ひぐらしの記
前田静良 作
リニューアルしました。
2014.10.27カウンター設置
6月、初っ端の嘆き
現在、6月のカレンダーを眺めています。きのうの初日(6月1日・土曜日)は、月替わりにもかかわらず休みました。いつものずる休みではありません。いや、月替わり特有に、勢い込んで書こうと思っていました。ところが、気分が殺がれて書けなくて、休みました。きょう(6月2日・日曜日)もまた、きのうの延長線上にあって、気乗りがしないままにパソコンを起ち上げています。おのずから、文章が書けません。夜明けの空は、気象庁の梅雨入り宣言を速めるかのような、梅雨空模様です。だからと言って、鬱陶しさはありません。いやいや、この時季のふるさと情景が沸々とよみがえる、のどかな夜明けです。窓ガラスを通して眺めている山の法面のアジサイは、色彩を帯び始めています。私は自然界の恵みに浸っています。それでも、文章が書けません。たぶん、高齢という強者(つわもの)に襲われ、さらには夫婦共に高齢を生きる、わが家の身辺事情の難儀に脅かされているせいでしょう。だとしたら、きのうやきょうにかぎらずこの先、もう文章は書けません。かてて加えて私には、厄介な日常生活に立ち向かう気力がありません。「前田さん。何でもいいから書いてください」。大沢さまのご好意に背いて、こんなことまで書くようでは、もうお終いです。朝日は、気象庁の入梅宣言を先延ばしにするかのように明るさを増しています。自力叶わず、自然界の恵みに縋る私は弱虫です。季節は強虫(ムカデ)が寝床周りに這いずる頃になりました。私には、これまた厄介です。
賜った「美しい、水田風景写真」
5月最終日(31日・金曜日)。台風の接近にともなう大雨予報に背かず、夜明けは雨が降っている。この雨は、気象庁の梅雨入り宣言を誘い出しそうである。この時季の雨はどちらかと言えば歓迎し、もちろん恨みつらみはない。だから雨に遭遇し、気分が萎えることはない。なぜならこの時季、日本列島津々浦々にあっては、雨(天水)を頼りにする田植えが真っ盛りである。しかし、雨のせいではなく、寝起きのわが気分は萎えている。その原因は、きのう書き直しを含めて二度にわたり書いた文章は、わが指先の不始末で没し、挙句恥を晒したからである。そのこともあってきょうは、端から文章を書くつもりはなかった。確かに、書くつもりのない文章は書けない。ところが現在の私は、このことだけは書かずにおれない気持ちに苛まれている。それはすなわち、大沢さまのご配慮に背いては、お里が知れて罰が当たる思いだからである。結局、きのう書いた文章は日の目を見ず、掲示板上には現れなかった。ゆえに掲示板上に残っていたのは、おととい書いた表題『雨、水、天水』だった。
この文章は往時(学童の頃)に体験した田植え、そしていまやそれにまつわるふるさとの水田風景を懐かしく偲ぶものだった。すると、それに合わせて大沢さまは、水田風景の写真を掲示板上に載せてくださったのである。掲載の写真は田植えが済んだ後に広がる田園風景、まさしくわが心が晴れ晴れとする、美しい水田風景だったのである。私はまたとない、当を得たご配慮を賜ったのである。ゆえに、書かずにおれなくなったこの文章は、大沢さまのご配慮にたいする御礼文である。夜明けの大降りの雨には気分萎えずとも、わがミスで気分は萎えていた。それでも、このことだけは書かずにおれなかったのである。御礼文を書いて、萎えていた気分は和らいでいる。大雨は輪をかけて、気分の好い夜明けをもたらしている。
雨、水、天水
5月29日(水曜日)。きのうの大雨、大嵐は止んで、朝日が射し始めている。今、地震が起きなければ、万々歳の夜明けである。雨は、天水をもたらす。地上は、天水なくては困る田植えの季節である。水田(みずた)、水田(すいでん)、どう読んでもいい。土にたっぷりと水を含んで、稲を植えれば(稲作)、秋には米の収穫(収量)にありつける。古来、米は日本人の主食の食材をになっている。もとより私は、米作りを本源とする農家(農業)育ちである。それゆえに私は、田植えの季節にあっては今なお、大雨(天水)を嫌うことはない。水田は、常に心中に抱く美的風景である。この風景には家族それに親族、はたまた村人の田植え姿が付き纏っている。だから格別、懐かしくよみがえる絵になる心象風景である。現下、田植えの季節とあってこのところのテレビニュースには、それにちなむ映像が現れている。するときのうは、飛びっきりの映像が現れた。私は、当時のわが姿を観る思いで目を凝らした。映像は、学童(小学生)の田植え体験学習だった。水田には子どもたちの群れが、苗をもって足を入れていた。その様子は、だれもがはしゃいでいた。ひとりの男の子がマイクの前に、ニコニコ顔で立った。「最初はジュクジュクして気持ちが悪かったけれど、だんだん慣れて気持ちが良かった」。私はうれしくなった。体験学習は功を奏したのである。なぜなら、男の子は農家(農業)の一端を感じて、同時に水(天水)の大切さを知り得たであろう。田植えの時期にあって農民は、どれほど水(雨)に気を揉むかを知ってくれれば、これまたなお万々歳である。この文章の付け足しに電子辞書を開いた。【「水稲(すいとう)」:水田で栽培する稲。「陸稲(おかぼ)」:畑地に栽培する稲。生育中、水稲ほど多量の水を要しないが、水稲より収量が少なく品質も劣る】。日本列島くまなくきのうの雨はまさしく天水、農家にとっては恵みの雨だったはずである。朝日は輝きを増している。田植えの季節到来である。
大相撲界は地殻変動、「驚天動地、大の里、優勝」
5月27日(月曜日)。梅雨入り近し。梅雨空模様の夜明けが訪れている。ずる休みではない。感動にまみれて、全文引用文にすがる。
【新小結・大の里が史上最速Vの快挙!幕下デビュー7場所目で涙の初賜杯、本割で阿炎を圧倒し12勝3敗【大相撲夏場所】5/26(日) 17:19配信TBS NEWS DIG Powered by JNN】単独トップの新小結・大の里(23・二所ノ関部屋、日体大出身)が関脇・阿炎(30・錣山部屋)を押し出しで下し、12勝3敗で悲願の初優勝を果たした。初土俵から7場所目の優勝は、幕下付け出しでは横綱・輪島の15場所を大きく塗り替える“史上最速V”の快挙となった。結び前の一番で大の里は立ち合い、阿炎の突き押しで一歩下がるも一気に前に出て土俵際に攻め込み、そのまま押し出しで圧倒した。大記録達成に国技館は大歓声に包まれ、土俵下では涙を拭うシーンも。14日目を終えて阿炎を含め、4敗で琴櫻、豊昇龍、大栄翔の4人が1差で逆転優勝を狙ったが、単独トップの大の里が千秋楽本割で勝利し終盤の大混戦を制した。先場所は尊富士(25・伊勢ケ浜部屋、日大出身)が初土俵から所要10場所目(幕下・三段目付出を除く)での“史上最速V”を達成したばかり。昨年5月場所に幕下付け出しで初土俵を踏んだ大の里は、7場所目で故郷石川県出身の大先輩でもある輪島の記録を超えた。石川県出身力士の優勝は横綱・輪島、元大関の出島に続く3人目。大の里は新入幕の初場所で11勝、3月の春場所でも11勝と入幕から3場所続けて優勝争いに絡む活躍。今場所は初めて単独トップで千秋楽に挑み、初賜杯を手にした。直近3場所で合計34勝に到達。新三役で迎えた今場所は初日に横綱・照ノ富士を破り好スタートを切ったが2日目で高安に敗れる。3日目から6連勝で大関・霧島、琴櫻も撃破。9日目に平幕・平戸海、11日目に大関・豊昇龍に敗れたが12日目から星を落とさず栄冠に。先場所までざんばら髪だったが、初めてまげを結って挑んだ場所で見事“ちょんまげV”を達成。三賞は2場所連続の技能賞、さらに優勝が条件となっていた殊勲賞を初受賞。新入幕から3場所続けての三賞獲得となった。
梅雨入り前の心象風景
5月26日(日曜日)。風雨なく晴れて、のどかな夜明けが訪れている。ところがわが心象は、どん詰まり状態にある。文章が書けない。ゆえに、書けない苦痛に苛まれている。わが文章は、職業や仕事ではない。だから、書けないときは休み、書けるときだけ書けばいい。おのずから、自分自身に課している鉄則である。しかし、この鉄則には常に危惧がともなっている。危惧とは文字どおり、休めば再びの始動のない惧れである。それを惧れて私は、いやいや気分でパソコンを起ち上げる。もとより、気乗りのしない文章では、気分が晴れることはない。だから心中には、(もう、潮時、潮時……)と、恨み節を唱えている。ここまで、ネタを誘い出す序文とは言えない、どん詰まりの嘆き文を書いた。
だったらこの先は書かずに、おしまいにしたほうが身のためである。ところが一方では、継続の途絶えに怯えている。なぜなら、わが文章の唯一の取り柄は継続だけである。もちろん継続には、常に駄文に付きまとう恥晒しがある。ところが幸いにも私は、恥晒しを厭(いと)わない。なぜなら、恥晒しを恥と思えば文章は書けない。
さて、関東地方の梅雨入り宣言はまもなくであろうか。梅雨の季節を謳歌するアジサイは、濃緑一色の大葉の中に、艶々の白い小玉が日々色づいて膨らんでいる。これは気象庁の梅雨入り宣言を待つまでもなく、確かな梅雨入り近しの証しである。梅雨は、人間にとっては鬱陶しい自然界現象である。反面、人間に恵む特等の自然界現象である。農家出身の私は、体験的にこの思いが一入(ひとしお)である。そしてこの点、梅雨を毛嫌いするばかりでないことは、勿怪(もっけ)の幸いである。心して私は、梅雨の鬱陶しさに耐える気構えは十分である。
父は蓑笠、私は雨合羽を着けて、共に田植えに向かった光景がなつかしく偲ばれる。ネタ探しにともなう、よみがえるふるさと情景である。そしてそれは、嘆きながらも書いた報酬、すなわち愉しみの一つをもたらしている。「ネタ探しは愉しみ探し」。こう嘯(うそぶ)ききれないのは、やはり潮時なのかもしれない。
梅雨入り前にはいろんな思いが駆けめぐる。夜明けの晴れ模様は、時が経ちどんよりとした梅雨空へ変わっている。
欲張りの「享楽探し」
5月25日(土曜日)。未だ薄暗い夜明けが訪れている。ただ雨はなく、明ければ晴れの夜明けになりそうである。早起き鳥(鶏)を真似て、ウグイスが鳴いている。ウグイスの就寝時間はどれぐらいであろうか。安眠や熟睡に恵まれているであろうか。それとも二度寝にありつけず、やむなく起き出しているのか。たまには、悪夢に魘(うな)されることもあろう。住み慣れた塒(ねぐら)があるとはいえ、雨・風・嵐など防げず、さらには蛇、カラス、モズあるいは大鳥、野獣など取り巻く野の生活は、さぞかし厳しいだろうゆえに同情心、沸き立つばかりである。ウグイスの鳴き声には、わが起き立ての心身を解(ほぐ)すさわやかさがある。だからウグイスは、わが一日の始動を共にする、運命共同体の位置にある。私は、ウグイスにはいくら感謝してもしきれない。
さて、昨夜のナイター・阪神タイガース対読売ジャイアンツ戦(阪神甲子園球場)において、わがファンとするタイガースは、戸郷投手に「ノーヒットノーラン(ヒット無し・無安打)」を食らって、0対1で負けた。しかし、戸郷投手を称えて、悔しさは微塵もない。現在、開催中の大相撲5月場所(東京都墨田区横網・国技館)においては、小結・大の里(二所ノ関部屋)の強さが際立っている。私は(すぐに横綱になるだろう)と思い、さわやかな気分でスピード出世を愉しんでいる。プロ野球と大相撲のテレビ観戦は、共にわが日常生活(茶の間)における享楽を恵んでいる。確かにこの享楽は、人生の晩年を生きる私への棚ぼたのほどこし(プレゼント)である。今や、自力本願では享楽にありつけず、人様(他力本願)すがりである。すると、最も手っ取り早いのは、様々なスポーツのテレビ観戦である。とりわけ私の場合は、野球のタイガース戦と、大相撲のテレビ観戦に張り付いている。かつては国会中継もよく観ていたけれど、今は呆れて観る気がしていない。朝のテレビ小説「虎に翼」と、大河「光る君へ」も視聴はするけれど、スポーツのテレビ観戦ほどには、ワクワク感にありつけない。自分自身が生み出す享楽はないものか。それは叶わず、終生、闇の中に蹲(うずくま)っている。
人生の晩年にあって、「享楽探し」は欲張りなのであろう。望んでいた朝日は現れず、雲行き怪しい夜明けである。
ネタ切れを救うのは「望郷」
5月24日(金曜日)。真夜中に目覚めて、二度寝にありつけず、寝床で悶々として夜明けが訪れている。筋肉痛は、すっかり緩解している。ゆえに、不快(感)の一つは消えている。しかし、人生の晩年を生きる私には、まだ多くの不快事がある。ただ、どれもこれもがどう藻搔いても、解決をみないものばかりである。だったら、嘆くだけ大損である。わかっちゃいるけど、嘆くのはわが生来のマイナス思考の祟りである。ネタのない文章は、ほとほと哀れである。パソコンがなければ、こんななさけない文章は書かないで済むのに。恨みは、とんだ的外れである。生きていればネタは、あちこちに転がっている。それを拾いきれないのは、わが能力(脳力)の欠乏のせいである。つくづく歯がゆいと思う、寝起きのわが心境である。
いつも、ネタ無しを真っ先に救うのは望郷である。望郷には、歳月の隔たりはない。いや、歳月が遠くにあればそのぶん、望郷はいや増してくる。心象の醸す情念は、確かに人間のみがさずかる特権である。故郷には今は亡き、父、母、きょうだいたちがいた。現在は、たくさんの甥や姪たちがいる。これらこぞって、わが望郷の念をつのらせる。望郷の念は、人にかぎるものではない。人を取り巻く、山河自然が輪をかける。わが家の庭先から、始終眺めていた借景「相良山」。わが家の裏を流れている「内田川」。わが家の前景そして後景に広がる田園風景。春は菜の花に飛び交うモンシロチョウ。畦道や原っぱに萌えるツクシンボ。クヌギ林のクワガタ捕り。里山のメジロ落とし(捕り)。梅雨の合間の田植えやホタル狩り。夏は内田川の水浴びと魚取り。秋は指先に止まる赤とんぼ。冬は家族そろって、炬燵の中での炭火餅焼き。どれもこれもが望郷を掻き立てる。
きょうのネタ切れは、望郷に救われたのである。ウグイスが鳴いている。望郷を繋げれば、縁の下の鶏の鳴き声、座敷の柱時計の音、共にも懐かしく望郷を掻き立てる。朝日輝く、のどかな朝ぼらけである。無念、後れて、眠気が襲っている。
朝が来た
5月23日(木曜日)。曇り空を薄めて、朝日が射し始めている。梅雨入り宣言を控えて、束の間ののどかな朝ぼらけなのかもしれない。ウグイスは、朝っぱらから猛烈に鳴いている。「梅雨入り近し」を体感し、焦っているのかもしれない。気象庁はおととい(5月21日)、沖縄・奄美地方の梅雨入りを宣言した。昨年より十日ほど遅いという。ところが私は、先日の文章でこれより先に、沖縄県の梅雨入りのことを書いた。もちろん、わが嘘っぱちではなく、それはメディア情報に基づいている。しかしながら省みれば、気象庁の正規の宣言ではなかったのかもしれない。すると、私は騙されて恥をかいたことになり、ここで詫びることとなる。もとより、恥晒しは厭わない。けれど、恥晒しを厭わなくなれば人間(私)は、生きる価値はなしとは言えないが、もはやおしまいである。そして先駆けて、こんな文章を書き続けるのは、もうおしまいにしたくなる。
これまでの私は、文章書きを何度か、昼間への移行を試みた。しかし、すぐに元の木阿弥なり、目覚めて寝起きの文章書きに復している。わが生来の三日坊主の祟りである。挙句、執筆時間の切迫に苛まれて、体(てい)を成さない文章を書き続けている。こんな言い訳をする現在の心境は、なさけなくみすぼらしい状態にある。究極、面汚(つらよご)しの継続だけの文章に成り下がっている。これまた、詫びるところである。ここで文を閉じればまさしく面汚しである。ゆえに、現下の日本社会の世相の一端を書き留める。
すると、真っ先に浮かぶのは、いろんな物の値上がりである。これにちなんできのうは、この秋から郵便料金の値上げが予告された。身近な手紙や葉書、その他諸々の料金が大幅値上げである。私はすぐに、大沢さまのご好意へ思いを馳せた。これまでの私は、大沢さまにはいろんなところで、郵便料金の無償(ただ)にあずかっている。そのたびに感謝と同時に、わが気分は申し訳なさで沈んだ。ゆえに値上げののちは、「ただ」は改めなければならないと思う。このことを記して、文章は結文とする。
政府は物価の値上がりに見合う、給料や賃金の上昇要請に躍起である。ところが、日本社会にあっては、給料や賃金にありつけない人多しである。ゆえにこののち、格差社会はいや増すばかりである。このところは、その走りと思える凶悪事件が増えている。政府には党利党略が見え透いた、給料や賃金の上昇要請はほどほどにして、悪の根源(物価上昇)を断つ舵取りを願うところである。ウグイスはいいなあ……、物の値上がりを知らず、鳴くばかりである。
賜った「感動と刺激」
5月22日(水曜日)。目覚めて、生きています。曇り空の夜明けが訪れています。学童時代の「綴り方教室」がよみがえり、それを真似て幼稚な作文を書きます。題材はきのうのバスの中で遭遇した光景です。
きのうの私は、いつもの買い物の街・「大船」(鎌倉市)へ、昼過ぎから出かけました。用件は、文字どおり買い物です。帰りの背中の大きな買い物用のリュックは、膨れてダルマのようになっていました。さらに両手には、わが手に馴染んでいる布の買い物袋を提げていました。こちらにも、両手に限界の重さの買い物を提げていました。バスの始発の停留所では、先頭から十番目辺りで並びました。三時近くの昼間、立って並んでいるだけで、額には汗が滲みました。それでも、汗を拭く動作はできません。きのうは、特段に気温の高い日でした。もちろんそれは知り、私は薄手の半袖シャツで出かけました。十分ほど待って、バスが入線して来ました。私はもはや、老人用へ成り下がった特割の定期券を運転士に翳して、ワンコイン(百円)を支払機へ落とし、最後部座席へ進み腰を下ろしました。この座席は四人掛けです。真っ先に腰を下ろした私は、それでも身を縮めて、リュックや両手の買い物袋をわが膝にこじんまりと纏めました。ようやく、ホッとしました。
次々に乗客が乗り込んで来て、車内の座席は埋まり、立つ人が増えました。後部座席にはいち早く、四人が並びました。私は身を竦めて、隣の人に席を空けました。隣はご婦人です。ゆえに、お姿をジロジロと見るわけにはゆきません。バスはエンジン音を響かせて、発車しました。ようやく、隣のご婦人の顔と頭髪を盗み見しました。顔には皺を刻み、頭髪には白髪が多く、私と同年齢(83歳)あたりと、目鼻を付けました。私は車内に馴染み始めました。ご婦人はすばやく本と手にとり、ページを開かれました。私は横目を逆立てて、開かれたページに目を落とし続けました。この行為は、気づいて下車するまでの約二十分強続きました。
わが下車する「半増坊下バス停」が近づくと私は、ブザーを押しました。ご婦人はまだ先へ進まれるため、気づいて横滑りになられて、私に道を空けました。ご婦人が乗車されてすぐから、ここまで開かれていたのは、分厚い英語の参考書でした。開かれていたページには、B+形容詞や副詞と書かれていました。すなわち、目を覆いたくなるような難しい「英語の構文例」が並んでいました。降りかけに初めて、私はご婦人へ声をかけました。
「素晴らしいですね。英語の難しい構文例ですね。盗み見をしていました」
「好きなものですから……」
感動と刺激をおぼえて私は、ヨロヨロと降車口へ向かいました。
ところがそのとき、扉が閉まりそうになりました。私は大慌てで、「降ります」と、大叫びしました。再び、降車口のドアが開きました。降りると体勢をととのえて、わが家へ向かいました。再び額に汗が滲んで、こんどはタラタラと道路へ落ちました。
初見のご婦人は、私に感動と刺激を恵んで、なおページを開いたままに、次のバス停かその先で下車されたはずです。循環バスのこの先のバス停は、あと二つです。曇り空は、胸の透く朝日の輝きに変わっています。
筋肉痛は緩解
5月21日(火曜日)。目覚めると部屋の中には、昼間の光と思わす、満天晴れた朝が訪れていました。満腔は気分よく緩んでいました。ただそのせいで寝過ごし、執筆時間の圧迫を被っています。ゆえに、文章は書けず、諦めました。ウグイスは鳴いています。私は泣いています。だから、一つだけうれしいことを記して、文章を閉じます。他事ながら、筋肉痛は緩解しました。