ひぐらしの記

ひぐらしの記

前田静良 作

リニューアルしました。


2014.10.27カウンター設置

内田川(熊本県・筆者の故郷)富田文昭さん撮影

 

寝起きの文章は様にならず、書くだけ

 起き出して来て、年の瀬・12月23日(月曜日)の夜明け前にある(4:35)。視界や身体には感じないけれど、自然界と人間界の定説にしたがえば「冬至」(おととい)過ぎて、夜明けは早くなり始めている。冬至にちなんで再び、いま浮かべている言葉がある。それは、大沢さまと妹さんとの短い会話の一端である。一端ゆえに、妹さんのお話のところだけを記すとこうである。「これから本格的な冬が来るのよ。冬に至るって書くんだからね」。不断の私は、大沢さまのマルチタレント(多才能)ぶりに、「心酔と憧れ」のダブルの思いを抱いている。ところが、私は妹さんの機知(力)の豊かさにもまた驚異をおぼえたのである。「冬至」そしてそれに対応する「夏至」は、共に「冬に至る」あるいは「夏に至る」と読み替えれば、確かにそれだけで季節感の充満や躍動にありつけるところがある。長く文章を書いてきたのに私は、このことに気づかず、妹さんの言葉に魅せられたのである。まぎれもなく冬至は、「冬に至る」である。なぜなら、起き立ての私は、冬至過ぎて本格的な冬入りと、それにともなう寒気の強まりに、太身をブルブルと震わせている。
 夜明け前、夜明け、そして朝はなんで、来るのだろう?……。これらのたびに私は目覚め、起き出してこなければならない。起き出せばパソコンを起ち上げて、なけなしの脳髄に鞭打ち、文章を書かなければならない。もとより凡庸の私には、病巣に太い注射針を刺す痛みがある。確かに、地球のめぐりには昼間も夜間もある。現在の私には職業や定期の用事など一切なく、年じゅうひもすがら暇を貪っている。だったら、寝起きに書く苦しみなど捨て去り、昼間に書けばいいと思うところはある。そして何度か、昼間書きを試みたけれど、元の木阿弥を繰り返して定着せず、今なお起き立てに甘んじている。
 寝起きに書く文章はネタの用意なく、かつまた執筆時間にせっつかれて、おのずから書き殴りの憂き目をこうむっている。挙句、自分自身、文章書きの妙味も損なわれがちにある。この反動で、昼間書きへの願望は常に募るばかりである。しかしながらこれまで、その願望は果たせないままである。翻って寝起き書きの利点を鑑みれば、これ一点のみである。すなわちそれは、寝起きに書くからこそ文章の継続が果たせていることである。
 昼間書きの弱点は、文章の体裁は確かにととのっても、半面継続は危ぶまれるところがある。その理由には、こんなところである。昼間にあっては定期の仕事は無くても、生きるための雑多な用件は多々ある。それらの中で主なところは、街中・大船(鎌倉市)へ買い出しと、様々に病医院を変えての通院である。加えて、書く時間の多さにはそのぶん気の緩みに見舞われ、時の縛りが外れて、挙句、継続が断たれる羽目になる。寝起き特有の書き殴りにあって、きょうもまた文章は、エンドレスになりかけている。ゆえに、ここで意識して断つものである。確かに、寝起きの文章は継続だけには有利である。しかし、文章の体(てい)を為さないのは、わが泣きどころである。
 手のろゆえに、冬空の夜が明けを訪れている。寒気が強いせいか、青深い日本晴れである。きょうのわが予定には、当住宅地の中の最寄りのS医院への通院がある。

死んでも、あの世へは行かないよ

 12月22日(日曜日)。きのうの「冬至」明けの初日にある。パソコン上のデジタル時刻は、4:50と刻まれている。最長の夜を挟んで、ほとんど寝つけないままに目覚め起き出している。そのせいか、(堪えきれないよ。だから、雑多な思いはもう止してくれ……)。心が音を上げているような好悪、様々なことが浮かんでいる。
 バカなことの一つはこれである。わが身体はまだ夜明けの早さは感じず、机上のカレンダーだけが日を替えている。一方、心の和むものでは、大沢さまのきのうのご投稿文にある、お二人様の「冬至」にまつわる会話である。不意を突かれた思いで、私はドキッとした。すぐさまそれを撥ね退けて、こんどは会話の妙に微笑ましさをおぼえていた。なぜならきのうの私は、冬至という言葉だけで、淡々と文章を綴っていたからである。そのため私は、妹さんと大沢さまの会話に度肝を抜かれていたのである。
「これから本格的な冬が来るのよ。冬に至るって書くんだからね」
「昼の長さがだんだん長くなり、春が近くなるのよ」
 冬至にかかわらず季節のめぐりにあっては、私もまたこんな粋な心情を絡めたいものである。
 三っ目には、終末人生の悪あがきみたいなことを浮かべていた。それは、お釈迦様との問答である。お釈迦様は「この世(現世)は穢土(えど)であり、あの世は浄土(いや極楽浄土)」と、説かれ続けている。もちろん私は、この説法は眉唾(まゆつば)ものの嘘っぱちであり、それを信じるバカではない。だけど私には、お釈迦様の嘘を見極めたい思いはある。いや、ネタのない文章のゆえである。
 電子辞書を開いた。【極楽】:「阿弥陀仏の居所である浄土。西方十万億土を経た所にあり、まったく苦患(くげん)のない安楽な世界で、阿弥陀仏が常に説法している。念仏行者は死後ここに生まれるという。極楽浄土、安養浄土、西方浄土、安楽世界・浄土など、多くの異称がある」。
 生きて、苦しんでいるけれど、まだこの世のほうがはるかに増しである。どんなに極楽浄土と説かれても、私はあの世に急ぐつもりはない。あの世で、再び生まれたい願望など、さらさらない。なぜならこの世には、現実の楽しみが溢れている。
 きょうの私には、「男女、全国高校駅伝」のテレビ観戦の予定がある。冬至を境に確かに寒い冬に向かうけれど、その先には暖かい春が訪れる。妹さんと大沢さまの会話にパチパチと両手を叩き、私は欲深く冬の寒さをしのいで、暖かい春の訪れを待っている。
 きのうの「ユズ風呂」にあっては、ほのかな香りを堪能した。ちょっぴりの現実のわが極楽浄土であった。きょうの昼間あたりから、日長の兆しが見えるであろうか。夜明けの空は、本格的な冬空へ向かう、胸の透く日本晴れである。

冬至

 互いに老いて、ふうちゃんは身体の病に苦しみ、そして私(しいちゃん)は、精神の傷病(マイナス思考)に苦しんでいる。どちらに手に負えない痛みや苦しみがあるかと言えば、たぶんどっちもどっちであろう。終末人生のもたらす「成れの果(はて)」と思えば、共に腹を立ててもしようがないね。確かにふうちゃんは、まるで「モグラ叩き」さながらにピョコピョコと顕れる病を、彼独特の機知に富んだ表現で打ち負かしている。一方、しいちゃんはそんな才に恵まれず、明けても暮れても愚痴を垂れている。挙句、私は器の違い(小)を曝け出している。だけど私は、才能や器の負けには嘆いていない。すなわちそれは、「竹馬の友」という、名フレーズ(成句)が醸す心地良さに救われているためである。実際には竹馬に乗って、共に遊んだ記憶はない。バカだなあー、成句とはそんな有無など、どうでもいいことである。台無しのことまで書いてしまい、私はつくづく愚か者である。
 序章はここで打ち切りにして、さてきょうは、夜長の最長を為す「冬至」(12月21日(土曜日)である。時のめぐりの速さ(感)には、もとより諦念せずにはおれないものがある。だけど、冬至がめぐり来るとそのぶん、短い余生をいっそう削られる思いにとらわれて、痛恨きわまりないものがある。これまたどう鯱(しゃちほこ)だって嘆いても、どうなることでもない。それでも嘆きたくなるのは、これまたわが小器の証しである。
 冬至をあすにひかえたきのうのわが家(老夫婦)は、こんな行動をしでかした。それは冬至特有の「ユズ湯」の態勢かためだった。わが家のほったらかしのみすぼらしい柚子の木には、なぜかことしは史上最高と言えるほどにたくさんの実をつけた。きのうの私はそれらの実をもぎ取り、妻はそれらを配り歩く役割に徹したのである。妻は隣近所の6軒をヨタ足で歩いて、5個ずつを配った。どうでもいい行為だけれど、私たちはユズの実に冬至の役割を担わせたのである。確かにこれを終えると、人様のありがた迷惑気分など知ったこっちゃなく、わが夫婦にはきょうの冬至の実感が弥増していたのである。
 冬至の夜明けは、満天は日本晴れ、空間および地上にはくまなく、朝日がキラキラと光っている。自然界の恵みにあって、わが満腔(まんこう)には幸せがあふれている。ふうちゃん、まだ、共に頑張ろうね。

再起途上の文章は、ヨタヨタ

 12月20日(金曜日)。起き立てにあってまずは、洗面の水の冷たさに身を縮めている。次には、ネタ探しに心を痛めている。しかし、こんなことばかりでは、わが身は保てない。だから、気持ちの和むことを浮かべている。イの一番に浮かぶものでは、スラスラと文章を紡がれる大沢さまへの憧れである。大沢さまは天賦の才と、ご両親からさずかる才能、さらには自ら育てた知能に恵まれてご幸福である。
 せっかくの気分の和みに逆行するけれど、わがしがない性(さが)ゆえに、やはり書かずにおれない。起き立てにあっての私は、二強との戦いを強いられて、抗戦いや防戦の最中にある。一つは、わが心中に蠢(うごめ)く「弱虫」との戦いである。弱虫とは私自身が蔑(さげす)んで名付けたものだけれど、実際には手に負えない強敵である。こちらは、精神的戦いである。そして一つは、寒気との戦いである。こちらは、身体的戦いである。こちらも防戦とはいえ、人工の手立て(武器)にすがり防ぎようはある。
 防ぎようのないのは、「弱虫」の腹を決めた大胆不敵の心中における居座りである。それゆえにこちらは、おのずから持久戦になりそうである。ようやくネタとは言えない、心寂しい世相の一端が浮かんでいる。これまで「治安の良い国」という美称や美徳をさずかってきた日本の国は、このところ一気に奈落の底へ落ち始めている。制限時間のあるNHKテレビニュースは、もはや時間内では伝えきれないほどに、事件の多発状態にある。ニュース項目一覧の中に並ぶものは、厄介な事件ばかりである。所かまわぬ広範囲の闇バイトと詐欺事件、北九州市における中学生男女の殺傷事件、さらには千葉県における奇怪な事件などが連発で伝えられている。もはや、命短い私がこれらを危惧して、心を痛めることには、確かに大損のところはある。しかしながら老い先短いゆえに、かつまた84年も日本の国に住んできていることから、やはり事件の多さには気懸りと気分の滅入りが生じている。挙句、事件の多さの原因や誘因は何であろうかと、なけなしの脳髄をひねっている。けれど、自分自身に分かるはずはない。だから、現役時代にあって辣腕刑事と名を馳せた、竹馬の友・ふうちゃん(ペンネーム・ふうたろうさん,大阪府枚方市在住)を浮かべている。
 再起途上の文章は、ようやく書けただけでもいいだろう。それゆえ尻切れとんぼのままに、ここでおしまいである。年の瀬は十日余を残すのみである。新たな事件は、真っ平御免蒙りたいものである。大沢さまのお言葉を借りると、夜明けごろの寒さは日中になれば、汗を拭うほどに暖かくなるだろう。手に負えないのはわが心中における弱虫の蠢きと、日本社会における悪党の横行跋扈である。

私は愚か者

 12月19日(木曜日)。体温は平熱の36度前後で変わらないけれど、身体気温は緩んでいる。天界がさずけるご褒美と思いたいけれど、しかしそれをさずかる物種(美徳)はまったく無い。いや実際には天界からお叱りを受けそうな、このところのわが体(てい)たらくぶりである。(もう書くまい、もう書けない)という、心中の「弱虫」の跋扈(ばっこ)をこうむり、文章は三日間頓挫した。(これではまずい)と、四日めには一念発起し、弱虫退治を敢行した。ところが、いまだ退治しきれずに、現在は弱虫の逆襲のさ中にある。普段、「虫けら」と蔑(さげす)む、弱虫の抗戦力に敗けそうである。もう、文章の質(出来不出来)は問わない。なりふり構わず、何でもいいから書かなければならない。(なさけない)、わが現在の心境である。この文章はその証しである。
 机上の電子辞書を開いた。「克己:おのれにかつこと」。私は弱虫にも、自分にも負けている。夜明けはいまだ遠く、太陽の恵みにはありつけず、しかたなく指先をキーボードから離して、再び床へ就く。寝床で、再起動の機運を温めるつもりにある。頼りない、わが決意である。老いること、とりわけそれによる心情の萎(な)えは、人間につきまとう哀しい性(さが)であろう。いや、(自分だけかなー……)と、嘆息するところにある。
 幸いにもきのう同様に、気狂いの自覚(症状)はない。だから、駄文を綴りながら平常心、通常の文章への復活を願っている。わが身勝手を、平に詫びるところである。時や季節は、わが心中などつゆ知らず、坦々と流れてゆく。それに逆らう私は、愚か者である。

夜明けはるかに遠い、寝床で

 (もう書くまい、書けない)と、決めていた心を励まし、そろり書いている。きのうの昼間、道路に吹き晒された枯れた落ち葉を掃き清めた。このとき、こう思った。(枯れ葉や落ち葉のように、生きる屍になるのは、いやだな)。きようは、これだけ書けば御の字だ。気狂いの自覚はなく、再起できそうである。

思案は可否半ば

 「あす以降をどうするかは寝床で、ちょっぴり思案にくれることになりそうである」。きのうの文章は、このような結びで終えている。確かに、寝床で長く思案をめぐらしていた。ところが、生来、優柔不断の性癖(悪癖)を有する私は、試案は決断には至らなかった。挙句、ほぼ一日、日を替えた先ほどまでに寝床で思案を引きずり続けていた。それでもまだ、「書こうか書くまいか」を決めかね得ず起き出している。
 きょう12月14日(土曜日)、目覚めて起き出してきている時刻は定時(5時)近くである。だからこの先を書いても執筆時間は、焦ることなくたっぷりとある。ところが、時間切れの思案の結論では、とりあえずきょうは書くのは止めようと決意している。しかしながら一方、これまたあす以降の再始動の可否を恐れて、何らかを書き添えて置かなければならないと思う。ゆえに、いま心中に浮かんでいることをいたずら書きするものである。その一つは、わが心身を脅かしている寒気の強まりである。そして一つは、「今日は何の日?」をめぐらして、「赤穂浪士の吉良邸討ち入り事件」の日である。しかし、12月はこれだけでは済まされず、すでに過ぎたけれど「太平洋戦争の開戦日」(昭和16年(1941年)12月8日)を書き添えて置くものである。
 いよいよ様にならない文章、いや文章とは言えないものの結びである。すると、きのう同様に寝床にとんぼ返りをして、「博打(ばくち)みたいな二度寝を試みるつもりにある」。文章の体(てい)をなさないいたずら書きは30分ほどで済んで、いくらか太陽熱を恵む夜明けはいまだはるかに遠く、わが身体は寒気でブルブル震えている。

罪つぐないの「そっけない一文」

 12月13日(金曜日)。強い寒気に震えて、また強い悔いごとを抱きながら、ほぼ定時(5時)に起き出している。強い寒気を食らっていることには、冬という季節がら仕方がない。一方、強い悔いごとをしでかしているのは私自身であり、仕方ないでは済まされないわが罪つくりである。
 このところの「ひぐらしの記」にあっては、書き殴り特有に放っていたらエンドレスになりそうな、だらだらと長い文章を書いている。そのせいで掲示板は汚(けが)れて、同時に掲示板を覗く人様の数を示す、カウント数は減り気味にある。こんなことであれば、寒気と文章書きのダブルの苦痛に耐えて、書くことなど止めればいいと思う。確かに、これこそわが身そして読んでくださる人様のためでもある。
 時は冬の季節にあって、周囲の山は冬枯れの風景を曝(さら)け出している。私は季節を分けず年じゅう、ネタ不足状態を晒している。これらにかこつけてきょうは、身を慎んで長い文章は書くまいと決め込んでいる。ゆえにきょう書くことは唯一、このことだけに留まることとなる。それは、きょうの行動予定における歯医者通いのことだけである。前歯の欠けた後は、今なおほったらかしにして、ポッカリと空いたままである。きょうも、新たな入れ歯や詰め歯を願うつもりはない。なぜなら、普段そんなに不都合なこともないし、それよりなによりこの先の命の短さを鑑みれば、もはや慌てふためくこともない。いやいや、コストバランス(費用対効果)からすれば、どっこいどっこいのゆえでもある。きょうは冒頭のわが意志に則(のっと)り、ここで書き止めである。なんだかそっけなく、かつまた味気ない気もする文章である。しかしやはり、文章書きは30分ほどで済んで、気分はいたって楽チンである。
 夜明けはまだ遠く、だったら寝床へとんぼ返りをして、博打(ばくち)みたいな二度寝を試みるつもりにある。あす以降をどうするかは寝床で、ちょっぴり思案にくれることになりそうである。

ネタ切れを助ける「母恋慕情」

 12月12日(木曜日)。定時の5時より一時間ほど遅い、起き出しをこうむっている。ゆえに、執筆時間にせっつかれて心が焦っている。しかし、幸いにも夜長の候にさずかり、焦りはいくらか和らいでいる。だけど、ネタとなる得意分野を持たないせいで現在、究極のネタ不足に見舞われている。こんなときはいつもこれまで、ふるさと慕情や母恋慕情にすがり、どうにか文章を繋いできた。ゆえにこれらはわがネタ不足を助けてくれる、あてにならない神様に代わるありがたい助太刀(すけだち)である。
 きょうはその片方の母恋慕情にすがり文章を書いて、ネタ不足の難を免れるつもりにある。しかしながら、書き殴りの上にときたま、ふるさと言葉が交じるために読みにくくなり、予(あらかじ)め謝りしておくものである。魚には出世魚と言われものがあり、大きくなるにつけて文字どおり箔をつけてくる。人間でも貴人の場合は、様々な称号が付いてくる。わが子どもの頃にあっての私は、母の呼び名を「母ちゃん」から、「おっかさん」へと変えていた。のちには外面上、「母」一辺倒になった。他人様(ひとさま)一様の母の呼び名は、煌めくことなく「田中井手(たなかいで)の婆さん」一辺倒であった。わが子どもの頃の母は、水車(精米所)の内仕事では、父を凌いでわが家の世帯骨を背負っていた。一方で母は、本来の主婦業ではまるで、独楽鼠のごとく土間に精米機械が据えられていた母屋の内外を走り回り、汗だくの日暮らしに明け暮れていた。
 母の主婦業は単品メーカーではなく一手(ひとて)に、まるで今様の総合食品メーカーの役割を果たしていた。蘇る記憶のままに、母の手が作り出す食品類を連ねるとこんなものがある。昼なお暗い味噌小屋に入っては、文字どおり味噌づくりに奔命していた。年の瀬の今頃では、「しのば」(農作業用の別棟の建屋)で、「こるまめ」(納豆)作りに精を出していた。やや時が進むと、正月用の「餅つき」の準備と、当日の主役を担っていた。渋柿が熟れ出す晩秋にあっては、夜なべして「吊るし柿」(干し柿)をこしらえていた。大晦日にあっては、自作の蕎麦から取って蒸したそば粉を平台に置いて、長い捏(く)ね棒で必死に練っていた。正月・元旦と小正月(15日)の雑煮づくりにあっては、またまた避けて通れない母のひとり舞台だった。正月が過ぎて2月になるとこんどは、ひな祭り用の「かきもちや菱形餅づくり」、併せて「くだけだご」(草餅・ヨモギ団子)、5月の節句には「アズキだご」や「ソーダ饅頭」(パン粉で膨らかしたもの)などもこしらえた。「からいもだご」(サツマイモを平たく切って包んだ団子)、「いもだご」(里芋をまるごと包んだ団子)、栗の季節にあっては「栗団子」、まるで百花繚乱さながらの母の手の団子づくりだった。母は、梅の時季には梅干しも作った。これらの合間には、わが好む赤飯蒸かしと牡丹餅づくりを、時をかぎることなくつくり続けた。
 総合食品メーカーのみのならず、着物(衣類)の破れているところの縫い合わせ(ふせ)を中心とする裁縫などは、ほとんど夜なべ仕事になっていた。電動の洗濯機や掃除機のない時代の母の掃除は、一仕事とは言えない文字どおり骨の折れる二仕事だった。まだ水道もなく、川水頼りの釜屋(土間の炊事場)仕事、さらには冷蔵庫のない残り物の保存の工夫には、母は全神経を鼓舞しなければならなかった。
 書き殴り特有に、きょうもまたいたずらに長い文章になっている。だからここで、書き止めでにするものである。ネタが浮かばないときには、無理して書かないほうがわが身、もちろん人様のためでもある。母恋慕情がかぎりなくつのる半面、草葉の陰の母は声なく、わが勝手ぶりを諫(いさ)めているであろう。私は、胸の透く日本晴れに救われている。

大晦日と正月の食事を脅かす、口内炎の発症

 12月11日(水曜日)。このところの起き出し時刻は、みずから定時と決めている、5時前後で安定している。だから、このところの書き出しもほぼ変化なく、様にならない。おのずからまた、同様のことを書き添える羽目になる。夜長の候にあって夜明けはまだ先にあり、きょうの天気模様を知ることはできない。しかし、冬の季節に応じてこの先、日々寒気の度合いが増すことだけは、気象予報士の予報に頼らずともわかる。北風や小雪ぐらいは仕方ないけれど、長雨だけは真っ平御免蒙りたいものである。
 年の瀬・12月にあって、机上カレンダーに記載の「行事一覧」には、ことしの終い月特有に盛りだくさんある。明ければこんどは、年始・1月特有にまた盛りだくさんある。私の場合、年の瀬にあって、来年の準備をしているものは、たったの一つだけである。それは毎年使い慣れている、来年用の机上カレンダーだけは、すでに100円ショップから購入済みである。例年だと準備の一つ、年賀はがきの購入にはいまだに踏ん切りがつかないままである。
 さて、クリスマスにはケーキを食べることもないからどうでもいいけれど、大晦日の年越しそば、明けてのお節料理を前にして、厄介ごと(難事)に見舞われている。すなわちそれは、久しく発症を免れていた口内炎が、ベロ(舌)に顕れ始めていることである。現在はかつて知っている兆しの症状ゆえに、買い置きの軟膏を塗り、防戦に努めている。ところが、軟膏は古くて固まり、肝心要の薬効切れなのか効果なく、現在は買い替えなど次の一手を模索中にある。こんなことまで書いて、ネタ切れを防いでいる私は、つくづく哀れ者である。
 付け足しには、こんなことを書こうと思っている。野菜に関して、子どもの頃には好き嫌いがあった。しかし84歳、もはや死に際にある現在は、好きの範疇には入らなくても、どれもが嫌いの範疇から脱して、食卓にのぼれば満遍なくうまそうに食べている。子どもの頃に毛嫌いしていたのは、メニュー(献立)の三羽烏とも言える、じゃがいも、カボチャ、人参である。これら三品は箸先で撥ね退けて、他のもので満腹にしていた。それでも母は、嫌いなものを押し付けることはなかった。ところが84歳まで生き延びて、口内炎だけはいまだに根切れしていないが、なお総じて健康体である。
 せっかくだから好きなもの三品を順位付けして書けば、ナス、キュウリ、トマトである。嫌いと思えるものは、初めから食わない。総じてそれらは洋物、カリフラワー、ズッキーニ、セロリ、ほか洒落た名の付くものである。私の場合、中華料理だけは別にして、これ以外の他国(異国)料理には食欲が湧かず、食指も延びないのである。極端言えば、御飯に納豆、あるいは目刺し(イワシ)、これらにいくらかお金を張り込めば生タラコなど、おかず一品で十分満足できるところがある。特上寿司を超えて好むものには「赤飯にゴマかけ」で、おかず要らずがある。
 このところの私は、執筆時間に余裕があるせいで、長々と変な文章を書いてはネタ不足を埋めている。ゆえにきょうもまた、平に詫びるところである。だからここで指先はキーボードから外し、この先は口内炎薬剤のチューブを手にして、固まっている軟膏の押し出しに再挑戦する決意にある。薄っすらと夜が明けて、大空は曇天の冬空模様にある。