掲示板

坂本弘司撮影

私の庭

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 このところの猛暑で、せっかくついた四つの月下美人の蕾は、一つは赤くなって成長が止まり、落ちる寸前である。残りの二つは、昨日夕方頃に先の部分が少し開いて、夜には開花を迎えそうだった。ご近所の一人暮らしの高齢の女性に「開く寸前に持ってくるわね」と約束していたので、蕾のついている一枚の葉の根元を切ってお届けした。残った自宅のもう一つは、いつものならもうとっくに開花を始めている夜八時頃、わずかに開いただけで真夜中になってもそれっきりになってしまった。
 朝の蕾は口を閉じたまま首を長く伸ばしている。結局花開かぬままだった。残りの一つは蕾が小さく、それでも開花準備をしているようだ。今夜にも咲くのだろうか。今年の月下美人の開花は、今までと違っている。やはりこの猛暑の影響を受けたのだろうか。

海の日

「海の日」(7月17日・火曜日)、夏の朝ののどかな夜明けが訪れている。何物にも勝る夏の朝の、人間界に対するプレゼントである。これに出遭える喜びがなければ、私の場合は生きる価値(甲斐)はない。たぶん、ウグイスもそうであろう。朝っぱらから、高鳴き声を続けている。名を知らぬ小鳥が、電線を止まり木にして飛び交っている。これらもまた、夏の朝の快感に酔いしれているのであろう。とどまることを知らず、自然界賛歌を歌い続けたいところである。ところが、そうはいかないのが人の世の習いである。メディアが伝えるニュース項目に目を遣るとこの時期、海や川で命を亡くす人は多々である。豪雨は九州地方を皮切りに中国や山陰地方、そしてとどめには東北地方を舐め尽くし大雨被害をもたらしている。それらの惨状や惨禍は、テレビ映像で観るだけでも忍び難いものがある。結局、人生とは人の世界がもたらす苦しみを凌ぐだけで済まされるものではなく、同時に自然界がもたらす災害をもはねつけなければならない。まさしく人生には、至難の技を強いられる。だからそれに立ち向かうには、もとより強靭な精神力が求められる。このことを鑑みれば人の世は、精神薄弱の私が済むところではなさそうである。ところが生まれたかぎりは、常に愚痴をこぼしたり、泣きべそをかいたりしながらも生きなければならない。わが人生に負荷された、まったくあかぬけない宿命と言えるものかもしれない。現在の私は、9月中頃を打ち止めにして、ほぼ一週間おきに歯の予約・治療中にある。明日にも予約があり、通院しなければならない。この先、なんでこんなに多く通院しなければならないのか。摩訶不思議というより、憮然とするところがある。治療中とはいえ、歯並びは穴ぽこだらけである。加えて、既成の入れ歯は固定剤をつけても、すぐにゆるゆるするばかりである。挙句、御飯時の楽しみは損なわれ、それらに気を遣うため御飯自体、なんだか旨くない。それなのに夏痩せ願望は叶えられず、身体はプクプク太るばかりである。きのうは年に一度の鎌倉市が補助する定期検査で、最寄りのS医院へ通院した。恐るおそる体重計へ乗った。針は83キロ当たりでぴたり止まった。女性看護師は身長を計った。こちらは5センチほど縮んでいた。採血結果は、一週間のちの通院のおりに判明する。先日の「大船中央病院」(鎌倉市)の消化器内科への外来のおりには、主治医の宣告により8月29日に大腸の内視鏡検査が予約された。そののちの予約済には11月、「大船田園眼科医院」における緑内障の経過観察がある。こんな書き殴りの文章は、尻切れトンボを厭(いと)わずもうやめよう。海の日にあっても、鎌倉の海(由比ガ浜海岸)へ、まったく行き来のしないわが気分である。目の保養の気分さえ起きないのは、たそがれどきはとっくに過ぎて、宵闇深いところへわが身体が突っ込んでいるせいであろうか。朝日が輝いて、のどかな朝ぼらけにある。また、小鳥が飛んでいる。ウグイスは、鳴き続けている。自然界の恵みで、生きる楽しみはまだちょっぴりあるのかもしれない。ただ、周辺には空き家が増えている。人の世は、自然界とは別物のようである。

わが人生に授かる、助太刀

「情けは人の為ならず:人に親切にしておけば、その相手のためになるばかりでなく、やがてはよい報いとなって自分に戻ってくるということ。人のためならずは、人のためではないという意味。因果応報の考えに基づいていう」。わかりきっていることをあえて電子辞書にすがったのは、この成句は多くの人が意味の取り違えをするという。私が文章を書いているのは、この成句にかなり同義するところがあるからである。しかし、文章書き素人の私にとって、文章を書くことにはほとほと疲れるところがある。きのうは書き殴り文特有に、だらだらと長い文章を書いた。挙句、書き終えると、疲労度はいや増していた。「捨てる神あれば拾う神あり」。すなわち、お二人の神様のお褒めのコメントにより、わが疲労は癒されたのである。いつものことながら文章を書き終えると、ホッと安堵感が心身に染みわたる。文章の出来不出来にかかわらず、ちょっぴり味わえる快感である。いや、それほどに、文章書きに苦慮している証しである。7月16日(日曜日)、いつものように(もう書けない、もう書かない)という、思いをたずさえて起き出している。すでに淡い朝日の夜明けが訪れている。現在、心中にはこんなことが浮かんでいる。それは、わが身体の器官にかかわる戯言(ざれごと)である。言葉を変えればわが欠陥器官を補う、助太刀のあれこれである。一つは近眼を補う眼鏡、一つは歯の欠損を補う入れ歯、一つは耳の難聴を補う集音機、皮膚には日常的に痒み止めの薬剤が欠かせない。舌とて、舌先に口内炎の絶えることはない。身体の五官は、眼(視覚)、鼻(嗅覚)、耳(聴覚)、舌(味覚)、皮膚(触覚)である。ところが私の場合は、五官いずれにも無縁では済まされない欠陥人間である。これらにさらに付け加えれば、凡愚の脳髄には電子辞書の助太刀がなければ、にっちもさっちもいかない。生きている価値(甲斐)があるとは思えないけれど、83歳の胸の鼓動は続いている。きょうのわが予定には、最寄りのS医院への通院がある。採血のためゆえに、朝御飯抜きの通院である。朝日は梅雨晴れから、夏の朝の光に変わり始めている。きのうよりはかなり短い文章だけれど、疲労度はさして変わらない。文章書きはほとほと厄介である。だから、こんな文章でも書き終えれば、私はホッとする。結局、助太刀頼みのわが人生である。それらのなかでは、人様の優しいコメントこそ、効果覿面の助太刀である。浅ましい人間と自覚するところだけれど、あからさまにおねだりしてでも、それがなければ「ひぐらしの記」の継続はあり得ない。きょうあたり、梅雨明けを願っている。それに見合う、すっきりした青空である。

♪前田さんへメッセージです♪

前田さん、御返事の御投稿どうもありがとうございました*(^o^)/*
たいへん嬉しく思いました\(^o^)/
『ひぐらしの記』は、まったく大沢先生のおっしゃる通りですね♪♪♪

♪大沢先生へ『私の畑』の感想です♪

望月窯、お疲れさまでございました。
帰宅されて、夏野菜が生き返ってなによりですね♪♪♪
ぼくも幼少年期にお湯事件の経験がありますが、かまわずそのまま水まきをしていました(笑)。

私の畑

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今週の月曜日から古河の実家へ行き、水曜日に帰宅してみると、ベランダの私の畑は水不足で野菜立ちが青息吐息でうなだれていた。お昼時だったので水をまくわけにもいかず、仕事部屋の窓から横目でチラチラと視線を向けながら、パソコンに向かっていた。
 その後ようやく夕方になったので水をやろうと蛇口をひねるとホースの口からお湯が出てきた。以前には知らずにそのまままいてしまったことがあったが、今は手を当てて確かめて、冷たくなるのを待って水をまくことにしている。
 トマトもキュウリもナスも無事に生き返って、実が成りだしている。
今年の夏野菜はよく実る。ナスは三本、キュウリは六、七本採れた。トマトは実がいっぱい付いているが、まだ赤くならない。大満足である。

竹馬の友

 今朝の前田さんの「ひぐらしの記」を拝読して、故郷で共に過ごした幼友達の友情に感激している。そして、いつもながら富田文昭さんの優しさに胸が熱くなっている。故郷を愛し、幼友達に対する友情の深さにほろりとする。
 前田さん、「ひぐらしの記」は大切な宝物ですね。

わが命83年、人もウグイスもみな優しい

令和5年7月15日(土曜日)、わが83歳の誕生日の夜明け前にある(3:59)。窓の外は未だ暗闇であり、わが誕生日にたいするウグイスの祝福メッセージは届かない。ところが、高橋弘樹様の祝福メッセージは、いつもの「大大大エール」付きですでに、掲示板にご投稿を賜っている。感謝の厚志を掲示板にしたためてのち、この文章を書いている。きのうは思いがけない郵便が、郵便受けに届いていた。手にした「SmartLetter(スマートレター)の送信者は、「ひぐらしの記」の共著をなす、竹馬の友・ふうちゃん(ふうたろうさん)であった。胸の鼓動が高鳴り、スマートレターを開けると、短くこんなメッセージが記されていた。「かつ子さんから送られてきました。読みましたので、静良君に送ります。富田文昭」。送られてきたのは、熊本県地方紙「熊本日日新聞(熊日)」の記事の切り抜きであった。記事とはいえ、連載物の『わたしを語る』という、読み物であった。読み物の意図を伝える太字部分をそのまま記すと、こう書かれている。夢と感動子どもたちに 感性を育む活動70年 熊日童話会会長 渥美多嘉子。切り抜きは①から㊸、期間にして令和4年11月15日から12月29日までのものすべてである。少しずつ読んでいくうちに、先ずはかつ子さん、そしてそれを回してくれた文昭君の意図と優しさが身に沁みてきた。かつ子さんは、現在は熊本市内に在住のふるさとの同級生である。作者・渥美多嘉子さんとの面識はない。だから記事の中の拾い読みで、作者の周辺事情を知るのみである。主なところはこうである。私は1937(昭和12年)1月13日、父蔵原頼信、母は早子の元に、三男四女・7人きょうだいの三女として旧城北村(現在の山鹿市菊鹿町)に生まれました。経済的に厳しいと分かっていても、どうしても高校に行きたかった私は、父に無理を言って、進学を許してもらい、鹿本高校に合格しました(注:文昭君と私の母校)。1955(昭和30)年、鹿本高校を卒業し、熊本市古京町の国立熊本病院付属高等看護学校に入学しました。私は1988(昭和58)年、熊日に載った童話会のお話し会の告知を読み、参加したところ、ぐいぐい引きつけられて、その場で入会しました。これまでが一応、作者の人となりである。掲載文は一回あたり、2000字ほどでしょうか。文章の中には「内田川」をはじめいたるところにふるさと情景が描かれている。このため確かに、ふるさと慕情つのるところがある。だからそのための、かつ子さんと文昭君の粋な計らいのプレゼントだったのである。私は文昭君の許しを得て、かつ子さんへ御礼のメールを送信した。するとすぐに、かつ子さんより返信メールが届いた。「長い間、ご無沙汰いたしました。お変わりありませんか? 遅くなってすみません。大雨大変でしたね。熊本市内も7月盆ですか? きょうはお礼を申し上げます。新聞の切り抜きが文昭君から回ってきました。おかげさまで、ふるさと慕情がつのっています。ありがとうございました」。「今晩は本当に久しぶりです。あちこちで大雨被害が出ていますね。雨も昔と比べると、温暖化の影響ですかね? 梅雨明けが待ち遠しいです。昨日は御盆の入りで、菊鹿までお墓参りに行って来ました。故郷は田植えも済み冷風で暑いときは田舎が過ごしやすいと感じます。文昭さんから新聞の切り抜きが届いたそうで、静良さんまで回してもらい有り難いです。明日はお誕生日でしょう、格好よく絵文字二つが並んでいた。だけど私には、それをここで記す能力はない。二つの絵文字を見ながら、(奥様とケーキを食べてお祝いしてください)と、翻訳したのである。私自身には83歳を祝う気分はないけれど、高橋様とかつ子さんから祝福を受けたかぎり、へそ曲がりは返上し、素直に祝福気分にひたっている。一方で、身勝手な長文を詫びるところである。内視鏡検査の予約日は8月29日、検査開始時間は午後3時である。すっかり、夜が明けている。私は83年も生きてきたのだな……。ウグイスがお祝いエールを送っている。

髙橋弘樹様へ、感謝!

思いがけなく早々に、わが誕生日にたいする祝福メッセージを賜り、篤く御礼申し上げます。「ひぐらしの記」の継続は危ぶまれますが、もう少し生き長らえるつもりです。きのうの通院にあっては、内視鏡検査の予約をしてしてきました。私にとってはこんなまどろっこしい延命処置より、髙橋さんの「大大大エール」が効果覿面のわが命の賦活剤です。感謝にたえません。いつもいつも、ありがとうございます。

☆祝!! 前田静良氏HAPPY BIRTHDAY☆

前田さん、お誕生日おめでとうございます。
これからも☆前田パワー☆『大大大全開!!!』で、『ひぐらしの記』をお書きになってくださいねo(^-^)o
きょうも前田さんへ『大大大エール&大大大エネルギーパワー』を贈ります(^O^)/(^O^)/(^O^)/(^O^)/(^O^)/(^O^)/(^O^)/