掲示板

♪前田さんへメッセージです♪

どちらも大好きな文章です♪♪
古文と漢文の授業時間を思い出しました(^^)(^^)

寝坊助の恩恵(名文二つ)

 3月24日(日曜日)。「春うらら」のせいで寝坊した。それゆえにわが文章は書けず、ネット検索で名文の一部にすがった。いまだに寝ぼけ眼(まなこ)だけれど、確かに春の目覚めは心地良い。
 「春はあけぼの。やうやう白くなりゆく山際、少し明かりて、紫だちたる雲の細くたなびきたる。」(『枕草子』、清少納言)。
 「春 眠 不 覚 暁(しゅんみんあかつきをおぼえず)
  処 処 聞 啼 鳥(しょしょていちょうをきく)
  夜 来 風 雨 声(やらいふううのこえ)
  花 落 知 多 少(はなおつることしるたしょう)
 現代語訳(口語訳)
  春の眠りは心地がよく、夜が明けるのも気づかないほどです。
  あちらこちらから鳥のさえずりが聞こえてきます。
  そういえば昨夜は風雨の音がしていたな。
  いったいどれほどの花が散ったことでしょうか。」(『春暁』、孟浩然)。

大沢さんへ

 花の感想有難うございます。 今年はどうなるか分かりませんが今のところ順調のようです。

高橋さんへ

 花の感想有難うございます。沈丁花、残念だったですね。室内の鉢植えはなかなか難しいようですね。

古閑さんちのお庭

 素敵ですね。花々が輝いています。奥様のお手入れのたまものですね。今年もたくさん楽しませてもらえそうですね。

彼岸明け

3月23日(土曜日)。季節はめぐり彼岸が明ける。こののちは、北上を続けている桜だよりが本格化する。学び舎にあっては卒業式、実業界や役所にあっては、人事異動が真っ盛りである。一年は元日を起点にして、大晦日までめぐる。ところが、社会の出来事は、4月を起点にして3月へめぐる。それゆえに3月は「年度末」となり、何かにつけて慌ただしさの最中(さなか)にある。そして毎年、年度末特有の悲喜交々の情景が繰り返される。様々な入試は、合否すなわち幸運と不運とに分けて、2月中にほぼ終了した。すると3月は、学び舎にあっては卒業(式)や、新たな入学(式)あるいは進級準備におおわらわとなる。一方、実社会にあっては、人事異動の辞令をもとに赴任先への移動に大忙しとなる。ゆえに人の営みは悲喜交々、すなわち幸運・不運が入りまじり、さらには様々な事象を加えて3月は、年度末特有の現象に明け暮れる。起きて私は、わが柄でもないことを浮かべていた。人の世にあって個人は家族を成し、家族の集合体は社会を成す。これに、人の手に負えない自然界現象が加わる。ゆえに人の世には日々、様々な出来事が起きる。もとより、個人では手に負えない出来事である。するとそれは、この世に人が生きにくい根源を成す。当てにならない神様やお釈迦様にすがることはない。けれど、季節のめぐりを表す「彼岸明け」にはなんだか、心の和むところがある。しかし、夜明けの寒空にあって寒の戻りは、わが身に堪えている。桜の花の蕾もまた、出端を挫かれていっとき萎んでいるであろう。自然界共に相なす人の世は、もとよりままならない茨道である。

♪古閑さんへ『庭の花』の感想です♪

豆桜という桜があったとは、ぜんぜん知りませんでした(苦笑)。
満開画像と他の花も綺麗です◎◎◎
幹の復活を心より願っています(^O^)/(^O^)/

ぼくのほうは、白色沈丁花ですが、その後は満開になっていいはずが、花が少し開いた状態で、落花したり、開花直前なのに黒く変色してしまうという”異常事態”が発生しています!!
香りもなくなってしまいました↓↓
鉢植え室内栽培の難しさを実感しています(◞‸◟)

庭の花

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 庭の桜(豆桜)は今が満開ですが桜の幹の半分が病気で枯れてしまい、枯れた幹を切ったため一寸花が少ないのが残念です。幹の切り口(写真)には薬を塗っていますが今後どうなりますか。

パソコン復旧の悦びにことよせて、駄文厭わず

3月22日(金曜日)。夜明け前にあって寒気が戻り、心が萎えている。きのうは突然、パソコン不調に見舞われた。パソコン不調は体調不良を超えて、わが心を悩ました。ところが、あれこれとやっているうちに復旧した。このときの悦びはこれまた、体調の持ち直しを超えて、うれしいひとときだった。なぜならこの間の私は、とてつもない心痛に陥っていた。さて、服用中だった三つの薬は、副作用の嫌疑にあって二つは現在、主治医先生の指示に従って服むのを止めている。今のところ、中止の効果はあるようでない。すなわち、まだわからない。しかしながら、一週間ほど服用を中止すれば、痛みが取れそうな予感はある。それゆえにやはり、身体の各部位の痛みは、服用中の薬のせいだと確信するところはある。ところが、これには失態を演じている。それは、二つの薬を同時に止めているため、ほんとうのところはどちらが副作用の主因とは決めかねているからである。このことで心中は、混乱に見舞われている。だから悔いは、一週間おきに中止を試すべきだった。そしてそのことでは先生の指示に逆らって、一週間ごとの中止を提案し、承諾を得ておくべきだった。もとより、後の祭りである。副作用の主因がどちらかの一つとわかれば、疑い晴れた薬は服み続けて構わないことになる。元々、三つの薬とも自覚する症状の改善薬のため、できれば中止せずに服み続けたいという思いがある。確かに、代替薬はある。だけど、悪玉コレステロール改善の薬は、データ値に著効を示していた。一方、先生に言いそびれていた市販の便秘の薬もまた、効果を実感していた。ゆえにこれらを共に中止することには、「泣き面に蜂」の思いがある。二つ共に副作用を成していたのか、それともどちらかの一つが主因だったのか、このことを確かめるべきだったのである。このところの私は、身体の部位の痛みにからんで、こんな私的すなわち身も蓋もないことを書いてきた。挙句、きのうはだらだらと長い文章を書いてしまった。恥じて、詫びるところである。その償いにきょうの文章は、尻切れトンボを厭わず、ここで書き止めである。身勝手に、継続文の足しになるだけが取り柄である。寒気が戻っているせいか、夜明けの大空は、真っ青の日本晴れである。あすは彼岸の明けなのに、寒気が身に堪えている。

高橋弘樹様へ、感謝と御礼

連日のエールを賜り、感謝と御礼を申し上げます。疲れている心身にエネルギーが沸いてきます。