掲示板

坂本弘司撮影

ありがとうございます。

 大沢さん、高橋さん写真の感想、またお褒めにあずかりありがとうございます。

味わい深い言葉

 諸富先生の言葉は、分かり易い言葉の中に深い深いものが潜んでいる気がします。そして、物理は嫌いでも、こんな味わい深い言葉を記憶にとどめておられる前田さんもまた、有意義な物理の時間を過ごされたと思います。「死ぬまで努力」なんですね、生きるという事は……。

古閑さんちのお庭

 お庭も冬支度ですね。奥様、お手入れ大変でしょうね。でも、その胸の内は春の訪れを待ち望んでほっこらとなさっていることでしょう。
 目を転じると、銀杏並木の見事な景色が広がっています。ふっくらとした銀杏の群れた葉が、見事ですね。素晴らしい写真です。

生涯学習『死ぬまで努力』

12月4日(水曜日)。決めている定時(5時)の起き出しより、少し前倒しに起き出している。そのうえ就寝中はほとんど寝つけず、まさしく朦朧頭と眠気眼のダブルをこうむっている。こんなことでは心中にネタなど、浮かぶはずもない。もとより、ネタ切れは常態化している。主に身辺のことにかぎり16年も書き続ければ、もはやどんなに鯱(しゃち)だって探しても、新規のネタなどああり得ない。挙句には、すでに書いたとわが記憶に残る事柄を繰り返し書く羽目になっている。私は究極のドツボ状態にある。一方では「ひぐらしの記」の製本(単行本)「100号」という、夢のまた夢を掲げている。しかしながら、まさしく空夢にすぎない。きょうは辛うじて書き繋いでいるけれど、あすはわからない。現在、93号となれば残りは7号とはいえ、わが命を鑑みればはるか彼方への道のりである。命の保証のない夢は、まるで「捕らぬ狸の皮算用」みたいなものであり、見ないほうが大ましである。さて、年寄りの冷や水さながらに生涯学習の再試行を始めて、きのうは三日目そしてきょうは四日目にあたる。すると、生来の三日坊主の性癖(悪癖)をこうむり、きょうあたりで途切れるかなと、現在の私はみずからの意志のことながら戦々恐々のさ中にある。再びの生涯学習に友として連れ出しているのは、かつての国語辞典類の中から一冊を選んでいる。それを加えて、不断の枕元にはこんなものを置いている。すなわち、従来の電子辞書、スマホ、そしてこれらに加えて『難解語便覧』(三省堂)である。確かに、日本語における究極の難解語である。だから、手を伸ばしてそれを紐解くと、たちまち眠くなる。もとより、学習の手助けとは端(はな)から嘘っぱちであり、実際には寝入りを導くための市販の睡眠薬同然にある。ところが、それが高じるとこんどは、深い眠りを妨げられて、夢現(ゆめうつつ)の状態をさ迷うこととなっている。挙句には、まったく寝た気のしない睡眠を強いられている。それすなわち、現在の寝起きの状態である。このことはとうの昔いちど、書いた記憶がよみがえる。わが高校時代にあって、嫌いな学科の物理の先生は、さっぱりわからない授業の合間に「受けを狙ってなのか」、生徒の疲れ癒しなのか、こんな体験話を差し込まれたのである。「きのう、古道具屋へ机を買いに行きました。あれこれ探している中で、机に肥後守(ひごのかみ)(当時、人気の小刀)で、『死ぬまで努力』と刻まれた机を見つけました。それを値切って、買って来ました」。結局、3年間の物理の授業で学び覚えたのは、このことだけだった。しかし、『死ぬまで努力』は明確に、わが生涯学習のきっかけをしてくれたのである。物理の先生は、「諸富先生」だったかな?…。こちらは、嫌いな学科だったゆえに、記憶は薄ら薄らである。なんだかきょうは、ネタがあったせいか、一時間ちょっとの書き殴りで済んでいる。現在は夜明けの見えない、6時きっかりである。

♪古閑さんへ『庭の花』&『紅葉』の感想です♪

小菊も黄色で、銀杏並木も黄色で良い眺めです♪♪
もちろんほかの花もです◎◎◎◎◎◎◎

庭の花

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 我が家の庭の花も小菊は以前と変わらずまだ咲いていますが、他はもう少なくなってきました。

寝起きの「悪あがき」

12月3日(火曜日)。起き出して来て、パソコンを起ち上げた時刻は5時ちょうど、みずから定時と決めている、まさしく定刻にある。一方で私は、こんな思いをたずさえて起き出している。起き出して来て、「ひぐらしの記」を書かずに済めば、どんなに寝起きの気分は楽であろうか。「ひぐらしの記」を書き始めて以降のわが寝起きには、安寧気分はなく常に、厭(いや)気分に脅かされている。もちろんそれは、ネタ探しや文章自体に呻吟をこうむっているせいである。いや、実際には広く、わが生来の凡才のせいである。生来(生まれつき)・先天であれば、もはや後天におけるちょっぴりの鍛錬や学習など、芥子粒(けしつぶ)ほどにもならない。換言すれば、わが凡才は「つくづく哀れ」である。わが生涯学習とは然(さ)にあらず、定年後の期限付きである。顧みれば、わが人生行路における四分の一(20年)ほどにすぎない。だから、わが生涯学習は、端(はな)から嘘っぱちである。確かに私は、短い期間とはいえ「語呂の良い生涯学習」という言葉を用いて、「語彙(ごい)の復習と新たな学び」をそれに掲げてきた。そして、わが凡才を助ける仲間には、分厚い国語辞典にすがった。ところが私には生来、三日坊主と意志薄弱という、ダブルの性癖(悪癖)がこびりついている。これまた後天にあっては、どんなに藻掻き悶えても、正し直せるものではない。これらの悪癖が相まって、定年後を限りに掲げていたわが生涯学習は、あえなく途中で、頓挫の憂き目をみたのである。こののちは新たな学習など望めず、なけなしの語彙の忘却に見舞われてゆくばかりになった。これまた凡才、もとよりいちど躓(つまず)いた事柄の修復は叶わない。それなのに心中には、焦燥と後悔ばかりが弥増(いやま)してくる。これまた一言に置き換えれば、「身の程知らず」の現象である。もちろん私は、この現象に日々懲りている。すると、だれもが知る「後悔は先に立たず」、あるいは「後の祭り」や「年寄りの冷や水」などの成句まみれになる。これまた言葉を置き換えれば、いまさらどうにもならない「悪あがき」にすぎない。しかし私は、実のならないことは承知の助で、二日前からかつての国語辞典を頼りにして、生涯学習の再試行を開始している。きょうはその三日目になる。三日坊主の再現が危ぶまれるところである。確かに、今回の再試行にあっては、かつてのような意気は上がってない。なぜならそれは、新たな語彙を学んでも、それを使ったり、用いたりすることのない、命の短さゆえんである。何を書いたかわからない支離滅裂の文章を書いてしまった。ゆえに、平に詫びるところである。薄く、曇り空の夜明けが訪れている。「ひぐらしの記」を書くかぎり、わが寝起きの気分に安寧はない。書き終えれば、ちょっぴりホッとするだけである。

年の瀬に思う

12月2日(月曜日)。壁時計の針は、起き出し時刻の定時(5時)から、30分ほど過ぎたところを回っている。両耳には補聴器を嵌め、メガネをかけ、さらに文章には関係ないことまでを書けば、洗った入れ歯を入れて起き出している。雨の音、風の音、嵐の音なく、開けっ広げの前面の窓ガラスを通して見る外気は、いまだ真っ暗闇である。この文章を書き終える頃には夜明け、あるいは指先が駄々をこねれば朝となる。そのときようやく、きょうの空模様を知り、書き加えることとなる。きょうは、12月に入り二日目である。確かに、年の瀬・12月は、前月までの十一か月と比べれば、わが心境と心象はまるで気狂い沙汰に変わっている。この変化の因を為すのはやはり、暮れ行く年にともなう、切なさ、遣る瀬無さ、ずばり寂しさ、さずかりという心模様の焦りであろう。自然界が営む、年のめぐり、季節めぐりに異変はないけれど、わが心理は異変まみれである。これこそ人間の証しかな? と思えば、もとより人間は、悲しく、つらい動物である。「ひぐらしの記」は、大沢さまからこんなお言葉をさずかり、一念発起して書き始めたものである。「前田さん。何でもいいから、書いてください」。優しいお言葉にすがり書き始めると、ある日「ひぐらしの記」と命題が付されていた。六十(歳)の手習いの実践の場を賜った私は、小躍りして友人知人へブログの呼びかけをした。それらの中に一人、大学学友の池田(埼玉県坂戸市)がいた。何回か書いたのちの文章に私は、「中締めです」と、書いていた。ところが、中締めに終わらず、「ひぐらしの記」は、なお続いていた。すると池田は、電話でこう言った。「中締めと言ったのに、終わらないね。それって、変じゃないの? 言葉を大事にする前田らしくないよ」。書き始めの頃だったから、私自身は素直に中締めのつもりだった。しかし、幸か不幸か「ひぐらしの記」は、中締めの言葉に背いて途方もなく続いてきたのである。池田は昨年の暮れに、突然あの世へ旅立った。池田の訃報は葬儀を終えたのち、もう一人の学友・佐々木(埼玉県所沢市在住)から伝えられてきた。年の瀬にあって池田は、一周忌にある。寂しく、冥福を祈るところである。佐々木には先日、こう伝えた。「まだ、文章は書いているから、ブログを案内するね」と言って、事細かに「現代文藝社」へ導いた。佐々木は、「前田。まだ書いているのか。読むよ」と、言った。すると一度だけ、「読んだよ」と、メールがきた。ところが後が続かず、私は佐々木の近況をメールで尋ねた。佐々木は入退院を繰り返し、「おれは命を保つことに、精いっぱいだ」と、メールがきた。佐々木は、あるとき突然、まったく耳が聞こえなくなり、電話による会話は断たれている。「そうだったのか、御免。おれが、メールをしても構わないようになったら、OKのメールをしてください」。しかし、OKのメールはいまだ来ず、そろそろわが一方通行のメールの書きどきにある。閑話休題、大沢さまが恵んでくださっている「ひぐらしの記」は、わが人生にあまた、いやかぎりない幸運をもたらしている。ゆえに私は、大沢さまをエンジェル(天使)とも女神様とも称え崇めている。一方で、私にとって「ひぐらしの記」は、悪魔と思える「時」がある。それは、ネタの浮かばない寝起きどきである。しかもその心境を私は、ほぼ毎日の寝起きにあってこうむっている。またもやきょうも、その証しにある。きょうの起き立てにあってもネタなく、まさしく気狂いの心境を携えていた。恥を晒して書けば、こんなことである。わが前田(チチ)そして前田(ハハ)がもうけたたくさん(8人)の子どもの命は、残るは自分だけになっている。両親が優しい人だっただけに余計、寂しさつのるものがある。そして、わが命が尽きれば、両親にすまないと思う気持ちが横溢している。きょうの文章の前編は気狂いではないけれど、後編の文章は確かな精神破綻(気狂い)の証しと言えそうである。あえて言えば付け足しの後編は、究極のネタ不足の表れである。年の瀬の朝の空模様は、わが心境を映して、いくらか翳(かげ)りのある日本晴れである。

たまごさん、長瀞行きの情報ありがとうございます。

 長瀞と言えば、ずっとずっと昔、夫が大腸癌の手術をして、二十㎝ほどお腹をきり、術後の養生で長生館に宿泊したことがあったのを思い出しました。温泉が術後の回復に効果があるというので出かけたのでした。背筋を伸ばすことが出来ず、庇いながら、宝登山に登りました。夫は我慢強い人でしたので、弱音を吐かず、いつも前向きな生き方をしていました。
 長瀞というと背中を曲げて歩いていた姿が思い出されます。今は、医術も進歩しているので、開腹手術をしなくても良いのかも知れませんが、腸を十㎝ほど切り取って、板のような物に貼り付けて、真ん中に一㎝ぐらいの塊が有り、それが癌だと執刀医から説明を受けたことが、ありありと思い出されます。あのときの癌の宣告は命が縮むほどの衝撃でした。
 たまごさんの長瀞の景色、おそばの写真を見て、今はもう遠い昔の痛みなのだと改めて思いました。