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坂本弘司撮影

庭の花

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 冬枯れ状態だった庭にも、このところわずかではあるが春の息吹きが感じられるようになりました。

♪たまごさんへ『HAZE』の感想です♪

塚本監督の一連の作品は、観た事がないので、本当のところは、なんとも言えませんが、『HAZE(ヘイズ)』は、監督・主演・脚本・制作総指揮・編集を兼任されていて、自主制作スタイルを貫いている方のようですね。
たまごさんの『人は、どんなに過酷な環境に置かれても、生き抜こうとする盲目的なエネルギーを持っている。多くの人は、不利な状況の中にあっても、何とか突破口を見つけ出し、一歩でも前進しようとする。」という文章は、”今を生きるキーポイント”だと思いました。

HAZE

大岡昇平原作の「野火」、戦後の闇市に暮らす人々を描いた「ほかげ」などの反戦映画を撮影した監督に塚本晋也という人がいる。
その監督の2006年上映作品に「HAZE」がある。
目を覚ました時、狭いコンクリート空間に閉じ込められていることに気づく男。腹部には大量の出血があり、何もしなければ、ただ死を待つのみである。
男は恐怖を感じながら、脱出を試みる。
ジャンルとしては、スリラーだが、人生を暗示しているのではないかとも受け取れた。
そのことは、「野火」、「ほかげ」も考え合わせると、より深く感じられる。
過酷な状況に置かれた人々、何も動かなければ死ぬだけ。生きるためには、動いて食べなければならない。
人は、どんなに過酷な環境に置かれても、生き抜こうとする盲目的なエネルギーを持っている。あまりの過酷さに死を選ぶ者もいるが、多くの人は、不利な状況の中にあっても、何とか突破口を見つけ出し、一歩でも前進しようとする。
そんな「本能」といってもいいようなエネルギーを本作品では描いているように感じた。

無念!

2月17日(月曜日)。痛憤をおぼえ、虚しさ、切なさ、遣る瀬無さを募らせて、起き出している(5:00)。拉致被害者・有本恵子さん(失踪時23歳)のお父様が亡くなられたという(2月14日、96歳)。拉致被害者の親世代で残る人は、横田めぐみさんのお母様(89歳)、お一人だけという。きょうはこれらのことだけで、ほかは書く気になれない。手抜きではない。書く価値がないからである。老いて、私は84歳。一人娘の親の心情は、他人事にはできず痛切きわまりない。書くべきではなかったのかもしれない。なぜなら、無傷のわが心情は、めぐみさんのお母様のつらい心情を逆なでしているのかもしれない。いたずらに「時」が過ぎてゆく。無念!

人生の「コストパフォーマンス」(費用対効果)

2月16日(日曜日)。気違い沙汰のことを心中に浮かべて、起き出している。寒気はまったく感じない。だから、気分が緩んでいるためなのか。そうであれば、飛んだとばっちりをこうむっている。私は、まったく価値のない妄想に取りつかれている。「コストパフォーマンス」(費用対効果)とは経済界において、いや、あらゆる物事において、効率度合いを測る重要な尺度と言えそうである。この言葉を当て嵌めると人生には多くの金額の費消に対し、どれほどの見返り(利)があるのであろうか。「衣食住、その他」にかかわる金額だけではなく、もとより金額に換算できない精神の費消(負担)もある。これらを鑑みれば、人の生存(命)には、どれほどのコスト(費用)が掛かっているのであろうか。もちろん、測りようはない。だけど生き様に、それら(負担)に見合う、生き甲斐や楽しみは適(かな)っているのであろうか。野暮ったく言えば、生存(命)の「コストパフォーマンス」(費用対効果)は、利にのっているのであろうか。幸いにも私は、こんなことには無頓着に日暮らしを続けている。こんなことを書くようでは、もはや「ひぐらしの記」はおしまいである。自然界は冬衣(ふゆごろも)を脱ぎ捨てて、春を近づけている。のどかな朝ぼらけにある。アホの私は変わらず、間抜けなことを書いている。

ど忘れしていました

 高橋さん、よくぞ思い出してくださいました。そうです、そうです。「まてーる」でした。すてきマッチの箱に絵が描かれていました。「ゴロちゃんの店に行こう」が合言葉でした。

大沢先生へメッセージです

お店の名前は、「まてーる」ですよね??
ぼくも研究所を訪問した時に、何回か連れて行っていただきました。
マスターが画家でもあった事は、初耳でした!!
もうお店は、研究生のたまり場ではなく、☆芸術家のサロン☆だったのですね☆☆☆
それから、田端信先生のこの世への降臨をいつでも願っているところです☆

文学と仲間と。

大沢先生の修業時代の思い出、興味深く拝読させていただきました。
文学と酒は、切っても切れないような、そんな関係にあるのかと感じたと同時に、小さなバーという溜まり場に、研究生たちが集まっていたこと、なんだかとても魅力的な思い出だなあと思いました。
仲間と集って、一つの目標を目指すこと。改めて素敵なことだと感じました。

よみがえる修業時代

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 高橋さんとたまごさんの投稿を読んでいて、ふと吉祥寺にあった現代文芸研究所に通っていた頃を思い出しました。研究所の所長の田端信先生は私の文学の師匠です。合評会や忘年会、懇親会などの後には必ず吉祥寺の飲み屋街に繰り出して、店のはしごをしたものです。私は終電車に間に合わないと、深夜に自宅までタクシーで帰宅したものでした。
 吉祥寺の駅の近くに、小さなバーがあり、研究生のたまり場になっていました。初老のマスターは「五郎ちゃん」と呼ばれていて、画家でもありました。やがて駅前開発で五郎ちゃんの店も立ち退きになりました。しばらくして五郎ちゃんから個展の案内状が舞い込んできました。そのときはすでに所長の田端先生も亡くなっていて、私は久しぶりに出会った五郎ちゃんと昔話に浸って後ろ髪引かれながら個展の会場をあとにしました。
 今は夢幻のごとくなった切ない思い出です。

♪たまごさんへメッセージです♪

まったく、たまごさんのおっしゃる通りです!!
ぼくは、”チョコレート大好き人間”ですので、常日頃から”自分チョコ”しています(笑)。
ただ、GODIVAなどの高級チョコレートではなくて、おかしのまちおかやコンビニなどで購入している程度です(大笑)。