ひぐらしの記

ひぐらしの記

前田静良 作

リニューアルしました。


2014.10.27カウンター設置

内田川(熊本県・筆者の故郷)富田文昭さん撮影

 

きょうの文章は無題でも、書き捨てでも、惜しくない

 夜明けの遅さは、日々加速度を増している。壁時計の針は、6時あたりをめぐっているのに、未だ夜の佇まいにある。私は、次のようなことを心中に浮かべながら起き出している。文章は格好のネタやテーマがあり、そのうえ語彙(力)が豊富であれば、六十(歳)の手習いにすぎない私でも、下手は下手なりにどうにか書けるものである。このことがわが文章書きの発端である。しかしながら、容易(ようい)に思えるこの二つを叶えることは、もとより容易(たやす)いことではない。あえて二つのことを比べれば私には、語彙の学習や習得より、ネタやテーマ探しのほうがはるかに容易く思えていた。ところがどっこい現在の私は、文章を書こうとすれば逆に、ネタやテーマ不足に苦衷を舐めている。
 語彙の学習においては定年を前にしていた頃の一時期、私は定年後の六十(歳)の手習いを鑑みて、国語辞典を愛読書にしたり、漢検一級の合格を果たした。今では当時学習した語彙の多くは、日々、忘却の彼方に晒されている。しかしまだいくらかの余燼(よじん)があり、狙いどおりの助け舟にさずかっている。するとやはり、私の場合、文章書きの決め手は、その都度のネタやテーマの有無に掛かっている。この克服には、進んでネタやテーマ探しの行動が肝要になる。端的に言えば、行動力すなわちあちこちへの取材行動である。いや、ネタやテーマ探しには行動に頼らずとも、椅子に座しての文物の調べや学習も極めて有効である。ところが残念無念、私の場合はどちらも怠り、日々起き立てに心中に浮かぶ事柄のいたずら書きに終始している。そしてここまで、その証しとも言える「当たるも八卦当たらぬも八卦」の、わが野暮天の幼稚な文章論を書いてしまった。ゆえに恥じて、自分自身に併せて、ご常連の人たちにたいし、平に詫びるものである。
 さて、衆議院の解散にともなう総選挙の選挙戦は、今週末(10月27日・日曜日)の投開票日に向けて、余すところはきょう(10月25日・金曜日)とあす(26日・土曜日)だけである。だから今さらになるけれど、この選挙戦におけるわが二つの思いを下記してみる。これまた、わが「当てずっぽう」のところ大ありで、外れであればこれまた、双方(私と人様)に伏して詫びるところである。
 先ずはこのことだけれど、すでに一度書いた記憶があり、重ねて詫びなければならない。各党総じて「政治改革」を選挙公約の筆頭に掲げて、NHKテレビが報ずる政見放送、あるいは街中や村はずれにいたるまで関係者は、すべからく声高に喋りまくっている。政治改革とは、端的には自分たちがしでかした罪を改めるということであり、これが総選挙の公約の第一義を為すことには、みずからの恥晒しであろう。一方、有権者にすれば「政治改革」を日々聞くことには、馬鹿げていてかぎりなくつらいことである。もとより、一票を得るために有権者に阿(おもね)り、訴えることこそ恥の上塗りであり、彼らの面汚しの最たるものである。政治改革を為せるのは政治家自身に限られるものであり、もとより有権者は改革の外にある。「政治改革を公約にするのはみっともないから、いや、不断の政治活動で各党そろって改めましょうよ」と言って、実践躬行すれば済むことである。
 もう一つ各党並べて公約に掲げているものには、「物価上昇を超える賃金の上昇」というものがある。確かにこちらのほうは、公約に異質はなく、私も異存ない。しかしながらこれとて、わが下種の勘繰りをすれば、しっくりこないところがあり、有権者が冷めて反発を買うところはある。端的に言えば現下の日本社会には、私もそうだけれど、賃金にありつけない層(人たち)が数多いる。現下の日本社会は、世に言う高齢化社会の現況にあり、一方ではパートタイム労働者(時間制限・非正規労働者)の多さもある。これらの人たちは必ずしも、賃金の上昇を享受できない。確かに、各党並べて「最低賃金を1500円あるいは1500円以上にします」という、公約を掲げてはいる。しかし、「物価上昇に見合う、あるいはそれ以上の賃金の上昇を目指します」の公約にはやはり、享受できる層が限られていて、大きな違和感をおぼえるところはある。たとえまやかしであってもずばり、「わが党は物価上昇を抑えます」のほうがすっきりする。なぜなら、公約のほとんどは、選挙戦においてのみ有権者に響きの良い、果たせないまやかしにすぎないからである。
 書き殴りの文章はまたもや長くなってしまった。尻切れトンボを恥じず、大慌てで結文とするものである。きょうの文章はきのうとは異なり、無題としても、捨ててもまったく惜しくはない。曇り空の朝は、昼間へ向かうにつれて、雨を降らしそうである。雨傘さして、雨合羽を着ての街頭演説には、あまねく悲壮感がただよいそうである。

欲張りだから、無題では惜しい気もするけれど……

 10月24日(木曜日)。いまだ夜明け前にあって、外気は夜のたたずまいにある。夜明けの天気模様を知るのは、この先ちょっと後になる(5:35)。遣る瀬無さ、切なさ、情けなさの三つ巴の気分を、まるで自己慰安かつまた慰撫するかのような、二つの成語を心中に浮かべて起き出している。それは、「人間万事塞翁が馬」と「禍福は糾える縄の如し」である。これらに簡易な日常言葉を加えれば、「人生行路は茨道」、「人生行路は、夜明けて、日暮れて、悲喜交々である」。後段はこれまで聞き覚えがない、それもそのはず、わが出まかせの成句である。
 机上のカレンダーを眺めた。すると、きょうには「国連デー」の添え書きがある。だけど、(国連は何もしないなあ……、できないなあ……、世界は戦争ばかりだな……)と、嘆息が出た。
 現下の日本社会は、今週末(10月27日・日曜日)の投開票日に向かって、総選挙戦(衆議院)の最中にある。いや、もう最中は過ぎて選挙戦は、わずかに三日残しである。当落予想もおおかた出尽くし、立候補者は悲喜交々の時を迎えつつあるある。政界の選挙と比べることは野暮天だけれど、しかし悲喜交々の渦に晒されることにおいては相似たところがある。いや実際には選挙の当落より、悲しい運命(さだめ)めもある。
 現下のプロ野球界にあっては、戦々恐々とする戦力外追放(球団からの解雇・クビ)の嵐が吹き荒れ、ようやく収まったばかりである。楽しむファンを擁するプロ野球界とて、営利の企業経営の範疇にある。ゆえに、定員(人員)管理すなわち選手の入れ替えは必須である。働かない選手は要なしとなり、場合によっては何年もの人探し(スカウト)ののち、働きそうな選手を採用(入団)する。プロ野球界にあってきょうは、一年に一度すなわちことし(2024年)の「ドラフト会議(新人選択会議)」の当日である。ドラフト会議もまた、選挙の当落同様に悲喜交々の丸出しである。ところがこちらは、場合によっては公開のクジ引きで入団の可否が決まる。だから、選挙の当落を超える、確かな悲喜交々の上乗せである。
 身勝手に悲喜交々の差を鑑みれば、戦力外追放者は悲しさ一辺倒である。一方、喜べることではドラフト会議における入団OKの指名者が一番、次には選挙の当選者であろうか。なぜなら、選挙の落選者には長くて4年、短ければ半年のも満たない捲土重来の機会がある。ゆえに、悲しさに惨めさが付き纏うことは寸時(制限時間付き)で免れる。
 翻って世の中には、悲しさだけの人がいっぱいである。選挙は当落をもてあそぶ、雲の上の人たち(もとより幸福者)の晴れ舞台なのかもしれない。なんだか、寝ぼけの難しい文章をまたもや、意味なく長々と書いてしまった。疲れてもう懲り懲りだけれど、あすは短い文章できょうのリベンジ(復讐)を心掛けたいものである。しかし、私には文章は難しく、もうやめたい気分も旺盛である。
 久しぶりに晩秋の朝は、胸の透く秋晴れと日本晴れのコラボ(協奏)にある。朝御飯が迫り書き殴りのままで、読み返し(推敲)無しで文章を閉じる。ミスに気が留めている。

文章自体はまだ書きます

 10月23日(水曜日)。きょうの天気は雨の予報です。予報に違わず今にも雨が降り出しそうな、どんよりとした曇天の夜明けです。あれれ! と、思われる人がおられるかもしれない思いこの先、訂正文を書こうと決めています。なぜならきのうの文章は、書き終えてみずから再読を試みると、すぐに詫びなければという心境に陥りました。それは長い文章が掲示板を汚し、そのうえ読んでくださる人があれば、気分を損ねたであろうという思いが溢れたからです。この思いがつのり、詫び心とそのときの心境を露わにした文章を再記すればこうです。そして一つは、「心よりお詫びいたします」。重ねて一つはこれです。「書き殴りの長い文章は懲り懲り、もう書きません」。もとより、「もう書きません」の主語(主因)は、書き殴りの懲り懲りの長い文章であり、文章のすべてに掛かるものではありません。わずかにたった一行の文章にすぎないのに言葉に替えればで舌足らず、文章ではずばり下手でわが意が伝わらず、誤解を生んでいるのではと危惧しています。だから、恥を晒してでも、この文章を書いています。
 私は大沢さまに感謝の気持ちも表わさず、かつまたご常連の人たちにたいし御礼の言葉も記さず、ただ「ぶっきらぼう」に「もう書きません」と書いて、文章を止めることなどするはずもありません。ただただ自分自身、書き殴りの長文に懲りて、併せてご好意の人たちにご迷惑をかけたことにたいし、「もう書きません」の心境をさらけ出したのです。あえてこのことを記してきょうは、尻切れトンボながらきのうに比べれば短い文章で閉じます。本当に「もう書きません」と記すときには、これまでの皆様のご恩に感謝し、ひれ伏して御礼の謝意をかぎりなく記します。
 高橋弘樹様のエールにはいつも、迷えるわが心の支えになっています。心して、篤く御礼を申し上げます。曇天はいくらか明るんできています。わが心はとうに日本晴れです。もちろん、皆様のおかげです。

お二人様の善意

 10月22日(火曜日)。雨なく風もなくのどかに晴れた夜明けが訪れている。きのうはわが意に背いて、書き殴りでエンドレスになりそうな長い文章を書いた。そのせいで自分自身は疲れ、さらにはご常連の人たちの読み飽きと疲れを慮り、心中で詫びている。そのためきょうは、心して短い文章を心掛けている。いつもとは違って幸いにもきょうは、書かなければならないネタが二つもある。それはずばり、お二人様から思いがけなくさずかった驚嘆すべき「善意」である。
 きのうは久しぶりに妻を連れ合って外出行動をした。先ずは、当住宅地内にある不断掛かりつけのS医院へ通院である。二人一緒に診察室に入り、妻を先に順番に診察を受けた。普段の診察と併せて、共にそれぞれが現在服用中の一か月ごとの薬剤の処方箋をもらった。その場の飛び入りの処置には、インフルエンザの予防注射を所望し、快く打っていただいた。新型コロナウイルス感染予防のためのワクチン注射の諾否の相談もあったけれど、こちらはその実行の可否を次回以降に先延ばしにした。診察以外では先生が横浜ベイスターズファンであることを知っていたため、私からそれにかかわる話題を持ち出した。時あたかもクライマックスシリーズにおけるベイスターズの活躍ぶりに合わせて、会話は愉快に沸騰した。
 医院を後にすると、最寄りの「北鎌倉台バス停」で、巡って来た「大船行きバス」に乗車した。大船(鎌倉市)は、私たちの不断の買い物の街である。ところが、わが家の買い物はもう長く、私の専一行動となっている。決まって大船へ妻を連れ合うのは主に、妻の「髪カット」のおりの引率同行くらいである。しかし、この日の妻は、わが買い物への手助け同行を進言した。もとより私は,病弱の妻へ買い物袋を持たせるつもりはないし、それは妻も承知の助でもある。だけどやはり、妻をともなう買い物は、品物選びに大助かりのところがある。なぜなら、妻の好み、妻が手にした物を籠に入れさえすればいいという気楽さがある。いつものわれひとりの買い物で帰宅のおりには、ときたま妻の不満に出遭うこともある。だけどきょうは、それがないからである。
 買い物回りの最初の店は、わがいつもの巡回コースどおりに野菜と果物の安売り店「大船市場」だった。妻が手にとった数々の品物を私は、無造作に籠に入れていった。しばし並んで勝手知ったレジへ向かった。レジには横並びあるいは並びきれずに飛び飛びに、いつも10人ほどの人たち、中年あるいは高年の女性たちが立ち並んでいる。彼女たちは時間制のパート働きのようであり、店の経営者はその倍数の人たちを雇っているようである。男性はレジには立たず、裏方作業にのみ徹している。男性のほうは、おおむね高年を超えてなお高齢者ばかりである。私は買い物を愉しむためにレジ係の女性と無言でお金を払うことを避けている。店は混雑きわまりないので長い立話は慎み、挨拶と御礼の言葉かけにすぎない。そしてこれまで、5人ほどの人と顔見知りになっている。
 「次の人、どうぞ」の掛け声に釣られて、私と妻はレジへ向かった。幸いにも普段馴染みの人の声だった。いつものように愛想よく籠から手にとり、レジ打ち始められた。ナスを手にとり、一瞬「これ、もっと良いものを探してきますね」と言われて、遠いナスの売り場へ小走りされた。しばらくして、ナスを持ってレジに戻られた。
「こちらがいいですから、これに替えますね」
 もちろん、同じ値段のナスである。どこかに傷みかけがあったのかもしれない。私たちは二人して、素早い行動とその優しさに感銘し、何度も感謝とお礼を述べた。バカな私は、こんなことまで言った。
「私は、不断からあなたのファンになっていて、良かったです」
 相対した人は、笑顔で応じてくださった。並んでいる買い物客は、「次の人、どうぞ」と、呼ばれると急いでその人のところへ向かった。
 籠を台に置いて、無言でお金を支払っていた。きのうはここの店で買い物がいっぱいになり、いやここだけで私は、ほかの店の買い物を持つには耐えなくなっていた。なぜなら私は、背中には大きな買い物用のリュック、両手には普段の二つの持参の買い物袋、さらにレジで買った一つのレジ袋を加えて、三つの買い物袋を手提げした。ヨロヨロの足取りで、次の「鈴木水産」そして「総菜屋」へ立ち寄った。ここでの買い物は自分では持てず、重さ加減を手にとり、妻が持ってくれた。
「きょうはタクシーで帰ろう。重くて、バスは無理だよ」
「そうね。パパも腰が痛いんでしょ……」
 二人は50メートルほど歩いて、待機中のタクシーへ、二人の体とリュック、四つに増えていた買い物袋をソファにようやっと沈めた。
 タクシーがわが家の門口へ停まると、ここでまた予期しないことが起きたのである。それは、運転士の善意だった。運転士はすぐさま運転席から離れて、後部座席の一方のドアを開いて、私たちの降車を手伝ってくださったのである。私たちは何度も腰を折り、お礼の言葉を繰り返した。メーターは2300円を示しており、私は車内で「札と硬貨」で、ちょうどの金額を支払った。少し金額を上乗せすべきだったかな? と、私はあとで後悔した。
 きのうは思いがけなくお二人様の善意に遭遇し、私たちには夢を見ているような心地良い一日だった。
 書き殴りを続けていたら、最長の文章になってしまった。こんな文章は見ただけで、読んでくださる人はいないだろう。ところが、私にはきのうのような書き疲れはない。掲示板を汚すため、投稿ボタンを押すかどうかを迷っている。短く書くつもりに背いて、詫びる心は横溢である。ところがわが心は晴れて、大空もまた秋晴れに向かいつつある。

選挙戦さ中の心境

 10月21日(月曜日)。夜長の夜明けは未だ(5:26)、季節に違わぬ寒気が訪れている。きのうから一枚重ねた着衣の恩恵は無く、寝起きの私はブルブル震えている。もとより、季節どおりの寒気には抗えない。文章を書き終えたら、更なる防寒体制を整えるつもりである。洗面にあっては、気をひきしめて蛇口をひねった。ところが、思いがけなく温(ぬる)い水が出た。二、三日前の真夏並みの暖かさの名残であろう。怯(ひる)んでいた顔が緩んで、懐かしさをおぼえた。あしたからはこんな僥倖はありえないと、新たな覚悟をした。
 日本社会にあっては、今週末(10月27日・日曜日)には総選挙(衆議院)の投開票日がある。過ぎた10月15日には立候補者の公示日があり、この日から激しい選挙戦に入っている。そして、選挙戦の残り日はきょうを入れて6日である。ところがこれまでの私は、選挙(戦)はほぼ無縁状態で過ぎている。NHKテレビのある時間帯には、政権放送が流れている。しかしわが夫婦は、それに目を向けたり、聞き耳を立てることはなく、リモコンをオフにするか、チャンネルを変える。
 現在、わが家は新聞の購読は止めている。都会の僻地のせいと、それにともない住民が過疎化傾向を深めるせいで、票田にならないためなのか、未だに選挙カーがめぐって来ない。最寄りの「半増坊バス停」近くに置かれた立候補者の掲示板を私は、未だに見ないままである。公示日以降の私は、いつもの買い物の街・大船(鎌倉市)へ、買い物回りで二度ほど出かけている。ところがこのとき、街頭演説には出遭っていない。選挙公報や入場券はまだ届いていない。こんななか、一度だけ固定電話に誰かから、投票依頼の電話があったと言う。こんな表現をしたのには、そのとき受話器を手にしたのは妻だったからである。妻は私に受話器を手渡すことなく、ブツブツ言ながら受話器を元の電源(台)に置いた。選挙戦最中と知るのは、もっぱらテレビニュースとスマホ記事の閲覧すがりである。
 国政選挙におけるわが地方区は、鎌倉4区である。先日、私はスマホを手にして、4区の候補者調べをして、このとき立候補者は確認済である。現在、夫婦共に、投票所へ向かうつもりにはある。しかしながら一時は、その気さえ失せていた。国政選挙にあっても特に今回は、きわめて大切な選挙ゆえに、投票の棄権だけは避けるべきとは十分心得ている。生存84年にあって選挙権を得て以来、そののち妻と結婚して以降もまた、共に国政選挙において、たった一度さえの棄権の記憶はない。ところがこんどは、棄権しそうになっていた。私にかぎれば異常とも思える心境の様変わりだった。どうしてだろうか?……。思いつくのは余命を鑑みての、(もうどうでもいいや)、という投げやり的な諦めなのか。あるいは、醜聞まみれの政治(家)への信頼の欠如のせいなのか。挙句、今なおわが清き一票は、棄権あるいは候補者定めに揺れている。
 わが意中を察して妻は、「パパ。投票ぐらいには行きましょうよ」と、言う。それに応えて私は、こんなことを言った。
「そうだね。二人ともたまには歩かないと、もう歩けなくなるね。おれは買い物のおりには、買いめぐりで5000歩ほどは歩くけど、おまえは歩くことはほとんどないね。歩かないと、もう歩けなくなるよ。よし行こう!」
 投票行動を実践すれば、確かに夫婦の足慣らしになりそうである。わが家と町内会館(投票所)までの道のりは片道、病んだ妻の体では一時間近くかかりそうである。往復歩くことになるから妻だけでなく、引率同行の緩い足になるとはいえ私にも結構、足の鍛錬にはなる。今回は有権者という名が廃る、ヨレヨレの投票行動になりそうである。いや、投票日に雨でも降れば、棄権に落ち着きそうでもある。
 朝御飯の支度に急(せ)いて妻は、何度も危ない足取りで、私を呼びに階段を上ってきた。幸いきょうは、朝日輝く日本晴れにある。きょうもまた、実のない文章をだらだらと長く書いてしまって、かたじけなく思う、朝の訪れでもある。

夜明けの小嵐

 単なる日付ではなく、もう10月20日(日曜日)かと、書きたくなる夜明けが訪れている。肌身に酷く寒さをおぼえて置き出し、大慌てで厚地の布の長袖シャツを一枚重ねている。ところが、夜明けの寒さは季節狂いとは言えなく、いや季節相応にまっとうな寒さであろう。いくらか季節狂いと言えるのは、晩秋の夜明けにあっては滅多に見ない、小雨まじりの小嵐が吹き荒れていることである。翻ってこれこそ季節狂いと思えたのは、きのうの真夏並みの暑さだった。きのうの季節狂いの暑さのせいで、夜明けの寒気は季節どおりにもかかわらず、寒がり屋の私から季節狂いの「濡れ衣」をこうむっているのである。季節どおりの夜明けにすれば、とんだとばっちりを受けていると、目を剥いて歯がゆいかもしれない。
 実際のところこんなことはどうでもいいけれど、起きて痛感しているのは月・日のめぐりと、季節の移りの速さ(感)である。日常生活におけるその確かな証しは、これまで繰り返し書いているけれど、服用中の薬を一か月ごとにもらいに行く通院日の訪れの早さである。
 さてきのうはこれこそわが気狂いのごとく突然、いつもとは異なる文章を長々と書いた。私自身はいつも似たような文章に飽き足らず、ゆえに意図してネタを決めて書いたものである。だから、文章の出来不出来にかかわらず書き終えれば、愛(いと)しいものだった。しかしやはり、独り善がりの自己満足にすぎないものだったのかもしれない。だけど一方では、久しぶりにネタを拾って書いたことでは自己満足とはいえ、恥じることはない。なぜならきょうはネタなく呻吟し、もっとみっともない文章を書く羽目になっている。ゆえにここで恥じは書き止めである。
 楽屋話を記すと不断の私は、継続を断たないために常に、無理矢理パソコンを起ち上げている。挙句には体(てい)たらくの文章の羅列や繰り返しになる。だからきのうは、それを断つための試しの『番傘』でもあった。正直にこのことを吐露し、一方では詫びるところである。
 夜明けの小嵐は、季節どおりの本格的寒気の訪れのシグナルであろうか。寒気の訪れと歳月の速めぐり(感)、いよいよダブルの自然界現象(事象)をともなって、わが身に堪える季節の到来である。わが手のろのせいで、「時」は夜明けから朝へ変わっている。

番傘

 私には文才がない。文才があればこれしきの文章に、三つ重ねの同義語すなわち呻吟、苦衷、苦悶を強いられることはない。人生の終末にあってまでつきまとう、わが能無しにはつくづく腹が立ち、かつまた残念無念である。
 私は二度寝にありつけないままに、長い時間寝床に寝そべっていた。それには絶えず輾転反側(てんてんはんそく)が付き纏(まと)い、そのたびに寝つけない苦しさが弥増(いやま)した。仕方なく二度寝は諦めて、ならばと覚悟を決めて、仰向けになり寝そべりを正した。すると、数々の「思い出」が浮かんだ。試しに思い出に変えて、「想起」を用いた。おのずから、よみがえる心象風景は異なった。
 思い出には懐かしさや愛(いと)おしさがつのり、いやこれらを超えてずばり、楽しかったことやうれしかったことなどがよみがえった。一方逆に、想起には悲しかったことやつらかったことなどが、これまたかぎりなく浮かんできた。心象には摩訶不思議なところがあり、一つの言葉の違いで、よみがえる風景は様変わる。私は寝そべりながら、一つの懐かしい思い出に耽っていた。
 子どもの頃のわが家には、今様の雨除けの布傘やビニール傘、さらには日除けのパラソルなどはなかった。わが家に常置していた傘は、手に重たい番傘一辺倒だった。番傘は茶色の太身(ふとみ)で、開ければバリバリと音がして、かすかに油のにおいを残していた。手に持つ長柄(ながえ)は、武骨な竹づくりだった。今思えば、油傘(あぶらがさ)と言ったほうが妥当なのかもかもしれない。なぜ? 番傘と言うのであろうか。机上に置く電子辞書を開いた。説明書きはこうである。「竹骨に紙を張り油をひいた、粗末な雨傘」。わが問いには答えのない、ぶっきらぼうの説明書きである。だからこの文章を閉じれば私は、インターネットの人様の知恵にすがり、「番」の由来を学ぶつもりつもりでいる。
 番傘は厚手の紙に塗りたくった油が、雨をはじくのであろうか。村中の富貴な家にあっては、上等で洒落た「蛇の目傘」があったかもしれないけれど、わが家にはそれはなかった。雨の日に自転車の片手ハンドルで、町の高校へ登校するときもまた、重たい番傘一辺倒だった。番傘につきまとう思い出は、このことこそイの一番である。すなわちそれは学童の頃にあって、突然の雨の降り出しに遭って、番傘につきまとう母の優しさである。番傘を持たずに登校した後で雨が降り出すと、廊下の隅にちらちらする母の姿が現れた。教室の中から後ろ向きに眺めると、母は声なく手にした番傘を音なく揺らした。それは(番傘を持ってきたよ)の合図で、置き場所はいつものところとわかっていた。ぼくが阿吽(あうん)の呼吸で母の姿を目に留めると、母は用を足して姿を消していた。
 わが家と学校の間は歩いて、片道二十分を超えるほどの道のりである。雨の降り出しに驚いて母は、速足で番傘を持って来たのである。突然降り出した雨の日に、廊下の隅に現れた母の姿は、今なお心中にしょっちゅうよみがえる佳い思い出である。言葉を想起に変えれば、これまたわが心中にしょっちゅうよみがえるのは、唯一の弟をわが「へま」で亡くしたおりの悲しい全光景である。こんな「思い出」と「想起」を抱き込んで、10月19日(土曜日)の朝が訪れている。大空は夜明けの雨模様を断って、満天日本晴れに変わっている。
 文才なく苦しんで書いた文章は、ようやく幼稚な作文を為して、終えたのである。題のつけようはなく、まだ浮かんでこない。こののち「番」の由来をネットの記事にすがるから、「番傘」でいいのかもしれない。

選挙戦のさ中にあって、一つだけ思う

 寝起きに文章を書く習性にある私は、常にネタ不足に悩まされている。ところがこの二日(おととい、きのう)にあってはネタに恵まれて、『河口湖』および『続河口湖』の表題で、かなり長い文章を書いた。文章の出来はともかくネタに恵まれて、ネタ不足に呻吟することは免れた。そのためか気分が小躍りして、長文にありついた。しかしながら書いた文章を読み直すと、せっかくの格好のネタなのに、もっと上手(うま)い書きようがあるのかなと、ちょっぴり悔いた。ところが悔やんでもどうにもならない、わが脳力(能力)の限界の証しである。しかし一方、確かにネタに恵まれて書く文章は、書きながら自分自身、心地良い気分に浸れるところはある。いつもこの気分に遭遇するためにはやはり、ネタの大切が身に沁みた。そしてネタを得るには、ネタ探しの行動の必要性、大切さ、重要性をあらためて悟った。これこそ著名な作家になぞらえれば、たっぷりと時間をかけて、かつ用意周到の取材活動である。もちろん、六十(歳)の手習い、かつ浅学非才のわが身には叶わぬ願望にすぎない。
 きょう(10月18日・金曜日)もまたネタ無しである。それゆえにこの先を書けば、いつものように呻吟を免れない。挙句、駄文を綴り、しかたなく結文へ逃げることとなる。
 現下の日本社会の世相にあっては、衆議院解散にともなう総選挙(選挙戦)の最中にある。過日(10月15日)に立候補者の公示始まり日があり、現在は来る投開票日(10月27日、日曜日)に向けて、選挙戦は渦中にある。期日前投票は始まり、すでに投票を終えた人もいる。ネタないゆえにきょうの私は、この選挙(戦)において怪訝(けげん)に思っていることを書き添える。
 今回の総選挙において、各党がほぼ一様に掲げる公約の一つは「政治改革」である。そしてこれは、総じて最大の目玉公約を成している。しかしながらこれは、わが下種の勘繰りをすれば、政治を司(つかさど)る人たちの公約にしては、腹の立つみすぼらしいものと言える。なぜならこんなことは各党そろって、不断に身を正して置けば済むことである。だから、こんなことが公約の最上位を成すことには腹が立つし、かぎりなく馬鹿げている。大事な選挙にあってはやはり、日本の国の舵取りに見合う公約を各党並べて、最上位に掲げるべきであろう。こう考えれば、自分たちの不断の「へま」を国民に泣きついて正す選挙戦は、選挙権を有する国民にとっては、甚(はなは)だ不毛の選挙戦と言える。総選挙は極めて大切ゆえに、私は進んで清き一票を投ずるべきだけれど、候補者の「驕りや飯の種」の助成に、投票所へ行かねばならないことでは、気分は殺がれるばかりである。
 長々と書いたけれど、『河口湖』続いて『続河口湖』を書いた気分とは、まったく異質の遣る瀬無い気分で、結文を迎えている。「政治改革」くらいは国民に頼らず、様々なお金にありつける自分たちで、正してほしいと願うところである。日本の国を司ろうとする立候補者は、いっときの嘘っぱちの涙雨を流して、大事な一票に託する国民に媚びて、挙句に欺(あざむ)いてはならない。
 夜明けいや朝の大空は曇り、こちらこそ今にも、涙雨を落としそうである。

続「河口湖」

 10月17日(木曜日)。時刻はすでに5時を過ぎているのに、夜明けはかなり遅くなっている。そのせいでまだ夜の佇まいにあり、天気の良し悪しを知ることはできない。こののち夜間は日を追って長くなり、それとは逆に昼間は短くなってゆく。もとよりこのことには抗(あらが)えず、躊躇(ためら)うことはない。しかし、夜長は冬へ向かう前段階であり、この先は日々寒気が強まるばかりである。それが寒がり屋の私には堪えて、日々つらさをいや増してくる。挙句、おのずからこの先には、寒気を耐え忍ぶ日暮らしが訪れる。もとより、抗うことのできない時のめぐり、季節の移りゆえに、じっと耐えるよりしかたがない。しかしながら、こんな状態をすでに84年過ごし、かつまた毎年経験もしている。だから、いまさら泣きべそをかくことはできない。それなら、はやり歌の文句を捩(もじ)り、『時の流れに身をまかせて……』、この心境にすがることとする。
 序章にしては長く書いてしまったと思える、わが身の不始末である。さて、きょう書こうと思ってパソコンを起ち上げたのはこのこと、すなわちきのう書いた『河口湖』に纏(まつ)わる続編である。しかしながらありきたりに、河口湖および周辺の美的光景、なかんずくそのあたりから眺める富士山および周辺の素晴らしさ、すなわち全体風景を愛(め)でても能がない。なぜならこの地に佇めば、そんなことはみんな一様に感ずることだからである。だから私にかぎれば、この日の私は心中に特別、こんなことを浮かべていた。そしてそれは、きのうの『河口湖』において、書き足りていないことだった。ゆえにきょうは書かなければならないと思い、私はキーボードを叩いている。しかし、書きそびれていたことは多くはない。
 書き添えなければならないイの一番は、押すな押すなの観光客のなかにあって、日本人はごく少なく、見渡すこの人(たち)、あの人(たち)は、外国人ばかりだったことである。それらは、黒人、白人、そして風貌は日本人とほぼ同じくしても、耳に聞こえてくる言葉が違う異国の人たちだった。哀れなるかな私は、見た目や耳に入る言葉で、それらの人の国の違いを知ることはできなかった。総じて私は、外国人の多さに驚愕し、唖然とするばかりだった。一方で私は、外国人が日本観光を楽しんでいる様子にかぎりないうれしさをおぼえていたのである。
 きょうはあえて、このことだけを付け足したかったのである。オマケに付け足すと、初見参地・「河口湖」およびその周辺の美的風景、かつまたそのあたりから眺める富士山および周辺の雄姿は、まさしく内外の観光客の目に十分に応える絶景だった。私はうれしい気分で、「河口湖そして富士山」観光を終えて、帰途に就いた。
 なぜ人間は、戦争をするのであろうか。時が経ち、薄曇りの夜明けが訪れている。文章はわが手に負えない。

河口湖

 10月16日(水曜日)。朝、6時きっかりに目覚めて起き出している。すぐさまパソコンを起ち上げて、脳髄はいまだ就寝状態のままにキーを叩き始めている。生来、私は不器用で、とりわけわが指先はのろまである。ゆえにこの先どんな文章が生まれて、さらにはどれぐらい先に結文になるのかと、精神不安に苛(さいな)まれている。
 視界に朝日の輝きはない。けれど、雨なくまた木の葉が揺れる風もなく、のどかな曇り空の状態にある。このことでは昼間へ向かうにつれて、胸の透く秋晴れの空が望めそうである。きょうの天気予報は聞きそびれている。早くもない、遅くもない定時(6時)の目覚めは真面(まとも)だが、文章を書くにはこころ急いて、心中はドタバタと苛(いら)ついている。
 きょうは、いつもとは異なり格好のネタがある。めったにないこんなときはみずから決めている制限時間に切迫されることなく、十分に書き尽くしたい思い山々である。過日「スポーツの日」(10月14日・月曜日)にあっては予告どおり、娘家族(夫婦と高2の孫娘)そして共にわが夫婦連れだって(5人)、娘の連れ合いの運転にすがり車で行楽へ出かけた。行き先は、富士五湖の一つ「河口湖」だった。5人にとっては、初めての見参地(けんざんち)だった。5人そろっての行楽もまた、初めてだった。さらにわが夫婦に限れば、人生最後になるかもしれないと思えた遠出の行楽だった。スマホで確かめると、河口湖の在りどころの行政名は、山梨県富士河口湖町と記されていた。さらに確かめると近場には、富士登山において王道を成す「吉田口ルート」を擁していた。
 河口湖をメインにして河口湖町は、文字どおり富士山を眺める近隣からの行楽客、さらには遠くの国内はもとより、外国からわんさと訪れる観光客で、飛びっきり(特等)の賑わう観光地を成していた。スポーツの日に違わずこの日には、好天気すなわちすこぶるつきの行楽日和が訪れていた。その下で私たちの遊覧は、三つまでもしでかした。一つはケーブルカー、一つは遊覧船、さらに一つは水面を猛スピードで走るゼット船だった。混雑する私たちの周囲の人々は、国知らずの外国人が多くを成していた。私自身はまるで、海外旅行の気分、桃源郷の楽園を愉しむかのようだった。ほかのみんな(4人)も同様の気分で無事、河口湖への行楽を終えたのである。
 やはり指先ののろまのせいで、時間ばかりが過ぎて行楽の一部しか記せなかった。至極、残念無念である。望んでいたとおり、天高く朝日が輝き始めている。