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待ちに待った古閑さんの投稿

ずっと待っていました。やはり、古閑さんちのお庭の花、素敵ですね。これからも楽しみです。画像をクリックすると大きな画面が出てきて、臨場感があふれます。

庭の花

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 夏に咲き誇っていた花々はなくなり、現在の庭には
わずかな小さな花が咲いているだけである。
(花は昨日写したものです)

長い夜にあっての不眠症

12月21日(木曜日)、おとといやきのうに比べれば体感気温は高く感じられて、寒気は緩んでいる。寒気を極端に嫌う私には、年の瀬のありがたいプレゼントでる。ところがどっこい、現在の私は不眠症に罹っている。二度寝どころか、一度目の寝つきさえ妨げられて、仕方なく起き出している。デジタル時刻を書けば不眠症に留まらず、確かな精神病と勘繰られそうで、書けない。明日の「冬至」(12月22日)に次いで、思わぬつらさをともなう長い夜である。字数に制限をかけることなく書き殴る時間は、たっぷりとある。しかし、不眠症も確かな病気であれば、心病んで文章が書けない。さて、出まかせのわがケチな考察を記すと文章は、脳髄に様々に浮かぶものを、語彙(言葉と文字)を用いて紡ぐものである。逆に、表現を替えれば語彙は、脳髄に浮かぶものを文章仕立てにする道具である。私は、わが生涯にあって一冊の随筆集(単行本)を書きたいという、無鉄砲な夢をいだいていた。勤務する会社における、定年後を見据えたライフプランセミナーにあって私は、それを叶えるための宣誓をした。具体的にはわが生涯学習の目標に、語彙の忘却防止と新たな習得を掲げたのである。大袈裟な目標だが内実は、六十(歳)の手習いにすぎないものである。ところがこの目標は、思いがけない幸運をもたらした。幸運! それはすなわち、大沢さまのご厚誼に授かり、「ひぐらしの記」へありついたのである。心許なく始めたわが生涯学習は、功を奏して大魚を釣り上げたのである。「ひぐらしの記」、わが人生における唯一無二のありがたい遺産になりそうである。眠気を呼ぶために、あえて実のない文章を書いたのに、いっこうに眠気を誘われない。私は、不眠症が不治の病になるのを恐れている。寒気によるからだの震えはないけれど、私は長い夜のつらさに打ちのめされている。寝床は、安眠を貪る場所なのに、眠ることさえできない。挙句、バカなことを書いたなあー…。

本文にいたらず、単なる継続文

12月20日(火曜日)、年の瀬は残り、一旬(十日余り)となった。まったく火の気のない「パソコン部屋」で、寒気がわが身をブルブルと脅かす。寒気を防ぐ文明の利器など、あまたある世にあって、火の気の備えができないわが甲斐性無しが身に沁みる。なんで私は、こうもみすぼらしい家宅に住んでいるのであろうか。あえて自問するまでもなく、答えは明らかである。あらためて私は、わが甲斐性無しをなさけなく思う。もちろん、ことしにかぎることなく死ぬまで、こんな家宅に住むわが身は、連れ添う妻を巻き添えにして、共に哀れである。口内炎の痛みは消えたけれど、胃部不快感は引きずったままである。そのことも加担してなのか。よりもよって「大船中央病院」(鎌倉市)のことしの診療最終日(12月29日)にあって私は、飛んだ目に遭う。すなわち、精密機器(胃カメラ)を咽喉から胃部へ通して、わが頼みもしない病根探しが予定されている。もちろんわが本音は、ゲップを吐きそうな不快な気分になる胃カメラなど、咥えたくはない。病根があろうがなかろうがもはや、残りのわが命は短くかぎられている。だったらもう、胃カメラにともなう不快な思いはしたくない。しかし、立場の違う患者と医師の関係にあっては、こんな不服の申し立てはおのずから禁じられている。だとしたら、「どうにでもしてくれ!」。生き続けることをあきらめて、ドタバタすることなく、ドンと横たわっている俎板の上の鯉の心境は、こうであろうか。もちろん私は、鯉の心境にはなれず、のたうち回ることとなる。きょうは寒さに負けて本文にたどり着くことなく、こんないたずら書きで閉めることになる。どうにか、継続文の足しになる程度の文章である。私は生きることにとことん「弱虫」、いや、虫けら同然である。寒いなあ…。だけど、虫けらのようにこの時期、地中にあって寒さ凌ぎはできない。私は、冬防寒重装備にくるんだ図体を寒中に晒している。

体感気温は正確です

正午のテレビニュースは、盛んにこの冬で一番の寒気の訪れと、積雪地方の雪の嵩の高さを報じています。現在の私は、茶の間のソワーに背もたれて、日向ぼっこをしています。ふりそそぐ日光のありがたさが身に沁みています。

歳月は、わが人生を変える

12月19日(月曜日)。狭苦しい雑居部屋を嘘っパチに私は、憧れのある「書斎」と書いてみよう。確かに、わが名が記された単行本が整然と、かつ押し合いへし合い並ぶ一基の本棚(箪笥)はある。しかし、雑居・雑然の様相を示しているのは、本棚に入れてもらえない多くのものがあるからである。これまた「書物」と格好をつければ、それらは埃にまみれてあちこちに、小山のごとく積まれている。今や、手の施しようがないゆえに、雑居・雑然様相の主を為している。もちろん、「枯れ木も山の賑わい」にすぎないけれど、しかしいくらかは、わが人生行路を彩っている。憧れを交えて書いたけれど実際には、机上にノートパソコン一台を置くだけのしがない「パソコン部屋」である。パソコン部屋の熱源は、これまで繰り返し書いてきたけれど、エアコンやストーブはたまた足下に電気行火などもなく、頭上の二輪の蛍光灯の明かりだけである。もちろんこんな明かりは、熱源の用など為さず、頼りなく本来の明かりをともすだけである。わが起き立ての体感では、現在(4:51)の寒気は、この冬一番と思えている。身の回りに寒暖計はない。それゆえにわが体が感ずる寒気の温度である。もちろん、摂氏何度と「メモリ」の表現はできない。こんな寒気に晒されては文章を書く気になれず、休もうと思いながらいつもの習性でパソコンを起ち上げた。それゆえに文章は、出鱈目とは言いたくはないけれど、確かに本筋のないごちゃまぜ文となるである。一年の終い月を川の流れにたとえて、「年の瀬」と言うことには、私は絶妙な表現だと思う。その理由はこうである。一つは、日々の流れを早く感ずること、一つはその流れに冷たさを感ずることである。きのうの私は、行動予定を実現した。すなわち、次兄(92歳)の住む、東京都国分寺市へ出かけた。用件は、義姉の一周忌への参列であった。あたりまえだが人間の姿の姉は居なくて、対面できたのは義姉がかすかにほほ笑む遺影だった。私は一年という短い歳月の、重みの中に打ちひしがれていた。生存中の義姉は、異郷におけるわが母親代わりを任じてくれていた。義姉の眼差しは、言葉の小言さえ一切ともなうこともなく、わが母親を超えて常に優しかった。次兄は出会うたびに、「もう行くまい…」と、決意するほどに弱弱しくなってゆく。出会いは、そのつど寂寥感がつのるばかりである。私は揺れる往復の電車の中で、こんなことを浮かべていた。「人生哀楽」とは言葉飾りにすぎなくて、もとより人生には楽しみはなく、「人生は、哀寂なのだ!」。哀寂(あいじゃく)という言葉は電子辞書にはなく、わが咄嗟の造語である。ようやくごちゃまぜ文の結びにたどり着いて、表題を浮かべなければならない。浮かぶものではこれでいいだろう。「歳月は、わが人生を変える」。寒暖計を見たい思いのする寒さである。デジタル時刻は現在、5:38と刻まれている。年の瀬は急流で、水は冷たい。

寒気に震えて「遊び文」

12月18日(日曜日)。真冬へ向かう年の瀬の水は、冷たい。起き立てのこの時刻(4:57)の寒さが身に沁みる。きょうの私には、東京(国分寺市内・次兄宅)へ向かう予定がある。用件は、義姉さんの一周忌への参列である。このところの私は、書き殴り文特有の長い文章を書き続けてきた。加えて、文章にまったく明るさがないせいか。掲示板を開いてくださる人の数を表す数値(カウント数)は、減少傾向にある。自業自得とはいえ、私は寒気の中でつらい心境にある。それゆえにきょうは、心して短い文章で終えるつもりである。文章は意図して短くできても、生来の悪癖(マイナス思考)が表れる文章は、是正できない。さて、わがケチ(未熟)な考察だけれど、人間の生存コスト、すなわち生きるために費やさざるを得ないものには、おおむね二つである。一つは、ズバリお金(財貨)の入用である。一つは、心身すなわち身体と精神の負担である。当たるも八卦、当たらぬも八卦のことを書いて、指の動きを止め、パソコンを閉じる。寒気にブルブル震えて、遊び文をしたためただけである。とことん、バカな私である。確かに、短い文章は叶えたけれど、もとより暗い文章(マイナス思考)は直しようない。おのずから、カウント数の回復は望めない。一年前には、義姉さんの優しい姿がこの世にあった。年の瀬の寒さは、ことのほかわが身に沁みる。人間の業(ごう)、すなわち「生と死」を浮かべている。年の瀬の夜明けは、彼方(かなた)である。

わが日暮らし、通院模様

12月17日(土曜日)、起き立てにあって、寒さが身沁みている。このところの書き出しにあっては、こんな常套文になり下がっている。すでに何度も書いているけれど、「ひぐらしの記」という命題は、六十(歳)の手習いにすぎない私にとっては、とても書き易く、ありがたいものである。すなわち、大沢さまから授かった命題は、名づけの親の優しさの表れである。きのうの私は、行動予定にしたがって、「大船中央病院」(鎌倉市)の消化器内科における外来患者となった。予約時間は午前九時半である。私は、九時前から待合室の長椅子に腰を下ろしていた。診察はすでに始まっており、早出組の患者は、世の中の三分間診察のご多分に漏れず、まさしく三分間くらいを挟んで入れ替わる。このぶんではほぼ予約時間どおりに私の名前が、スピーカー(拡声器)から流れてきそうである。私は両耳に嵌めている集音機の音量はあらかじめ最大音量にして、なおかつ聞き耳を立てて身構えていた。予約時間がちょっぴり過ぎて、スピーカーからわが名が呼ばれた。私はいくらかおずおずと、勝手知っている3号診察室のドアをコツコツ叩いて開けた。正面に腰を下ろされている、今やお顔馴染みの主治医先生にたいし、私は立ったままに「おはようございます。お世話様になります」と、言った。こののちは先生に導かれて、丸形の診察椅子に腰を下ろした。さあ、私と言うより、患者と医師の会話による遣り取りの始まりである。会話の口火は私が切った。「おはようございます。先生、まずは謝らせてください。私は先月の予約日を見過ごしてしまい、あらためて予約をきょうに取り直したのです。ご迷惑をおかけいたしました」「いいですよ、ところでいかがですか?」「はい。この一年間は、胃と腸、共に気になる自覚症状はまったく、ありません。ただ、ここ一か月ほどは、口内炎と胃部不快の抱き合わせに悩まされています。そして、いまだに治り切れません。口内炎のほうはほぼ収まりましたが、胃部の方ほうは痛みはないけれど、不快な気分が続いています」「わかりました。胃薬は出しておきましょう。ところで、胃カメラをのまなければなりませんね」「そうですか。いやそうですね」「暮れと、明けてからでは、どちらがいいですか?」「日取りは、先生にお任せいたします」「それなら、暮れの二十九日にしましょう。この日は、病院の今年の診察最終日です」「わかりました。お世話様になります」「胃カメラに関する説明がありますから、外で待っていてください」「ありがとうございました」。外でしばらく待っていると、初見の女性スタッフが、椅子に座っているわが面前に身を屈められて、縷々説明された。私はすでに胃カメラのやり方は知っていても、優しい説明に応えて、神妙に聞き入った。ところが最後にして、わがへそ曲がりの性癖がにょきにょき出て、余分な言葉を添えてしまった。「良い先生と優しいあなたに会えて、幸せです。たぶん、私はこの病院で死にます。よろしくお願いします」。女性スタッフは遣る瀬無い笑顔を残して、立ち去られた。こののちは、胃薬の処方箋、新たな予約表、そして診察料金表をたずさえて、院内における所定の手続きを済まして、院外へ出た。胃薬をもらうのは、院外の調剤薬局である。血液検査があればと、私は朝御飯を抜いていた。それゆえに、大船駅前まで10分ほど歩いて、買い物時の昼飯定番の「すき家」へ入り、安価な割には味を占めている「ミニ牛丼」(330円)を食べた。食べ終わると、スマホを手にしてデジタル時刻を見た。10:55。麗らかな陽射しのおかげで、起き立ての頃の寒気は緩み始めていた。こんな書き殴りが許されるのは、「ひぐらしの記」という命題のおかげである。しかし、大沢さまは、「前田さん、こんな書き殴りの文章は当て外れですよ!」と言って、ご立腹なのかもしれない。無能の私は、勝手に大沢さまの優しさに縋っている。

人間の感情、わが感情

12月16日(金曜日)、年の瀬は早瀬のごとく流れている。落ち葉の数は日に日に減り、山や木立は冬枯れの季節を深めている。路傍の草花や庭中の雑草は、枯れたり萎えたりしている。人間は感情の動物である。それゆえに、生きとし生けるものの中にあっては、すこぶる崇められている。しかしながら、人間に感情があるのは良し悪しでもある。なぜなら、草木のように無感情であれば心の動揺は免れる。なまじっか感情があるゆえに人間は、日々葛藤や諍いの渦に放り込まれて、心が安らぐことはない。すなわち人間の感情は、心の安寧や世の中の平和、崩しである。きょうの私にはいつもとはやや違って、確かな胃部不快感をたずさえての「大船中央病院」(鎌倉市)の消化器内科へ通院予定がある。おのずから、年の瀬にあってほとばしる通院感情に見舞われている。感情があるかぎり、もちろんきょうにかぎらず私には、さりげなく通院する勇気はない。起き立ての私は、こんなわが柄でもないことを心中に浮かべていた。とことん、寒さが肌身に堪えている。だから、こんな文章の先は、身体をブルブルさせてまで書く価値はなく、これで書き止めである。胃部不快感は、わが気分を殺いでいる。口内炎は、いまだに舌先を脅かしている。つらい気分である。確かに、人間に感情があるのは良し悪しである。デジタル時刻は、現在4:38と刻まれている。