大沢さん、花の感想ありがとうございます。いつも暖かい感想で嬉しく思います。 高橋さんいつも花の感想ありがとうございます。写真以外にも以前投稿した花がわずかですが咲いています。 11月19日(火曜日)。ほぼ定時の起き出しにある。ただ、夜長ゆえに未だ暗闇である。外気模様には雨なく、強風が戸袋の雨戸の音を強く鳴らしている。きのうは一日じゅう強風が吹き荒れて寒く、道路はわが名づけの「枯葉川」状態に晒されていた。現在はきのうの強風を引き連れて、寒気は弥増(いやま)している。いよいよ、わが恐れていた冬将軍のお出ましである。この先、いっとき冬将軍を懲らしめてくれるのは、自然界にあっては小春日和である。一方、人工的にはこの先の私は、例年どおりに冬防寒重装備に身を包むこととなる。いまだ冬将軍は先駆けにすぎないのに、私はもう退散を願っている。しかしながら半面、冬が鉄棒競技における大車輪のごとく速回りで去れば痛しかゆし、わが余命もまた速回りで縮(ちぢ)み萎(しぼ)んでゆく。欲ボケの私は、共に真っ平御免蒙りたい思いにある。さて、昨夜の就寝は予告どおりに、ほぼ12時近くだった。この因を為したのは、これまた予告の「WBC12」(野球の国際試合)のテレビ観戦によるものであった。日本の代表チーム・侍ジャパン対ドミニカ代表チームの試合結果は、11対3で侍ジャパンが圧勝した。これにより侍ジャパンは、5連勝の無傷をたずさえて、次のステップ・スーパーラウンドへ進むことになる。きのうの文章では「WBC12」のことは付けたしと書いたけれど、実際にはそうとはならず、予定していた本題を撥ね退けて、詳しく書いてしまった。ゆえに幸運にもきょうは、きのう書き残したことだけを付け足すことで済むことになる。第一ラウンド・オープニングラウンドにおけるA・Bブロックの上位1位と2位、つごう4チームはこうなり(ベネズエラとアメリカ、そして日本と台湾)、第二ラウンド・スーパーラウンドへ進むこととなる(球場はすべて東京ドーム)。試合形式は、4チームの総当たり戦である。その日程は、今週の週末にかけてである(11月21日(木曜日)~23日(土曜日)である。そしてきょうの付け足しはこのことである。すなわち、24日(日曜日)には総当たり戦の結果を経て、優勝決定戦および3位決定戦が行われる。またまた、きのうの文章の二番煎じのごとくに書いてしまった。平に詫びるところである。しかしこの先は、きのうの文章とはいくらか代り映えするところがある。すなわちそれは、きのうこうむった浅い眠りを免れて、なぜか昨夜の睡眠にあっては熟睡に落ちていたことである。まさしく、棚から牡丹餅のごとくに、幸運にありつけていたのである。この幸運は、このところ続いていた浅い眠りの罪作りの償い、罪滅ぼしだったようである。ありがたくも、起き立ての気分に憂いはなく、朦朧頭や眠気眼もない。だから私は、久しぶりに気分爽快な夜明けを迎えている。眺める大空は、鉛色の冬空である。寒気は、凍えるほどに身に沁みている。だけど、耐えるよりしかたない。いや、耐えられそうだ。なぜなら、わがモチベーション(意識、意欲)は上がっている。 古閑さん、小菊が見事ですね。真っ赤なダリアも目が覚めるようです。花の少ないこの時期、心が和みます。だんだん冬の季節が迫ってきて、心も体も縮みます。花々の穏やかなたたずまいが春の暖かさを思わせて、冬が来るというのにもう春が待ち遠しくなります。 晩秋ですが、☆古閑さん庭園☆は、いつでも☆春爛漫☆ですねーーー♪♪♪ 11月18日(月曜日)。いまだ夜明け前の起き出しにあり、きょうの天気模様を知ることはできない。雨戸を閉めていない、前面の窓ガラスを通して見ている外気はいまだ暗闇であり、それゆえ頭上の蛍光灯が明かりを照らし、ポツリと写っている。夜長の静寂(しじま)にあって、ときおり戸袋に置く雨戸を叩く風の音が小さく響いている。響きからすれば雨まじりには思えず、風単独の音のようである。昨夜は、このところで最も遅い就寝(十二時過ぎあたり)をこうむった。それは予告どおりのWBC(野球の国際試合)のテレビ観戦のせいだった。昨夜の試合は四戦目になる、日本代表チーム・侍ジャパン対キューバ代表チームだった。試合結果は、7対6で侍ジャパンが辛勝した(台湾・天母球場)。侍ジャパンは4連勝を果たして、残る一試合はきょうのドミニカ代表チームだけである。ところが侍ジャパンは、この試合の勝敗にかかわらず、きのうの試合でBチーム1位となり、次のステージ・スーパーラウンドへの進出を決めた。スーパーラウンドは戦う球場を「東京ドーム」一か所にして、オープニングラウンドにおけるAグループとBグループにあって、それぞれ1位と2位のチームの4チームが、再び総当たり戦を行う。今回のWBCにあっては、A・B二つのグループ(各6チーム構成)分けがあり、計12チームが参加している。最初のグループごとの総当たり戦はオープニングラウンドと呼ばれ、次の総当たり戦はスーパーラウンドと呼ばれている。Aグループの1位にはベネズエラ、2位にはアメリカが決まり、Bグループの1位には日本、2位には台湾が決まり、4チーム(4か国)がスーパーラウンドへの進出を決めている。こののち、スーパーラウンドの日程は、11月21日(木曜日)~23日(土曜日)となっている。もとより、きょうの文章にあっては、こんなことを長々と書くつもりはなかった。しかし、せっかくだから付け足しに書いただけである。だからと言って、この文章の本題はない。強いて言えば、WBCのテレビ観戦により、浅い眠りが続いていることくらいである。しかし、私にとって浅い眠りは、バカにできないもので、書きようによっては本題を成すものである。だけど、こんなことで文章が無駄に、長くなるのはわが本意ではない。ゆえにここで、結び文とするものである。おやおや、夜明けてみれば強風が吹いている。大空は青い日本晴れではなく、くすんだ鉛色である。 十一月十七日(日曜日)。ほぼ定時あたりの、目覚めと起き出しにある。しかし、夜長の季節にあってはいまだ、夜明けの空を見ることはできず、部屋内外共に真夜中の佇まいにある。私の場合、朝の起き出し時刻には、五時あたりを定刻と決めている。現役時代にあっては、片道二時間余を有する長距離通勤を強いられていたこともあり、しかたなく五時あたりを起き出しの定刻と決めていた。しかし、六十歳定年を機に、おのずからこの起き出し時刻は免れるはずだった。ところが、六十(歳)の手習い文を書いたり、やがては「ひぐらしの記」を書き始めると、朝の寝起きに書くことが習性となり、寝起きの起き出しの時刻は、これまたしかたなくほぼ振出し(かつての定時)に戻っている。きょうは現役時代であればうれしくて、涎が垂れそうな日曜日である。ところが、こんなことを心中に浮かべている。すなわちそれは、自由時間を得ている定年後の起き出しにあっても、なんだかいっそう早起きに悪化しているように思えている。だからと言って私は、「ひぐらしの記」の執筆を悪の根源にはしたくない。なぜなら、ひぐらしの記は、定年後にあって無駄に有り余る時間を十分すぎるほど有為に変えてくれているからである。さて、昨夜の就寝時刻にあっては、ほぼ予告どおり十一時を過ぎていた。二晩続けての極めて遅い就寝だった。この主因を為したのは、予告していたこのせいだった。すなわちそれは、現在開催中の「WBC12」(野球の国際試合)のテレビ観戦ゆえである。昨夜の試合は、日本の代表チーム・侍ジャパン対台湾代表チーム戦だった。球場は台湾チームにとっては、戦いやすいホームとなる「台北ドーム」だった。半面、侍ジャパンにとっては、戦いにくいアウエー(遠征試合)となっていた。試合結果は、3対1で侍ジャパンが勝利した。しかしながら台湾チームはやはり、難敵の最右翼に位置していた。台湾チームを破り侍ジャパンは、オーストラリア戦、続く韓国戦、そして前夜の台湾戦と続いて、三連勝を収めている。残るは、キューバ代表チームとドミニカ代表チームとの戦いである。しかし、きょうの文章にあってこんなことは付け足しにすぎなくて、要は二日続けて遅い就寝を被ったことを書きたかったのである。韓国戦のテレビ観戦ののちの就寝時刻は遅かった。それにもかかわらず早い起き出しを被り、その間は浅い眠りに終始した。案の定、きのうは昼寝に憑(と)りつかれた。昨夜の就寝時刻、そしてきょうの寝起きの時刻も、前日と似たり寄ったりだった。ところが、寝起きの気分は大違いで眠気なく、つれて憂鬱気分も免れている。いま心中に浮かんでいる、その種明かしをすればこうである。きのう、昼寝から目覚めると私は、両耳には補聴器を掛けたままに、片耳(左耳)にスマホをあて、久しぶりに大沢さまのご自宅の固定電話に呼び鈴を鳴らした。幸いにも大沢さまはご在宅で、すぐに大沢さまの明るいお声がスマホ(受話器)に充満した。すぐさに、補聴器のありがたさが身に沁みた。こののちは互いに、澱(よど)みなく長話(電話による会話)が続いた。電話を終えると、昼寝ではいまだ果たせていなかった気分は、たちまちすっきりしたのである。会話の中身はほぼ一方的に、わが不断の愚痴こぼしだった。すると大沢さまは、まるで少女時代のような明るいお声で、わが愚痴こぼしのすべてを拾い上げてくださり、熨斗(のし)を付けて返してくださったのである。すなわち、わが愚痴こぼしを打ち叩く、激励のお言葉をさずかったのである。この激励と厚遇にありついて、またそれをきのうからきょうへひきついて、今朝の寝起きにあっては、眠気および憂鬱気分共になく、全天候型に晴れ渡っている。ようやく夜明けが訪れている。雨の無い夜明けである。しかしながら夜明け模様は、大沢さまからさずかった全天候型には大負けで、今にも雨が降りそうである。よせばいいのに、愚痴がこぼれそうである。大沢さま、文章は難(むつか)しくて、もうやめてもいいでしょうか。 私は寝る前におまじないをする。どんなおまじないかというと、「鼻から軽く四回空気を吸って、口から静かに長く八回くらい吐く」。これを何回か繰り返しているうちに眠ってしまう。ベッドに入って、何となく気持ちが落ち込みそうになる時も、これを行う。 十一月十六日(土曜日)。世間の人にあってはほぼ定時、いやまだ早く、土曜日にあってはいまだ、白河夜船を貪っている人もあろうか。私の場合はかなり遅い目覚めと起き出しである。ところが睡眠時間は浅く、起き立ての気分は憂鬱状態にある。このせいでやっとこさ、文章を書き始めている。だから、どこで途切れるか、あるいはどこまで続くかなど、みずからのことながら知る由ない。こんな気分ではもとより、きょうの文章書きは慎むべきだったのかもしれない。冒頭にあって、恥じて深く詫びるものである。八十四歳、このわが年齢は、いっときだって脳裏から離れることはない。確かに、いまだに生存の証しとはいえ、つらい仕打ちである。実際には「生きる屍(しかばね)」状態にある。卑近なところでは、こんなことで心中は困惑の極みにある。人生の晩年を生きる私にとっては、生きて就寝にありつき、深い眠りに落ちて、再び目覚めるときこそ、パラダイス(楽園、桃源郷)である。ところが現在の私には、熟睡そして安眠など、夢まぼろしになりかけている。もとより睡眠こそ心が安らいで、無償の快楽を得るはずである。ところがさにあらず、現在の私は、その快楽を奪われている。すると、その主犯は浅い眠りである。なんだかこの文章は、きのうの文章の丸写しになっている。だったらやはり、ここで止めるべきなのかもしれない。その決意が鈍れば、この先へいたずらに続くかもしれない。これまた、きのうの言葉を繰り返すと、「くわばら、くわばら…」である。そんなこと意に介せず続ければ、やはり浅い眠りを為すものを浮かべて、書き添えなければならないであろう。浅い眠りを為すものは、総体的には終焉が間近に迫る、わが命の悪あがきである。ところがその現象は、こともあろうに最も心が安寧になるはずの睡眠時に見舞われている。すなわち、それらが浅い眠りの根幹を成している。しかしながら、それらに順番をつけることはできなくて、醜悪なことではほぼ一様である。すなわちそれらは、悪夢、頻尿、そして終活を浮かべての困惑や煩悶である。すべては、年齢による祟(たた)りである。加えて、昨夜もまたく、十二時近くに就寝した。その主因は、WBC(野球の国際試合)のテレビ観戦である。昨夜の試合は、中日ドラゴンズのホーム球場(バンテリンドームナゴヤ)から移して、異国・台湾(台北ドーム)だった。このため、時間のずれもあって試合時間は、おのずから日本における試合より、一時間ほど遅く終わった。試合自体は侍ジャパン対韓国代表チームであり、結果は6対3で日本チームが勝利した。そしてきょうの試合は、侍ジャパン対地元・台湾代表チームである。台湾チームは強いため、きのうの韓国戦を凌いで、熱戦が予想される。挙句、テレビに釘付けになる私は、過日のオーストラリア戦、きのうの韓国戦、そしてきょうの台湾戦に続いて、つごう三度の遅い就寝になりそうである。もとよりこちらは、わが意を得たものであり、そのせいで浅い眠りにあっても、恨みつらみはない。恨みつらみつのるのは、年齢の祟りから生じている浅い眠りのしわざである。「ひぐらしの記」を書かなければ、こんな野暮天なことなど書かずに済んだ。一方、それを続けるには、こんなことまで書かなければ継続はあり得ない。嗚呼! 恨めしや「八十四歳」。初冬の朝は、わが老いた気分を癒す、のどかな日本晴れである。ありがとうございます。
ありがとうございます。
冬将軍、到来
古閑さんちのお庭
♪古閑さんへ『庭の花』の感想です♪
浅い眠り、まだ続きそうである
わが愚痴こぼしを打ち壊した、女神の恵み
私のおまじない
どこで知ったか忘れたけれど、だまされたと思って実践している。なんでもいいのだ。「眠れる。落ち込まない」と自分に暗示をかけることなのだろう。
体を沢山動かして疲れ切ってしまったときは、こんなことをしなくても眠くなる。でも、家に居ると、家事嫌いの私は、動き回ることがないため、体が疲れない。極力用事を作って、歩くようにしているけれど、それではせいぜい四千歩止まり。時には五百歩なんて事もある。万歩計を腰にぶら下げて、用心しているけれど、なかなか健康に良いとされている六千から八千歩には届かない。嗚呼! 恨めしや「八十四歳」