掲示板

 

♪前田さんへメッセージです♪

前田さん、野菜生活購入されたのですねーー♪♪
一刻も速い痛みからの解放を祈っております。
痛みには飲んで良かった野菜生活

人情、他人様から賜る情け

十一月十八日(土曜日)。寝床から抜け出して来て、パソコンを前にして椅子に座り、壁時計を横目で見遣った。時計の針は、四時あたりをさしている。夜明けの遅い仲冬の夜明けまでは、未だ夜の静寂(しじま)にある。それでも、きのうの「丑三つ時」の寝起きに比べれば、二時間ほど長く眠れていたことになる。口内炎の痛さは峠を越して、下り坂に向かっているようである。そうであれば、ささやかとは言えない朗報である。つれて、憂鬱気分も緩和傾向にあり、どうにか「文章の体・態(てい)」を為している。きのうは口内炎のもたらす憂鬱気分に陥り、文章を書く気分になれずじまいだった。挙句、出まかせの石ころみたいな創作川柳でつないだ。人の世は、「捨てる神あれば拾う神あり」。この定則を露わにしたのは、文字どおり他人様(ひとさま)の情けと優しさであった。実際には掲示板上の高橋弘樹様のご投稿文から、こんなアドバイスを賜ったのである。「前田さん。口内炎には『KAGOME野菜生活100オリジナル』(200ml)が良いですよ」。「牛に引かれて善光寺参り」:他人に誘われて知らぬうちに善い方へ導かれることのたとえ。この成句にいくらか似ているけれど、実のところはまったくそうではない。なぜなら私は、常日頃にエールを賜る高橋様のアドバイスにすがり、定期路線バスに乗って大船(鎌倉市)の街へ出かけたのである。そして、セブンイレブンに立ち寄り、高橋様お勧めの目当て「野菜生活」を買い込んだ。きのうは、たちどころに二本飲んだ。効き目はわからない。しかし、買い込んだおりのわが心中には、咄嗟にこんな成句ができていた。「親の声、絶えて代わりの、他人(ひと)の声」。わが晩節の生存は、人様の声に「助けられ、支えられ」て、叶っている。「痛い、痛い、口内炎」は、他人様(ひとさま)の人情を篤くもたらしてくれたのである。だから痛くても、ありがたくて我慢のしどころである。まだ、夜明けの明かりは見えない。パソコンを畳んで、寝床にとんぼ返りをしたら、案外いや結構、二度寝にありつけそうである。

♪前田さんへ、口内炎には野菜ジュースです‼️

『KAGOME野菜生活100オリジナル』(200ml)が良いです!!
ぼくは、口内炎ができ始めたら、すぐに飲むようにしています。
1日1本で、2本飲めば2日で痛みはなくなります。
前田さんは、「口内炎の痛さに耐えきれず起き出してきた。」と、きょうの『ひぐらしの記 口内炎の夜』にお書きになっていらっしゃいますので、かなり大きく超激痛で、たいへんな思いをされていることと思います!!
こうなったら1日3本毎食事中にお飲みになれば、3日位で痛みはかなりなくなってくると思います。
その後は、痛みが完全になくなるまで、1日1本でさらに続けられるとよろしいかと思います。
最後に前田さんの川柳創作のマネをして(笑)、結びたいと思います。
口内炎飲んで効くよと野菜生活

蛇足、もの思う年の瀬❗

「街焦がれふるさと慕う愚か者」。わたし。光陰矢のごとし。

口内炎の夜

十一月十八日(金曜日)、口内炎の痛さに耐えきれず起き出してきた。夜明けまでは、はるかに遠い「丑三つ時」(午前二時から二時半頃)にある。こんな気分ではこの先、文章は書けない。それゆえにきょうは、起き立てに浮かんでいる、三つの創作川柳を記して、おさらばである。しかしながら、おさらばの先が寝床へのとんぼ返りとなりそうなのは、泣き面に蜂である。俳句は苦吟するけれど、川柳は楽ちん(楽吟)である。その証しには、石ころみたいなものが、ころころと転がっている。それらの中から、浮かんで出来立てほやほやの三つの川柳を晒して、文章の代わりに役立てる。一つは、松尾芭蕉の俳諧を真似て、川柳仕立てにしたものである。「古池や老い顔隠す濁り水」。ずばり、わが姿の実写である。二つは日頃、わが心境を脅かしている事柄を模写したものである。「ポイントに客引きされて銭失い」。「デジタルの意味さえ知らず明け暮れる」。みずからの老い顔は、嘆いても仕方ないことである。けれど後者は、面倒な世の中になったものだ! と、日々嘆いている。挙句、仕方がないと悟るまもなく、「命」切れるであろう。こんな文章には、表題のつけようはない。だけど、文を結んだのち考えてみる。夜明けの明かりは見えようなく、私日記定番の天気模様を記すことはできない。私にとっての口内炎は、難病である。

♪柿食えば前田氏の心は至福色♪

前田さんのオレンジ色の幸福がたくさん伝わってきております♪♪♪♪♪♪♪

柿食えばわがよわい忘れける

茶の間のソファにもたれて、太陽がそそぐ光線をからだの隅々に受けて、次郎柿と富有柿の食べ比べをしている。嗚呼、幸せだ。俺、バカかな?

生きてます

十一月十七日(木曜日)、夜明け間もないところで起き出している。ぐっすり眠れて、気分安らかにパソコンへ向かっている。寝起きの気分の安らぎは、二度寝に恵まれた「成果」である。長く、成果という言葉にはありつけず、それゆえ死語になるのを恐れて、へんてこりんなところで意図して使ったまでである。本当のところ成果の表現は大袈裟すぎて、単に「せい、あるいは、ため」くらいが適当語である。精神の疲れの場合は、二度寝にはありつけない。ところが一方、身体の疲れの場合は、二度寝にありつける。きょうの寝起きは、如実にこの証しを示している。きのうの私は、久しぶりに長く歩いた。そのせいで、身体が疲れた。その報いがきょうの寝起きに顕れたのである。「報い」とは自分自身、常に気をつけないと用い方に誤りを招く言葉である。なぜなら、報いに変えて熟語の「報酬」を用いればそれはずばり、自分がいいこと(善行)をしたことにたいする対価(見返り)となる。ところが、この言葉には善行だけではなく、わるいこと(悪行)にたいする、仕返しの意味もある。すなわち、よく定型的に用いられるものでは、「悪の報い(仕返し)」という表現がある。きょうの文章は、書き殴り特有にまったく締まりがない。この先、こんな文章を書き続けては、せっかくの好気分はたちまち変転し、滅入るばかりである。それゆえこれで、急転直下の結び文とするところである。のどかに、仲冬の朝日が昇り始めている。文章と言えないものには、表題のつけようはない。生きている証しのいたずら書きである。

高橋弘樹様へ、感謝!

高橋様のエールやコメントは、わが疲れ癒しの金棒です。うれしくて、御礼の言葉が尽きました。新たな言葉を探しています。

☆前田さんの文章は『文筆家 前田静良』です☆

前田さん、『早起きは、三文の徳』でしたよー!!
前田さんの心情吐露は、前田さん御自身でしか書く事ができないもので、それが☆前田さんの超個性☆となっておりますし、最も『ひぐらしの記』の主旨に合っていると思います☆
作家で現代文藝研究所所長の田端信先生の指導方針は、「本は読むな!!」でした。
ぼくは、文章を書く事は大好きですが、読書は嫌いな方です(笑)。
世間一般的に名作と言われている作品は、読んだ事がありませんし、読みたいとも思いません(大笑)。
結局のところ、多読したところで、「ああ、こう書けばいいんだ!!」と、その人が納得した瞬間、その人の個性が失われる、という悲しい結果に繋がると思います。
文章を書いている人は、「読む暇があれば書け!!」という事になると思います。
前田さんは、いつも未明から早朝の限られた時間の中で、『ひぐらしの記』を執筆されています。
これは、常に時間と闘っているプロの文筆家と同じです!!
そして、前田さんがマイナスに思っていらっしゃる事は、すべてプラスに評価されるべき☆前田さんの超個性☆となっておりますので、これからも『前田さんでなければ書けない文章』をどうぞよろしくお願い申し上げます。