明けましておめでとうございます
坂本弘司撮影 大沢さまは、多芸多能具わるプロの写真家である。目を見張る上掲の写真を見て、私はつくづくそう思う。こんな写真にありつける私は幸福である。 いつもの常套句にすがり、文章を書き始めている。「ひぐらしの記」は、「わが日暮らし日記」と思えば、許されるだろうと、勝手に思っている。2月最終日(28日、金曜日)、現在のデジタル時刻は、5:01と刻まれている。未だ、暗闇の夜明け前にある。寝起きにあって、恐れていた寒気は緩んでいる。カレンダーは、あすから3月の歩みになる。日本列島の大雪地方では、難儀の雪掻きや雪下ろしはようやく過去になりつつある。ところがこんどは、新たに雪崩の恐怖に晒される。できれば田畑を潤す雪解け水の温かさに、大雪のせいで疲労していた身を解(ほぐ)し、併せて心を癒してほしいと、切に願うばかりである。こんな取ってつけたような激励文を書けば、かえって私は、雪国の人たちから恨みつらみを買うかもしれない。それでも私は、書かずにおれないわが心根(人間らしい魂)にある。これまた、いつものように寝起きに心中に浮かべていたことを記すと、きょうは気違いじみたことである。すでに親はいない。異母きょうだいを含めてあんなに(14人)いた兄や姉、そして唯一の弟たちの中で、この世に生きているのはもはや、われひとりである。しかし、多くの兄や姉がいたせいで、ふるさと県・熊本、隣県・福岡、はたまた東京都、埼玉県、なお福島県にいたるまで、私の周りにはたくさんの甥や姪が散らばっている。加えて、わが家族には、妻、娘、孫、つごう3人が存在する。ところがこれらのだれしもは、「ひぐらしの記」の読者にはなり得ていない。このことでは、悲しさ、寂しさ共に、ひとしおつのるものがある。それゆえに反面、私には人様の好意と情けの深さにひれ伏したい思いが充満している。さて、私は日々、拙(つたな)い「六十(歳)の手習い」の文章を書いてきた。これまでの84年の長い人生行路において、文章と言えるものを書いた記憶をよみがえらしている。先ずは、小学校1年生と2年生の頃の「綴り方教室」における作文である。ところがこれ以降、小学校高学年、中学校、高校までは、教科に絡む文章以外は、まったく書かずじまいだった。これらふるさと時代にあっては、手紙さえ書く必要や機会もなかった。大学入試も現在とは異なり、論文など入試科目にはなく、文章は書かずに済んだ。都会(東京、埼玉、神奈川)に住むようになってもふるさとへは、手紙は書かず電話一辺倒にすがった。恋愛体験もなく、恋文(ラブレター)も書いていない。ところが、社会人になるとこんなことでは済まされず、二度だけ必須の書かなければ機会が訪れた。一度は就職試験であり、そして一つは、入社した会社における「幹部登用試験」だった。こんな私は、定年(60歳)を間近にひかえると、定年後の空き時間を見据えて、大慌てでにわかに、文章を書き始めたのである。最初は、ふるさとの長兄への長い文章の「ファックス送信」だった。次には、「日本随筆家協会」(故神尾久義主宰)への入会だった。そしてこののちは、「現代文藝社」(大沢さま主宰)との出会いによる、「ひぐらしの記」の誕生だったのである。「ひぐらしの記」が途轍もなく長く続いてきたのは、大沢さまのご好意はもとより、加えて人様の励ましのおかげだった。きょうから私は、これまでは寝起きには嵌めない補聴器を両耳に嵌めている。そのわが魂胆は、ウグイスの鳴き声を聞くためである。ウグイスの鳴き声はまだ聞こえないけれど、名を知らぬ山鳥が頻りに鳴いている。2月末日、夜明けてのどかに「春」が来ている。ところが私は、「ひぐらしの記」の途切れにびくびくしている。様にならない、長々の駄文のせいである。 「ひぐらしの記」、長いあいだ書いてきましたが、初めて文章を誉められました。有頂天外までも昇るような、うれしい気分です。 たまごさん、ありがとうございます。前田さんをずばり言い当てておられ、理解されている。こんな感想文をいただけば、また書きたくなる思いになります。嘆き文でも読んでくださる方によっては、励みになったり、感動になったり、同感と心に刻まれたりする。人間って千差万別だなとあらためて「ひぐらしの記」の存在が貴重であることを思い知らされました。 前田様の今回の短いエッセイは、人生の終末期を迎えた人間がどんな心境に至り、またどのような暮らしを営んでいくのかについて具体的に描かれており、老後を迎えた人のリアルが描かれているエッセイとして、とても秀逸だと思いました。 2月27日(木曜日)。壁時計の針は、このあたりを回っている(5:46)。寒気はきのうほどには緩んでいないけれど、それでも春の先取りと思える寒の緩みにある。寝起きの私は、心中にこんなことを携えている。わが生存行動、すなわち働きのあるわが日暮らしは、買い物にほぼ一極集中している。あとは働きの範疇に入らない、命の鼓動を保つだけの惰性の生活にすぎない。命の鼓動を支える両輪は、医療と食品である。おのずからわが家におけるお金の費消(生活費)には、この両翼がダントツに首位争いを演じている。もはや、わが夫婦の教養を高めたり、旅行はもちろんのこと娯楽を愉しむことなど、隙間風ほどもない。妻を連れ出す「昼カラオケ」など、歌を忘れたカナリヤ同然である。私は、図書館通いさえしない。新聞購読は長いあいだ断っていたけれど、勧誘員の脅しや騙しに嵌り、しかたなく再講読をしている。しかし、契約期間切れには、再び止める決意を固めている。結局、わが家の日暮らしは医療費を除けば、食品に縋る食生活一辺倒を余儀なくし、エンゲル係数だけが上昇を極めている。すると、おのずからそれを叶えるお金は枯渇し、こちらには日々心細さが増し続けている。挙句、現在は、この先の「命のどれくらいかの在る無しに」怯え悩まされている。こんな状態にあっては長生きなど欲張らず、すぐにでも「命の一巻の終わり」を望む心境にさえある。遊び心や余興(よきょう)とも思えないことを書いたのは、終末人生を生きる私につきまとう悲しさであろうか。いや、多大の医療費や食費を費やしてまでも、命を粗末にはできない人間固有の悲しさであろう。長生き、すなわち命の存否(要不要)のわが決断は、この先へ向けて鈍るばかりである。こんな実の無い文章を継続文の足しにしている私は、みずから愚か者と情けなさのダブルパンチをこうむっている。薄っすらと、風雨の無い夜明けが訪れている(6:25)。 2月26日(水曜日)。まだ夜明け前だけれど、日を追って夜明けは早くなっている(5;06)。2月はきょうを含めて、まだ3日を残している。ところが、気象予報士の予報によればきょうあたりから、気温の高い春の陽射し(陽気)が訪れると言う。寝起きにあっては確かに、寒気は遠のいていて身体の震えは無く、私はのんびりと机上に頬杖をついている。自然界と気象は人間界に、早やてまわしに春を恵んでいる。だったら、すんなりと悦ぶべきではあるけれど、年齢を重ねて84歳を生きる私は、季節のめぐりに戸惑いをおぼえている。もちろんそれは、季節のめぐりに先立つかのように、縮みゆくわが命に狼狽(うろた)えているからである。狼狽えても焦ってもどうなることでもないことに身を窶(やつ)すのは、愚の骨頂の極みである。だけど、それを防ぎきれなのは、わが生来のマイナス思考と共に小器の証しである。待ち望んでいた「春」が来たのに、こんな文章しか書けない私は、とことん哀れである。この先、本格的に訪れる春は、私を苛立たせ、弄(もてあそ)ぶのであろうか。去りゆく、冬を惜しむようでは様にならない。きょうは、ここで書き止めである。薄く夜明けが訪れている。長く身に纏っていた冬防寒重装備は、きょうで役割を終えそうである。 昔懐かしいドラゴンクエストの愛らしいキャラクターたちが、買って買ってと、私を呼ぶのでした。 ドラクエのイベントショップへ出かけられたのですね♪♪ 三連休は、22日(土)・23日(日)と出勤でした。

掲示板、上掲の見事な写真
2月末日、迷い文
たまごさまへ、感謝と御礼
目の覚めるような応援批評
終末期のリアル
前田様は、よくご自分のことをなさけないとおっしゃいますが、これは、執筆のお好きな前田様にしか書けない文章かと思います。
長々と偉そうなことを書いてしまい、失礼いたしました。
これからも応援しております。終末人生における、「わが生き様」
切なく、「春」が訪れている
高橋さん、ご感想ありがとうございます。
でも、高橋さんのおっしゃる通り、部屋が物で溢れてしまうのも考えものですね。
新鮮ないい1日になりましたよー。♪たまごさんへ『日本橋、人形町、訪問。』の感想です♪
画像には、ドラクエゲームデザイナーの堀井雄二氏のスライム画のサインまであって、ビックリ!!
グッズにハマってしまうと、部屋の中が溢れてしまいますから(大笑)、購入ナシで”大正解”でしたね。
水天宮よろしく、ホテル喫茶店のチーズケーキかと思われますが、きっと美味だった事でしょうね◎♪大沢先生へメッセージです♪
昨日は、お休みでしたが、いろいろやる事があって、掲示板投稿がかなり遅くなり、申し訳ございませんでしたm(_ _)m
セブンイレブンでの店員さんの対応が良くて、なによりでしたね♪♪
ぼくも丁寧な応対を心がけています(^^)