ひぐらしの記
前田静良 作
リニューアルしました。
2014.10.27カウンター設置
よみがえる「ふるさと盆」の追想
7月14日(日曜日)。ふるさとは「7月盆」の最中(さなか)にある。起き出して、「お盆」の追想に耽っている。それぞれの御霊を浮かべている。今や、ただひとり生きているわが務めである。まぼろしの墓(前田家累代の墓碑)は、わが心中に建っている。盆にかぎらず春・秋の彼岸、あるいはときどきの墓参りの原風景は、こうである。母は「墓参りに行くばい……」と言って、決まって私を連れだした。墓参りどきの母は、野良仕事の普段着から、いくらか見栄えのする装いに替えていた。たぶん母は、道すがらに出遭う人様にたいし、気兼ねをしていたのであろう。
わが子どもの頃、すなわち生家の当時の行政名は、熊本県鹿本郡内田村だった。現在の行政名は、熊本県山鹿市菊鹿町である。ふるさとと言うにはやはり、内田村こそしっくりする。熊本県の北部地域に位置し、熊本、福岡、大分と県境を分け合う尾根に囲まれた内田村は、山囲いの盆地を成していた。もちろん、今なお変わらない。当時の村人のほとんどは、農業と山林の上がりを生業にしていた。何らかの仕事を兼ねていても、生計は主にそれらの上りにすがっていた。農家は狭隘な田畑、さらには家畜(牛馬)の入れようのない鍬や鎌頼みの段々畑にすがっていた。もとより、村人の生計は、自給自足を旨に営まれていた。山林へ向かう人の仕事とて、炭焼き、椎茸作り、筍(たけのこ)の掘り出しくらいで、実入りを増やす大掛かりな山働きなどなかった。それでも、村中には製材所が一軒あったから、その仕事にたずさわる人達だけは、本業として山に入っていたのかもしれない。馬車引きさんは二人ほどいた。往還(県道)には「産交バス」(九州産業交通)が定時に往復し、ときたま「〇通(丸通)」(日本通運)のトラックが走っていた。乗用車(自家用車)は見ることはなかったけれど、のちにわが家のかかりつけの「内田医院」(内田医師)」の自家用車が登場した。村中のあちこちには、よろず屋風の「なんでんもんや」の店があった。
小学校と中学校(内田村立)の位置する村の中央の堀川地区には、内田医院、村役場、駐在所、文房具店、酒屋、鍛冶屋、精米所、畳屋などがあった。村中は地区ごとに、小さな集落(名)を成していた。わが生家は、「内田川」べりの「田中井手集落」に位置していた。墓は内田川から離れて、歩いて片道20分ほどの「小伏野集落」の小高い丘の上にあった。それは、父の生誕地が小伏野集落だったことに起因している。父はのちに、水車を回して精米業(所)を営むために、田中井手集落へわが生家を構えていたのである。内田医師、そしてふうちゃん地区の「原集落」の相良医院(相良医師)、ほか「谷川医院」(谷川医師)を除けば、村中の公務員(役場人や学校の先生)を含めて村人たちは、農家を兼ねて暮らしを立てていた。
母が私を連れ立つ墓参りは、いつもこうだった。母は縁先のちっぽけな花壇から、自然生えみたいな草花を摘んだ。それを古新聞で束ねた。大きな薬缶にはたっぷりと川水を入れた。火付けには、大きなマッチ箱を用意した。封切らずの線香の束を携えた。私は薬缶を手提げた。野末の墓には、絶えずそよ風が吹いていた。墓標を水で浄めて、置かれている茶碗の汚れは指先でぬぐい取り、両脇の花入れには持参の花を挿げた。これらが済むと、マッチを取り出し、古新聞に火をつけた。火を線香へ移すと、燻る火を足で踏んづけて消し去った。線香立ての線香の炎がゆらゆらと空へのぼりはじめた。母は「さあ、参ろうかね……」と、言った。「うん」。私は応じた。二人は並んで腰をかがめて、墓標に向かって深々と合掌した。雨のため道路へ向かえず、時間があることをいいことにして、長々とこんな文章を書いてしまった。つくづく、かたじけない。
人間の知恵
7月13日(土曜日)。ふるさとは7月盆の迎え日(火)にある。きのうの雨の名残で、道路は濡れている。そのため、道路の掃除はできずに、仕方なくパソコンに向かっている。仕方なくという表現は止めて、喜んでと書けばいいものの、そう書けば嘘っぱちになる。嘘は、禁物である。だから、本音を言えば、継続を断たないためのパソコンへの対峙である。きょうは、10日間の頓挫の後の再始動3日めである。言うなればこの文章は、生来の三日坊主を恐れて、それを免れるためだけの文章にすぎない。ゆえに、用意周到なネタなど持ち合わせず、ひたすら継続を願うだけのいたずら書きの文章と言えるものである。
自分自身、この先、何を書こうかとさ迷っている。人間の生身(身体)には、様々な器官がある。それらの中で、感覚器官として五官を成しているものを順不同に記せばこれらがある。すなわち、耳(聴覚)、鼻(嗅覚)、目(視覚)、舌(味覚)、皮膚(触覚)である。すると、これらの欠陥や劣化に対しては、人間の知恵が補うこととなる。人間の知恵が生み出すものには、かぎりなく様々なものがある。しかし、凡愚の私は、それらを知ることはできない。ゆえに、生身(身体)の欠陥や劣化にかぎり、ごく常識的に浮かべているのは、薬剤と器物である。この二つの中で薬剤は別にして、今、わが知るかぎりの器物を浮かべている。すなわち、人体機能(器官)の欠陥と劣化を補助する、人間の知恵の産物類である。
まずはわが身を照顧すれば現在は、メガネ、入れ歯、補聴器の有効さにさずかっている。妻の場合は、今のところ補聴器は要なしだけれど、この先の予備軍にはある。ところが妻の場合は、脳髄には金具が埋め込まれている。これは自転車の後部座席に乗る妻を、私が振り落としたおりの脳外科手術で埋め込まれたものである。50日を超える入院で妻の命は助かり、私は加害者という犯罪者から免れた。わが生涯にわたりまったく消えることのない、つらい事故の後処置であった。私は妻の命を救った金具を見ることはできない。けれど、このときの主治医(今は亡き院長先生)と「大船中央病院」(鎌倉市)には、これまたわが生涯において、尊敬と尊厳を欠くことはできない。
妻は二年ほど前の転倒、そして大腿骨骨折にあっては、大船中央病院へ救急車で搬送された。私も同乗した。入院手術のおりの人造骨(人工骨)で妻は現在、歩行が叶えられている。私と妻にかぎっても、これらの人工器物の補助にさずかり、日常生活を営んでいる。もちろん、世の中の人々は、人間の知恵すなわち様々に多くの人工の器物にさずかっている。私の知るかぎりを記すと、こんなものが浮かんでいる。これまた順不同に思いつくまま記すところである。一般にカテーテル(管)と言われる器具は、部位ごとに様々な用い方で使用されている。詳細は知る由ないけれど、心臓の補助器材にはペースメーカーがある。運動機能をよみがえらせる義手や義足がある。先ほどの金具や人工骨もある。総じて、車椅子なども人間の知恵の産物と言えそうである。薬剤を生み出す人間の知恵にもかぎりはない。未知のことを書いて誤りがあれば、伏して詫びるところである。
三日坊主で止めれば、心の安寧に行き着ける。しかし、継続を断たないために仕方なく書く文章には、安寧にはありつけない。朝日が射し始めている。道路が乾けば、掃除へ向かうことになる。あさって(7月15日)、ふるさと盆の送り日(火)には、わが84歳の誕生日が訪れる。わが命は劣化を続けている。だけど命を救う適当な器材はなく、対症療法の薬剤頼みである。人間の知恵の開発はまだ残されている。わが死後に有効な器材が現れるかもしれない。それでも悔いることなく、良しとしなければならない。ウグイスは、気分良く鳴いている。わが気分は、どんよりとくすんでいる。
青息吐息で書きました
7月12日(金曜日)。夜明けて、曇り空である。雨は降っていないけれど、道路は雨の跡を残して濡れている。だから、きのう書いた、文章の頓挫の理由の一つは使えず、パソコンに向かっている。二者択一すなわち、今朝は道路の掃除のほうを諦めて、半ば仕方なく文章を書き始めている。文章の継続を阻害する因(もと)は、もとよりこれにとどまらずかぎりなくある。その一つは、時間的制約である。具体的なものでは、寝起きて書く文章と、ほぼ同時間帯に負荷している道路の掃除である。この制約を免れるためには、どちらかを同時間帯から、逸らせばいいことである。だれでもできる、きわめて簡易な対処法である。もちろん私も、これまで何度も試みたし、今も試みている。ところが、その試みは未だに定着をみずに、なさけなくも文章の途絶えの言い訳の一つとなっている。確かに、たったこれだけの文章にあって、時間的制約の理由を持ち出すのは愚の骨頂である。書き殴りに書いて、一度の推敲を試みても、30分ほどで済むものである。しかし、文章の頓挫は防ぎきれない。やはり、文章頓挫の根源は、総じて心(精神)の病・堕落の現象と言える気力の萎えにある。ところがそれも、一時的に現れる「モチベーション(意欲・気力)の低下」では済まされず、今や気力の萎えは常態化している。もちろん、このにっちもさっちもいかない状態を覆すことは生易しいことではない。なぜならそれには人生の晩年を生きる、抗(あらが)えない諸々の事情が絡み合っているからである。「偕老同穴・共白髪」とは優しい響きにあって、極めて惨酷なフレーズ(成句)である。すなわち、日々、配偶者(妻)の衰えを眼前にするつらさである。もとより、一方通行で済むものではなく、妻から見る配偶者(夫・私)の衰えを見るつらさも同居している。
きょうは、きのうの一日限りで頓挫を免れるための目的で、こんな実のない文章を書いてしまった。伏して詫びるところである。日が昇り、道路が乾けば、道路の掃除へ向かうこととなる。このところ暑い日が続いたせいで、秋口まで生き延びることができない、朽ち葉が矢鱈と落ちている。掃くには面倒だけれど、掃き捨てるには戸惑いをおぼえる、木の葉の「成れの果て」である。
励ましに応える「点滴のひとしずく」
7月11日(木曜日)。6月で見終えていたカレンダーは、初めて7月のページを見ながら、曜日を確かめた。するときょうは、7月になって早や、11日目を迎えている。先ほど、久しぶりにパソコンメールを開けると、真っ先に一つの受信メールに出合った。送信者は、掲示板ではお馴染みの入社同期お仲間の渡部さん(埼玉県所沢市ご在住)である。メールには7月になって10日休んでいる「ひぐらしの記」に対する危惧と、再始動への激励文がこころ優しく綴られていた。人生における最大かつ最良の幸福は、良友との出遭いである。渡部さんからさずかったメールは、確かなその証しだったのである。
さて、7月になってこれまでの10日間、大袈裟に言えば生きるためのわが気力は萎え、小さいことでは文章を書く気力は失せて、挙句「ひぐらしの記」は頓挫した。いや一時の頓挫では済みそうにはなく、もはや再始動への心意気自体、すっかり消えていた。この原因は総じて、年老いたことから生じている気力の萎えだった。これに追い打ちをかけていたのは、執筆とほぼ同時間帯にする朝の日課、すなわち道路の清掃だった。この間の私は、普段の道路の清掃とこの時期特有のアジサイの剪定に頭を悩ましてそちら優先し、毎朝五時前あたりからそれらの作業にたずさわっていたのである。そうこうしているうちに文章は日に日に書けなくなり、いやもう書きたくない心境が膨らみ、通せんぼさせられていたのである。挙句には、「惰性」という有効な倣いさえ遠のいていたのである。
確かに、カンフル剤を打たなければ、わが気力は萎え切っている。もちろん自力では叶わず、他力本願すなわち渡部さんはじめ高橋弘樹様、そのほか掲示板上の声なき声すがりである。加えて、お顔馴染みの散歩常連組のご高齢女性のこの問いに、心臓の鼓動が波打ったのである。
「文章はまだ毎日、書かれているのでしょ? 今朝はもう書き終えられたのですか? 偉いですね」
「いや、きょうはこの後で書きます」
わが身に堪えた嘘だったのである。効果覿面のカンフル剤にはならないけれど、私は点滴のひとしずくにすがっている。
6月最終日
6月最終日(30日・日曜日)。現在、デジタル時刻は6:23を刻んでいる。今朝は夜明けを待って5時近くから、雨上がりの道路の掃除へ向かった。このため、殴り書きであっても、この先文章は書けない。ずる休みと言うより、おのずから執筆時間の切迫を被り、しかたなく休養を決め込んで、パソコンに向かっている。
散歩常連組の中で、二人の高齢ご婦人と佇んでお話をした。最初の人とは、互いの庭中の手に負えない立木の処置を話し合った。続いて佇んだ人とは、高齢者特有の互いの身体現状(病)のことに話題が及んだ。常連組とはいえ、会話は初めてである。それなのに二人の会話は、まるで互いが身内のごとく深入りした。先方は、薬の副作用に悩まされていることを話された。私は、先ずはご主人様のことをお尋ねした。すると、10年ほど前に亡くなられたという。すぐに、わが妻のことに返りの問いがきた。私は悪びれることなく、妻の骨折そして入院、現在の生活ぶりを話した。もちろん、夫婦の年齢を添えた。すかさず先方は、こう言われた。
「どんなことでも、二人そろって80を超えるまでおられることは、稀にみるお幸せなことです」
私は丁寧な言葉を添えて別れた。ご婦人はメイン道路へ向かって進まれた。ちょうど、きょう最初のバスがやって来て、ご婦人は見過ごすために立ち止まれた。
私はしばらく掃除を続けて、やり終えたのちはのんびりとわが家へ戻った。文章は休みを決め込んでいたので、焦る気持ちはなかったのである。
私を含めて3人は、老後特有の様々な悩みを抱えて、最も卑近な話題を口にしたのである。お二人の若い頃に出会えば、声掛けさえ憚(はばか)れると思えるご婦人(女性)と、面と向かって会話が出来て、老後も悪くもないと実感した、朝の出会いであったのである。
夜明けは曇り空である。きょうは雨なく、晴れてほしいと願っている。
梅雨の雨、そして涙雨
6月29日(土曜日)。夜明けにあってきのうから、梅雨の雨が降り続いている。梅雨本来の現象のことゆえに、嘆いては様にならない。わが身にあって、嘆くことはかぎりなく。その多くは、生来のわが「身から出た錆」に由縁している。「文は人なり」という。もとより「ひぐらしの記」は、わが小器の証しである。挙句には、人様の愉快な気分を挫く、独り善がりの文章へ成り下がっている。このことではもともと、ブログに書くべき文章ではない。もちろん私自身、常々十分自覚しているところである。大沢さまの「前田さん。何でもいいから、書いてください」というお言葉に甘えて、なお図に乗ってしまったのであろう。いや、常に反省は繰り返している。だけど、生来のマイナス思考の性分が災いし、長年書いてもいっこうに改めることができずじまいである。だからと言って、自分を責めても仕方がない。いや責めては、哀れや惨めさが弥増(いやま)すばかりである。だったら、秘かに私日記にでも綴ればいいものの、三日坊主の祟りにあってそれはできない。なぜなら、学童の頃に試した私日記は、三日にさえにもとどかずじまいだった。
こんな体たらくの私なのに、想定外に「ひぐらしの記」だけは続いている。冒頭の文章とは矛盾しているけれどそれは、ブログのおかげである。いや、実際には、人様の支えのおかげである。大沢さまには、変わらぬご好意を賜っている。高橋弘樹様には、都度の「大・大・大エール」のみならず、みずからのご体験を踏まえて、教科書さながらのサゼスチョン(指導)にあずかっている。「毎朝、読んでいます」という、入社同期の渡部さん(埼玉県所沢市ご在住)の励ましパソコンメールには、そのたびにうれしさ身に余るものがある。異国中国に赴任中の木村様のお便り然り、また竹馬の友「ふうちゃん、マーちゃん」の励まし、平洋子様のふるさと情報、またまた然りである。おのずから、声なき声の皆様の励ましも、これらに劣らず大きな支えである。こんなわが身に余る僥倖には、決して書き殴りでわが意を記してはいけない。もちろん、書き殴りのつもりはない。けれど、書き殴りのようにも思えて、真摯に詫びるところである。
わが生来の、小器およびマイナス思考には涙雨が降り続いている。「ひぐらしの記」は、「シオドキ、シオドキ」と、音を立てている。
泣きべその夜明け
「前田さん。なんでもいいから書いてください」。大沢さまのご好意で書き始めた「ひぐらしの記」。この間、次兄をしんがりにすべての兄たちを亡くした。この世に、親、兄弟・姉妹のいない文章を書くのは、もうつらい。加えて、日々翳りゆくわが命と向き合って書くのも、つらい。カラスとて、自分の意思で生まれたわけではない。だけど、生きるためには「カアカア」と鳴いて、食べ物探しに必死である。この点では人間、とりわけ私自身もまた、カラスと同類項にある。なぜなら、諸物価、食品(食料)の値上がりの最中にあって、私も生きるための食べ物探しに必死である。もはや、人間の尊厳など、喪失状態にある。エンゲル係数だけがダダ上がる。わが日暮らしは、生きることだけに特化し、成り下がっている。なさけないと言うより、つくづく哀れである。
ネネタがなければ、継続のためには恥晒しなど厭わず、「ダジャレ文、何でも……」、書かなければならない。こんな文章を書く、なさけなさと惨めさが身に沁みている寝起きである(6月28日・金曜日)。心身に、気狂いの自覚症状はない。だけど、わが脳髄の司令で書く文章は狂っている。潮時を示す、アラーム音が鳴り響いている。梅雨空は、雨の夜明けをもたらしている。
血液検査報告書
6月26日(木曜日)。日常の倣いに従って、パソコンを起ち上げた。けれど、あえて書くネタも、気力もない。梅雨空にあって、朝日が輝き始めている。私は薬剤にすがって生きている。現在、最寄りのS医院から、ひと月ごとにもらっている薬剤は二つある。そして、期間を空けてその効果を知るために、血液検査を賜っている。これにともなうのは、老いの命を長らえるための馬鹿にできない医療費の多さである。医食同源と言うからできれば、無味乾燥の薬剤(錠剤)に替えて、美味しい食べ物で命を長らえたいと、願うところはある。しかしながら、通院すればそんなことは言えず私は、優しい先生の診立てと処方箋には逆らえない。
現在、先日(6月14日)受けた血液検査の結果報告書を手にしている。それを見ながら、ネタ代わりを試みている。二つの薬剤の一つは腎改善のためのものであり、一つは悪玉コレステロールの改善のためである。検査報告書にあって前者は、クレアチニンの数値に示される。一方は、悪玉コレステロールの数値は、LDL項目に示される。さていつも、学童の頃の通知表と思って神妙にいただく検査報告書のそれぞれの数値はこうである。クレアニチン1.27(男性0.61から1.04)。LDLコレステロール142(男性70から139)。このところの検査にあっては、前者そのたびに少しずつ数値を下げている。後者はほぼ変わらずの状態が続いている。そのほかの数多の項目には、正常範囲を示す「星印」ばかりである。ゆえに先生から、「素晴らしいです」という、お褒めの言葉を戴いた。通知表にも満点は望めないから、確かに「良し」としなければならない。しかし一方では、血液検査の高点は必ずしも長生きに繋がるとは限らない。なぜなら、命の絶えの原因は、検査報告とはまったく別物である。なかんずく精神の病は、血液検査では皆無である。ところが私は、こちらの検査は恐ろしくて、ほったらかしにしたままである。
朝御飯の支度前の制限時間が訪れた。だから、この文章はここで打ち切りである。あれれ、朝日は梅雨特有にさ迷っている。
危ない兆候
6月26日(水曜日)。のどかに曇り空の夜明けが訪れている。自然界の営みや季節のめぐりには、人間界とは違って疲労や苦労は無さそうである。たんたんと朝が来て、一定の時が過ぎれば夜になる。人間界はこうはいかない。人間界はこの間、絶えず様々な煩悩や煩悶に脅かされている。老年を生きる私の場合はなおさらである。
きょう、いや現在、私は生きている。しかしあしたに、いや寸時この先の生存の保証はない。その主因は、取りすぎている老いの年齢のしでかしであろう。様にならない、こんなことは書きたくない。だけど、書いている。長すぎている、「ひぐらしの記」のしわざであろう。わが宝物の「ひぐらしの記」にたいし、罪をなすりつけたくはない。いや罪は、こんな心境をたずさえている私自身にある。
人生行路の晩年を生きている私にとって、その証しの高年齢は、何かにつけて気力を奪う魔物である。なぜなら私は、常にそれに脅かされている。そして、このところは頓(とみ)に、気力の萎えに脅かされている。その現象には、日常生活のすべての物事に面倒くささをおぼえている。この先を生きるためには「危ない兆候」である。ところが、気力喪失の打ち止めは願えず、いやこの先、日々いっそう加速することは確かである。
私は、大は生きることに、小は文章を書くことに、疲れている。そうであればどちらも、すぐに止めれば、すべてが解決である。しかしそうだと私は、確かな「生きる屍(しかばね)」となる。やはり、悶々は絶えない。こんな文章は、この先へ続ける値打ちはない。書かなければ恥を晒すこともない「ひぐらしの記」は、確かな潮時にある。
朝日は照りはじめている。ウグイスは鳴いている。アジサイは彩(あや)なしている。私は草臥(くたび)れている。精神を捨て、身体だけの案山子(かかし)になればいいのかもしれない。
トウモロコシ売り場の顛末(てんまつ)
6月25日(火曜日)。梅雨の合間とは思えない、朝日輝く夜明けが訪れている。気象庁の梅雨入り宣言(6月21日)から間もないきのう(6月24日)は、心中で(もう梅雨明けかな……)と、呟くほど高温の陽射しに見舞われた。梅雨どきは、いつ雨になるかわからない。そのためきのうの私は、いつもの買い物の街・大船(鎌倉市)へ、勇み足で買い物へ出かけた。買い物を終えて、帰途に就いた。背中の大きなリュックは、「ダルマさん」さながらに膨らみ、限界までに重量を増していた。両手提げの布製の買い物袋は、これまた膨らみと重量で下がり、ときどき路面をこすった。そのたびに私は、慌てて引き上げた。代わりに汗が、額と首筋から路面に落ちた。
売り場に並んでいたもので、神妙に出来具合を確かめたけれど、買いの手先を引っ込めたのがあった。それは、縦筋の緑の皮に覆われたトウモロコシである。結局、私は前歯の欠けを懸念し、買わずじまいだった。このことはすでに書いた記憶がある。それでも繰り返すとそれは、上の前歯中央の一つの欠損である。大好物の「井村屋の硬いアズキキャンデー」を噛んだおり、突然欠け落ちたのである。びっくり仰天、悔しさに唖然としたけれど、後の祭りだった。ところが痛みはなく、歯科嫌いのせいもあってその後は、ぽこリと穴を空けたままにほったらかしにしている。
トウモロコシを手にしながら私は、しばし前歯の欠けに思案をめぐらしていた。挙句、買いの手先を引っ込めたのである。子どもの頃からこれまで、トウモロコシの食べ方は、前歯すがりのガジガジ齧(かじ)りである。この食べ方は、山から庭中へやってくる台湾リスとまったく同様である。上の前歯中央が穴ぽこであれば、もはやトウモロコシの齧りはできない。このことを決断して私は、未練を残しながらもその売り場から離れた。
きょうの文章は、梅雨の合間のダジャレ文である。いや、老いの証し文でもある。朝日の輝きは、さ迷い始めている。