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建国記念日(2月11日・日曜日)

私たちの「結婚記念日」です。何年目になるかは知りません。二人そろって、生きているだけで十分です。人生晩年、一寸先は闇の中。二人そろっての「最後の昼餐」になるかもしれません。二人だけの祝膳には初見参、お金を張り込んで、鎌倉市内の高級寿司店を予定しています。現在、まったく寒気は感じません。一足飛びに「春」が来ました。つれて、わが脳髄は「春ボケ」になりはじめています。きょうは長い文章は書かず、これっきりです。

♪大沢先生へ『雪のあと』の感想です♪

大沢先生、朝晩の厳しい寒さの中での望月窯での作業、たいへんお疲れさまでございました。
計画通り作業が進んでなによりですね♪♪
古閑さんと同じく野ウサギが通るのを見てみたいです♪♪

雪の上の足跡

 雪の上の足跡、ウサギで良かったですね。人間の足跡だったらゾッとします。それにしても野ウサギが通るのを見てみたいものです。

雪のあと

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 今週は火曜日(六日)~二泊三日を予定していた実家行き(望月窯)だったが、雪降りの後だったので予定を変更して木曜日(八日)から出かけて本日帰宅した。朝晩は厳しい寒さだったが、日中は太陽の恵みを受けて、ぽかぽか陽気だった。前回はベンチと縁側のペンキを塗ったが、今回はベランダの柵を塗った。それから長年積んでいた落葉の下方部分に溜まった腐葉土を畑の方へ運んだ。毎年草取りに追われてなかなか出来なかったが、ようやく作業が計画通りになり、だいぶ前から少しずつ始めていた。
 降り積もった雪が解けずにまだ残っていた。雪の上には何物かの足跡がついていて、解け始めた部分がまるで人間の靴跡みたいに見えて、はじめは誰かが通ったんじゃないかと気味悪く思ったが、よく観察してみると、動物のようだった。点々とついている形がどうやらウサギが跳ねて通ったのだと二人で納得した。
 楽しいひとときだった。

名残り雪

明日の「建国記念の日」(日曜日)に続く「振替休日」(月曜日)を含めて、三連休の初日(2月10日・土曜日)が訪れている。現在のデジタル時刻は、未だ夜明け前にある(4:39)。わが身を襲う寒気は緩んで、確かな「春の足音」が響いている。いくつか、道路脇に薄汚れた「小だるま」みたいに縮こまっていた最終の雪の姿は、まるで炬燵の上の「まん丸の猫背」のように見えていた。ところが、この光景もきのうですべて消えて、視界一面には平常の風景が現れ、つれて人の生活は、ほぼ三日前の日常に復していた。いくらか、気が早いけれどこののちに降る雪は、季節忘れの「名残り雪」と言えそうである。名残り雪には二つの意味があると言う。一つは雪の多い地方で春になっても消えず残っている雪という意味であり、一つは春に降る雪という意味である。わが用いた名残り雪は、もちろん後者である。しかしながら、この先(2月29日)までの間に再び降れば、名残り雪とは言えそうにない。するとたちまち、わが貧弱な脳髄は混迷に陥ることとなる。挙句、「また、降った」と言って、お茶を濁す羽目になる。このところの私は、みずからの怠け心にみずから鞭打って、かなり気張って文章を書いてきた。ところがその文章は、長いだけのだらだら文に堕していた。このことで、私は疲れた。ところが、ご好意で読んでくださるご常連の人たちには、はるかに疲労をいや増している。だからきょうはそれを詫びて、文章とは言えない文章のままで、書き止めるつもりである。しかし、先ずは身勝手に、わが指先を休めたいと思う。ご常連の人たちもまた、疲れている気分を休めて、春先の三連休をたっぷりと楽しんでほしいと、願うところである。気象予報士が伝えた三日間の予報には雪降りの徴(しるし)は見えず、ぽかぽか陽気の春モードになっていた。野原を周遊すれば、「つくしんぼ」が立ち始めているかもしれない。ウグイスは藪の中で、「チチ、チチ」と鳴いて、トレーニング中かもしれない。表題は二つの意味をおさらいしたことから、ズバリ「名残り雪」でいいだろう。夜明けの光はまだ見えない。

髙橋弘樹様へ、御礼

いつもいつも、大大大エールを賜り、感謝と御礼申し上げます。おかげさまで、激痛は和らいでいます。

♪HIROKIのタレント日記♪

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《北浦和駅西口に雪だるまが出現していた!!》
降雪から4日経ちましたが、きょうの昼間、初めて気が付きました◎◎ナント!! 北浦和駅西口に雪だるまが出現していたのです◎◎
西口の左側は、あまり通らないので、通りかかってビックリ!! でした。
身長は目測で1メートルぐらいかと思われます。
この雪だるまの前が実はお寿司屋さんなのですが、板さんが雪かきついでに愛嬌で雪だるまを作ったのかな?? などと想像をめぐらし、最初は通り過ぎましたが、オモシロそうでしたので、引き返して(笑)、写メを撮りました。
そこで、このオモシロイ気持ちのまま、☆第2回オモシロ写メ大賞☆へエントリーしたところ、「確かにオモシロイけれど、奇想天外さに欠ける」という事で、自分が審査委員長であるにもかかわらず、受賞できませんでした↓↓(大笑)。
そんなこんなで、この大きな雪だるまは、いつまで続くのだろうか、と気になる存在となった瞬間でした。

♪前田さんへメッセージです♪

前田さん、昨日は腰回りの激痛が快復されて、なによりでしたね。
やはり、普段から行ないが正しい前田さんは、御釈迦様 マリア様 イエス様が見放すはずはなく、御加護を受けていらっしゃいます。
ぼくも前田さんへ祈りを捧げているところです。
きょうも前田さんへ”大大大エール”を贈ります(^O^)/(^O^)/(^O^)/(^O^)/(^O^)/(^O^)/(^O^)/

このたびの降雪の、粋なつぐない

きのう(2月8日・木曜日)のNHKテレビニュースには、いっとき「針供養」の情景が現れた。思いがけない映像を観て、わが内心はほっとした。なぜなら、(バカなことを書いてしまい、大恥を晒したな!…)と、思っていたからである。このたびの降雪は、二度の空振りを恥じて、人間界へ詫びているのか。それとも、降雪の償いでもしているのか。もちろん降雪の外れは、恥じることも詫びることもまったくない。むしろ外れは、人間界に多大の恩恵をもたらしている。一方、人間界にたいする降雪の償いであれば、後処理は素晴らしい出来栄えである。なぜなら、このたびの降雪は、一気に寒気を遠のけて、いち早く「春」を呼び込んでくれている。これに、わが「太陽崇拝」の証しである「日光」が加勢し、一日にして視界の雪はほぼ消えて、視界は平常風景に復している。残るは「小だるま」程度にこじんまりと縮んでいる、ところどころの道路脇に撥ね退けられている風景だけである。このたびの降雪は、確かに春を呼び込んでいる。その証しにきのうの鎌倉地方には、春を思わすポカポカ日光がふりそそいだ。日光は陽気と換言していいのかもしれない。なぜなら、ふりそそぐ日光は、茶の間のソファに背もたれていたわが重い腰を、「すぐに、外へ行け!」とばかりに、揺さぶった。わが重い腰は、素直に呼応した。午前中の私は、いつもの大船(鎌倉市)街へ買い物に出かけた。往復、「定期循環・江ノ電バス(本社・藤沢市)に乗車した。そして、午後の三時過ぎには、当住宅地内にある唯一の医院、すなわち掛かりつけの「S医院」の外来へ、歩いて出かけた。この間の道のりは、わが家から片道15分弱である。薬剤切れにともなう、ほぼ一か月ごとに訪れる通院である。診察室では毎度、普段話程度で済む、三分間診察の典型である。ところがこの通院が、わが命果てるまで続くとなれば、身の毛がよだつ思いに駆られるのは、薬剤費の多額の入用である。なぜなら、処方箋料と二つの薬剤費を合わせると決まって私は、毎回5000円近くを払う羽目になっている。ところが、きのうの通院にあっては途中、私は(この場で命が絶たれるかもしれないな…)という、思いに苛まれたのである。突然のこの思いの発端は、歩くことが困難になるほどの腰回りの激痛だった。歩いては激痛を堪えて、立ち止まり、また歩いてはまた立ち止り、を繰り返した。それゆえに途中の私は、スマホに留めているタクシー会社の一つ、「大船中央交通」へ電話をかけて、大船からタクシーを呼ぼうと思った。ところがそれは思い留めて、40分ほどかけてようやくS医院へたどり着いた。待合室では、帰りの足に思案をめぐらした。ところが帰りの足は奇跡なのか、いつもの足取りに復しており、行きに遭遇した困難を免れたのである。気象予報士が伝えるこの先の天気予報は、高気温に恵まれ、もはや春模様の予報だった。このたびの降雪は人間界にたいし、箆棒にありがたい償い果たしたようである。突然の腰回りの激痛は余興で済んで、現在の私は胸をなでおろしている。いまだ夜明け前にあって、夜明けの天気を知ることはできない。しかし寒気は緩んで、わが身体は確かな春の訪れを感じている。たぶん、降雪の粋な償いのゆえであろう。

無題

恥さらしの文章を長々と書いて、なさけなく、そして詫びています。