ひぐらしの記
前田静良 作
リニューアルしました。
2014.10.27カウンター設置
秋晴れの下、きのうは共に生きる「わが夫婦の感謝デー」
11月1日(金曜日)。久しぶりにほぼ定時に目覚め、そのまま起き出して来て、すぐにパソコンを起ち上げている(54:49)。晴れた夜明けが訪れている。きのうの秋晴れをひきついてくれたようである。夜長は日増しに延びて、冬至(12月21日)へ向かっている。旧暦の11月は「霜月」である。この呼称の由来は、文字どおりこのあたりから霜が降りて、いよいよ寒さが増してくるからだという。あれれ? 現在は、霜は降りず、寒さもそう感じない。それもそのはず霜月は、現在の新暦と比べればずれて、ほぼひと月の遅れだという。
子どもの頃を想起すれば確かに、12月の入り日あたりにあっては、庭先や田んぼの一面には、真っ白く霜が降りていた。つれて、心身共にブルブル震えていた。現在の11月は、まだ何日かは秋晴れを残し、寒気も身に堪えるほどでもない。しかしやがては、11月とて「小春日和」を待ち望むことになる。夜明けの晴れは昼間へ向かうにつれて、どう変化するであろうか。欲張りのわが望むところは、きのうの秋晴れをひきついて、その延長線上にさらなる好天気を願っている。きのうの私は、きょうの天気予報は聞きそびれている。きのうは気象予報士の予報がピッタリと当たり、爽やかな秋晴れに恵まれた。
さて、きのうのわが家はこれまた予定の行動に違わず、いやそれを超えて完全無欠にそれを為した。予定していた二つの行動を再記すればこうである。一つは、妻の髪カットへのわが引率同行である。そして一つは、それを終えると昼食を挟んで、こののちは妻を誘っての「昼カラオケ」への率先躬行だった。完全無欠と言ったけれど昼食は抜いた。それでも、完全無欠と言いたかったのは、昼カラオケへの行動、そして店内の楽しさが昼食抜きをはるかに超えて、完璧だったからである。
夜間は生業にスナックを営む「昼カラオケ店」は、私が不断の買い物のおりに、通りすがりに看板を目にしていたところである。ゆえに、一見の飛び入りだった。私はヨロヨロの妻の足取りを気遣っても躊躇せず、「先に入れよ」と言って、怪訝そうな妻の背中を押し入れた。見知らぬ店内には、一人の男性と二人の女性がいた。昼カラオケのご多分にもれず、三人とも高齢者だった。その人たちは、歌は歌っていなかった。私たちはいくらか夜の雰囲気にのまれて、恐々とゆっくり、奥のソファに腰を下ろした。二人のうちひとりの女性は、カウンター内でこしらえ物をされていた。ひとりの男性と女性は止まり木に足を下ろし、カウンターに向かわれていた。まだ歌は流れず、店内はひっそり閑としていた。せっかくきたのにかたわらの妻の表情は、オドオドとして不満そうである。
「早く歌、歌えば。歌いたくないの……」
「うん」
「そうか、それならここは出て、ほかのところへ行ってもいいよ」
「うん」
私はせっかく入ったのに、これはまずいと思った。
4、5人連れの高齢女性が入ってきた。馴染みなのであろうか、気おくれすることなく、所定と思われるカウンターに陣取られた。少し経って、こんどは一人で高齢の女性が入られた。これまた馴染みなのか勝手知った如く、私たちの近くに座られた。まだ、歌は一曲も流れない。私はまた妻へ尋ねた。
「歌、早く歌えよ。ここでは歌いたくないの?」
「うん」
これはまずい。私はやおら立ってカウンターへ近づいて、最初目にした見知らぬ女性にたいし、こうお願いした。
「歌、歌って雰囲気を盛り上げてください。歌好きの妻が『ここは、出よう』」と言っていますから、頼みます、歌、歌ってください」
私たちの近くに座られた未知の人にたいしても、私はこう言った。
「こちらへ寄ってください。妻は歌好きですから、できたらバンバン歌って、盛り上げてほしいのです」
するとご婦人はにこやかに近づいてこられて、この後は昔からの馴染のように三人共に、すぐにいっときの仲間になったのである。
火付け役を思いたった私のエンターテイナーぶりは功を奏してすぐに、最初にお願いした女性を皮切りに、次には妻、次には仲間となった隣の女性、そして連れの女性たちも次々に歌い、切れ目なく歌が流れた。妻は持ち歌の数曲を歌った。やはり、上手い。私はいつものように一曲さえ歌うことなく、みんなの歌にたいし、手叩き屋に甘んじた。
2時間ほど経って私は、「もう帰ろう」と、妻をけしかけた。妻は不満そうに、「パパ。まだいいわよ」と、首をふるばかりである。この二人のやり取りを見ていたのであろうか、数人が私たちの周りに集まり、「まだ、居てください」などと言って妻に味方して、私たちの引き留めに躍起だった。私は「ありがとうございます。また来ますから、仲良くしてください」と言って、立ち渋る妻を強引に立たせて、秋晴れの下に連れ出した。この店はビル中の最下段にあり、道路続きにあったのである。
書き殴りは果てなく続きそうで、ここで書き止めである。ゴミ出しの時間が迫り、一度の推敲さえ許されず、ミスに気を揉みながら投稿ボタン羽目になった。きのうに続く秋晴れが、ミスを恐れるわが気分を癒している。
きょうは爽やかな秋晴れ(予報はピッタリ)
10月の最終日(31日・木曜日)。遅い起き出しを食らって壁時計の針は、すでに夜明けの頃を過ぎて、朝へめぐっている。当たり前だけれど時計の針はこの先、昼間へ向かって時を刻んでゆく。起き出してきたままに、当たり前のことを書きたくなっているのはこのせいである。きのうの気象予報士が、「あしたの昼間は、爽やかな秋晴れになります」と、言ってくださったからである。なんだか自分自身、気恥しくなるような違和感のある「もったいぶった」表現をした。
しかしながらこのときの私は、「言ってくださった」、いやもっと丁寧には、「言っていただいた」のほうががいいかな?……という、心境をたずさえていたのである。今さら言うまでもないことだけれど、こんな心境の発露は、この秋の悪天候続きに嫌気がさしていたからである。それゆえに正直なところ私は、気象予報士の予報(言葉)にたいして、お礼の心をたずさえていたのである。
きのう昼頃(正午)あたりまでは、雨が降っていた。ところが昼過ぎになると、前日の気象予報士の予報に違わず一転直下して、満天、空中、そして地上、隈なく晴れ渡った。するとこれに呼応するかのようにわが気分はパッと明るくなった。それは、このところの悪天候続きで憂鬱気分に陥っていたことによる裏返しだったのである。その証しにはこれまた突然、私はこんな言葉とそれに逆らわない行動を開始した。
似非(えせ)の茶の間で相対していた妻は、痛い腰をさすり、今にも立ち上がらんばかりにびっくり仰天した。
「晴れたね。おれはこれから、大船へ行ってくるよ。買い物がてらに、きょうは気分直しだよ。買いたいものがあれば、後でメールして、もう行くから……心が逸(はや)っているから……」
「これから行くの?……、少し待ってて、わったしも行きたいから……」
「待てないよ。買い物があるならメールして……」
「わたしも行くから、待っててよ!」
「いい天気だから、待てないよ。おまえにはあした、髪カットの予約があるから、あした行けばいいよ。おれも一緒に行くよ。そのとき、このまえ日延べした昼カラオケにも行くよ」
「少し待って、私も行きたいから」
「待てないよ、もう行くから。おまえの支度は、いつも長くなるから……もう行くよ」
「パパは、いつも勝手だから……行くなら、早く行きなさいよ!」
私はすばやく不断の買い物姿に身なりをととのえて、玄関口から門口へ出た。
雨上がりの道路は、輝き始めたばかりの日光に、いまだ露を帯びてキラキラに光っていた。速足で歩き出すと、「確かに、身勝手だったかな?……」と、ちょっぴり自分を責めた。一方では自分を慰めた。
きょうの私には、妻の髪カットへの引率同行、そしてその後には、私には妻が願えば「昼カラオケ」への、こちらは率先同行の心づもりがある。これらの妻へのわが情愛は、あいにくとんだ「罪滅ぼし」に様変わっている。しかし、昼カラオケへの率先同行には、過日、果たせなかった記憶がよみがえり、きょうも一抹の不安に怯(おび)えている。
きょうの妻の髪カットも予約は、妻が一週間の天気予報を鑑みて、雨の予報のないきょうに予約を入れていたのである。予約の日は見事に功を奏して、再び繰り返すと気象予報士は、「あしたの昼間は、爽やかな秋晴れになります」と言ってくれたのである。
予約時間は11時45分。昼間には少し早いけれど、昼食そして昼カラオケの時間などを鑑みて、私はこのあたりを願ったのである。幸いなるかな! 大空の秋晴れは前倒しになり、すでに爽やかに輝いている。罪滅ぼしには絶好の秋晴れである。だけど、やや不安のところもある。その不安を除くためには、妻へのわが情愛と偽りのない実践躬行である。どうかな……?。
番外編、『美しき天然』、歌詞に魅せられて
貧乏造りのわが家には、茶の間と呼べる洒落た部屋はない。私は腹立ちまぎれに、そして嘘っぱちに、「ここ」を茶の間と呼んでいる。ここは六畳の畳み敷で、窓際にはテレビを一台置いている。そのほか隅には、大きな茶箪笥を一基据えている。だからもうここは、物置みたいに手狭である。それなのに中ほどには、妻と私が相対で座るソファを対向に置いている。その間には、食事用のちゃちなテーブルを置いている。ここが茶の間らしいのは、テレビと寛ぐソファがあるからである。
テレビチャンネルの主導権は妻の手にある。それがときどきわが手に戻るのは、プロ野球をはじめとするスポーツのテレビ観戦のおりだけである。それでもテレビ自体は、私も妻の視聴に合わせてよく観る。しかしながらその観方は、どうでもいいほどに気のない観方である。
妻は料理番組と歌番組(歌謡曲主体)をよく観る。私の場合、料理番組はその多さに辟易し、煩わしくてあまり観ない。しかし歌番組は、歌好きの妻に同調してよく観る。
先日のテレビには、初めて聴き入る歌が流れた。不断の私には天変地異の恐ろしさは別にして、「自然(界)賛歌」旺盛のところがある。このこともあって流れて来たこの曲(歌詞)には虚を突かれ、度肝を抜かれた思いだった。いつもであれば歌詞をコピーして、簡便にこの文章に張り付ける。ところがコピー禁止なのか、それができない。仕方なく私はスマホを手にして、困難を極めて下に書き移したのである。実際のところはそうまでしても私は、自然界賛歌を謳うこの歌(歌詞)にほれぼれしたのである。挙句、「ひぐらしの記」への転載を決めたのである。
この歌の由来は、スマホにはこう記されている。「美しき天然」は、佐世保女学校の教材として作られた曲です。中間省略。「美しき天然」は、武島羽衣の作詞、田中穂積の作曲、日高哲栄の編曲による楽曲で、チンドンのメロディーでおなじみです。明治35年(1902年)に発表され、最初のワルツと言われています。私立佐世保女学校の音楽教師でもあった田中は、烏帽子岳や弓張岳からの九十九島や佐世保湾など、佐世保の山河の美しい風景に感動し、これを芸術化し世に広めたいと考えていた。そこで、折よく入手した武島羽衣の詩に作曲し、本曲は誕生した。
私の追記:この歌『美しい天然』はこんにちまで、島倉千代子にかぎらずいろんな歌手が歌い、また合唱曲としていろんな人たちに歌われて、こんにちまで歌い継がれている。大沢さまにはご面倒をおかけするけれど、「ひぐらしの記」に残して置きたい歌である。なぜなら、日本の四季の情景をまさしく「美しき天然」と伝えて、詩情豊かに歌われているからである。そして私が、歌唱のなかでもとりわけ、歌詞の見事さに驚いているためである。
『美しき天然』「作詞:武島羽衣 作曲:田中穂積 編曲:宮川泰 歌:島倉千代子 発売日:1997、05、21」
わが数の少ない、持ち歌の一つに加わりそうである。
1)空にさえずる鳥の声 峯より落つる滝の音
大波小波鞳鞳と 響き絶えせぬ海の音
聞けや人々面白き 此の天然の音楽を
調べ自在に弾き給う 神の御手の尊しや
2)春は桜のあや衣 秋は紅葉の唐錦
夏は涼しき月の絹 冬は真白き雪の布
見よや人々美しき この天然の織物を
手際見事に織りたもう 神のたくみの尊しや
3)うす墨ひける四方の山 くれない匂う横がすみ
海辺はるかにうち続く 青松白砂の美しさ
見よや人々たぐいなき この天然のうつしえを
筆も及ばずかきたもう 神の力の尊しや
4)朝に起る雲の殿 夕べにかかる虹の橋
晴れたる空を見渡せば 青天井に似たるかな
仰げば人々珍しき 此の天然の建築を
かく広大にたてたもう 神の御業の尊しや
人の振り見て我が振り直せ
10月29日(火曜日)。いまだ夜明け前の外気にあって、私は真っ暗闇のなかに起き出して、パソコンへ向かっている。寝床から抜け出して来るやいなや傍らの窓辺に佇み、掛かる二重のカーテンを開き、なお窓ガラスと網戸を開いた。空中へ右腕を伸ばそうと思った瞬間、直下の道路上には懐中電灯の明かりが揺れて、足早に人様が前方より近づいてきた。雨模様を確かめるはずの私は、揺れる明かりに驚いて、伸ばした右腕をすぐに引っ込めた。明かりの揺れは、懐中電灯を持つ人様のしぐさだった。人様の姿は薄っすらと見えだけで、性別や年齢の程など、分かるはずもなかった。歩く人様の姿を薄っすらと照らしたのは懐中電灯ではなく、山の法面に立つ一基の外灯の淡い明かりだった。急ぎ足の人様は雨傘をさしているのだろうか? と思い、私は揺れる明かりの周辺をじっと凝視した。だけど、雨傘は見えなかった。就寝時の雨は、止んでいたのである。そのことを見届けると私は、すべての行為を元へ戻した。そして椅子に座り、机上のノートパソコンを起ち上げたのである。
雨が上がったばかりで未だ暗闇の中にあっては、散歩をするほかには用無しのはずである。このことを心中に浮かべて、姿の見えない人様の努力とかつ執拗な生き様にたいし、私は度肝を抜かれていた。たぶん、歩いていた人は高齢者の枠を超えて、なおいっそう年寄りであろう。なぜなら、普段の朝夕の散歩のご常連には若者はいなく、また中年も少なく、多くは高年齢者である。ところが高齢者であっても、いまだ夜中そして雨上がりを待って歩く人はたぶん、この先なお生き長らえることに必死の人なのであろう。確かに、私とて生きながらえることには欲張りである。しかし、怠け者の私は、それに見合う努力はしないままにいたずらに生きている。とりわけ、散歩は長生きの秘訣とは知りながらも、億劫で大嫌いである。だから、根っからのわが怠惰(心)を省みて私は、やっかみ半分をたずさえて見知らぬ人様にたいして、心中では声無しの喝采のエール(応援歌)を叫んでいた。このときのデジタル時刻は、4:44と刻まれていた。
もとよりきょうは、こんなことを書くつもりはなく、久しぶりに用意周到のネタをたずさえて、パソコンを起ち上げたのである。ところがいまだ夜明け前にあっては、執筆時間はたっぷりとある。それなのにもう字数の多い長い文章になっている。これにネタの文章を書き加えれば、この先はエンドレスになりそうである。それを恐れて私は、尻切れトンボの恥を晒して、ここで書き止めにする。
夜明けはまだ薄く、きょうの天気模様は知ることはできない。しかし、先ほどの人様の様子と併せて、確かな雨の無しの夜明けになりそうである。きのうも書いたけれど、この秋は雨の日が多く、胸の透く秋晴れには縁遠いままに季節は移りゆく。10月はきょうを入れて、あと三日残しにすぎない。11月へ替われば、すぐに「立冬」(11月7日)が訪れる。冬入りは、この秋の悪天候を引きずるのであろうか。私は、「文化の日」(11月3日・日曜日)の前後には晴れの日が多いという、気象(気象庁)データにすがっている。
きょうもまた、昼間へ向かうにつれて、雨がぶり返してきそうな雲行きである。夜明けは時は過ぎて、晴れてほしいと願う、せつない晩秋の朝にある。
「雨」と「涙雨」
10月28日(月曜日)。小雨そぼ降る夜明けが訪れている。自然界の雨にはわが能力(脳力)では表現できない、かぎりなく様々な降り方がある。わが下種の勘繰りをすれば、最も良いと思えるのは人間の心を癒し、和んでいっときロマン心に浸れる降り方である。逆に悪い降り方は、最もなどと順位は付けず並べて、人間界に災害をもたらす雨である。人間の眼が垂らしたり、あるいは瞼に溜める雨は、おおむね涙雨にかぎられる。しかし涙雨は、悲しさ一辺倒ではなく、涙の文字に囚われず、嬉しさあふれる涙雨もある。だけど涙雨の多くは、文字どおり悲しいときに溢れ出る。
今回の衆議院選挙はきのう(10月27日・日曜日)の午後8時をもって投票行為は閉められた。明けて現在は、すべての当落(者)が決まっている。ゆえに、立候補者とその関係者は、涙雨(嬉しさと悲しさに分けて)に濡れている。いや、彼らにかぎらず日本国民の多くもまた、どちらかの涙雨を濡らしている。しかしながら日本国民が浮かべる涙雨は、もとより彼らが濡らすものとはかなり異質である。すなわちそれは、この先の日本の国の舵取りにかかわる、どっちつかずの涙雨である。
このところの私は、書き殴りの悪癖のせいで、長い文章を書き続けている。おのずからわが心身は、草臥(くたび)れ儲けさえにもならない疲労困憊(ひろうこんぱい)まみれにある。ゆえにきょうは選挙結果に纏(まつ)わる、わが当てずっぽうのグダグダ文章などは書かず、ここで結ぶものである。
10月も最終の週に入り、来週からは早や年末へ向かって迫る11月を迎える。初秋、中秋、晩秋と過ぎて顧みれば、私にはなんだかこの秋は、胸の透く秋晴れの日が少なかったように思えている。このことではちょっぴり垂れる涙雨がある。こののちの気象庁の秋の天候の総括を待つところである。
選挙戦においては結局、私は子どもの頃に楽しくなじんだ「選挙カー」のめぐる光景には遭わずじまいだった。それでもきのうは、妻と連れ立って仲良く投票を済ました。きょうわが瞼を濡らす涙雨は、選挙結果は抜きにして、きのうの重たい妻の足取りを再び浮かべるせいであろう。いや、妻にかぎらず老いさらばえる身体のせいで、わが足取りもかなり重たくなっていた。おのずから二人の気分は重たくなって、こんな会話が漏れた。
「きょう予定していた昼カラオケは、日延ばしにしよう。それで、いいい? ……ごめんね」
「いいわよ。わたしも、きょうは行きたくないわよ」
夜明けの雨は風を交えて、嵐になりかけている。人間界にもまたきょうは一日じゅう、好悪(こうお)の涙雨が強まりそうである。
わが意に背いて指先は、グダグダの長い文章のキー叩きをしてしまった。かたじけなく、詫びるところである。わが両目の瞼にはわけのわからない、入り交じりの悲しい涙雨が溜まりかけている。
選挙結果と、「昼カラオケ」への引率同行のつもり
10月27日(日曜日)。きのうに続いて、未だ夜の佇まいのなかに起き出している。きのうの選挙戦最終日には、ときたま小雨が降り、ほぼ一日じゅう日光にはありつけずに過ぎた。夜明け未だに遠く、きょうの天気模様を知ることはできない。だから祈るところは晴れ、晴れが叶わなければ雨降りだけはご勘弁である。なぜならきょうは、過日の公示日(10月15日)から、きのうまでの選挙戦を終えて、いよいよ投開票当日である。病弱でノロ足の妻を連れ立って投票所へ向かう、老齢の二人の足取りに雨や雨傘は邪魔ものである。私には投票は昼前に済まして、せっかくの二人しての外出のついでに、大船(鎌倉市)の街へ向かう心づもりがある。
大船は、わが家(二人)の不断のなんやかんやの用足しの街である。わが家の買い物行動を一手に担うわが行き先は、もっぱら大船にかぎられている。妻の用足しもまた、ほぼ大船の街一辺倒である。わが家の最寄りのバス停は「半増坊下」だが、投票所(町内会館)最寄りのバス停は、その一つ先にある「北鎌倉台」である。どちらにしても、大船までの乗車時間は20分程度である。
さて、わが心づもりにしている用件は後回しになったけれど、このことである。すなわち、私は妻を誘(いざな)って「昼カラオケ」へ行く意思を固めている。「昼カラオケ」は音痴の私にはまったく要のないところだけど、歌好きの妻には滂沱の涎が垂れるところである。しかし、妻独りでは行けず、引率同行する介添え役は、私が担っている。妻にはカラオケ仲間はいっぱいいる。けれど、それらの人たちの多くは元気だから、近くの「今泉さわやかセンター」(鎌倉市)で、日を決めて歌っている。かつての妻はここへ出向いて、最も喝采を浴びる歌い手だった。ところが衰える身体を持て余し始めて以来、やむなくここは遠のいている。ここにも私の引率同行が必要になり始めると、おのずから妻の足は寸止めを食らっている。すると、しだいにわが気持ちは変わり始めて、どうせ行くなら「昼カラオケ」志向へと傾いている。妻はそのほうが喜ぶし、同時に私もまた、妻の喜ぶ姿を見たいからである。このことは一度、書いた記憶があるから二番煎じになる。
カラオケ仲間のご高齢の女性(90歳を超える)と妻の出会いのおり、私たちには初見参の出会いの場所「ある昼カラオケ店」へ、そこを探し探し、私は妻を引率同行した。このときの私は、一曲さえ歌わずノンアルコール一瓶で、2時間ほど潰(つぶ)した。一方妻は、出会いの人はいるものの、三人ほどの未知の高齢の男性陣に交じり、喝采を浴びて数曲を歌った。妻の歌と共に、妻の喜びようもまた絶頂だった。妻の姿を見るわが気分は高調していた。このときの私はそれに味を占めて、妻へ掛ける情けはやはり、「昼カラオケ」が一番だと決めたのである。ゆえにきょうは、選挙行動のついでとはいえ、妻を「昼カラオケ」への連れて行こうと、心づもりにしている。しかし、わが心づもりの多くは実らないこと多々である。
現在のところ雨模様は遠のいて、大空にはお天道様が光を放し始めている。しかし、今夜の投票(選挙)結果は、大雨まじりの大荒れになりそうである。
選挙戦の結末と、気になる物価高
10月26日(土曜日)。二度寝にありつけず目覚めて、仕方なく外気、真っ暗闇の中に起き出している。わが日常生活において安眠を貪り、最も心の安逸に恵まれていいはずの就寝は、今や修羅場と化している。ときには悪夢に魘され、常時頻尿を被り、これらのせいで二度寝にありつけない。ときたま寝坊助に恵まれるけれど、これとて起き立ての精神状態は正常ではない。なぜなら、文章の執筆時間にこころ急かされるからである。就寝がこれらに脅かされ、安眠が遠のくことは腹立たしく、またかぎりなく大損である。少しだけ益があるとすればそれは、二度寝にありつけず仕方なく起き出し、パソコンを起ち上げて、たっぷりとある時間で、キーを叩けることである。しかしながらそれとて、脳髄は空っぽのまま、さらには眠気眼(ねむけまなこ)との抱き合わせを被る始末である。
眠いなら二度寝にありついていいはずだけれど、なぜかそれは叶わない。おそらく眠気に加えて、精神が錯乱状態になっているせいであろう。就寝さえままならなくなるようではもはや生存は、まぼろしか風前の灯火(ともしび)になりかけている。
さて、あす(27日、日曜日)は、このたびの総選挙(衆議院)の投開票日である。私は病弱で足がノロマの妻を引率同行し、町内会館の投票所へ向かうことになる。一時は棄権も脳裏を過(よぎ)ったけれど、やはり大切な選挙(権)である。ゆえに二人とも、この権利を放棄することはできない。またこのたびの選挙は、総理そして内閣が新たに替わり、さらには二、三の政党の代表も新たになり、きわめて大事な選挙である。言うなれば日本の政治の新たな船出であり、やはり進んで投票所へ向かわなければならない。娘は現住する神奈川県横須賀市内のある投票所で、期日前投票に加えてあしたも、投開票(選挙)の世話係を務めると言う。だから、親が棄権でもすれば、娘の面汚しにもなる。
選挙戦において各党が並べて、公約の一つに掲げているものには、「物価高の抑制」というものがある。確かにこの公約は、現下の日本社会における物価高を鑑みれば当を得て、どの党も喫緊に解決すべき課題であり、かつまた投票を呼び込むには即効性あるのテーマでもある。
わが家の日常生活における買い物は、わが専一行動である。ゆえに私は、買い物のたびに様変わる物価高に遭遇し、酷く怯えている。目にする品々においては、まさしく日替わり弁当さながらに、そのたびに値段が高く変わっているものもある。一例を記すと、買い物行動のたびに必ずわが足の向く、「西友ストア大船店」(鎌倉市)の野菜フロアのトマトの値段の様変わりようである。中玉のトマトにすぎないのに現在は、一個299円となっている。最初はいくらだったか知らずじまいだが、目につき始めは一個99円、次には199円、そして今や299円である。ところがトマトの見た目は、逆にしだいにみすぼらしくさえなっている。
あれれ、書き殴りの文章はまたもや長くなり始めている。きょうはまだたっぷりと時間がある。恥を晒し、尻切れトンボをも構わず、ここで結文にしないと、この先エンドレスになりそうである。
西友ストアのトマトは買わず、素通りを続けている。だけど、トマトは夫婦共に好物ゆえに私は、ときには野菜と果物の安売り店「大船市場」で買っている。しかし、ここでもトマトの値段は高く様変わっている。そしてその姿は、中玉へはとどかず小玉、いや小ぶりにさえなりかけている。
あすの開票結果はどうなるであろうか。やはり、今回にかぎらず選挙(権)は、私いや、日本国民にとってはすこぶる大事である。夜明けは曇り空、今にも雨が降りそうである。予報を見ていないあすの天気が、気になるところである。
きょうの文章は無題でも、書き捨てでも、惜しくない
夜明けの遅さは、日々加速度を増している。壁時計の針は、6時あたりをめぐっているのに、未だ夜の佇まいにある。私は、次のようなことを心中に浮かべながら起き出している。文章は格好のネタやテーマがあり、そのうえ語彙(力)が豊富であれば、六十(歳)の手習いにすぎない私でも、下手は下手なりにどうにか書けるものである。このことがわが文章書きの発端である。しかしながら、容易(ようい)に思えるこの二つを叶えることは、もとより容易(たやす)いことではない。あえて二つのことを比べれば私には、語彙の学習や習得より、ネタやテーマ探しのほうがはるかに容易く思えていた。ところがどっこい現在の私は、文章を書こうとすれば逆に、ネタやテーマ不足に苦衷を舐めている。
語彙の学習においては定年を前にしていた頃の一時期、私は定年後の六十(歳)の手習いを鑑みて、国語辞典を愛読書にしたり、漢検一級の合格を果たした。今では当時学習した語彙の多くは、日々、忘却の彼方に晒されている。しかしまだいくらかの余燼(よじん)があり、狙いどおりの助け舟にさずかっている。するとやはり、私の場合、文章書きの決め手は、その都度のネタやテーマの有無に掛かっている。この克服には、進んでネタやテーマ探しの行動が肝要になる。端的に言えば、行動力すなわちあちこちへの取材行動である。いや、ネタやテーマ探しには行動に頼らずとも、椅子に座しての文物の調べや学習も極めて有効である。ところが残念無念、私の場合はどちらも怠り、日々起き立てに心中に浮かぶ事柄のいたずら書きに終始している。そしてここまで、その証しとも言える「当たるも八卦当たらぬも八卦」の、わが野暮天の幼稚な文章論を書いてしまった。ゆえに恥じて、自分自身に併せて、ご常連の人たちにたいし、平に詫びるものである。
さて、衆議院の解散にともなう総選挙の選挙戦は、今週末(10月27日・日曜日)の投開票日に向けて、余すところはきょう(10月25日・金曜日)とあす(26日・土曜日)だけである。だから今さらになるけれど、この選挙戦におけるわが二つの思いを下記してみる。これまた、わが「当てずっぽう」のところ大ありで、外れであればこれまた、双方(私と人様)に伏して詫びるところである。
先ずはこのことだけれど、すでに一度書いた記憶があり、重ねて詫びなければならない。各党総じて「政治改革」を選挙公約の筆頭に掲げて、NHKテレビが報ずる政見放送、あるいは街中や村はずれにいたるまで関係者は、すべからく声高に喋りまくっている。政治改革とは、端的には自分たちがしでかした罪を改めるということであり、これが総選挙の公約の第一義を為すことには、みずからの恥晒しであろう。一方、有権者にすれば「政治改革」を日々聞くことには、馬鹿げていてかぎりなくつらいことである。もとより、一票を得るために有権者に阿(おもね)り、訴えることこそ恥の上塗りであり、彼らの面汚しの最たるものである。政治改革を為せるのは政治家自身に限られるものであり、もとより有権者は改革の外にある。「政治改革を公約にするのはみっともないから、いや、不断の政治活動で各党そろって改めましょうよ」と言って、実践躬行すれば済むことである。
もう一つ各党並べて公約に掲げているものには、「物価上昇を超える賃金の上昇」というものがある。確かにこちらのほうは、公約に異質はなく、私も異存ない。しかしながらこれとて、わが下種の勘繰りをすれば、しっくりこないところがあり、有権者が冷めて反発を買うところはある。端的に言えば現下の日本社会には、私もそうだけれど、賃金にありつけない層(人たち)が数多いる。現下の日本社会は、世に言う高齢化社会の現況にあり、一方ではパートタイム労働者(時間制限・非正規労働者)の多さもある。これらの人たちは必ずしも、賃金の上昇を享受できない。確かに、各党並べて「最低賃金を1500円あるいは1500円以上にします」という、公約を掲げてはいる。しかし、「物価上昇に見合う、あるいはそれ以上の賃金の上昇を目指します」の公約にはやはり、享受できる層が限られていて、大きな違和感をおぼえるところはある。たとえまやかしであってもずばり、「わが党は物価上昇を抑えます」のほうがすっきりする。なぜなら、公約のほとんどは、選挙戦においてのみ有権者に響きの良い、果たせないまやかしにすぎないからである。
書き殴りの文章はまたもや長くなってしまった。尻切れトンボを恥じず、大慌てで結文とするものである。きょうの文章はきのうとは異なり、無題としても、捨ててもまったく惜しくはない。曇り空の朝は、昼間へ向かうにつれて、雨を降らしそうである。雨傘さして、雨合羽を着ての街頭演説には、あまねく悲壮感がただよいそうである。
欲張りだから、無題では惜しい気もするけれど……
10月24日(木曜日)。いまだ夜明け前にあって、外気は夜のたたずまいにある。夜明けの天気模様を知るのは、この先ちょっと後になる(5:35)。遣る瀬無さ、切なさ、情けなさの三つ巴の気分を、まるで自己慰安かつまた慰撫するかのような、二つの成語を心中に浮かべて起き出している。それは、「人間万事塞翁が馬」と「禍福は糾える縄の如し」である。これらに簡易な日常言葉を加えれば、「人生行路は茨道」、「人生行路は、夜明けて、日暮れて、悲喜交々である」。後段はこれまで聞き覚えがない、それもそのはず、わが出まかせの成句である。
机上のカレンダーを眺めた。すると、きょうには「国連デー」の添え書きがある。だけど、(国連は何もしないなあ……、できないなあ……、世界は戦争ばかりだな……)と、嘆息が出た。
現下の日本社会は、今週末(10月27日・日曜日)の投開票日に向かって、総選挙戦(衆議院)の最中にある。いや、もう最中は過ぎて選挙戦は、わずかに三日残しである。当落予想もおおかた出尽くし、立候補者は悲喜交々の時を迎えつつあるある。政界の選挙と比べることは野暮天だけれど、しかし悲喜交々の渦に晒されることにおいては相似たところがある。いや実際には選挙の当落より、悲しい運命(さだめ)めもある。
現下のプロ野球界にあっては、戦々恐々とする戦力外追放(球団からの解雇・クビ)の嵐が吹き荒れ、ようやく収まったばかりである。楽しむファンを擁するプロ野球界とて、営利の企業経営の範疇にある。ゆえに、定員(人員)管理すなわち選手の入れ替えは必須である。働かない選手は要なしとなり、場合によっては何年もの人探し(スカウト)ののち、働きそうな選手を採用(入団)する。プロ野球界にあってきょうは、一年に一度すなわちことし(2024年)の「ドラフト会議(新人選択会議)」の当日である。ドラフト会議もまた、選挙の当落同様に悲喜交々の丸出しである。ところがこちらは、場合によっては公開のクジ引きで入団の可否が決まる。だから、選挙の当落を超える、確かな悲喜交々の上乗せである。
身勝手に悲喜交々の差を鑑みれば、戦力外追放者は悲しさ一辺倒である。一方、喜べることではドラフト会議における入団OKの指名者が一番、次には選挙の当選者であろうか。なぜなら、選挙の落選者には長くて4年、短ければ半年のも満たない捲土重来の機会がある。ゆえに、悲しさに惨めさが付き纏うことは寸時(制限時間付き)で免れる。
翻って世の中には、悲しさだけの人がいっぱいである。選挙は当落をもてあそぶ、雲の上の人たち(もとより幸福者)の晴れ舞台なのかもしれない。なんだか、寝ぼけの難しい文章をまたもや、意味なく長々と書いてしまった。疲れてもう懲り懲りだけれど、あすは短い文章できょうのリベンジ(復讐)を心掛けたいものである。しかし、私には文章は難しく、もうやめたい気分も旺盛である。
久しぶりに晩秋の朝は、胸の透く秋晴れと日本晴れのコラボ(協奏)にある。朝御飯が迫り書き殴りのままで、読み返し(推敲)無しで文章を閉じる。ミスに気が留めている。
文章自体はまだ書きます
10月23日(水曜日)。きょうの天気は雨の予報です。予報に違わず今にも雨が降り出しそうな、どんよりとした曇天の夜明けです。あれれ! と、思われる人がおられるかもしれない思いこの先、訂正文を書こうと決めています。なぜならきのうの文章は、書き終えてみずから再読を試みると、すぐに詫びなければという心境に陥りました。それは長い文章が掲示板を汚し、そのうえ読んでくださる人があれば、気分を損ねたであろうという思いが溢れたからです。この思いがつのり、詫び心とそのときの心境を露わにした文章を再記すればこうです。そして一つは、「心よりお詫びいたします」。重ねて一つはこれです。「書き殴りの長い文章は懲り懲り、もう書きません」。もとより、「もう書きません」の主語(主因)は、書き殴りの懲り懲りの長い文章であり、文章のすべてに掛かるものではありません。わずかにたった一行の文章にすぎないのに言葉に替えればで舌足らず、文章ではずばり下手でわが意が伝わらず、誤解を生んでいるのではと危惧しています。だから、恥を晒してでも、この文章を書いています。
私は大沢さまに感謝の気持ちも表わさず、かつまたご常連の人たちにたいし御礼の言葉も記さず、ただ「ぶっきらぼう」に「もう書きません」と書いて、文章を止めることなどするはずもありません。ただただ自分自身、書き殴りの長文に懲りて、併せてご好意の人たちにご迷惑をかけたことにたいし、「もう書きません」の心境をさらけ出したのです。あえてこのことを記してきょうは、尻切れトンボながらきのうに比べれば短い文章で閉じます。本当に「もう書きません」と記すときには、これまでの皆様のご恩に感謝し、ひれ伏して御礼の謝意をかぎりなく記します。
高橋弘樹様のエールにはいつも、迷えるわが心の支えになっています。心して、篤く御礼を申し上げます。曇天はいくらか明るんできています。わが心はとうに日本晴れです。もちろん、皆様のおかげです。