ひぐらしの記
前田静良 作
リニューアルしました。
2014.10.27カウンター設置
無実の罪で牢屋入り
6月13日(木曜日)。田園に立っている案山子(かかし)は、人間に見える。道端に佇む私は、案山子に見える。わが脳髄は、空っぽのほうがましである。だけど、屑がいっぱい詰まっている。もう、こんなことしか、書けなくなってしまった。夜明けは、必ずやって来る。つれて、目覚めれば、文章を書かなければならない。ゆえに、無実の罪で、牢屋に入っている心境である。
夜明けの空は、遅れている気象庁の梅雨入り宣言を誘うかのような曇天である。それでも、わが心中の空より晴れ模様である。私は恥を晒して、書くまでもないことを書き始めている。確かに、気鬱症状にはある。しかし、気違いの自覚はない。嘆きながらこんな文章を書いているのは、書き続けることを自らに負荷しているせいである。だったらもう、束縛という箍(たが)を外すべきである。表現を変えれば、「潮時」を敢行すべきである。
気違いじみた文章はここで結び、階段を駆け下り、道路の掃除へ向かう。そして、老いた案山子に見間違えられないように、私はせっせと箒を揺らすつもりでいる。山のウグイスだけは鳴いて、同情のいや、哀れみのエールを送ってくれるはずである。加えて、「おはようございます」という、人間の声に出遭えば万々歳である。
ウグイスと私
6月12日(水曜日)。寝坊した夜明けにあって、朝日がキラキラと輝いている。慌てふためいている起き立てにあって、まったくネタが浮かばない。こんなときは、休めば恥をかくことはない。ところが、パソコンを起ち上げてしまった。気乗りのしない、後の祭りである。だから無理矢理、ネタとは言えない気違いじみたことを浮かべている。それは、きのう感じたことである。
わが耳にはほぼ一日中、山のウグイスの鳴き声が聞こえていた。このとき、バカな私は心中にこんなことを浮かべた。私はウグイスの生態、特に身近なことでは日常(生活)を知ることはできない。間断なく大きな声で鳴き続けているのは、一匹であろうか。それとも集団で、時を分け合って、鳴いているのであろうか。鳴き声とて、「ホウ、ホケキョ、ケキョ……」の単調、すなわち一辺倒ではなく、様々に工夫を凝らしている。ゆえに、一匹で鳴ける技能とは思えない。すると、人間界のオーケストラ(楽団)のごとくに、やはり集団でパート(役割)を決めて、鳴き続けているのであろうか。素直と言おうか、バカと言おうか、私はこんなことを心中に浮かべていた。もちろん私は、ウグイスの快い調べに感謝しきりだった。
ネタのない夜明けは、常に億劫である。朝日の輝きぐあいからすれば、気象庁の梅雨入り宣言は、月末あたりまでに日延べになりそうである。私はともかく、ウグイスは喜び勇んで、鳴き続けてくれるだろう。おのずから私は、無償で鳴き声に癒される。山からわが庭中へ飛んで来れば、私にはお礼返しに何らかの食べ物(餌)を用意する心づもりはある。しかしウグイスは、老醜きわまる私に怖気(おじけ)ついて、飛んでこない。お礼のしようはない。やはり、ウグイスは「バカ」なのか。
子どもの頃の私は、近所の遊び仲間たちと大声をそろえて、ウグイスにたいし「バカ」と、叫んでいた。メジロを囮(おとり)にして籠をかけて、鳥もちを塗った枝を翳しても、ウグイスはたったの一度さえ掛からなかった。ウグイスへの「バカ」の呼称は、その腹いせだったのである。きょうも朝っぱらウグイスは、音調を変えて鳴き続けている。
アジサイの心境、わが心境
6月11日(火曜日)。やはり、気象庁の梅雨入り宣言は遅れるのであろうか、朝日がキラキラと輝く夜明けが訪れている。山の法面にわが手植えのアジサイは、艶を湛えて見事な色を成している。しかし、アジサイとて梅雨入り宣言を前にして、気分は穏やかではないのかもしれない。なぜなら、梅雨入りが遅れたうえに、梅雨明けが早くなれば、そのぶん「アジサイのわが世の春」は短く、十分には謳歌できないこことなる。
アジサイは雨に濡れてこそ妖艶であり、陽射しに焦げつくような姿は哀れである。すなわちアジサイは、雨のしたたりにとことん濡れてこそ、人間に眼福をもたらしてくれるところがある。アジサイ自身、このことは十分に承知の助であるはずである。ゆえに窓の外に見るアジサイの心境は、泰然に見えていても内心は、穏やかではないはずである。ところがこんなおり気象予報士は、関東地方の梅雨入りは、月(6月)の後半になるだろうと予報した。梅雨入りが遅くなるからといってそのぶん、梅雨明けが遅くなるとはかぎらない。ゆえにアジサイは、気を揉むこととなる。
「ひぐらしの記」は、すっかりわが生きている証しの文章だけに成り下がっている。ところがもはや、その文章さえ書けなくなった。なぜなら、わが心象に様々な難事が浮かんでは離れず、こびりついているからである。ひとことで言えば、人生の晩年を生きる苦悩に脅かされて、平常心の喪失状態にある。こんな文章を書くこと自体、その現象の確かな証しである。挙句、書くまでもないことを30分ほど書いて、ここで結文とするものである。もとより、継続文の足しにはならないけれど書いて、いくらか気分の安らぎをおぼえている。
道路の掃除はきのうの夕方に終えている。だから、アジサイを眺めながら朝の散歩めぐりをする人たちへの配慮は済ましている。しばし立ち止って、「まあ、綺麗……」と言ってくだされれば、わが気分は癒される。人様すがりのわが人生は、消費期限切れ近くにある。
よみがえる「ふるさと情景」
6月10日(月曜日)。小雨降る梅雨空模様の夜明けが訪れている。気象庁はきのう、四国地方の梅雨入りを宣言した。梅雨空模様を眺めていると、関東地方の梅雨入り宣言もまもなくであろう。梅雨入りに恐れはないけれど、明ければ本格的な夏の季節になる。この点、季節めぐり、いや一年のめぐりの速さには、ただただ恐れて驚くばかりである。
6月のカレンダーには、「夏至」(6月21日)が記されている。6月・梅雨の時季にあっての私は、雨の日の多さによる鬱陶しさではなく、半年・一年めぐりの速さ(感)にともなう、気鬱まみれになるところがある。もちろん、気を揉んでもどうしようもないことではある。
こんなおり、二枚の写真が気晴らしをしてくれたのである。それは平洋子様のご投稿文から賜った、この時期のふるさと情景に添えられていた写真である。なかでも一枚の写真は、田植えが済んだばかりの美しい水田風景だった。たちまちこの写真は、わが心中にかぎりなく、かつさまざまな過去・現在のふるさと情景をよみがえらしたのである。たった一枚の写真につのる思いは無限大だった。父の顔、母の面影、髣髴とする親類縁者の姿。わが家の田植えは日を替えて、親類縁者との「もやい」(共同作業)だった。仕納場(しのば、農作業用の建屋)に蓆(むしろ)を敷いての昼食どきの楽しさは、田植えの苦労に報いるものだった。晴れた夕暮れには、ホタルが飛び交った。雨の日にはみんな、「蓑笠」や雨合羽を着けた。蓑笠では当を得ない。ふうちゃんは「バッチョウ傘」と記した。私は「バンチョウ笠」と、言っていた。ふうちゃん、ありがとう。おかげで、当時の田植えの風景がきらびやかによみがえっている。
きょうの文章は、再びの平洋子様への御礼文と、加えてふうちゃんへのお礼文である。ふるさと慕情がなければ、高齢を生きる価値や甲斐はない。私の場合、梅雨に鬱遠しさはない。梅雨入り宣言を前に、早やてまわしに様々なふるさと情景がよみがえっている。時が経っても、朝日は雲に隠れて、小雨が降り続いている。梅雨は、ふるさと情景を愉しむ季節である。
「ひぐらしの記」が取り持つ縁、ご厚情に感謝感激
6月8日(土曜日)。日本の国の鎌倉地方の朝は、気象庁の梅雨入り宣言前にあって、穏やかな夜明けにある。こんな突拍子の書き出しをしたのは、木村様にたいするちょっぴりのお礼返しである。私は常にふるさと慕情に駆られている。ところが木村様の場合は、日本の国を故郷と思うほどの広大かつ高邁な慕情であろうか。異国・大陸・中国(江西省南昌市)に、教師として赴任中の木村様から、当国の官製絵葉書を戴いた。お葉書を戴くたびに私は、切手や絵葉書の異国風景を凝視し、そして未知の国への情緒をつのらせている。感謝感激である。
きのう書いた文章には、お二人様からメッセージを賜った。大沢さまの場合は、わが夫婦の現在の生き様にたいする「いたわり」のメッセージだった。メッセージを読み終えると、萎えていた心に沸々と勇気が涌き出た。御礼は、これまた感謝感激である。高橋弘樹様の場合は、いつものエールに加えてきのうは、ご自身の体験を踏まえて、ありがたいアドバイス付きの文字どおりの応援メッセージだった。またまた、感謝感激である。御礼の心には、グダグダと多言は無用である。ゆえに、お三方のメッセージに合わせて、一行だけの御礼の意思を伝えるものである。もちろん「ひぐらしの記」は、常に掲示板上の声なき声の励ましにも支えられている。だからこの文章は、総じて「ひぐらしの記」が取り持つご縁として、感謝感激の一文を書いたものである。
高齢を生きるわが支えは、「ひぐらしの記」からさずかる、人様のご厚情一辺倒である。日々、感謝感激尽きることはない。文尾にあたり、木村様の絵葉書の一文を無断で借りることをお許し願えば、こう書かれている。「当地は梅雨が終わり、すっかり夏の陽気です」。浅薄なわが知識は、中国にも「梅雨」があることさえ知らなかったのである。日本の国の鎌倉地方は、まもなく梅雨入りである。鬱陶しい梅雨をしばし遠のけるかのように、制限時間付きの朝日がキラキラと輝いている。
危機
6月7日(金曜日)。近く、気象庁から梅雨明け宣言がありそうなどんよりとした空模様の夜明けが訪れている。きのうは短い文章だったにもかかわらず、間抜けなミスをしでかした。気象庁の梅雨入り宣言はまだなのに、梅雨の合間と、書いてしまった。本当は梅雨の合間のようなと、書くべきだった。いつも、ミスをしでかしたあとの気分は憂鬱である。ところが、ミスのない文章はほぼない。おのずから、そのたびに嫌な気分になる。素人の文章ゆえにしかたないとはいえ、わが気分はすぐれない。書き殴りのしわざと、弁解の余地はない。きょうもまた恥を晒して、書くまでもないことを書いている。ゆえに、ここで結文にしたいところである。すると、おのずから継続文の足しにはならない。
きのうの私は、妻の髪カットの引率同行で、いつものわが買い物の街・大船(鎌倉市)へ出かけた。妻の歩行は、だんだん危なっかしくなるばかりである。連れ添うわが気分は、つらい情愛に様変わり始めている。妻の歩行の変化は、如実に人生行路の変化を露わにしている。遅かれ早かれやがて、わが身(配偶者)もまた同然になる。髪カットを終えたのちは、歩いては立ち止まり、一息ついてはまた歩いた。昼日中のわが夫婦の現時点の生き様である。
昼食には「餃子の店、王将」へ入った。テーブルに置かれた、エビチリ、ニラレバ、餃子、御飯を分け合って食べた。こののちはあちこちの買い物めぐりで、ヤマダ電機と西友ストアにも出向いた。ほぼ一日がかりの同行だった。けれど私は、妻の足取りに連れ添い我慢した。我慢の証しは、この言葉にあらわれていた。
「きょうは、小旅行みたいだったね」
妻は機嫌よく、「そうね」と、相槌を打った。
この書き殴りの文章にあって、のちにミスを気づけば、わが気分はまた憂鬱になる。いつもの繰り言を繰り返そう、わが文章は潮時にある。こちらも繰り返そう、すでに梅雨入りしているかのような夜明けの空模様である。
訃報メール
6月6日(木曜日)。梅雨の合間の晴れ、曇り、五分五分の夜明けが訪れています。朝寝坊をしたため、文章は書けません。ひとしきり、哀しい望郷に瞼を濡らしています。
きのうは甥っ子から、訃報メールが届きました。異母長姉の長男(福岡県大川市在住・享年89)の永別の知らせでした。故人は風貌がわが父親に似て、そして私は、家族に「もっとも、故人に似ている」と、言われ続けていました。うれしい言葉でした。ゆえに生前の故人には余計、親しみ感が増幅していました。とても、心根優しい人でした。私より年嵩(としかさ)の甥っ子はあと一人、姪っ子はあと二人います。いずれも、異母兄姉が恵んだ心根優しい人たちです。ただこちらには、私自身の訃報が先立ちそうです。訃報メールには、通夜は今晩、葬儀は明日の正午、とありました。生きている私はこの時間、年長甥っ子の生前の面影を浮かべて祈ります。こんなことを書いて、すみません。時が過ぎてもいまだ、どっちつかずの空模様です。
迸(ほとば)り出る「驚異」
6月5日(水曜日)。のどかに晴れた朝ぼらけの夜明けにある。わが寝起きの気分は、自然界の恵みにおんぶに抱っこされている。しかし、現実にはわが気分は、日々萎えてゆくばかりである。現象的には、こんなことで萎えている。すなわち、わが脳(精神力)は劣化し、妻の体(身体力)は衰退を極めてゆく。共に、抗(あらが)えない高齢の哀しい夫婦事情である。だからこのことに関しては、かぎりなく驚異をおぼえている。
きのう、現代文藝社(大沢さま単独主宰)から、直近発行の「流星群51号」が届いた。受け取るたびに、わが驚異はいや増すばかりである。実際には、大沢さまのあふれ出る才能、そして強靭な精神力、かてて加えて書き手(作者)にたいする優しさへの驚異である。これらのことを書かずにおれなくて、きょうの私はいつもとは違って、勢い込んでパソコンを起ち上げている。久しぶりにネタに恵まれている。
「ひぐらしの記」においてはこれまで、「流星群」およびその妹編「流星群だより」については、繰り返し発行の経緯(いきさつ)を記してきた。しかしながらまた、書かずにはおれない現在のわが心境である。本編・姉編の「流星群」は、半年ごとに発行されている。そして、「流星群だより」もまた、この間隙を突いて、二度発行されている。ところが、これまでの「流星群だより」に加えて、このところは「流星群」までもが掲載料無料という、ただ働き(大沢さまの無償の奉仕)にあずかっている。さらには出来立てほやほやの両誌の郵送料は、元から自己負担(大沢の自腹)にさずかっている。書き手にとってはまさしく、大沢さまは崇め尽きない女神である。これらに加えてなお、驚異いや増すところは、発行年月の長さである。すなわち、大沢さまのたゆまぬご奮闘の証しである。今回の51号は、如実にその歳月の長さと、その間の奮闘ぶりの証しを成している。すなわち、途中一度さえ切れることなく、長期すなわち25年半におよぶ発行である。
繰り返し記すと大沢さまは、何たる才能と精神力そして優しさの持ち主であろうか。私は大沢さまのご年齢を知ることはないけれど、ご高齢のほどは確かである。ゆえに、驚異いや増すばかりである。稀なる才色兼備の大沢さまに出会えて、幸運にもわがしがない人生は、潤沢にありついている。不断の私は、当てにならない神様頼りは無縁である。しかし私は、当てになる女神(大沢さま)だけは、常に当てにしてすがっている。気持ちの好い一文を書いて私は、いっそう心のどかに朝日輝く大空を眺めている。
「歯と口の健康週間」
6月4日(火曜日)。夜来の雨が空気を浄めて、満天青空の夜明けを恵んでいる。つれて、わが寝起きの気分は爽快である。これぞまさしく、自然界の無償の恵みである。いっとき指先を休めて、堪能しなければ大損々である。しばし、カレンダーを眺めている。すると、きょうの日には「歯と口の健康週間」と、添え書きがある。あまりにも皮肉めいていて、私は悔しさをつのらせては呆然としている。
先週、私は上の最前(真ん中)の前歯を損傷した。諦めきれずに鏡で、今なおそのところを何度も見ている。上下をそろえるとその部分だけが、まるでふるさと「阿蘇山」の噴火口みたいに、「ぽっかり穴」を成している。しかし、予約通院はほったらかしにしたままである。そのわけは、一つには痛さがないこと、そして一つは、もはや修復のしようはないだろうという、自己診断のせいである。
恥を晒して、損傷(崩れ欠け)状況を再現(現場検証)すればこうである。私は大好物の「井村屋のアズキキャンデー」を、普段の習わしにしたがって食べていた。アズキキャンデーはもとより氷菓子であり、石ころに匹敵するほどに固く凍結している。ゆえに食べ方の常道は、最初はゆっくりと舐めながら、しだいに溶けてゆくものを最後には噛んで、腹の中に納めるべきものである。ところがこのときの私は、逆行をしでかしたのである。たちまち、歯が数個に割れて、口の中と足下に崩れ落ちたのである。万事休す。悔しさつのる「後の祭り」である。
悔しさまぎれにまたまた私は、カレンダー上の添え書きを恨めしく眺めている。このところの私は、文章は休みがちになり、書けばなさけない文章ばかりを書いている。かつて私は、ある人とこんな会話を交わしたことがある。
「毎日、私は文章を書いています」
「前田さんには、毎日、書くことがあるんですね。よく書けますね。わたしは、はがき一枚も書けません」
いよいよ、私も書けない状態に陥っている。なさけない歯の損傷がネタになるようでは、確かにわが文章はどん詰まりである。気晴らしは、指を休めてまたまた青空眺めである。爽快な気分は、翳り始めている。
「嘆き文」、続編
6月3日(火曜日)。気象庁の梅雨入り宣言を誘うかのような、梅雨空模様の夜明けが訪れています。いやまもなく、入梅宣言がありそうな、確かなシグナルです。自然界はみずからのしでかしを、「鬱陶しい」などと泣き言など言わずに、季節に応じて穏やかにめぐっています。幸いなるかな! 私も、梅雨の季節を鬱陶しいと、思うことはありません。この思いは、農家というわが出自がもたらしています。生誕の地、今やふるさとは現下、田植え真っ盛りの季節です。雨(天水)の多い梅雨という季節がなければ、農家(農民)は、降るあてどのない神様すがりの「雨乞い」までしなければなりません。確かに今では、私はまぼろしの農家育ちになっています。それでもやはり私は、梅雨を毛嫌いすることはできません。序文にさえにもならないことを書きました。唯一の取り柄は、生きて目覚めている証しにすぎません。
このところの私は、高年齢と命の限界が邪魔をして、まったく士気が上がりません。その証しにきのうは、「嘆き文」を書きました。ところがきょうもまた、書くまでもない文章を書き始めています。明らかに、きのう続編に成り下がっています。おのずから気分が滅入り、この先は余儀なく書き止めです。「生きているだけでも幸せ」という思いをつのらせて、しばし士気の高揚に努めます。詫びて、あしからず。
世の中の人様の生き様模様を見聞すれば、確かに身体息災に生きていることは幸運です。やや、精神(力)がめげています。梅雨空模様は、夜明けが過ぎて明るみ始めています。