坂本弘司撮影 いつも花の写真の感想の投稿有難うございます。 古閑さん、漸く秋になりましたが、暑いですね(暑汗)。 ためらうより実行、ひとり黙々、朝飯抜きに、二時間半かけて、掃いてきました。自然界に恨みつらみはありません。人間界にはいくらか悔しさがあります。 9月10日(日曜日)、ミニ台風13号が去り一日置いて、のどかな中秋の朝が訪れている。東電・福島第一原発処理水に絡む、韓国や中国の喧騒も日を追って静まりはじめている。「人の噂も七十五日」、こうして月日はめぐり、時代を変えていくのであろう。そう思えば確かに、何事においても月日のめぐりは、事ありを忘れ去る最良の人生の処方箋なのかもしれない。すなわち、事ありを我慢して生きればその先には、煩悩の消えた好日や幸運が訪れるかもしれない。夜明けにあって自然界は私に、こんな思いを授けている。きょうは、文章は止めてミニ台風がもたらした道路上の枝葉の散乱を清めるつもりだった。ところが、窓ガラスを開いて直下の眺めると、道路は未だに乾ききれず、濡れて黒ずんでいる。(止めた)。気分を変えてパソコンを起ち上げ、キーを叩き始めている。しかしながらもとより、こんな雑な気分ではこの先は書けない。挙句にはやはり、「休みます」と表題をつけて、指先止め(擱筆)をせざるを得ない。そして結びは、いつもの表現を用いて、私にはとうに焼が回っている。ところがなお、掃除・三種の神器(箒、塵取り、半透明袋)を持って、道路に出てみようかな! と思う、心地揺れる中秋ののどかな朝である。 9月9日(土曜日)、寒気で寝ていられず、起き出して来た(4:32)。台風13号は大雨を降らし、一方風は普段の大嵐程度で、わが家には被害なく過ぎ去った。しかしながら日本列島のあちこちは、大雨による河川の氾濫や洪水被害に見舞われていた。幸いにも大きな台風は免れたけれど、NHKテレビはほぼ一日中、台風情報や惨禍報道に明け暮れていた。加えてときおり、画面上部にはどこかで地震発生を伝えるテロップが流れていた。これらの状況を観ていると、あらためて私は、日本列島は異称・災害列島だ! という、思いにとらわれていた。やはり、日本列島にあって災害(天災)を免れて生き抜くことは、人生における最大幸福、かつ最大事業の一つと言えそうである。もちろん、人だれしもの生涯にあって、戦時下を免れることができれば、これに勝る幸福はない。起き立ての書き出しには、浮かぶままのことを書いた。ところが、もう一つ浮かんでいたことで、実際にはこのことを書きたくてパソコンを起ち上げたのである。すなわち、もちろんミニ台風のせいでもあるけれど、気候はすっかり暑気を落とし、寒気が肌身を襲ってきた。通常の衣替えはおおむね10月になってからである。しかし、そこまでは耐えられず私は、大慌てで着衣と夜具を冬モードに変えた。気候は、まさしく激変である。挙句、暑い夏への未練タラタラである。ミニ台風だったとはいえ台風一過、未だ暑気を含んだ秋晴れの好天気を望むところである。「暑さ寒さも彼岸まで」。確かに、「秋分の日」(9月23日)が近づいている。しかしながら私は、早やてまわしの寒気の訪れに、度肝を抜かしたのである。寝言みたいな文章、書かなければよかった。まったく味気ない文章である。時刻は、未だ夜明け前にある(5:04)。 9月8日(金曜日)、4:53。起き出して来たのはもっと早く、いつもの習性に従い、メディアが伝えるニュース項目を一覧した。それらの項目の中には、東海および関東地方へ向けて、接近する台風13号の記事があった。起き立ての私は、外の様子とりわけ台風や風雨模様は、目ではわからない。だから私は、文章を書くには用無しの集音器を、いつもとは違って風雨の音を聞くために両耳に嵌めている。すると、ときおり「ザアッ」と音がする。もちろん、聞き慣れている風雨の音である。風雨の強弱の程度はわからないけれど、風雨まじりの夜明けにはなりそうである。もちろん、単なる風雨ではなく、台風接近がもたらすものであろう。就寝時の私は、台風13号接近の気象情報に備えて、いつもとは違って四囲の雨戸のすべてを閉じた。関東地方への接近予報は、昼過ぎあたりだった。このことでは備え怠りなく、かつ用意周到もいくらか早とちりのきらいがあった。それでも、雨戸のすべてを閉じて床に就いた。起きて、未だ雨戸は開けずじまいで、パソコンを起ち上げている。それゆえに外の様子は、視覚には頼れず、聴覚すがりである。台風接近のニュースにびくびくして雨戸を閉めるのは、もちろんこのことを恐れてである。すなわち、山際に建つわが家は、台風がもたらす山の枝葉が飛んで来て、窓ガラスへぶち当たるのを防がなければならない。するとその備えは、窓ガラスを覆う雨戸の役割である。今さらこんなわかりきったことを書いて、継続文の足しにすることはもとより、能無しわが身のつらさである。時計の針は朝の時刻を刻々と刻んでいる。なのに、大空の見えない夜明けには、和む心地はまったくない。夜明け、朝の気分気分大損の、「前兆、ミニ台風の夜」である(5:22)。 9月6日(木曜日)。台風、嵐、雨なく、のどかな朝ぼらけの夜明けが訪れている。こんな暢気なことは書いておれない、「天災はいつ何時、忘れた頃に」やって来る。その証しにテレビ映像の上部にはほぼ毎日、日本列島のどこかに地震発生を伝えるテロップが流れてくる。きのうも、流れてきた(千葉県)。そのたびに、肝を冷やす日が絶えない。もちろん、わが住む神奈川県、いや自分自身が免れて、済むものではない。日本列島に住むかぎり、国民すべてが同胞である。それゆえに、どこかしこ、だれかれにも、災害無きことを望むこととなる。しかしながら天災は、人間のこんな願望は蹴散らして、多大の災害をもたらすことになる。挙句、天災は人間の生きることのつらさの極みにある。のどかな夜明けにあって心中には、矛盾するこんなことが浮かんでいる。気候はすっかり秋モードになり、日を追って過ごし易くなっている。その中にあって私は、日々天災を忘却することはできない。おりしも秋は、台風シーズン真っただ中にあり、そのうえ地震は、時や所を選ばず頻発する。のどかな朝ぼらけを眺めながら私は、幸福感と喜悦に浸っている。人間の幸福とは案外、こんなひと時なのかもしれない。ところが、地震は今にも起きるかもしれない。そうであれば長続きのしない、いや瞬時の幸福にすぎない。「人間万事、塞翁が馬」と嘯(うそぶ)くのは、人間の強がりと言えそうである。ネタなく文章は、きょうも休むつもりだった。無理矢理書けば、こんな文章しかかけない。私には、とうに焼が回っている。 9月5日(火曜日)、5:05。夜明けは未だ薄暗い。雨は降っていなくても、朝日の見えないせいであろう。きのう(9月4日)書いた長文は、一瞬の指先の不始末で、ノート代わりのパソコンから消えた。泣くに泣けない「逃げた魚は大きい」の心境に陥り、心中で号々と泣いた。きのは、待ちぼうけを食らっていた雨の朝だった。私はこんな表現で喜んだ。8月から9月へ月を替えたばかりなのに自然界は、朝夕の風はすっかり冷ややかになった。大空は大海原のごとく、青く澄み渡る。浮雲は真綿のごとく、真っ白く映えている。そして今朝はオマケに、待ち焦がれていた雨まで恵んでいる。さらに、幸いにも「防災の日」(9月1日)は、天変地異なく過ぎた。これらのことを鑑みれば自然界は、8月いっぱい雨の日少なく、暑い日をもたらした人間界へ、9月早々に粋な罪償いをしたのであろうか。きょうの私は目覚めて寝床で、スマホを片手にはじめて、わが住む「今泉台」の天気予報を見た。不断、私が難渋を極めるデジタル社会の確かな恩恵である。すると、きょう一日にかぎらず、この先十日間の天気予報さえ記されていた。それを眺めると晴れマークはきょうだけで、その先の日には曇りマークに雨マークがこびりついていた。この天気予報に外れがなければ、せっかくの好季節のスタートにあって、秋天高い青空(日本晴れ)は望めそうにない。せっかくの罪償いは、新たな罪作りをしでかすのであろうか。もし仮にそうなっても私は、8月の罪償いに恩を感じて自然界に恨みつらみはない。このことではもちろん私自身だけではなく、視界の草木や、さらには見えない地中の虫けらの命まで、生気を戻したであろう。書き殴っている間に、青空に朝日が射す夜明けが訪れている(5:35)。十日間でたった一日の晴れ間のきょうは、極めて大切な日となりそうである。バカな文章を書いてしまった。しかし、自然界の罪償いに感謝し、わが気分は爽快である。こんな文章は、指先の不始末で消えてもいいけど、それでも継続の足しにはなる。もったいない。 苦心して書いた文章を最後の指先の不始末で、一瞬にして失くしました。無念です。きょう(9月4日)は、歯医者への通院日です。予約時間は午前10時。夜明けの空には、夜来のしとしと雨が音なく降り続いています。わが心中には、大降りの涙雨が音を立てて降っています。きょう一日、晴れ間は望めそうにはありません。
高橋さんへ
高橋さんの言われるとうり残暑がなかなか厳しいですね。お身体には気をつけてください。♪古閑さんへ『庭の花』のメッセージです♪
今回の花々も綺麗で素晴らしいです♪♪♪
秋の花でしょうか??
花の名前がぜんぜんわからなくて、申し訳ございませんm(_ _)mm(_ _)mm(_ _)m掃いてきました
心地揺れる、休みます
気候、激変
「前兆、ミニ台風の夜」
人間の幸福(感)
9月5日の目覚めにあって…駄文
無念、指先の不始末
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