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薄ノロ間抜けの文章

9月27日(水曜日)、夜明けが遅くなり、未だに夜の佇まいです(4:58)。きのう(9月26日・火曜日)で、秋彼岸が明けました。いよいよ季節は、中秋から晩秋へ向かいます。つれて夜長は日々深まり、また寒気は加速度をつけていや増して行きます。秋彼岸を境にして肌身にあたる風は、すっかり冷たくなりました。この秋もまた私は、自然界現象(気象)に度肝を抜かれています。これにかかわる人間の知恵(暦・カレンダー)とて、まさしく驚異です。なぜなら、まったく嘘を吐くことなく、いやほぼ寸分たがわずに、自然界のめぐりを表しています。「暑さ寒さも彼岸まで」。確かに私は、この成句の真髄を痛切に感じています。秋彼岸に応じて、道端には彼岸花が咲いています。わが世の夏を惜しんで鳴き騒いでいたセミの声は、今やまったく途絶えています。おそらくどこかで、空蝉(うつせみ)の姿で樹木の小枝にはりついているのでしょう。きのう、茶の間にはキリギリス(ギメ)が飛び込んできました。ヤモリやムカデなら形相を変えて慌てふためく妻は、落ち着いた口調でこう言いました。「パパ、殺しちゃダメよ。捕ったら、窓の外へ逃がしてよ」「わかってるよ」。私は利き手の右の手の平を広げて、パタッとキリギリスにかぶせ、一発で捕りました。そして、妻の言いつけどおりに玄関口へ向かい、ドアを開けて、玄関灯が光る宵闇に放しました。キリギリスは喜んで、飛び立ちました。ところがこの後、異変が起きました。ムカデが茶の間に闖入(ちんにゅう)し、茶の間は阿鼻叫喚に晒されました。ムカデは常置のスプレーを用いて、二人してやっとこさ殺しました。ネタのない文章は、尻切れトンボのままに結びます。きのうの文章の二番煎じを用いれば、ふるさとでは赤トンボが尻を揺らしてのどかに飛び交っているはずです。ふるさと便の柿と栗は、すでに食べ尽くしました。現在はふるさと産の新米の宅配を待っているところです。薄曇りの夜が明けました。

ありがとうございます。

 大沢さんいつも花の感想の投稿ありがとうございます。

古閑さんちのお庭

 暑くても寒くても古閑さんのお庭の花々に出会えると元気が出ます。いつも励ましを有り難うございます。

新しい入れ歯は、恐ろしい「恐竜型」

9月26日(火曜日)、寝坊助に陥り、慌てて起き出して来ました。そのため、文章を書く心の余裕を失くしています。おそらく、尻切れトンボの結び文になること請け合いです。ふるさとの「内田川」の川岸、そして稲田や田園などには、赤とんぼが飛び交っているはずです。もはや、ふるさと帰りもままならず、心中に浮かぶ懐かしく、中秋の美しい情景です。きのうは、予約済の歯医者へ出向きました。通院始めから長い日が経って、今回で最後の通院となりました。きのうの通院にあっては、あらかじめ新しい入れ歯の出来上がりが伝えられていました。このことではいつもとは違って、私はうれしい心の膨らみをたずさえ、待合室のソファに腰を下ろしました。予約時間は午前十時、ほぼ十分前に待合室に着いていました。いつもの待合室は人影を見ないのに、きのうは二人が診察室から待合室へ出てこられました。私は保険証と診察券を添えて、受付の窓口へ置きました。すぐに、診察室のドアが開いて、お顔馴染みの若い女性の歯科衛生士さんが、「前田さん」と、呼ばれました。今や勝手知った診察室へ、それでも私は、神妙に導かれた診療椅子へ向かいました。三台ほど並んでいる診療椅子の二つは空いていてこのとき、診察室の患者は私だけでした。診察室特有の静まりに私は、緊張感をおぼえました。心して診療椅子に腰を下ろすと私は、いつもの習わしにしたがって、メガネ、マスク、そして片方だけ耳穴の集音器を外しました。集音器を片方だけにしたのは、先生のお話を聞くためと、一方では処置の邪魔にならないための私の配慮でした。傍らの紙コップで三度口すすぎを試み、主治医・男性先生の近づきを待ちました。まもなく先生が近づかれていよいよ、予定されている施療が始まりました。「おはようございます。大世話様になります」「きょうは、出来上がった入れ歯を入れます」。先生はすぐに、そして五回ほど嵌めたり、抜いたりの作業を繰り返しされました。ようやく新しい入れ歯は、元の歯並びに馴染んで定着しました。この間、そしてこの後の私は、新たな入れ歯の形を見ることもなく、もちろん大きさなど知らずじまいでした。しかしながら違和感はなく、入れ歯の成功を感得していました。そして、今朝の洗面において初めて私は、入れ歯を指先で外し、手にしてじっと見ました。すると、新しい入れ歯は、ところどころがくびれて、両端には新たな入れ歯が林立し、まるで「恐竜の姿」を見るようでした。私は驚いて、パソコンを起ち上げ、この文章を書きました。30分間の程の書き殴り、そして予知の尻切れトンボの文章は、ここで結ぶ文になりました。窓ガラスを網戸へ変えると、風の冷たさが身に沁みています。夜明けの大空は、秋天高い日本晴れです。

高橋さんへ

 いつも花の写真の感想の投稿有難うございます。
そうですね。今年は異常に暑かったのですがやっと秋らしくなってきましたね。

♪古閑さんへ『庭の花』の感想です♪

古閑さん、昨日あたりから秋の気候になってきましたね(^^)
昨夜は長袖を着ていました(笑)。
再登場の花々は、さらに綺麗で素晴しくなっていますね♪♪♪

庭の花

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 この3枚の花の写真は、先日投稿した花と同じものですが、また新しい蕾ができ花が咲いたので再度写したものです。

♪大沢先生へメッセージです♪

前田さん御出版の☆『ひぐらしの記第88集』☆の武田英子氏の表紙画は、京都 八坂通りで、五重塔は法観寺の八坂の塔だったのですね!!
教えてくださり、どうもありがとうございました。

現代文藝社編集室だより

前田静良著 ひぐらしの記第八十八集のカバー、表紙、扉画は武田英子氏作です。
風景は、京都 八坂通り 五重塔は法観寺の八坂の塔。

「秋分の日」が去って、想う

「秋分の日」(9月23日・土曜日)が去ってこの先は、「冬至」(12月22日)へ向かって、日に日に夜長を深めてゆく。もちろん寒気もまた、日ごとに強まりゆくこととなる。つれてわが日暮らしは、おのずからこれらに備える、臨戦態勢を強いられてくる。長い夜にあっては心理的に、寂寥感が弥増すこととなる。もとより秋の季節には、寂しさつのるところがある。ところが、長い夜にあっては、この寂しさが上増してくる。端的に言えば、物想う季節の深まりである。これに耐えるには、私は強靭な精神力を持たねばならない。秋分の日が去って現在、わが確かな心境である。「春夏秋冬」、季節は時々刻々とめぐる。もとよりそれには、抗(あらが)っても、叶わぬ抵抗である。そうであれば私は、日々「是れ、好日」を願うところである。深まりゆく秋には物思いと併せて、「読書の秋」という好機がある。ところが私の場合は、子どもの頃から灯火親しむ読書の習慣がない。今となっては、「後悔、先に立たず」である。確かに長い夜は、「ひぐらしの記」の執筆には有利である。しかしながら半面、ネタがなければ悶々とする長い夜となる。現在の私は、早やてまわしにこのことを恐れて怯えている。生来、私はつくづく損な性分である。「生と死」、もとより人間は、自分の意思で生まれ、自分の意思で死ぬ、ことはできない。言うなれば人生とは、ケ・セラ・セラである。だからこの先の長い夜には、できるだけこんな心境をたずさえて、臨みたいものである。秋分の日が去って、私は長い夜の過ごし方に、一考をめぐらしている。9月24日(日曜日)、夜明けてきのうの雨模様は止んで、のどかに中秋の朝日が昇り始めている。「中秋の名月」(9月29日)が近づいている。