
坂本弘司撮影 氷の平湯大滝雪に脚埋まる 民泊の子に誘われ家族の食卓 民泊の朝目玉焼きを玉子焼きに 民泊の夜食事運ぶ娘 雪の平湯温泉長靴借りし民泊 雪の平湯温泉熊牧場へ長靴 かつての旅の思い出を詠んでみました。 パリの夜道に迷う アビニョンの売店売り子にストローもらう アビニョンのホテル礼拝堂の十字架 モンマルトルのアパートスチュワーデスと呑む リヨンのイタリアンオリーブ油とワイン間違う ニースの子どもたちわがポケットに手を突っ込む 大沢先生は陶芸もまたやられるのですね。 俳句は自分の見たもの、感じたことをありのまま表現する形態のように思います。 実に曖昧で味わい深い実態です。本当のこととも言えるのでしょうが、実際に自分が感じたり見たりしたことが真実かどうか、それすら疑わしくなってきます。そう考えると、自分が思ったこと感じたこと見たこと、全て疑ってみることは大切なことと思います。立ち止まって、「待てよ」と一呼吸入れること、私は日常の現象にいつもそんなことを心がけています。しかし、それって味気ないことかもしれませんね。 たまごさん、御返事の御投稿をどうもありがとうございます。 高橋さん、ご感想ありがとうございます。 北浦和美術館へ出かけられたのですね。 美術と文学と違いあれど
平湯温泉
自由律俳句
陶芸
写真は花瓶でしょうか。
焼け焦げたようなライン、砂の混じった表面、青みがかった紋様とグレーの紋様との交互の繰り返し。
どことなく、古代の土器を想像させるようなエネルギーのある陶器のように見えます。
こうした表現を、陶芸ではどのように行っているのかまではわかりませんが、陶芸もまた、可能性のある表現形態のひとつなのだなあと思いました。表現形態
小説は自分の見たもの、感じたことを表現することももちろんですが、それとは違う視点から見て表現することもある形態なのかもしれませんね。
なんとなくそんなことを感じました。真実とは
♪たまごさんへメッセージです2♪
複眼的思考法は、まったくその通りです!!
さすが哲学科出身のたまごさん、だと思いました☆
日常生活では、”人間改革”につながってゆく、と思います。
Nerholの作品から学んだ事を☆たまごさんの文学☆に活かせるならば、最高ですね☆複眼的思考法
複眼的思考法、という言葉に慣れていないので、正直、いまいちピンときませんが、相手の背景を想像する力、ということであれば、わかるような気がします。
自分の立場だけではなく、人の立場も考えられる力、ということかなと思いました。
確かに文学にも必要な力のように思いました。
日常生活にも役立ちそうですね。
いろいろつながっているなあ、としみじみ思いました。
短歌のプレゼント、ありがとうございました。♪たまごさんへメッセージです♪
正式には、埼玉県立近代美術館ですよね。
それはそれとして、たまごさんの解説文は、『哲学的文章』となっていて、素晴しい!! と思いました。
『フィルター自体を変えて観ることによって、世界像は変わる。人は変わる。』という文章は、まさしく”複眼的思考法”だと思いました。
これは、文学にも必要な思考法だと思っています。
短い内容で申し訳ありませんが、最後は、短歌で〆させていただきます。
思考法は同じかな

