掲示板

 

平先生、宏子さん美しい!

 ふうたろうさん、シンミリを分けてくださってありがとうございます。あの頃は、
ふうたろうさんからときどき思いがけないお便りを頂きましたね。お茶目で愉快な
話題を伝えていただきました。本当に懐かしいです。

洋子さんの故郷便りから・・・

菊池1-0.JPG 菊池2-1.JPG

 親父と行ったタケノコ堀り、2014年11月16日、先生と宏子さんと行った菊祭りの事を思い出し、シンミリとなりました。

年の瀬初日は、迷い文

十二月一日(木曜日)。いよいよ、令和4年(2022年)の最終月が訪れている。人生の晩節を生きる私には、あまりにも速い時のめぐりを感じて、心寂しさつのるものがある。大袈裟好きのわが表現を用いれば、寂しさと侘しさに絡まれて、心身が圧し潰されそうである。現在の時刻は、夜明けまではまだ遠い3時過ぎである。寝床は、文字どおり睡眠の場所である。寝床は、目覚めて様々な瞑想に耽る場所である。ところが私の場合は、「冥想」に変えて同音異義の「迷想」に耽ること頻りである。つらいと言えば確かにつらいけれど、わが小器の証しゆえに耐えなければならない。私は目覚めて、様々な迷想に絡まれていた。その一つは、こうである。わが絶えない愚痴こぼしは、生きるための「捌け口」である。もちろんこの表現は、真実に近いものである。一方、わが絶えない愚痴こぼしは、生きるための「糧(かて)」である。ところがこちらは大袈裟すぎて、誤魔化しのままごとみたいなものである。いずれにしても私は、「ひぐらしの記」における愚痴こぼしで、生存の苦しさをかなり薄めている。確かにこのことは、文章を綴るわが身勝手である。ゆえに一方、好意を授かるご常連の人たちにたいしては、平に謝るしか便法はない。迷想の続きであって自分自身、現在、何を書いているのかさえわからない。ただはっきりと自覚できるのは、気違いじみた迷想だ! ということである。「ひぐらしの記」は、継続だけが取り柄にすぎない。もちろん、通説の「継続は力」には、まったくなり得ていない。さて、「ひぐらしの記」はブログ特有に、バッシングや炎上を恐れて、私はネタに様々な自己制御(自制)を掛けている。挙句、ネタの広がりはなく、おのずからいつも同じような文章に成り下がっている。もとより、私自身面白味なく、そのうえ恥を晒して、恥じ入るところである。しかしながらこのことは案外、「ひぐらしの記」継続の本源を成している。確かに、自虐と愚痴こぼしまみれの文章には、他人様(人様)からのバッシングや炎上の恐れはない。挙句、「ひぐらしの記」は、継続にありついてきたのである。もちろん自省するところはあるけれど、半面、幸いなるハプニングである。年の瀬初日の文章には、夜明けまでの空き時間を埋めるだけの迷い文を書いてしまった。不断のわが心境は、時々刻々、様々に揺れ動いている。年の瀬にあってはこの心境に、いっそう際限なく拍車がかかること請け合いである。こんな書き殴り文では、わが気分の解れるところはない。壁時計の針は未だ4時過ぎで、夜の静寂(しじま)にあっては、月光および日光共に、姿を暗ましている。

大沢さまの文章を追っかけて

まさしく「タケノコのせいくらべ」。文章表現の妙味に出合って、すこぶる愉快です。洋子様には再び御礼を言い、大沢さまには感謝を申し上げます。

ああ、心洗われる投稿

 平様、お久しぶりですね。画像をクリックしてみると、大写しの日の出前の景色、竹の子のせいくらべ、そして菊人形、すべてに遠い空の元でお過ごしの貴女様のお元気な様子が浮かんできます。とは言っても一度もお目にかかったことのないお方です。それでもご投稿に接すると貴女様の心優しさがこんなにも懐かしく、喜びが満ちてきます。
 義母様もお元気とのことで、何よりです。また、投稿を心よりお待ちしています。

十一月末日、「感謝と御礼の大志」

十一月三十日(水曜日)。現在の壁時計の針は、きのうの夜更けを引き継いで、いまだ「丑三つ時」(午前2時から2時半頃)あたりをめぐっている。目が冴えて二度寝にありつけず、起き出して来た。起きたからにはパソコンを起ち上げるのは、わが身にこびりついたしがない倣(なら)いである。顧みれば「ひぐらしの記」は、元よりご好意をさずかる大沢さまとの二人三脚の下、友人・知人の声ある声、さらには掲示板上の声なき声にあずかり、思いがけなく多くの出会いを生んで続いてきた。加えて、竹馬の友・ふうちゃんが写した、わがふるさとに流れる「内田川」の実景は、わが逸(はや)る心象をさらに奮い立たせた。文章自体はなんら面白味のない、わが愚痴こぼしまみれにすぎない。それだけに余計、私に「ひぐらしの記」が恵んだ僥倖(ぎょうこう)は無限大であり、とうてい測り知ることはできない。それゆえに私は、ひたすら出会い得たすべての人たちにたいし、感謝と御礼の志を記すところである。こんな殊勝な気持ちになっているのは、もちろん突然でもなく、まして偶然ではなく、常日頃にあって絶えず私は、心中に浮かべている。起き立てなのに現在の私は、ピカピカと目が冴えている。もちろん、二度寝にはありつけない。しかしきょうの場合は、目が冴えて二度寝にありつけないことも、堪能すべき善い・良い・好い・佳いことである。「ひぐらしの記」は現在、わがこれまでの82年の人生行路にあっては、生まれて生誕地で過ごした(18年間)に迫るほどの年数(15年)の途中にある。六十(歳)の手習いからかんがみれば、わが人生行路の四分の一強を超える長丁場でもある。だから、ちょっぴり自惚(うぬぼ)れてみれば、もちろん文章などまったく素人(しろうと)の私が為せる年数ではない。きょうは十一月の最終日である。いよいよ明日からは、令和4年(2022年)の歳末すなわち最終月を迎えることとなる。「人間、万事塞翁が馬」、また「一寸先は闇の中」である。それゆえに、早やてまわしにわが心中に根づく「感謝と御礼の念」を吐露することは、悪いことではないであろう。ますます、目が冴えてきた。だからこのまま、寝床へとんぼ返りしても、二度寝にありつけることはない。しかしながらいつもとは違って、心地良い気分である。もちろんこの気分の良さは、自分だけでは成し得ない。現在の場合は、平洋子様のご投稿文が、わが気分の好さに加速度と拍車をかけている。拙(つた)い文章ながら私にとっての「ひぐらしの記」は、人様との出会いを為し、なかんずくご厚誼(こうぎ)に恵まれて、わが人生行路における何物にも勝る宝物である。それゆえに人様に対し、幾重にも謹んで「感謝と御礼の大志(たいし)」で満杯である。壁時計の針は、未だ三時過ぎである。夜明けまでの空き時間は、洋子様のご投稿文に縋り、救われそうである。

平洋子様、御礼申し上げます

お久しぶりです。心安らぐ丁寧なふるさと情報と加えて、洋子様のご近況、さらには恩師・お義母様の安寧を知ることができました。ありがたく、心より御礼申し上げます。ありがとうございました。

お久しぶりです

d1d6a5a3032fdb3d064b9df02ad5a28c-DSC_0308-2.JPG 3f84d47fdc1ffc5a802c9e8a16f4e64e-DSC_0311-0.JPG fd5a53e99ae82a7e34d1bd3f791e9801-DSC_0305-1.JPG

 『流星群48号』ありがとうございます。
 随分長いことご無沙汰しているうちに、掲示板のスタイルが変わっていました!
 またよろしくお願いします。

 11月も終わりというのに暖かい日が続いています。今日は久しぶりのまとまった雨が降りました。雑草が元気になりそうです。天気予報では明日から寒くなると言っています。本格的に冬の準備をしなくてはいけなくなりました。昨日は本当に夏並みでした。山鹿市は気温が25度を超えたとの報道がありました。今日の天気予報によると明日からはセーターが必要になりそうです。冷え性の私にはありがたいことですが、地球環境にとっては心配です。

 今年はいつまでも暖かかったせいか、タケノコが出ていました。なかなか見つけられなかったのですが、農家の方に教えてもらいながらまだ地面から頭を出していないタケノコを10本見つけることができました。本当に小さな小さなタケノコです。早速ゆがいてお刺身やお味噌汁でいただきました。本格的なタケノコ掘りは来年になりますが、1年に一回だけ、お正月前に見つけて食べることにしていますが、今年はちょっとだけたくさん食べることができました。味は最盛期に比べるとえぐみがありますがタケノコ!です。今日の雨でまた出てるかもと思いますが、イノシシに気づかれないようにと思うばかりです。
 
 今月の半ば、菊池市で開催された菊祭りに行きました。菊地神社のそばの広場が菊の花で埋め尽くされます。中央に中世の武将・菊池一族を模した菊人形が飾られ、周辺のテントには愛好家の皆さんが丹精込めた菊が並びます。大輪作りや懸崖作りなど1年でここまで!と言うような作品がいっぱいです。市内の小中高生が育てたの菊の鉢も並べられ、いつまで見ていても飽きません。即売所で毎年鉢を一つ買って帰り、花が終わったら地植えにして楽しんでいます。どこに植えようかと考えるのも楽しみです。

 義母も精神的に波はありますが元気です。なかなか直に会うことはできませんが、病院への通院時には家族が付き添うため直に話をすることができます。長いときは1時間弱のおしゃべりタイムです。
 11月22日に96歳の誕生日を迎えました。先日、義母の姪にあたる従姉妹が大分から会いに来てくれました。義妹夫婦と私たちと5人の大人数で面会したところ大変喜んでいました。年齢を聞いたところ「100歳だろうか」と適当で、この年になるといくつでもあまり変わりないんだろうと妙に納得してしまいました。

 夜明け前の東の空を見ました。日の出が遅くなってきて朝飯前の庭仕事ができなくなってしまいました。朝食の準備をすませてから野菜の世話をしています。ブロッコリー、レタス、ピーマン、大根など少しずつとれるので今のところスーパーの野菜売り場を素通りできています。今年はまだ霜が降りていないので夏野菜と冬野菜が同居です。

防空頭巾、ヘルメット、マスク

十一月二十九日(火曜日)。雨戸開けっ広げの窓ガラスを通して太陽の光は見えず、頭上の二輪の蛍光灯の明かりが灯るだけの未だ夜明け前にある。起き立ての私は、こんなことを浮かべていた。ネタ無く、浮かんだ事柄に縋り、つらつら書き続けるつもりである。一つは、昭和十五年(1940年)誕生のわが五歳前後に体験した忌まわしい記憶である。太平洋戦時下にあって警戒警報や空襲警報が伝えられると母は、わが坊主頭にすばやく防空頭巾をかぶせて、固く顎紐を結んだ。やがて慣れると、自分自身で防空頭巾をかぶり、近くの防空壕へ一目散に走った。戦時下における布製の厚手の防空頭巾は、銃後の守につく日本国民・老若男女すべての必需品だった。しかしながら幸いにも防空頭巾は、砲弾避けに役立つことはなく済んだ。ところが、防空頭巾は普段でも効用があった。もちろんそれは冬季だけだがかぶると、頭部の寒気を撥ね退けてくれた。確かに、砲弾避けにかぶらず済んだことは良かったけれど、それでも防空頭巾には悲喜交々の記憶がよみがえる。日本列島には「災害列島」という、苦々しい異称がある。もちろんこれは、災害の筆頭に位置する地震の多さが異称の元を為している。すると日本国民には地震防禦策の一つとして政治と行政が音頭を取り、地震が起きたおりの着用と、不断の備えにヘルメットが勧められている。ところが、ヘルメットの効果は、防空頭巾同様に心構え程度であろう。しかし、人間心理は、怖さを恐れることに限界はない。へそ曲がりの性癖著しい私とて、地震の恐怖は蔑(ないがし)ろにできず、常に枕元にはヘルメットを置いている。ところがこれまた、今のところ実用は免れて、非国民と呼ばれないための防具のあり様でとどまっている。もちろん頭部に、普段の着用は免れている。なぜ二つのことを浮かべて、かつ長々と書いたかと言えば、このことにたどり着くためである。すなわち、戦時下の防空頭巾、そして地震に備えるヘルメットに類して、新型コロナウイルス防御のための、長引くマスク着用生活を憂いているせいである。ところがこのマスク生活は、「命終焉」までのエンドレスにさえなるのか? と、危惧するところにある。そうなれば難聴の私にとっては、このことは小さいことではなく、いや大いに困ったこととなる。だから、このことについてはこれまでも、繰り返し愚痴こぼしをする羽目になっていた。ところが、この先も何度も繰り返すことになりそうだけれど、すなわち、私にとってのマスク着用の日常生活は、きわめて不愉快である。それは両耳あたりに、集音機、眼鏡の柄、マスクの紐が混在し、甚だ鬱陶しく、さらにはそれぞれの着脱に神経を尖らせなければならいからである。このことでは鬱陶しさに加えて、神経の尖り、さらには面倒くささの三竦(さんすく)み状態が免れない。このところのコロナは、またまた感染者数の増勢を極めている。おのずから、それに対するわが恐れと不愉快度は、日々いっそうつのるばかりである。人生晩年にあってコロナへの遭遇は「お邪魔虫」どころか、戦時下の防空頭巾のかぶり、地震発生にたいするヘルメットの備えなどをはるかに凌いで、エンドレス(無期限)の鬱陶しさになりつつある。ひとことで言えば、「甚だ、困ったもの」である。書き殴りに加えて、走り書きをしたため、夜明けの明かりは未だ見えない。いや、少し闇は薄らいできた。大空は、雨模様の曇り空である。

疲れがもたらした「オマケ」

十一月二十八日(月曜日)。夜明けまでは遠いもののぐっすり眠れて、起き出している。きのうは、まったく久しぶりに卓球クラブの練習へ出向いた。身体不自由の妻の世話係や、自分自身のままならない日常生活などのゆえに、気分の滅入りに遭って出向きは、長く沙汰止みになっていた。男女高齢の仲間たちは、みな元気よく集っていた。世の中のご多分に漏れず、男性陣の数や元気の良さを凌いで、女性陣の多さと元気溌剌ぶりが目立った。私は、男性陣の負け姿を真面(まとも)にさらけ出すかのように、疲れ果てた。ところが疲れは、ありがたい副次効果をもたらした。すなわち疲れは、これまた久しぶりに、ぐっすり眠れた心地良さを恵んだ。やはり適当な運動は、憂鬱気分の癒しには効果覿面のカンフル剤になる。私の場合、実際には後ろ髪を掴まれて引かれる残り毛はない。それでも、「後ろ髪を引かれる思い」に苛(さいな)まれた。それは、共に卓球好きの妻を茶の間に置いてきぼりにして、ひとり出向く切なさであった。私は疲れたとはいえ、久しぶりの卓球の快さに浸っていた。しかしながらこの言葉や表情は、茶の間の妻にたいしては、憚(はばか)れるところがある。もちろん、大袈裟なまがいものの「武士の情け」というより、配偶者としての僅かばかりの真摯な心くばりである。「偕老同穴(かいろうどうけつ)」を謳(うた)う労(いた)わりにあっては、案外、この程度でいいのかもしれない。いや、私には、この程度しかできない。ところが妻は、「パパ。少ないよ!」と言って、目を剝くであろう。だけどそれは、妻の欲張りでもある。夜明けはまだ遠く、夜の静寂(しじま)にある。しかし、寝床にとんぼ返りをするまでもなく、両目玉はぱっちりと開いて、脳髄は水晶玉のように透明に冴えている。永眠ではなく、生きる日常生活にあって、ぐっすり眠れることは、人生幸福の確かな一つである。