掲示板

大沢久美子撮影

終末人生における、「わが生き様」

2月27日(木曜日)。壁時計の針は、このあたりを回っている(5:46)。寒気はきのうほどには緩んでいないけれど、それでも春の先取りと思える寒の緩みにある。寝起きの私は、心中にこんなことを携えている。わが生存行動、すなわち働きのあるわが日暮らしは、買い物にほぼ一極集中している。あとは働きの範疇に入らない、命の鼓動を保つだけの惰性の生活にすぎない。命の鼓動を支える両輪は、医療と食品である。おのずからわが家におけるお金の費消(生活費)には、この両翼がダントツに首位争いを演じている。もはや、わが夫婦の教養を高めたり、旅行はもちろんのこと娯楽を愉しむことなど、隙間風ほどもない。妻を連れ出す「昼カラオケ」など、歌を忘れたカナリヤ同然である。私は、図書館通いさえしない。新聞購読は長いあいだ断っていたけれど、勧誘員の脅しや騙しに嵌り、しかたなく再講読をしている。しかし、契約期間切れには、再び止める決意を固めている。結局、わが家の日暮らしは医療費を除けば、食品に縋る食生活一辺倒を余儀なくし、エンゲル係数だけが上昇を極めている。すると、おのずからそれを叶えるお金は枯渇し、こちらには日々心細さが増し続けている。挙句、現在は、この先の「命のどれくらいかの在る無しに」怯え悩まされている。こんな状態にあっては長生きなど欲張らず、すぐにでも「命の一巻の終わり」を望む心境にさえある。遊び心や余興(よきょう)とも思えないことを書いたのは、終末人生を生きる私につきまとう悲しさであろうか。いや、多大の医療費や食費を費やしてまでも、命を粗末にはできない人間固有の悲しさであろう。長生き、すなわち命の存否(要不要)のわが決断は、この先へ向けて鈍るばかりである。こんな実の無い文章を継続文の足しにしている私は、みずから愚か者と情けなさのダブルパンチをこうむっている。薄っすらと、風雨の無い夜明けが訪れている(6:25)。

切なく、「春」が訪れている

2月26日(水曜日)。まだ夜明け前だけれど、日を追って夜明けは早くなっている(5;06)。2月はきょうを含めて、まだ3日を残している。ところが、気象予報士の予報によればきょうあたりから、気温の高い春の陽射し(陽気)が訪れると言う。寝起きにあっては確かに、寒気は遠のいていて身体の震えは無く、私はのんびりと机上に頬杖をついている。自然界と気象は人間界に、早やてまわしに春を恵んでいる。だったら、すんなりと悦ぶべきではあるけれど、年齢を重ねて84歳を生きる私は、季節のめぐりに戸惑いをおぼえている。もちろんそれは、季節のめぐりに先立つかのように、縮みゆくわが命に狼狽(うろた)えているからである。狼狽えても焦ってもどうなることでもないことに身を窶(やつ)すのは、愚の骨頂の極みである。だけど、それを防ぎきれなのは、わが生来のマイナス思考と共に小器の証しである。待ち望んでいた「春」が来たのに、こんな文章しか書けない私は、とことん哀れである。この先、本格的に訪れる春は、私を苛立たせ、弄(もてあそ)ぶのであろうか。去りゆく、冬を惜しむようでは様にならない。きょうは、ここで書き止めである。薄く夜明けが訪れている。長く身に纏っていた冬防寒重装備は、きょうで役割を終えそうである。

高橋さん、ご感想ありがとうございます。

昔懐かしいドラゴンクエストの愛らしいキャラクターたちが、買って買ってと、私を呼ぶのでした。
でも、高橋さんのおっしゃる通り、部屋が物で溢れてしまうのも考えものですね。
新鮮ないい1日になりましたよー。

♪たまごさんへ『日本橋、人形町、訪問。』の感想です♪

ドラクエのイベントショップへ出かけられたのですね♪♪
画像には、ドラクエゲームデザイナーの堀井雄二氏のスライム画のサインまであって、ビックリ!!
グッズにハマってしまうと、部屋の中が溢れてしまいますから(大笑)、購入ナシで”大正解”でしたね。
水天宮よろしく、ホテル喫茶店のチーズケーキかと思われますが、きっと美味だった事でしょうね◎

♪大沢先生へメッセージです♪

三連休は、22日(土)・23日(日)と出勤でした。
昨日は、お休みでしたが、いろいろやる事があって、掲示板投稿がかなり遅くなり、申し訳ございませんでしたm(_ _)m
セブンイレブンでの店員さんの対応が良くて、なによりでしたね♪♪
ぼくも丁寧な応対を心がけています(^^)

人生をともにしてきた物

ボロボロの「国語辞典」、「広辞苑」、天眼鏡。
大沢先生とともに時を過ごしてきた貴重品。
私にも思い当たる節があります。
もっとも、私の場合は、良い意味ではなく、悪い意味で。
私とともに時を過ごしてきた物は、若い頃と違い、愛着が湧いて、捨てられなくなってしまいました。
恥ずかしながら、部屋の中には、未だ捨てられずに片隅に置かれたままになっている物で溢れています。

時は過ぎていく

 私の仕事机のパソコンの前にはボロボロの「国語辞典」、「広辞苑」、天眼鏡が置いてある。国語辞典は私の書いた昭和54年8月17日の日付が記してある。今ではパソコンで用が足りるので、ほとんど開くことも無くなった。しかし、当時は、文章を書くのにこれがないと二進も三進もいかなかった。でも、時々必要になるときがあり、文字が小さいので天眼鏡が必要になる。表紙がボロボロに破れていて、開くといまにも崩れそうだ。それでも新しいものを買い求めずに来た。それは、私とともに時を過ごしてきた貴重品だからである。「広辞苑」は何かの折の記念品にいただいたものだ。古い辞書など役に立たなくなる。それでも未だに使い続けているのは、自分の生きてきた証のような気がするからだ。
 天眼鏡を使い始めた当初は、年寄りになった気分で滅入ったものだが、今では年寄りなどと嘆いてはおれず、無くてはならない本物の年寄りになった。目の前のものがどんどん古くなっていく。嘆いても戻っては来ない。

三連休のお楽しみ

 前田さん、奥様とのお出かけは何よりでしたね。それにしてもいろいろと楽しまれたようですね。奥様の大好きなお寿司、美しい声を披露されるカラオケ、何よりもお付きのパートナーが素敵です。お財布片手に次々とお支払い。傍らの奥様はご満悦。こんな日暮らしは最高です。昨日は寒かったのですが、熱々のデートでしたね。
 たまごさん、いつもながらお元気ですね。添付の画像から、楽しまれた様子が伝わってきます。ホテルの喫茶店は、もう忘れてしまうくらい以前に、怖々緊張して入ったことがありました。コーヒーセットを恐る恐る頼んだことを思い出しました。あのときは1500円でしたから、あまり変わっていないのですね。
 皆さん、それぞれに有意義に過ごされたようです。
 さて、我らの大切な高橋さんは、お仕事だったのでしょうか。昨日、セブンイレブンに振り込みに行って、レジの店員さんが若いハンサムな方で、応対がとても感じが良くて、高橋さんもこんなふうに働いておいでなのだなと思い出しておりました。

わが生涯学習は「臨場主義」

2月25日(火曜日)。世界世相の一端とひねくって、寝起きに浮かべていた言葉を電子辞書の記述を丸写し、復習を試みたものである。ちなみに、ゼレンスキー大統領(ウクライナ)とプーチン大統領(ロシア)の争いにあって、「漁夫(ぎょふ)の利」を得そうなのは、ずる賢いトランプ大統領(アメリカ)である。【鷸蚌(いつぼう)の争い】(戦国策・燕策)。「(鷸(しぎ)と蚌(はまぐり)とが争いに夢中になっている間に、両方とも猟師にとられたという故事から)、二人が利を争っている間に、第三者にやすやす横取りされて、共倒れになるのを戒めた語。【漁夫の利】(戦国策・燕策)。「双方が争っているすきにつけこんで、第三者が利益を横取りすること」。わが生涯学習の教材としては極めて適当で、すんなりと理解できるところがある。この文章は、書くつもりがなかった余分である。