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現代文藝社編集室だより

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流星群第52号を発行いたしました。

誤謬と訂正
 本号の目次に誤謬が見つかりました。下記のように訂正してお詫びします。
  鳥刺し吾助(三)
   誤謬 ―自恃居士を思う―
   訂正 ―ある農兵物語―

 

大沢先生、ありがとうございます

大沢先生、さっそくご感想をお寄せいただき、ありがとうございます。
大沢先生にお言葉をいただくと、今後も書く力が湧いてくるような気がしてとてもうれしく思います。
引き続き精進いたします。
ありがとうございました。

思いやる心

 たまごさん、ご投稿ありがとうございます。
人間界もこうありたいですね。冗長でないところがいいですね。さりげない表現の中に深い思いが詰まっています。読者に読み取る余地を残している表現力が見事だと思いました。

前田様、ありがとうございます

前田様、作品を読んでいただき、ありがとうございます。
私も、私ごときが前田様のご投稿について、感想を述べるのはおこがましいのではないかとの思いがあり、感想の投稿は控えさせていただいておりましたが、前田様が私の作品を読んでご投稿くださっているのに、私はそうしないということが、心に引っかかっておりました。
なので、私ごときでは前田様のご意図は読み取れていないとは思いますが、一言だけ述べさせていただきます。
前田様の作品のタイトルは「ひぐらしの記」でございますね。
直木賞を受賞した葉室麟の時代小説「蜩の記」から取られたものと推察いたしました。
そう思うと、前田様のご心境や生き方などが感じられるような気がいたしました。
あくまで、私の主観ですので、間違えていたら申し訳ございません。
前田様のご親切、感謝いたします。

きようは、書きません

11月30日、現在の時刻は4時あたりです。頻尿によるトイレ起きを繰り返し、眠れない夜長をこうむっています。眠りたくても、眠れないのです。極めて厄介です。この文章は寝床に寝そべりながら、スマホで書いています。起き出して、パソコンへ向かえばたっぷりと執筆の時間があります。しかし、幸いにも朦朧頭と眠気眼で書くことを免れています。たまごさまご投稿第二作品『河童と白猫』を拝読いたしました。読後感は極めて秀逸です。ただ、私には作品の批評はできません。そちらは大沢さまにおまかせです。私ができることは身勝手にも、自分自身の疲れとりと、邪魔をしないことです。秀逸な作品のご投稿に授かり、同士として感謝申し上げます。共に、がんばりましょう。

河童と白猫

 遥か昔のお話。
 冷たい風が吹き始めた。深い森の奥から流れてくる流れの早い川伝いに、一匹の河童が歩いていた。背中には大きく硬い甲羅。全身を覆う緑の鱗。頭の上の皿は、日光を遮る木々の影により、少し黒く薄汚れて見えた。
 周囲の森は鬱蒼としていて、少し離れた場所さえ見通せない。人の気配もない。
 河童はただただ歩き続けている。
 その表情は、時折、泣き出しそうに歪んでいる。
 足取りは重い。次第に歩くスピードは遅くなり、遂にその場に立ち止まってしまった。
 だんだんと辺りが暗くなり始めた。
 夜が近づいてくる。
 空気も冷えてきた。
 しばらくその場にへたり込んでいた河童は、やがて意を決したように立ち上がると、暖をとるための薪を集め始めた。
 方々回っていくらか集めてくる。
 そして、火を起こそうと、火打ち石を取り出す。
 カチッ。
 カチッ。
 火花が辺りを照らす。
 その光が河童の目に映し出したもの。
 それは、動物の骨であった。
 河童には暗くてよく見えなかったが、河童が集めてきたのは、薪ではなく動物の骨だった。
 河童の体が震え出した。
 目に涙を浮かべたまま、夜を過ごす。
 いつ明けるとも知れない、長い長い夜だった。

 白猫は、暗くじめじめした森の中を流れる川伝いに、一匹でただただ歩いていた。
 白く美しかったであろう毛並みは薄汚れ、ところどころ毛は抜け落ち、皮膚が露わになっていた。
 時折吹いてくる冷たい風に、白猫の体は小刻みに震えていた。
 周囲に動くものの気配はない。
 やがて。
 その足取りはだんだんと重くなり、遂には立ち止まってしまった。
 食べるものも見つからない。
 周囲には動物の骨が転がっているばかりだった。

 夜が更けていく。
 白猫は安心して眠ることもできず、じっとその場で固まっていた。
 今夜も長い夜だった。
 白猫は夜が明けるのを、ただひたすらに待ち続けた。
 やがて、空が白み始めた。
 その時。
 近くの物陰から音がした。
 何かいる。
「ニャー」
 白猫は鳴いた。
 何かが動く気配があった。
「ニャー」
 もう一度、鳴いた。
 白猫は、動く気配に、震えながらも、徐々に近づいていった。
 すると。
 そこには一匹の河童の姿があった。
 河童は笑みを浮かべ、こちらに向かって身のたっぷり詰まった数枚の貝を放り投げてくれた。
 何も食べていなかった白猫は、夢中で腹にかき込む。
 その瞬間。
 白猫の心に温かいものが広がっていった。

 日が昇り、お互いに見つめ合う。
 先ほどまで吹いていた冷たい風は、いつの間にか止んで。
 少し暖かい風が二匹の間を通り抜けていった。

ありがとうございます。

 大沢さん、いつも身に余る花の感想をいただきありがとうございます。

古閑さんちのお庭

 イルミネーションが輝くようになった冬の季節にあって、やはり自然のお花は心が和みます。古閑さんちのお庭は、まだまだ元気に花々が目も心も楽しませてくれます。古閑さん、奥様ありがとうございます。

季節は、初冬の「落ち葉しぐれ」

11月29日(金曜日)。三日続いて、ほぼ定時(5時)の起き出しにある。それゆえに執筆時間に焦りや寝とぼけはなく、淡々と指先でキーを叩いている。夜長の季節にあっては、寝床に寝そべりながらいろんな瞑想に耽るところがある。しかしながらそれらの多くは、やたらめったらと迷想まみれである。きのうの昼間にあっては、私は似非(えせ)の茶の間のソファに背もたれながら、窓ガラスを通して外の風景を眺めていた。主(あるじ)を失くした空き地の植栽には一本のイロハモミジと、黄みを帯びた灌木(かんぼく)が雑然と初冬の美的風景を醸していた。この風景に輪をかけて、「落ち葉時雨」が山の木の葉を視界一面に吹き曝(さら)していた。物見遊山に出かけるまでもなく居ながらにして私は、まさしく絵になる風景の満喫を極めていた。そしていっとき、私は都会の僻地の不便さを遠のけて、山際に求めた宅地冥利に耽っていた。落ち葉時雨の間隙を突いては、私は掃除における三種の神器、すなわち箒、塵取り、透明袋(70リットル入り)を携えて、ときおり木の葉を禿げ頭にあてながら道路へ向かった。落ち葉時雨は文字どおり、まるで間欠泉のごとく、止んでは吹き曝しを繰り返していた。言うなれば落ち葉時雨は、まだ吹き曝しの途中にあった。こんななかの掃除は馬鹿げた行為だと悟り、「まだ早いよ」と、自分自身を諫(いさ)めた。ところが、わが家の宅地の側壁は吹き溜まりになっており、すでに落ち葉は側壁に沿って、長くこんもりと積んでいた。これらを除かなければ、隣からなお先へ吹き流されて、面倒をかけることとなる。私は吹き流れを止める決意をしたのである。決意の後はやおら、渋々の一度目の落ち葉かきである。私は自分自身が入れそうな大きなゴミ袋に、枯れてまったく重量のない落ち葉を何度も両手で押し込んだ。落ち葉時雨は止まず、ときおり止むと、私はまた溜まり具合を見に出かけた。この仕上げにはこの文章を閉じてのち、道路へ向かう心づもりにある。しかし、夜長にあっては、夜明けの天気模様を知ることはできない。雨や雨上がり、いやそうではなくても風が強ければ、仕上げ行為は余儀なく、打ち止めお陀仏である。立って窓際へ寄り、外気模様を確かめた。雨もない、微風さええない夜の佇まいにある。仕上げ敢行の決意をして、結文を急ぐものである。きのうの昼間、落ち葉時雨の風景を見ながら、(よし、きょうは今、書こう)と、決意した。ところがそれは果たせず、記憶頼りにいつどおりの執筆時間になっている。わが決意は、いつも哀れである。夜明けになり、のどかな朝ぼらけである。さあ、道路へ急ごう。