
坂本弘司撮影 大沢先生、ご感想ありがとうございます。 きっと楽しい旅だったのでしょう。ゆったりとした旅の情景が浮かんできます。民宿の温かなおもてなし、外は雪景色。思いがけず長靴を借りての雪道の散歩も、牧場までの道のりは雪を踏みしめてだったのでしょうか。前日の夜、民宿の家族の夕食に誘われた温かなぬくもりを抱いている身には寒さも何のそのです。せっせと食事を運んでくれた民宿の娘さんの姿が浮かんできます。 氷の平湯大滝雪に脚埋まる 民泊の子に誘われ家族の食卓 民泊の朝目玉焼きを玉子焼きに 民泊の夜食事運ぶ娘 雪の平湯温泉長靴借りし民泊 雪の平湯温泉熊牧場へ長靴 かつての旅の思い出を詠んでみました。 パリの夜道に迷う アビニョンの売店売り子にストローもらう アビニョンのホテル礼拝堂の十字架 モンマルトルのアパートスチュワーデスと呑む リヨンのイタリアンオリーブ油とワイン間違う ニースの子どもたちわがポケットに手を突っ込む 大沢先生は陶芸もまたやられるのですね。 俳句は自分の見たもの、感じたことをありのまま表現する形態のように思います。 実に曖昧で味わい深い実態です。本当のこととも言えるのでしょうが、実際に自分が感じたり見たりしたことが真実かどうか、それすら疑わしくなってきます。そう考えると、自分が思ったこと感じたこと見たこと、全て疑ってみることは大切なことと思います。立ち止まって、「待てよ」と一呼吸入れること、私は日常の現象にいつもそんなことを心がけています。しかし、それって味気ないことかもしれませんね。 たまごさん、御返事の御投稿をどうもありがとうございます。
旅の思い出
本当に楽しい旅でした。
平湯温泉での滞在と民宿のご家族との触れ合いが、今でもあたたかい気持ちにさせてくれます。
句にしたこと以外にも多くのことがありました。
懐かしいです。よみがえる旅の宿
平湯温泉
自由律俳句
陶芸
写真は花瓶でしょうか。
焼け焦げたようなライン、砂の混じった表面、青みがかった紋様とグレーの紋様との交互の繰り返し。
どことなく、古代の土器を想像させるようなエネルギーのある陶器のように見えます。
こうした表現を、陶芸ではどのように行っているのかまではわかりませんが、陶芸もまた、可能性のある表現形態のひとつなのだなあと思いました。表現形態
小説は自分の見たもの、感じたことを表現することももちろんですが、それとは違う視点から見て表現することもある形態なのかもしれませんね。
なんとなくそんなことを感じました。真実とは
♪たまごさんへメッセージです2♪
複眼的思考法は、まったくその通りです!!
さすが哲学科出身のたまごさん、だと思いました☆
日常生活では、”人間改革”につながってゆく、と思います。
Nerholの作品から学んだ事を☆たまごさんの文学☆に活かせるならば、最高ですね☆

