ひぐらしの記

ひぐらしの記

前田静良 作

リニューアルしました。


2014.10.27カウンター設置

内田川(熊本県・筆者の故郷)富田文昭さん撮影

 

「文は人なり」、わが文章の評点は「0点」

 「文は人を表す」。この成句はわが文章にたいする、証しと戒めである。実際のところは生真面目が勝ちすぎる、いやわが頑固な性格を映して、ユーモアの欠片もない硬い文章である。おのずから自分自身にも、ちっとも面白味がない。このことは飽きるほどわが身に沁みて、絶えず自認を強いられている。そのうえ、他人評価というより、最も身近にいる妻の評価もまた、このことに尽きる。いやそれは、最も手厳しく、なおそれがすぎるところにある。
「パパ。わたし、読まないわよ。パパの文章は硬くて、読みたくないのよ。なんで、もっと易しく書けないの、易しく書きなさいよ!」
「そうだね。おれも、それはわかっているよ。だけど、書かないよ! おまえは、読まなくていいよ」
 実際にも妻は、わが文章は一切読まない。いや、読んでほしくない。読めば、わが文章は喧嘩の誘因となる。
 確かに、「文は人なり」である。この成句があるかぎりわが文章は、ユーモアや面白味の埒外にある。なぜなら、意識して硬い文章に成り下がるところがある。もちろん、弁解じみていることだけれど、あえて吐露するところである。なぜなら、文章の中にあって私は、漢字の多用と無用とも思える成句を連ねている。するとこれは、もとよりわが生涯教育の祟りと言えそうである。すなわちそれは、語彙(文字と言葉)の忘却防止のせいでもあり、ひいては文章の不出来の因に成り下がっている。
 「文章は、平易な言葉でわかり易く書きなさい」。わが耳に、胼胝ができている、文章のイロハである。一方、これこそ、文章にたずさわる者への、愛の戒めを成す金言である。ところがずばり、私はこれに反している。もとより、意識して逆らっているわけではない。いや、わかっていてもそんな文章が書けない、わが無能力の証しである。切なくも私は、人様の目から見れば、「0点」の文章を覚悟して書いている。ようやく耐え得る覚悟は、みずからに課している、生涯学習という砦である。もちろん、自慢や心の慰安にはならない。しかし、いくらかの自己満足にはありつける。
 こんなみっともない、かつみすぼらしい文章を書いてしまい、投稿ボタンを押すべきかどうか、迷っている。いやわが文章は、常にさ迷っている。わが味方は、夜明けの「春あけぼの」だけではないはずである。たぶん、継続の力が、いくらか味方になってくれている。無理やり、苦笑せざるを得ない。確かに、書かなければ気分は安逸である。

わが生涯学習の祟りなのか?

 三月十三日(日曜日)、このところの体感温度と気温は、すっかり寒気を遠のけている。独りよがりにほくそ笑んでいたらそれもそのはず、間近に「春分の日」(三月二十一日・月曜日、休祭日)が訪れる。つれて、あんなに待ち遠しく思えていた春は、早や仲春へと差しかかる。わが余生をかんがみれば、本格的な春の訪れへの喜悦を超えて、歳月のめぐりの速さ(感)に唖然とするばかりである。
 春分の日を含む七日間は、「春彼岸」と言われる。一方、同一線上にある「秋分の日」(九月二十三日、休祭日)を挟む七日間は、「秋彼岸」と呼称される。子ども騙しにもならない、当たり前のことを書いた。輪をかけて、もっと当たり前のことを書けば、双方の彼岸にあっては古来、「暑さ寒さも彼岸まで」という、成句が存在する。生涯学習の復習を兼ねれば、「人口に膾炙している」と、言い換えてみよう。そしてそれは、一年を半年ごとに区切る、季節の屈折点を成している。
 確かに、季節のめぐりあるいは季節感は、双方の彼岸を境にして、暑気と寒気を遠のけてゆく。気候のうえでしのぎ易く、ほっと胸を撫で下す、季節の到達点でもある。時あたかも、春彼岸にあっては、北上を続ける桜だよりがチラホラと世の中を潤しはじめる。一方、秋彼岸にあってはズバリ、彼岸花が田園を赤く染めて、しばし人心を潤してくれる。どちらも、とくと人情を高める季節の花々である。
 きょうは、いつもより早い時間に起き出してきた。そのため、たっぷりの執筆時間を得て、心の余裕にありつけている。ところがどっこい、文章のネタは、早や手まわしに春分の日にかこつける、体たらくぶりである。いつも同様の書き殴りだから仕方ないけれど、それでも浅ましさすぎると、自憤するなさけなさである。錆びついたわが脳髄の仕打ちが、恨めしくわが身に沁みる。金輪際、もう文章は書かないほうがいいのかもしれない。書けば、わが無能力をさらけ出すこととなる。いまさら、恥を忍ぶこともないけれど、自分自身、ちっとも面白くない。案外、掲げている生涯学習の祟りなのかもしれない。きょうまたわが心は、春の夜明けののどかさに癒されている。これこそ、無償でたまわる極上の天恵である。

わが心身に漂う、閉塞感

 「東京大空襲」と「東日本大震災」の映像がテレビニュースに相次いだ。歳月を経てもまったく風化や忘却のしようのない、人間界の愚かさと自然界の脅威がもたらした、リアルタイムに観ているような、限りない惨禍の映像だった。
 時日を限った二つの映像とは違って現下のテレビニュースは、三年近くにわたる新型コロナウイルスの感染状況と、突如のロシアの「ウクライナ侵攻」にまつわる映像に明け暮れている。昨年の夏、七月二十四日からは「夏季・東京オリンピック」、そして八月には「夏季・東京パラリンピック」が後追いした。こののち今年に入り、「冬季・北京オリンピック」(二月四日)が幕を開け、それを終えて現在は、「冬季・北京パラリンピック」の閉幕間近にある。
 昨年の夏からこの春先まで、日本の国のみならず世界は、大きな悲喜交々の事情の中で推移してきた。いや、実際のところ最も楽しかるべき四つのオリンピックは、二つの変事により余儀なく埋没の憂き目に遭遇した感さえある。いくらか他人事にさえ思えるこんなことは、どうでもいいのかもしれない。
 わが身に照らせばこの間の私は、ふるさとの長兄、そして次兄の妻(東京都国分寺市内に住む・義姉)を亡くした。加えて、昨年末から今年の一月下旬にかけては、妻の入院にも見舞われた。これらのせいで気分がまったく乗らず、閉塞感まみれにあった私は、おのずから文章を書く気力を長く失くしていた。もちろん、今なおわが心身は閉塞感まみれである。閉塞感まみれで書く文章は、おのずからまったく味気ない。だから、このところの私は、のどかな朝ぼらけにすがっている。それは文章の出来を望むためものではなく、漂う閉塞感を蹴散らし、陰鬱気分の癒しにありつきたいためである。
 「東日本大震災」十一周年明けのきょう(三月十二日・土曜日)は、振出しに戻り自然賛歌を謳っている。確かに、春はあけぼの! 確かに私は、この恩に着っている。

「東日本大震災」11周年、わが感慨

 このところの私は自然界讃歌を謳い、その様子を文章で綴り続けている。しかしながらこの思いは、必ずしも手放しで称賛しているものではない。いやこの思いには、常に大きな恐怖と陰鬱が付き纏っている。正直なところわが自然界讃歌は、人間界の冷酷と浅ましさとの比較において二者択一のうえで、自然界に軍配を上げているにすぎない。なぜなら、自然界讃歌とてそれには、一切抗えない固有の恐怖が付き纏っている。そしてその恐怖は、こんにちまでのわが人生行路においては、まるで間欠泉の如くいや間髪を容れずに体験させられ、そのたびに震えあがり、度肝を抜かれてきたのである。
 さて、令和4年・2022年3月11日(金曜日)、すなわちきょうだけは、私は自然界讃歌を心して慎まなければ、人類から恨みを買って、つま弾きを食らうであろう。もちろん、数々の罰にも当たりそうである。人の命が絶たれると、年月の回りを経て、御霊を偲ぶ「回忌」が訪れる。きのう(三月十日・木曜日)のテレビニュースには、「東京大空襲」(昭和20年・1945年3月10日)の周年行事の模様や、当時の数々の映像が惨事を蘇らせていた。続いてきょうは、「東日本大震災」(平成23年・2011年3月11日)の周年行事模様のテレビ映像に明け暮れる。もちろんこちらは、風化どころか今なお現在進行形の悲しみの渦中にある。戦禍とは違って震災は、時計の針が止まった時刻を「午後2時46分」と、正確に刻んでいる。凡庸なわが脳髄に刻まれている発生時刻と忘れようない数々の記憶は、まさしく震災の惨たらしさの証しである。人間の命の絶え時の回りに合わせて、きょうを「東日本大震災」の祥月命日と呼ぶことには、いまなお現在進行形であるかぎり、不遜なところがある。それゆえにきょうだけは、自然界讃歌を慎むことを肝に銘じている。
 春はあけぼの、朝日がのどかにふりそそぐ夜明けが訪れている。それでも、自然界讃歌を慎まざるを得ないのは、ほとほと悲しく、とことんわが身に堪えている。きょうの私はいつもとは違って、太身がいっとき細るような、つらい書き殴りに出遭っている。

寝起きの述懐

 もとより文章は、私には手に負えない難物であり、もちろんその作業は、とことん難儀である。それなのに私は、寝起きにあっての脳髄の駆動未だしの中で、なおさらには朝御飯支度前の限られた短い時間にあって、せっつかれた気分で書いている。おのずから殴り書きと走り書きという、悪文の見本を成す体たらくの状態で書いている。
 「ひぐらしの記」を書き始める前の私は、昼日中にあっていくらかのネタをめぐらし、たっぷりとある時間の中で書いていた。だからと言って、文章の出来不出来にはそう変わらないところはある。そうではあっても現在の私は、当時の遣り方に戻りたい心境にある。ところが今やそれは、夢まぼろしである。いや、どうしゃちほこだっても、一向に叶わぬが空念仏へなり下がっている。こんな短い文章さえにも、苦心惨憺を強いられている。結局、弁解の余地ない、わが無能力の証しである。
 寝起きにあってきょう(三月十日・木曜日)もまた、とっくに夜が明けている。またもや、階下へ向かって、二段跳びいや三段跳びの訓練が強いられる。足を滑らしては、元も子もない。挙句には痛々しい妻に代わられて、私自身が介助をされる憂き目を見そうである。
 春はあけぼの、春はおぼろ、春は朝ぼらけ、窓ガラスを通して、春霞がのどかにたゆたっている。

平和

 夜明けの後に起き出してきた。すると、朝御飯の支度のために、文章を書く平常心と時間を失くしている。おのずからあわてんぼうとなり、二段飛びで階下へ下りる。わが体たらくぶりが身に沁みる。
 自然界は、のどかな朝ぼらけを燦燦とそそいでいる。自分の失態などなど何のその! 「平和」のありがたさをかみしめている。地球には平和を渇望しても叶えられない多くの人間が住んでいる。たった数人の無法者のせいで! たぶん、平和のありがたさを知らない無礼者であろう。そうであれば、声なき声で、平和の尊さとありがたさを伝えなければならない。寝坊助を悔やんで、メソメソなどしてはおれない。わが身を潤す確かな「平和」が、わが身に沁みる。

「嗚呼、無情」

 自然界の恵みを享(う)けて、暖かい春が来ている。ところが、人類の住む世界には、まったく気分を緩めようのない閉塞感が渦巻いている。大きく出たけれど、もちろんわが個人の閉塞感もまた、身に沁みて果てしない。このところの人間界は、新型コロナウイルスとの闘いは別として、やることなすことのすべてが、自壊現象を呈している。
 もとより人間の知恵は、「生きとし生きるもの」の中にあって、最も優れて称賛すべきもののはずである。ところが、現下の世界事情を見るかぎり、人間の知恵は浅ましさばかりを露呈している。なんたる! 無様だ。大国の驕り、独裁者の高慢、横行闊歩の状態にある。
 科学に疎い私と妻の茶の間における、のどかにひなたぼっこ中の会話の一つである。
「パパ、だれが核を発見したの? その人、ノーベル賞をもらったの?」
「俺は知らないよ。馬鹿な人だね!」
 人類に有意義をもたらす新発見は、使い方、使う人によって、みずからを滅ぼす矛(ほこ)となるだけで、盾(たて)にはなりにくい。このところの私は、日々、この矛盾(むじゅん)をまざまざと見せられている。
 きょう(三月八日・火曜日)の表題は、雨模様の夜明けの空を眺めながら、「嗚呼、無情」と、決めた。「無常」でないのは、人類があまりにも情け無いから、文字どおり「ズバリ、無情」としただけである。

啓蟄

 三月七日(月曜日)、例年だときょうあたり、カレンダー上に「啓蟄」の添え書きがある。ところが昨年末にあって私は、百円ショップでわが毎年愛用のちっぽけな卓上カレンダーを買いそびれている。私は一年間しかもほぼ毎日、見入るカレンダーを買い惜しむほどケチな愚か者ではない。何度か、馴染みのお店に足を運んだ。そのたびに出合えず、空振りを食らったのである。
 愛用とは不思議な心理状態である。同じようなものがたくさん並んでいる中にあっても、愛用しているものに出合えなければ、買いの手は伸びない。もちろん、買いそびれたわけではない。たかが、カレンダーだ! だからそののちは、意識して愛用の卓上カレンダー探しを見送っていたのである。
 そのため、寝起きにパソコンを起ち上げると、私はたちまちその祟(たた)りを被っている。実際の祟りは、「啓蟄」をきょうあたりと、言う始末である。私は手間をかけて、パソコンの検索機能にすがった。けれど、わからずじまいである。挙句には業を煮やし、こんな体たらくの文章を書く羽目になっている。
 出端(でばな)をくじかれて、気分が乗るはずはない。それゆえに、この先の文章は打ち止めである。地中の虫けらさえ蠢(うごめ)き出す好季節にあって、私は憂鬱気分に蹲(うずくま)るばかりである。ほとほとなさけないが、「捨てる神あれば拾う神あり」。祟りを食らって濡れている心中は、のどかな朝ぼらけが乾かしてくれそうである。もちろん、こんな文章には表題のつけようはない。されど、つけなければならない。ならば、先人の知恵すなわち、季節のめぐりを確(しっか)りとあらわす、「啓蟄」でいいだろう。啓蟄は、きのう、きょう、あした、いったい? いつだろうか。いい加減な文章を書いて、ほとほと恥じ入るばかりである。

春先、今どきに偲ばれる懐郷

 寒気の緩んだ寝起きにあって、子どもの頃へ思いを馳せて、浮かぶままに春先、今どきの当時の郷里(行政名・熊本県鹿本郡内田村)の田園風景をかぎりなく偲んでいる。懐かしい風景には甲乙をつけがたく、それぞれが横に並んで「イの一番」をなして、心いっぱい懐郷に浸っている。
 連山を成す遠峯にたなびく春霞。里山の「相良山」すれすれに浮かぶ白雲。水温み出す「内田川」に煌めく陽光。裏の畑を緑いっぱいに埋める高菜の繁茂。川岸に萌えるヨモギ、川セリ、川ヤナギ。道端、農道脇、なおその周辺の田畑を黄色に彩る菜の花。それらに、のどかに飛び交うモンシロチョウ。畦道に萌え出る、スギナ、ツクシンボ、ギシギシ、スカンポ、ノビル。母手作りの草(ヨモギ)団子。わが家の裏に流れる内田川へ、小走りで向かった魚釣りの楽しさ。冬衣を脱ぎ薄手の農着に着替えて、笑顔が弾む父と母の姿。どれもこれもがわが生涯にあって、ちっとも褪せそうにない懐郷の数々。
 わが子どもの頃の日本の国は、太平洋戦争終戦(敗戦)後の復興期の初っ端だった。人間はなぜ、戦争なんかするのだろう。現下、異国の春が、つらく思いやられている。

【領土】

 三月五日(土曜日)、きのうに続いてまったく面白味のない文章を書き始めている。実際のところは、わが失念を恥じ入る文章にすぎない。きのうの文章にあって私は、心中に浮かぶままに「土地」にかかわる言葉を羅列した。このことの本意は、人間社会の生活基盤における土地の大切さと、一方、土地にからむ争いの醜さを浮かべてのことだった。現下の世界事情にあっては、かつて教科書で学んだ独裁者政治の再現をリアルタイムに見せつけられている。
 実際にはロシアの「ウクライナ侵攻」がメディア、主にテレビニュースを通して伝えられてくる。いやおうなく私は、その残酷さを食い入るように観る羽目となっている。すなわち、私は人間なかんずく独裁者政治の浅ましさと惨たらしさを見せつけられている。するとその感慨は、人間とはこれほどまでに愚か者なのか! の一語に尽きる。
 天変地異の織り成す惨たらしさは文字どおり恐ろしく、そのたびに恐懼するばかりである。そして、わが人生行路においてもこれまで多く体験し、さらにはメディアを通して災難を飽きるほど見聞してきた。確かに、天変地異には恐ろしさに加えて、無抵抗の虚しさと諦めが同居していた。これと違って人間の為す独裁者政治には、浅ましさと諦めきれない虚しさが同居し、?がしようなくこびり付いている。これこそ、両者の大きな違いである。
 さて、きのうの文章にあって私は、肝心要のこの言葉を失念し、外してしまった。「後悔は先に立たず」。みずからを詰り、恥じ入るばかりである。その言葉は「領土」である。それは、土地にかかわる言葉としてはイロハの「イの一番」とも思えるものである。だから、わが罪滅ぼしに、手元の電子辞書を開いた。
 【領土】「①領有する土地。②一国の主権を行使し得る地域。一国の統治権の及ぶ範囲。広義には領海・領空を含む。」ロシアは主権を行使、かつ統治権を失いたくないための戦いなのであろうか。ロシアに主権が有るや無しや、戦う是非が有るや無しや、もちろん私にはまったくわからない。ただただ、独裁者の意固地の面相を大写しで観ているだけである。独裁者が独りよがりに強面(こわもて)に演じるバラエティーまがいの悲劇は、見飽きてもう観たくない。「領土」という言葉、いやそれ自体には、人間のエゴイズムの醸す、切ない響きがある。
 ようよう結文にたどり着いたけれど、私自身、ちっとも面白味のない文章である。春の日は、のどかな夜明けをもたらしている。