
坂本弘司撮影 全く大沢先生のおっしゃる通りです。 日々の心情をお書きいただく前田さんへお礼の言葉を言いたくて投稿しました。私の起床時間と前田さんの起床時間はほぼ同じです。朝起き出して、私も色々な気分の日があります。でも、ひぐらしの記に出会うとまた一日元気に過ごそうという気持ちが湧きます。前日と同じような文章でも、少しも気になりません。それは今日という日は新しい一日だからです。昨日と同じ気分の日もあれば新しい一日に出会った日であり、気持ちがどう変化するか分からない一日でもあります。 目覚めても布団の中から抜け出せず、寝坊助状態で心が急いている。きのう(10月9日・水曜日)の寒さは、身体にはひどく堪えて、おのずから心は萎えた。昼頃までは強さの段階を上げて、小型、中型、そして大型へと、台風並みの雨嵐に見舞われた。それが止み去っても、日光を見ることなく、寒い一日に終始した。わが身体は寒気でゾクゾク感を被り、私は大慌てで着衣を冬着スタイルに替えた。同時に恐れたのは、治ったばかりの風邪がぶり返しそうになった。夏風邪を拗らせて長引き、それがようやく治ったばかりだった。夏風邪という言葉は、電子辞書にも記載があり、俳句の季語にもなり日本社会に認知されている。一方、秋風邪や冬風邪さらにはオマケに春風邪という言葉は、電子辞書には記載がないことを知りながら、バカ丸出しにあえて私は、また電子辞書を開いて確かめた。当り前だがこれらはなく同音異語として、秋風、冬風、春風の記載に留まっていた。もちろん、夏風の記載はある。結局、夏風邪は季節外れの現象で、それをひくのは尋常でない証しであろう。確かに、夏風邪をひくのは愚か者(バカ)の証しであろうか。寸でのところで私は、再びの風邪は免れている。しかし、渋々起き出して来た身体は、きのうの寒気を引きずり冷え冷えである。雨は止んでいるけれど強い風が残り、さらにはまだ朝日が雲隠れしているせいであろう。ところが、きのうの気象予報士の予報によれば、この先一週間ほどは晴れの日が続くと言う。そうであれば寒気はともかく、ようやく本来の秋の気候、すなわち天高く澄んだ秋晴れが望めそうである。その兆しなのか、まだ朝日の輝きはないけれど、大空は少しずつ明るみ始めている。ネタなく、起き立ての天気に絡んで、いつも同じような文章を書く私は、つくづく哀れである。継続だけを願って無理に、こんな実のない文章を書くのはもうこりごりで、打ち止めにすべきであろう。私は寒気に加えて、自戒に苛(さいな)まれている。 きのうの昼間へ向かっての豹変、すなわち秋晴れ願望は気象に背かれて、叶わずじまいだった。ゆえに願望は余計につのり、きょう(10月9日・水曜日)の夜明けを迎えている。ところが起きて来て、驚くばかりの小型台風並みの「雨嵐」が暴れている。雨嵐の表現は、わが目と耳が感知する現在の状況に照らしている。目は滂沱の雨と山と空き家に残された植栽に立つ、木々の大揺れを見ている。耳は補聴器を嵌めているため、窓ガラス、雨戸、そして戸袋へ、間断なくぶち当たる音を捉えている。見聞する暴れようから、小型並みと言うのは段階を上げて、中型の台風並みに置き換える。机上のカレンダーを眺めている。きのうの繰り返しになるけれど、まもなく「スポーツの日」(10月14日・月曜日)が訪れて、好季節の秋にあっても、その最良にある。カレンダーに罪はないけれど、自然界の恵む季節はなぜこうも? こんな罪作りをするのかと、恨めしい気分横溢である。不断の私は、わが憂鬱気分直しにすがり、「自然界賛歌や礼賛」に満ち溢れている。しかしながら、このところの愚図つく天候に出合っては、そのたびにこの思いは陰るばかりである。秋の季節は長く、初秋、中秋、そして晩秋へ移りゆく。すると今や、晩秋へ近づいている。ところがこれまでのところこの秋に、私は胸の透く秋晴れに出遭った記憶がない。もったいないというより、腹の立つ季節の裏切りである。きょうもネタが浮かばず、たった一つだけを記すつもりでパソコンを起ち上げた。すると、飛んだ夜明けの雨嵐に遭って、序章とは言えない無駄な文章を書いてしまった。すなわち、記すつもりだったのはこれである。衆議院はきょう解散し、選挙戦に入る。前の岸田文雄総理に替わり、新たに石破茂総理が誕生し、そしてその内閣まもない選挙戦である。野党第一党の立憲民主党もまた、前の泉健太代表から、新たに野田佳彦代表へ替わっている。ただこれだけのことを書くつもりだった。どうせテーマのない雑文、ならばこのことも書いて置こうと思っている。死刑確定者となっていた「袴田事件」の袴田巌さん(88歳)は、検察が控訴せず無罪となられた。こちらは、きのう飛び交ったニュースである。段階を上げて中型台風並みと記したけれど、雨嵐は起き出し時よりいっそう強く暴れており、さらに段階を上げて大型台風並みと記してもよさそうである。選挙もまた、大嵐になりそうな予感が渦巻いている。 芙蓉の花は一日の中で少しずつ色が変化するのも魅力的です。朝に花が開き、白い色と思っていて、お昼過ぎに眺めて、薄いピンクに変わって「あら?」と不思議に思い、もう一度夕方に見ると、濃いピンク色になっているんですね。まるで狐に化かされた感じですね。でもその色合いから憎めない。素敵な花です。 10月8日(火曜日)。夜明けは雨こそ降っていないけれど、朝日は見えずどんよりと曇っている。いや、今にも雨が降りそうである。来週には「スポーツの日」(10月14日)を控えて、もとより好季節の秋にあっても、一年じゅうで最も好い頃にある。ところがこのところは昼間にあっても、秋天高い秋晴れは望めていない。心急くほどにもったいない気分をもたらしながら、好季節はおかまいなく冬日へ向かっている。途中、どこへ消えたかわからないままに台風17号と18号は、幸いにも大きな災いをもたらすことなく去った。しかしながら、長く続いている悪天候はやはり、不運にもこれらの台風の捨て鉢の置き土産だろうかと、勘繰りたくなる。人間、いや私の気分は、一日にあっても、夜明け、昼間、そして夕暮れの天気の良し悪しで様変わる。それなのに、四季にあって最も好季節と定評のある「秋」にあって、こんな「ザマ」では確かにもったいなく、かなり腹の立つところがある。こんな苛立つ気分を和らげてくれるものには、買い物において売り場で遭遇する「実りの秋」のお出ましがある。長く空き棚になっていたコメ棚は、おおかた早出しの新米で埋められている。見違えるほどに眼福と食欲をそそる素敵な光景は、果物フロアにおける秋の果物の勢ぞろいぶりである。すなわち、栗、蜜柑、柿、梨、葡萄、などの競い合いである。林檎は季節おかまいなく並んでいて、愚かな私は、林檎の季節は知らずじまいである。これらに本来は山育ちのはずの、今や栽培物の木通(アケビ)や郁子(ムベ)などが、後追いでやがて売り場に現れる。はたまた、料理(レシピ)に欠かせない酢橘(スダチ)などの柑橘類も、数多お出ましである。このところの天候にはいっとき難癖をつけても、やはり私は、秋の季節を毛嫌いすることはできない。風邪が治りそれにともなうネタ切れにあって、きょうは書けず休むつもりだった。けれど、「実りの秋」のおかげで、こんな文章へたどり着いた。やはり、「秋、万々歳!」である。秋の天気は一気に様変わるけれど、昼間は秋晴れになるだろうか。ただいまだに、小雨が降りそうな曇り空である。 古閑さん、酔芙蓉の薄いピンク⇒比較的濃いピンクの画像もUPしてくださり、どうもありがとうございます*(^o^)/*\(^o^)/ 大沢さん花の写真の感想有難うございます。酔芙蓉は一日でわずかづつですがピンクに変わっていくいくのが面白いですね。 月下美人の蕾が6個もあるんですか。咲くのが楽しみですね。パッションフルーツも楽しみですね。それにしても、彼岸花が豚まんじゅうには笑ってしまいました。 季節感は、アバウトでいいのかもしれませんね。 カラスはとんでもないですが、⚫️渋谷のカラス⚫️は、体格がなんだか大型になってきました⚫️⚫️
前田さんへメッセージです
大沢先生にたいへん失礼ながら、大沢先生の前田さんへの御言葉をぼくなりに意訳させていただきますと、「前日と同じような文章でも、今日という新しい一日が訪れれば、前田さんの新たなる個性が発揮されます。
ようするに、私は『ひぐらしの記』の前田さんの個性溢れる文章を毎日楽しみにしています。」という事だと思います。
ぼくからも前田さんへ☆大大大エール☆を贈ります。
きょうは顔文字は使いません(大笑)。「なんだかなあ……の気分」の前田さんへ
ようするに、私はひぐらしの記に励まされているのは確かです。「なんだかなあ……」の文章にも励まされています。なんだかなあ……の気分
願望は叶わず「雨嵐」
古閑さんちのお庭
「秋、万々歳!」
♪古閑さん、ありがとうございます!!
日によってもピンクの色が違うのですね!!
たいへん勉強になりました♪♪ありがとうございます。
♪大沢先生へメッセージです♪
☆月下美人☆の開花☆☆☆☆☆☆と◯パッションフルーツ◯の成熟が楽しみです◯◯◯◯
先生からいただいたパッションフルーツは、特に変化はありません。

