くは、私同様に買い物回りであったろう。確かにこのところ、コロナがもたらしている行動障壁は、少しずつ崩れかけているようではある。しかし、遠出の行楽気分は、なお殺がれているのであろう。私にすればいまや他人事とは言え、それでも、陸、海、空の織り成す遠出風景を早く眺めてみたいものではある。
 憲法記念日の夜明けは、のどかに朝日が輝く、絶好の行楽日和である。だけど私には、人様の行楽を羨む気持ちはさらさらない。

喜悦無し、「ゴールデン年中」

 五月二日(月曜日)、二度寝にありつけず輾転反側(てんてんはんそく)を繰り返し、すなわち、寝返りのたうち回りして、仕方なく起き出している。私は、いまだ「草木も眠る丑三つ時(午前二時頃)」に在る。もはや、恥も外聞も厭(いと)わない老爺(ろうじ)に成り下がっている。こんな文章を書くことこそ、その明らかな証しである。もちろん、こんな文章では夜明けまでの時間潰しの足しにはならない。いやいや、恥の上塗りだけにすぎない代物である。
 今週、世の中の多くの人たちは、「待っていました!」とばかりに、ゴールデンウイークに浮かれている。そして、それらの人たちは、まるで蝶々の如く、行楽という花から花へ、飛び回っている。飛べない私は、妬んで蝶々を追っ払うすべもなく、指を咥えて遠目に眺めている。子どもの頃の私は、菜の花や田畑に飛び交う蝶々に出遭うと、まったくの遊び心で片手の掌をハエはたきのように広げては、さっと横払いをした。それだけのことであり、無理やり捕って、握り潰しはしなかった。もとより私は、そんな無慈悲なことをするような薄情者ではない。
 さて、私には期間限定のゴールデンウイークはない。もちろん、より長い、ゴールデンシーズンもない。だからと言って、嘆きはしない。いや、勿怪の幸い! 私にあるのは、期間限定無しの「ゴールデン年中(ねんじゅう)」である。ところがこれは、甚(はなは)だ曲者(くせもの)でもある。なぜなら、ゴールデン年中は、期間限定に付随する喜悦を端(はな)から葬り去っている。喜悦はやはり期間限定、いや束の間であってこそ、至上の桃源郷であり、楽園である。
 意図した時間潰しとは言え、こんな出鱈目文を書くようでは、「ひぐらしの記」は、いよいよ風前の灯火(ともしび)にある。もちろんそれは、恥を知り、それを逃れる、わが身のためである。

続編、「時のめぐりの速さ感」、そして嘆息

 きのうの「昭和の日」(四月二十九日・金曜日)にあっては、私は時の速めぐり感を書いて、遣る瀬無く嘆息した。きょうの文章はそれに輪をかけて、二番煎じさらには三番煎じとも言える続編である。しかし、あえて言えばそれらには、わが実感する確かな違いがある。きのうの場合は、一年回りにめぐってくる、ゴールデンウイークにともなう、一年の速さ感に唖然としての嘆息だった。言うなればそれは、一年という時のめぐりの速さ感に起因していた。これに加えてきょう書くのは、一月(ひとつき)と一日にともなう時のめぐりの速さ感にかかわるわが実感である。
 まずはひと月のことで言えば、それはこの現象に起因している。私にはひと月ごとに薬剤をもらうだけに余儀なく、通院を強いられているものがある。これに実感するのは、ひと月という、時のめぐりの速さ感である。私は服(の)み忘れを防ぐために、薬剤は枕元に置いている。するとよく、「あれ、もうない!」という、場面に遭遇する。そしてこのとき、私はひと月の速さ感を痛切に感じて、遣る瀬無く嘆息を吐いている。そしてそれは、明らかに自己嫌悪に陥るほどの深い嘆きである。次には、一日につきまとう時のめぐりの速さ感である。挙句、これこそ、ひしひしと実感をともなう、時のめぐりの速さ感である。
 わが人生の最大の楽しみは一日三度の御飯と、その間における甘味の駄菓子の食べ放題である。これらにともなう、時のめぐりの速さ感の実感はこうである。「朝御飯を食べればもう昼御飯、昼御飯を食べればもう晩御飯」。そして、この実感にはこんな思いが張り付いている。それは、胃部がいまだに前者の食べ物を砕いている最中にあって、後者の食べ物が喉元から垂れ流されてくるほどの時の速めぐり感である。私は歳月そして日々、いや時々刻々と、時のめぐりの速さ感に追われては、あたら余生短い命に焦燥感を募らせて、遣る瀬無く嘆息を吐いている。
 月末、四月三十日(土曜日)の夜明けの空には、きのうの冷たい雨空を撥ね退けて、のどかに朝日が照り輝いている。バカな私は、まったく抗(あらが)えない時の速めぐり感に慄(おのの)いて、やたらと遣る瀬無い嘆息を吐くばかりである。だとしたら悠久の自然界に、わがひ弱な心を癒してもらうしか便法はない。なぜなら、私には時のめぐりの速さ感を「ケ、セラセラ」と、達観する度量や勇気はない。

ゴールデンウイーク、「昭和の日」

 四月二十九日(金曜日)、きょうは令和四年(2022年)のゴールデンウイークの初日に当たる「昭和の日」(休祭日)である。とりたてて募る思いはないけれど、あえて記すと一年のめぐりの速さ感の横溢まみれにある。年齢が加わるにつれて私は、転んで怪我などの自損をこうむらないようにと、普段意識してノロ足で歩いている。もちろん叶わぬことながらできれば、歳月のめぐりもノロ足で、めぐってほしいものである。
 ゴールデンウイーク初日にあっての唯一の感慨、すなわちまったくありえないわが空望みである。わが心身は文字どおり時々刻々に、時の刻みの音に脅かされている。確かに、わが日常生活に時の刻みを意識するのは、馬鹿げている愚の骨頂の最たるものである。もちろん、愚かなこととは、十分に知りすぎている。ところが一方では、寸時でもこのことを忘却することはできない。なぜなら、われのみならずだれしもの日常は、時の刻みの中に営まれている。
 しかし私の場合、ゴールデンウイークは、格別時の刻みに取りつかれている。それは老いの身ゆえの、一年のめぐりにたいする遣る瀬無さとも、言えるものである。私に物見遊山や行楽の予定でもあれば案外、この遣る瀬無さはいくらか和らぐであろう。ところが実際には、それらにちなむ予定はまったく皆無である。結局、わができることは、人様の行楽シーズン入りを前にしての、わずかばかりの施しにすぎない。
 きのうの私は、鎌倉めぐりのハイカーの訪れを前にして、道路の隅々を綺麗に掃除した。とりわけ、側溝に隠れているごみや、側溝に芥子粒ほどに生えている雑草の小さな根までをもことごとく引き抜いた。仕上がりの道路は、わが家の汚れている板の間を凌いで、鏡面の如くに綺麗になった。おとといは、東京へ出向いた。東京都国分寺市内に住む次兄(91歳)にたいする、表敬訪問であった。おとといときのうには、文章はずる休みに甘んじた。きょうもそのつもりであったけれど、こんな味気ない文章を書いてしまった。
 わがゴールデンウイークは、茶の間のソファに背もたれて、窓ガラス越しに新緑を眺めだけになりそうである。ちょっぴり動作をともなうものでは、わが家の庭中をあてにして、山から飛んで来るコジュケイへの、ふるさと産・新米のバラマキがある。これに、日課とする道路の掃除がついて回ることとなる。こんなことでは転びようはないけれど、それでも心してゴールデンウイークの明けにありつきたいものである。ウグイスが鳴き声高らかに、エールを囀ってこれそうなことだけは請け合いである。わがゴールデンウイークの楽しみは、山の緑、コジュケイ、ウグイスなどが恵む、他力本願だけであり、自力のもたらすものはない。

人の命

 どうにもならない自然災害などで奪われる人の命には、ただただ忍び難い気持ちが充満する。軽率きわまりない人の行為で奪われる人の命には、ただただ腹立たしさだけが充満する。このたびの「北海道・知床半島沖、観光船事故」のニュースを聞いたおりの、苦々しいわがつぶやきである。実際のことは何も知らない。だから、これ以上のことは言えないし、もちろん書けない。そのため一つだけ書いて、結文とするものである。まさしくそれは、近場の物見遊山をはじめとするさまざまな行楽にもってこいの観光シーズン到来のさ中にあっての、きわまりない痛憤をおぼえるニュースだった。
 「ひぐらしの記」は、わが日暮らしだけではなく、ときには人様の暮らしぶりも書かなければならない。人の命とは、もとより自分だけの命に限るものではない。だから人の命は、「相身互い身」、みんなで支えなければならない。すなわち人の命は、独り善がりは許されない、尊いものである。四月二十六日(火曜日)の夜明け、いつものウグイスの鳴き声に、私は哀切感をつのらせている。

早やてまわしの「五月晴れ」にあって、嗚呼、無題

 照る日、曇り日、雨の日、ぐずつくこのところの天候状態の表現である。本当はこれらに、雨まじりの小嵐を含めたいところではある。四月二十五日(月曜日)、夜明けにあってきょうの昼間は、どれに落ち着くであろうかと、いくらか思いあぐねている。なぜなら、きのうの私は、きょうの天気予報は聞きそびれている。しかしながら、夜明けの空をほのかに染め始めている朝日を見やれば、曇り、雨、そして雨まじりの小嵐のない、澄明な青空になりそうではある。
 季節めぐりは日々、晩春を遠のけて初夏の走りにある。初夏の次には鬱陶しい梅雨入りと、本格的な梅雨すなわち雨の季節がひかえている。それまでは、ひと月あまりしかない。そうであれば私は、照る日、曇り日、そして雨の日などと、もったいなどつけずに、すっきりさわやかな晴れの日を望んでいる。
 過ぎ行く四月を代表する鬱な季節用語には、ずばり「菜種梅雨」がある。幸いなるかな! この四月は、どうにかこの言葉は免れて、今週は五月への橋渡しにある。確かに、訪れる五月にも、鬱な「五月病」などという、似非季節用語がひかえている。いくら私がマイナス思考の塊とは言え、こんな鬱な言葉ばかりを浮かべるようでは、わが人生から面白味が殺がれている。そのため意図して私は、いっときこんな鬱な言葉などかなぐり捨てて、訪れる五月すなわち初夏にふさわしい季節用語の一つを浮かべてみた。すると、まるで一つ覚えの如くに真っ先に浮かんでいるのは、「風薫る(薫風)五月」である。次には望郷に浸り、のどかな一幕が甦る。それは、「新茶摘みの風景」である。こんな好季節がたったのひと月あまりでは、ソンソン(損々)いやまったく物足りなくて、大損である。
 ところが、たとえ鬱な言葉であっても、言葉遊びに興じているわが身は、まだましで幸福である。なぜなら、きょうの寝起きにあってわが心中には、いやおうなくこんな言葉が浮かんでいた。それは表現を替えただけの、共に同義語である。すなわちそれは、「引くに引けない状態」と「膠着状態」という言葉であった。これらの言葉が浮かんでいたのは、もちろんウクライナとロシアにおける戦況を日々、テレビ映像で見せつけられているからである。戦争は、口争いや喧嘩などとは異なり、一旦戦端が開くと双方共に、「御免、降参、もう参りました。許してください!」などとは、言えないところがある。私は、この証しを現下の異国の戦況で見せつけられている。戦争は自然界が恵む好季節などそっちのけにして、人間同士が醜い争いに明け暮れる野暮な行為である。
 文章を書く身の私は、いつなんどきも心中にさまざまな語句を浮かべては、めぐらしている。きょうの文章は、なんら実のないその証しである。かたじけなく、またなさけない。夜明けの朝日は時を追って天上の大海原もどきになり、胸のすく「五月晴れ」になりそうである。しかし、早や合点し「好季節到来」とうそぶくのは、虫が良すぎるであろう。異国とは言え、戦雲たなびく世界事情をかんがみれば、独り悦に入ってばかりにはおれないところ大ありである。昼間には、確かな日本晴れになりそうである。駄文に、表題のつけようはない。