大沢久美子撮影 前田さん、『ひぐらしの記第87集』の御出版おめでとうございます☆ 連載『自分史・私』中途完結後の『ひぐらしの記』も毎日拝見させていただいています。 きょうも前田さんへ”大大大エール”を贈ります(^O^☆♪/(^O^☆♪/(^O^☆♪/(^O^☆♪/(^O^☆♪/(^O^☆♪/(^O^☆♪/ 大沢先生、望月窯御来訪、今回もお疲れさまでございました。 夏本番の気温となっていますが(多汗)、今回の花々は、鮮やかで綺麗です♪♪♪♪♪♪ 6月29日(木曜日)、目覚めて、起きて、書いています。のどかに薄く彩雲をちりばめた朝ぼらけが訪れています。きょうから、終わりの見通せない歯医者通いが始まります。なお生きるためとはいえ、いっそう御飯を美味しく食べるためとはいえ、薄弱なわが精神は、不甲斐なく、切なく、悶えています。どうしたのだろう。エールをねだるウグイスはいつもと違って、あえて知らんぷりをよそおい、まだ塒で寝ています。友情か? わが精神力の独り立ちを促しているのかもしれません。ところが私には、友情を感じる余裕はありません。私は、「バカ」に「大バカ」にされたものだと、恨みを募らせています。 六月二十六日から二泊三日で古河の実家を訪れた。到着すると中庭のポリバケツの池の睡蓮の花が出迎えてくれた。クリーム色の花で、まるで私たちを待っていてくれたような開花だった。 私は長年にわたり、たくさんの文章を書いてきた。だから、日常生活の身辺を綴るだけでいい「ひぐらしの記」など、スラスラ書けていいはずである。ところが、それが書けない。わが能力の乏しさには、ほとほと恨めしいかぎりである。矛盾するけれどこの要因は、長年書き続けてきた祟りでもある。単刀直入に言えばその一つは、ネタの書き尽くしによるものである。加えて一つは、長年の書き疲れによるものである。二つと言っても根本的なものであり、それゆえ克服して書き続けることは容易なことではない。いやさらに一つ加えて、三つ目の理由が最も厄介である。それはすなわち、人生晩年における気力の喪失によるものである。気力の喪失を招くことでは、これまた様々な要因がある。最大かつ最も始末に負えないものでは、文字どおり生きるための「生活の疲れ」がある。ところが、この要因には数えること不可能にキリなくあり、これまたわが能力の乏しさでは手に負えない。私は、きょう(6月27日・火曜日)もまた昼間に書いている。ウグイスは、わが背中にエールを送り続けている。網戸から冷たい風が入ってくる。他力本願だが、心が和んでいいはずである。ところが、なんだか心侘しい昼下がりである。終末人生とは、どんなにしゃちほこだって気張っても、もはや光明にはありつけないのであろうか。自己に鞭打つ生涯学習などには見切りをつけて、生きるための「自己奮励」にのみ切り替えなければこの先、身が持たないだろう。昼間書きは時間があるぶん、功ばかりではなく、罪作り(雑念)に憑(と)りつかれること多々ある。 6月26日(月曜日)、味を占めてきょうもまた、昼間に書いている。昼間書きは、ウグイスと時間を共有できるのが一番いいことである。今やウグイスと私は、風貌の醜さにとどまらず、孤独に堕ちた者同士でもある。そのためか私は、ウグイスには親近感深い情愛を持ち続けている。子どもの頃、山中の「メジロ落とし」の囮(おとり)の籠に差すトリモチに、ウグイスが近づいて来た。ところが逃げられて私は、腹いせに「バカ!」と、大声で叫んだ。遊び仲間でウグイスはいつも、「バカ」と呼ばれていた。情愛の深さは、そのとき蔑(さげす)んだ罪滅ぼしでもある。できれば姿を見せてほしいけれど、ウグイスにも隠れていなければならない切ない事情があるのであろう。確かにウグイスの場合は、隠れていてこそ美徳、すなわち美声が際立ち、人間からやんやの称賛を浴びることができる。だから私は、ウグイスのこの切ない事情をおもんぱかり、無理におびき寄せはしない。孤独に耐えて、鳴きたいだけ、山で鳴けばいいのだ。私は、ウグイスからたまわる友情をも感じている。外へ出るとウグイスは、わが背に待っていましたとばかりにエール(応援歌)の鳴き声を、雨あられのごとく奏でてくれる。相身互い身の友情だけに、双方の絆は揺るぎようがない。今朝は目覚めて、5時近くから1時間ほどをかけて、道路の掃除を綺麗に仕上げた。昼間書きの功ありて、途絶えがちだった日常生活のルーチンが見事に復元できたのである。確かに、きのうの昼間書きは、今朝のわが気分を愉快に潤してくれていた。こんな矢先にあって今週からの私には、つらい日常生活が強いられることになる。それは6月29日(木)を一回目として、期限なし(エンドレス)の歯の治療が開始されることである。たぶんこの先、一週置きに予約時間が決められて、私は厳命を受けたごとく神妙にきっちりと、通院を繰り返す羽目になる。先日突然、詰め歯の一つが崩落した。私は慌てふためいて予約を取り、掛かりつけの歯科医院へ通院した。通院期間が空いていたせいかこのときは、主に歯科衛生士(うら若い女性)によるクリーニングが施行された。マスクを免れた目元は、覗き目、とてもうるわしかった。けれど、言葉は残酷だった。「虫歯のところが4か所、増えていますね。治療の判断は、先生がされるでしょう。写真を2枚撮りますから、こちらへどうぞ…」。このあとは主治医・男性先生が、歯と歯茎を診断された。すると輪をかけて、途轍もなく恐怖の言葉を言われたのである。もちろん私には、こののちの治療方針や治療後の出来具合などまったく見当がつかない。それゆえ私は、戦々恐々の面持ちで、梅雨の曇り空の下、渋々トボトボと帰宅した。曇り空は雨を留めたけれど、わが目は容赦なく涙を溜めた。歯の治療はエンドレスとは言えそれでも、いつかは打ち止めが訪れる。打ち止めは夏過ぎて、秋口あたりだろうか。この間の私は、文章を書く気分を殺がれて、治療の経過しだいでは頓挫の憂き目を見そうである。われながら、悲しい予告である。こんな泣き言、ウグイスには言えない。いや言っても、子どもの頃の仕返しに遭って、「おまえは、うすらバカ!」、呼ばわりされるだけだろう。窓の外には梅雨明けみたいな、強い陽射しがそそいでいる。歯医者通いをおもんぱかり、ウグイスのエールにすがる、わが気分は沈んでいる。
☆祝!! 前田静良氏『ひぐらしの記第87集』御出版!!☆
心からお祝い申し上げます☆
前回第86集の御出版からわずかな期間での”超スピード出版”で、たいへん嬉しく思っております*(^o^)/*
今回も表紙画は、武田英子氏の花の画(花の名前がわからなくて申し訳ございませんm(_ _)m)で素晴らしいですね☆
昼間御執筆と未明&早朝御執筆を前田さんの御気持ちとコンディション次第で意図的に使い分けてもよろしいのではないでしょうか。♪大沢先生へ『望月窯だより』の感想です♪
クチナシ・睡蓮・ウグイスのお出迎えでなによりでしたね♪♪♪
緑鮮やかなキリギリス、脱皮の場面は令和の時代には、たいへん貴重ですね!!
望月窯の豊富な自然がたくさん感じられました(^^)♪古閑さんへ『庭の花』の感想です♪
朝
望月窯だより
畑の野菜たちもそれぞれに成長していて、食卓を賑わせてくれた。里芋の葉が伸びていた。サツマイモ(べにはるか)の苗も順調に育っていた。蔓が出てくれば切って植えることが出来るが、まだ時間がかかりそうだ。
草取り、木々の剪定など仕事は山積みだけれど、ウグイスが人恋しかったのか、近くまでやってきて、一日中鳴いていた。先回訪れた時には、雉の鳴き声と羽ばたきが聞こえていたが、もう時期が過ぎたようで、今回は聞こえなかった。
帰宅する日の朝、庭に出ると水道の蛇口の口先に若葉のような緑色のキリギリスが止まっていた。「水を飲みに来たのかしら」と一人呟いて指先で触れてみたけれど飛び立つ気配がない。見事な卵管があり、卵を産み付けたりしたら困るなと思いどかしておいた。再びそばを通りかかるとまた戻ってきている。よく見ると、脱皮している最中だった。初めてのことで、蛇口にぶら下がっていたのは、「水を飲みに来たのではない」ことがわかって、どかしたりしてごめんなさいと謝った。脱いだ薄皮が上の方にあったので、どうやら無事に脱皮できて良かった。昼間書きの迷い言
ウグイスのエールにすがるわが人生
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