ひぐらしの記
前田静良 作
リニューアルしました。
2014.10.27カウンター設置
命
7月24日(水曜日)。さわやかに晴れた、夏の夜明けが訪れている。ところがきょうの私は、「命」の大事をとって、二つの朝の日課すなわち、道路の掃除そして文章書き共に、意識的に休みを決め込んでいる。「命、燃え尽きる。命、枯れる。命、縮む」。ほか、命にまつわる表現は様々にある。もとより五官、すなわち目、鼻、耳、舌、皮膚のように、わが身体内に「命」という、形ある器官はない。もし仮に、そのような塊(命・器官)があれば、現在のわが命は、見た目キイウイに留まらず、アボガドのごとくしわがれて、黒ずんでゴツゴツしているであろう。
こう思うのはきのう一瞬、立ち眩みを感じて命に不安をおぼえたからである。私は「なんだろう?……」と、心中で叫び、その場に夢遊病者のごとく蹲(うずくま)った。瞬間とはいえ、気分が落ち着いても、恐ろしさに震えていた。そして、熱中症かな?と、思った。なぜなら、きのうの夜明けにはたっぷりと時間があったため、先ずは文章書いてそののち、時間をかけて綺麗に掃除をした。しかしこののちは、ほぼ一日じゅう頭部に不快感を宿していたのである。
「パパ。もう道路の掃除はしなくてもいいよ。こんなに年なんだから、しちゃダメよ。しなくても、だれも文句は言わないわよ。止めなさいよ」
妻の小言、それは忠告だった。
きのうの現象からゆえにきょうは、共に休みを決め込んでいる。だから文章は、この先は書かずに、休んだ理由を書いたにすぎない。ただ、現在は、普段の「命」に復している。形ないものは、手に負えない。私には、それを補う気力がない。朝日はいっそう明るく輝いている。私は、虚しく道路を眺めている。
西空の「満月」
7月23日(火曜日)。きのうに続いて悪夢に魘されず、いまだ暗い夜明け前に目覚めて、起き出して来てパソコンへ向かっている。そしてこれまた、きのう同様に心地良い夏の朝風を吹き込むために、きょうは全方位の窓ガラスを開いた。すると、思いがけなく自然界が恵む、胸の透く情景に出遭った。夜の静寂(しじま)の西空に、ぽっかりと明るく、満月が浮かんでいた。
私は、愉快、痛快な気分に囚われた。同時に、独り占めではもったいない気分になった。足音を忍び階下へ向かい、引き戸の隙間から茶の間を覗いた。妻は起きて、テレビを観ていた。就寝時の私は、補聴器を外している。ゆえに、テレビの音、妻の動作音など、まったく聞こえてこない。茶の間へ近づいて、妻へ呼びかけた。
「起きていたのか。お月さんがとても綺麗だから、呼びに来たよ」
なんだかしゃべっているけれど、妻の声はまったく聞えない。ところが、妻は笑顔を湛え、折り返す私の後ろについて、階段を上ってきた。こののちはしばし、肩を触れあっての月見を堪能した。思いがけない満月が恵んだ、地上のわが家のパラダイスだった。
きのうは独り善がりにだらだらと長い文章を書いた。恐れていたとおり案の定、掲示板上のカウント数はガタ減りだった。もちろん、「草臥れ儲け」と、嘯(うそぶ)くことはできない。疲れて、懲り懲りになっただけである。ゆえにきょうは短く、ここで結文とするものである。
デジタル時刻は、未だ4:40である。薄く夜が明け始めている。道路の掃除へ向かうにはまだ早い。だから、パソコンを閉じてもう一度、西空を眺めてみる。お月さんは西の方へ去っているかな……、あるいは雲隠れしているかもしれない。それでも委細構わず、私はしばし窓際に佇むつもりである。もとよりこの行為は、束の間の家庭平和を恵んでくれた御礼返しである。
エネルギー漲る「夏の街中が好き」
7月22日(月曜日)。いまだ暗い夜明け前にある。いつもの悪夢との闘いを免れて、早く目覚めた。このため、この文章を閉じて、道路の掃除へ向かっても、まだたっぷりと時間がありそうである。だから、だらだらと長い文章になりそうな予感がする。長い文章になればおのずから、見ただけで嫌気がさして、読んでくださる人もいないであろう。それでもかまわないとは言えないけれど、なんだかそうなりそうである。
パソコンを起ち上げる前には窓ガラスを開いて、きのう同様に心地良い夏の朝風を招き入れた。夏の朝にあって、無償で手に入れることのできる贅沢である。梅雨が明けたばかりなのに一足飛びに、本格的な夏の炎暑が訪れている。だから、夏の朝風に限ることなく、昼間の夏の風はそれを超えて、これまた無償の贅沢である。しかし昼間の場合は、木陰の風、限定と言えそうである。なぜなら、木陰なく剥き出しの街中の風はやはり、手に負えない暑気を含んでいる。この確かな体験を私は、きのうの買い物のおりの、大船(鎌倉市)の街中でした。
私は買い物にかぎらず夏の外出は、比較的涼しい朝のうちと決めている。この自己規制に沿って私は、十時過ぎあたりから門出した。ところが、夏の陽射しはすでに現れていた。視界一面には夏特有のぎらぎらと光っている、透明な外気が充満していた。私は最寄りの半増坊バス停に向かって歩き出した。急ぎ足だった。前方に目にした親子連れは立ち止まったり、戯れながら歩いていた。追いつくと親の男性は、中年に満たない人に見えた。子どもは小学低学年の頃に思えた。子どもはおもちゃとは言えそうにない、頑丈で精巧な水鉄砲を手にしていた。ときおり、草生(む)す傍らの山肌に試しの噴射を試みていた。わが子どもの頃で言えば、蝉取り網と言える夏の遊具であろうか。今の子どもは、水鉄砲をセミやクワガタ目がけて、噴射するのであろうか。こんなことはどうでもいいけれど、いっとき私は、わが子どもの頃の夏へ思いを馳せていた。
バスには途中から女子高校生の群れが乗り込んだ。さらには、いつもとは違って若い男女が乗って来て、立錐の余地なく込んだ。車内の冷房はフル回転していた。ところがそれに飽き足らず、身を縮めて顔前に流行りのハンデイファンを向けている人もいた。バスを降りた大船の街は、日曜日のせいか老若男女の人出であふれ返っていた。装いは思い思いに、暑さしのぎの夏のいで立ちである。洒落た日傘を翳す人、ハンデイファンを顔に向けてる人、半袖で肌着まがいの薄手の夏服(シャツ)を着ている人、色とりどりのサングラスで日射しを遮る人、ほかさまざまに夏の街中の人出は、人間模様の坩堝(るつぼ)と化していた。
私はハンカチを手にして、ときおり汗を拭きながら歩いた。夏の街中の人出には、様々なエネルギーが漲っていた。確かに、身に堪える暑さだけど、半面私は、エネルギー漲る夏の街中が好きである。なぜなら、人それぞれに暑さと戦い、さらに生活いや生存と闘っているように見えるからである。付け足しにわがきのうの買い物一覧を記すとこうである。キュウリ4本、ナス6個、トマト5個、小粒の温州ミカンの一袋、キイウイ3個、卵10個、アーモンドをはじめとする豆類入りまじりの袋物一つ、台所洗剤1本、ハスの煮物、アップルパイ二つ、チョコレートづくりの洋菓子一本、ウスター醤油一本。これらを大形の買い物用リュックに詰め、詰め切れないものは買い物用の大袋を片手提げにした。いつもは両手提げだけれど、暑さを慮り一袋分を買い控えたのである。
約一時間の書き殴りは苦労したけれど、読む人がいないと思えば、推敲は免れる。夜明けて、きらきらと光る夏の朝が訪れている。文章を閉じるけれど、掃除へ向かう時間は、まだたっぷりとある(5:36)。
心地よい夏の朝風
7月21日(日曜日)。窓ガラスを開けると、心地良い夏の朝風が吹き込んで来た。わが起き立ての憂鬱気分は、自然界の恵みに出合ってかなり緩んだ。わが人生には焼きが回り、とうに盛りを終えて薹(とう)が立っている。連日の悪夢に抗戦を挑んでいたところ時が過ぎて、起き出しが遅れた。挙句、二つの日課のいずれも、果たせない。一つは道路の掃除、一つは文章の執筆である。自業自得と悟り、諦めるにはあまりにも腹の立つ、夢の中の悪鬼の仕業である。
気分を直してパソコンを起ち上げ、文章を書き始めている。ところが、一度躓(つまづ)いた気分は、やはり立ち直せず、わが凡愚の苛立(いらだ)ちの因になっている。バカなことを書いてしまった。この先は書かず、結び文としたいところである。一方では欲深く、せっかく書き始めた文章だから繕(つくろ)って、継続文の装いにしたい思いがある。まもなく開幕する「パリオリンピック」のテレビ観戦が続けば、おのずから継続は断たれることとなる。だったら、この文章を継続文の一つに仕立てて置かなければならない。焦燥感つのる、現在のわが心象風景である。
行きつけの「大船市場」(鎌倉市大船の街)には夏の売り場を彩り、食感をそそる旬の夏野菜が溢れている。わが好物のキュウリ、ナス、トマトは、確かに今や夏限定ではなく年じゅう出回っている。しかしながら私は、キュウリ、ナス、トマトは、夏野菜三品として旬(しゅん)の有卦(うけ)に入っている。すなわちそれは、本来の旬の美味にあずかれるからである。加えて、夏のキュウリ、ナス、トマトには、母恋慕情と郷愁が重なり、さらには幸福感が重なるのである。
子どもの頃の夏の食卓には連日、母が前掛けをして、頭や首周りから汗まみれの手拭いを垂らして、裏の畑からもぎ取って前掛けに包んだ、キュウリ、ナス、トマトが上っていた。これらに父の大好物のソーメンは、夏の食卓の定番を成していた。私はソーメンを食べ飽きてトラウマ(心的外傷)となり、現在は要なしになり、ソーメン好きな妻から、ブツブツと顰蹙を買う元となっている。
夏野菜三品に加えて、夏限定のわが大好物には西瓜とかき氷がある。かき氷は今夏、すでに二度食べている。ところが、西瓜はまだである。売り場に並んでいるのを見遣りながら私は、「買って、持ち帰るには重たいなあ……」と、声を控えた嘆息を吐いている。私は、半身や四分の一に切り分けられた西瓜には哀れみを感じて、買いの手を控えている。西瓜はやはり、手触りのよい丸玉にかぎるのである。母が丸玉に包丁を入れた瞬間の「バリバリ音」こそ、丸玉西瓜の醍醐味であり、西瓜にまつわる親子の情愛が迸(ほとばし)るのである。いまだに持ち越しの今夏の西瓜は、近いうちの妻の通院のおり、娘が車で来るまでおあずけである。
時間の切迫に追われて、書き殴った文章は、とんだ長い文章になってしまった。謹んで、詫びるものである。だけど、書けそうもない文章が書けた。たぶん、心地良い夏の朝風が気分を解してくれたからであろう。まさしく、夏限定である。堪能しなければ、夏の好物同様、これまた大損である。
夏が来れば、秋が来る
7月20日(土曜日)。いまだ夜明け前だけれど、薄暗く夜が明けたら、道路の掃除へ向かうつもりでいる。まもなく、夜が明けそうである。おのずからこの文章は短くなり、実のない文章のままに閉じる。道路の掃除と文章執筆の交差時間を解決しなければならない。このことはこれまで、わが解決すべき宿願のテーマとなっていた。ところが、今なお自己解決をみないままに悩み続けている。挙句、文章は書き殴りを食らい、また継続が危ぶまれる。
さて、梅雨が明けた。本格的な夏が来た。しかし、夏の暑さはいまだ初動にあり、こののち真夏へ向かうにつれて炎暑の夏が訪れる。ところが昨夜、就寝中の風は(もう秋風)とも思うほどに、肌身に冷ややかだった。私はうれしい気分を撥ね退けて、季節めぐりの速さ感に戸惑った。まさしく、人生の終盤を生きる者(私)固有の哀感に晒されていたのである。なぜなら、季節いや時のめぐりの速さ感は、わが残りの生存期間を縮める思いに陥っていたのである。抗えないことに思いを詰めるのは、まさしくバカ丸出しである。
淡い朝日の光をともなって、夜が明けた。同時に、私が設けていた制限時間が切れた。私は道路へ向かう。ウグイスは、頻りに鳴いている。
心地良い夏の朝
7月19日(金曜日)。気象庁の梅雨明け宣言翌日後の晴れた夜明けが訪れている。きのうは棚ぼたの僥倖と思える好日に恵まれた。その事実を併記し、「自分祝い」を試みている。一つは関東地方においては、梅雨明け前特有の大雨による被害(大過)なく、スムースに梅雨が明けたことである。そして一つは予告なく、東電がわが掃除区域の架線に絡む高木の幹や枝葉を切り落としてくれたことである。私にとってこの作業は、人間神様とも思えるほどにうれしいものだった。
切り落されたところは、頭上に見上げる山の中ではほんの一部にすぎない。しかしこののちは、道路上に落ちてくる枝葉を大きく減らしてくれることは確かである。私はありがたさとうれしさのあまり、しばし佇んで作業に目を凝らしていた。実際の作業は、それようの超大型の貨物トラック、ゴンドラ付き起重機などを持ち込んでなされていた。時間的にも朝早くから、午後の三時過ぎあたりまで行われていた。作業員は男性の4、5人だった。この間、私はわが家から時間をみはらかって、三度ほど現場に出向いて、丁寧にお礼の言葉を述べた。私自身、かなり異常な行動・行為に思えていたけれど、そうしないではおれないほどに、感謝の気持ちが湧きたっていたのである。作業の終いにはさすがに東電、切りっぱなしではなく、道路をくまなく箒で掃いて清めていた。
起き出して来て窓ガラスを開けて道路を眺めると、いつもに比べて落ち葉は少なく、ゆえに道路の掃除を免れて、この文章にありつけたのである。切り落した高木の切り口は、あちこちで生々しく、朝日に光っている。まったく久しぶりに、気分の好い夜明けである。高橋弘樹様が褒め称えてくださった善行が、ちょっぴり日の目を見たのかもしれない。
本格的な夏の陽射しの訪れも、きょうだけは厭わない清々しい、梅雨明け後初日の夏の朝である。棲みかを突如奪われたウグイスに気を揉んでいたけれど、ウグイスはいつもの朝のように朗らかに鳴いている。
切ない文章
7月18日(木曜日)。いつもより遅く目覚めて、そのうえに悪夢に魘されて、気分が鬱に陥り文章は書けない。そうであれば道路の掃除へ向かおうと、窓ガラスを開いて道路を見た。道路は生渇き状態にあり、掃こうと思えば掃けないことはない。ところが、こちらも時間的に出遅れて、今から出向いても散歩常連の人たちは、すでに歩き去っている。それらの人たちに出遭えなければ、掃除は苦痛だけで愉しみは殺がれることとなる。だからやむなく、道路の掃除は昼間へ延ばしてこの文章を書いている。しかしやはり、こちらもこのお先は書けずじまいである。わが現在のなさけない心象風景である。
だけど、せっかくだから一つだけきのうの続きを書けば、このことが浮かんでいる。今朝の夜明けの空は、いまだ梅雨空である。ところが、きのう耳にした気象予報士の天気予報によれば、日本列島の各地方は、今週末あたりから続々と梅雨明けになりそうである。関東地方もこの範疇に入りそうである。このことだけを記し、気分の悪さを言い訳にして、結び文とするものである。表題のつけようのない、切ない文章である。
季節の雨は、消費期限切れ迫る
7月17日(水曜日)。夜明けの薄明りの下、雨は止んでいるものの、夜来の雨が残したばかりの跡が、くまなく道路を濡らしている。隅々には、濡れ落ちた木の葉が汚らしくべたついている。起き出して来て、窓ガラスを開いて、道路を眺めたときの原風景である。今朝は、道路の掃除はできないと腹を決めた。ゆえに、心を鎮めてパソコンへ向かっている。いや、鎮めきれてはいない。
一方では、こんな気分に苛まれている。すなわちそれは、道路が乾いた後に急かされて掃く、面倒くささと気分の鬱陶しさである。梅雨の季節の雨は、まもなく消費期限が切れる頃にある。期限が切れて、気象庁の梅雨明け宣言は来週あたりであろうか。それとも豹変し、今週末あたりになるのであろうか。こんないい加減な自己観測は、気象予報士の予報を観ていない祟りと言えそうである。
日本列島のあちこちでは、すでに梅雨明け前特有の大雨による災害(被害)が報じられている。それなのにすでに梅雨明け宣言を受けたのは、沖縄地方だけに限られている。なんだか日本列島は、自然界(気象)に小馬鹿にされている感じである。もう十分に梅雨明けの証しとなる雨は降り、それによる災害はもたらされている。もしかしたら、関東地方だけがまだ降り足らないと、気象が駄々をこねているのであろうか。
きのうのテレビ映像には、「京都・祇園祭の大雨」状況があった。京都の街は、大雨による人出の大混乱ぶりを見せていた。この映像を観れば、確かにこれまでの関東地方(鎌倉の雨)は、比べようもない小降りである。だとしたら、この先の雨が気になるところである。降りやんでいた雨は、風をともなって降り出している。私は欲深く、災害をもたらす大雨にならないことをひたすら願っている。なぜならわが家は、鎌倉市指定のハザードマップでは、土砂崩れ危険区域にある。
すでに、84歳
7月16日(火曜日)。「海の日」を含む、三連休明けの夜明けを迎えている。雨降りではないものの、曇天の梅雨空である。きょうにあってふるさとは、7月盆の送り日(火)である。現在、わが生家を守るのは、亡き長兄の長男(甥っ子)とその奥方である。この二人が守っているかぎり、わが心中のふるさと観とふるさと慕情は、尽きることはない。このこともあってきのうの私は、LINEメールで二人にたいし事前の墓掃除とお盆における、すなわち二度にわたる「迎えと送りの墓参り」をねぎらった。
きのうの文章を再び繰り返すと、お盆の最中のきのう(7月15日)は、わが誕生日と母の祥月命日が重なる日でもあった。毎年訪れるこの重なりは、自分的には奇跡とも思える悲しい日であり、あるいは一層うれしい日でもある。さらには盆と重なり、わが誕生日にあっての母は、風雨に晒される野末の石塔(墓)から、4日間の限定にすぎないとはいえ、わが家に帰ってくるからである。しかしながら母は、姿無き御霊として仏壇に祀られ、無言で居座っているにすぎない。仏壇のある座敷には数多くの盆提灯が立ち並び、さらに何本かは天井から下がり、仏壇にはロウソクの火が灯り、線香の臭いがしていたはずである。母の生存中にあって、母が取り仕切っていたよみがえる盆の原風景である。
きのう私は、年齢を一つ加えて84歳になった。たった一つだけにすぎないのに84歳になると、まるで大きな岩石みたいに重くわが心身を脅かしている。挙句、このときから私は、極度の寂寞感に苛まれている。それゆえにきょうは寂寞感に負けて、端から文章を書く気が殺がれていた。ところがそれを覆していただいたのは、高橋弘樹様から賜った「祝、誕生日メッセージ」である。高橋様にかぎらず人様からさずかる善意を無為・反故にすれば、私はもはや「生きる屍」である。
時の流れは年数を加え、人の命は年齢を加えてゆく。つれて確かに、寂寞感はつのるけれど、じたばたしてもしようがないと、思うしかない。きのうの私は、日本列島のあちこちに住む甥っ子と姪っ子にたいして、こんなLINEメールを送信した。
「きょうは84歳の誕生日です。自分お祝いのために、今、独りで、鎌倉市大船の街のお店で、童心に返り大好きな千円かき氷を食べています」
1000円のつもりで注文したかき氷はなぜか? レジでは1210円を払わされた。かき氷の美味しさは、子どもの頃の「相良観音様」の参道で、5円硬貨を払って食べたものに負けていたのである。
嗚呼、きょうから84歳
令和6年(2024年)7月15日(月曜日)。「海の日」(祝休日)にあって、三連休の最終日である。きょうはわが84歳の誕生日であり、重ねて母の何回目かの祥月命日でもある。今、身体のあちこちには、ヌルヌルと汗が溢れている。1時間半ほどの道路の掃除を終えて、駆け足で戻りパソコンへ向かっている。早起き鳥(ウグイス)に急かされることなく、5時前に目覚めて道路へ就いて、掃除を終えてきたのである。このところの雨のため、掃けずにいた道路を懸命に掃き清めると、70リットル入りの透明袋に落ち葉がいっぱいになった。散歩に回る何人かの人は、「大変ですね。ご苦労様」と、言ってくれた。他人様の言葉と優しい心根が、重たい気分を解した。きょうは雨上がりの道路の掃除を優先したため、この先、文章を書く時間はない。そのため、誕生日にちなむ文章は書かずに、やむなく結び文とするものである。
きょうには、誕生日にちなむ祝膳の予定はない。きのう食べた買い置きの「鹿児島産ウナギ」が祝膳の代わりを成していると思えばいいからである。ただ心残りは、「ふるさと・内田川」で獲れたウナギであればと、思うところである。草葉の母は、わが84歳の誕生日を知ることはない。残念きわまりない。