掲示板

坂本弘司撮影

切ない文章

3月19日(火曜日)。頃は好し、おととい(3月17日)から、「春彼岸」に入っている。ところが、春特有に寒気がぶり返し、わが身に堪えている。このところの暖かさに気を許していたために余計、寒気はわが身に沁みている。さて、きのうはわが体調(身体)不良に対し、掲示板上やメール、あるいは電話などで、皆様からご心配とエールを賜った。ゆえにまずはこのことに対し、御礼を記すところである。きのうは、朝駆けで通院し診断を受けた。診断を受けたことで、気分はいくらか落ち着いている。しかしながら現在、痛みの症状は診断前と変わらず継続している。いくらかと表現したのはこのためである。毎日、服用中の薬剤には二つがある。一つは、悪玉コレステロール値、改善のためのものである。一つは、腎不全値、改善のためのものである。私は咄嗟のネット学習をたずさえて、後者の副作用と自己診断のうえに通院した。診察室に入ると、信頼する主治医先生と向き合った。先生の診断もまた、副作用には同意された。ところが、副作用をもたらす薬剤は、私とは異なった。先生の診立てには、前者が原因と言われた。私は腑に落ちない気分だったけれど、もちろん言い張りはせずに素直に同意した。私は、自己診断をもとに後者の薬は服まずに通院した。腎不全の薬は、一日にあって朝一度(食後)の薬である。先生は「こちらの薬のせいではない」と言われたけれど、私は今朝も服むつもりはない。先生の診立てでは、前者の副作用ときっぱりと言われた。そして、こうまで付言されたのである。「わたしも服んだことがあるけれど、痛みをおぼえたことがあります」。まさしく、専門家が確信犯と決め込まれた薬である。そのぶん、効き目は万全と思うところはある。そして先生は、「こちらは、服むのを止めてください」と、言われた。前者すなわち悪玉コレステロール退治のほうは、一日において夕一度(食後)の薬である。先生の指示に従い、きのうの服用は止めている。きょうも、止めることになるだろう。どちらの薬が副作用の真犯人なのか。あるいは、これらとは別に難物の真犯人(加害者)が存在するのであろうか。現在、わが心中は混沌としている。もとよりそれは、痛みの症状が緩和せずになお継続しているからである。一度ぐらいの服用の中止では、効果がないことを祈るだけである。「採決をしましょう」「お願いいたします。朝御飯は抜いて来ています」「採血結果はあす以降に出ますから、都合のいい日に来てください」「わかりました。ありがとうございました」。気分晴れ晴れではなかったけれど、医院を出て最寄りのバス停に向かった。すぐに、「大船(鎌倉市)」行き、循環バスが来た。20分近く乗って、降りた。一度行ったことがある「ルミネ」一階の駐車場奥にある「拾得物センター」へ出向いて、来意を伝えた。所定の手続きののち係員は、なお奥の倉庫へ入られた。出てこられた手には、チラッと、わが失くしていた小銭入れが見えた。「それそれ!」と、言いたかったけれど、もらう手続きの済むまでは我慢した。これまた所定の手続きが済むと、わが小銭入れはわが手に渡された。私は、丁寧に何度もありがたい表情と言葉を繰り返した。実際のところは、拾って届けてくださっていた見知らぬ人にたいして、深々とこうべを垂れ御礼を伝えていた。気分晴れ晴れとなって、朝御飯抜いたための空腹感が擡げた。そのため、最寄りの「日高屋」に入り、わが好む「中華そば」(390)を食べた。行きの憂鬱気分は直り、こののちは所定の買い物を済ませた。帰りの足取りは軽くなっていたけれど、身体の痛みは続いていた。猛烈に吹く風の中にあって、私は憂鬱気分を強めていた。きょうの文章は恥を晒して、約一時間の書き殴りである。詫びて、謝るところである。採血結果を知る通院は、あすあたりになるであろう。寒気と憂鬱気分の抱き合わせで、身体、精神、共に震えている。

♪前田さんへメッセージです3♪

小銭入れの財布、保管されていて、良かったですねーー*(^o^)/*
小銭入れにしては、金額が大きいと思いましたので、「大丈夫かなぁ〜〜??」と思っていたのですが、本当に良かったですo(^-^)o

♪前田さんへメッセージです2♪

それは良かったですねーー*(^o^)/*
なによりです\(^o^)/
きょうも前田さんへ”大大大エール”を贈ります(^O^)/(^O^)/(^O^)/(^O^)/(^O^)/(^O^)/(^O^)/

追伸

診察が済むと、近くのバス停から乗車して、大船の街へ行きました。なくしていた財布確認のためです。郵便局内でなくしたと思っていたからです。ところが幸いにも、なくしていた財布は、拾得物センターに保管されていました。こちらも、ご心配をおかけいたしました。

御礼

大沢さま、高橋弘樹様、各位様へ。ご心配を賜り、御礼申し上げます。朝一番に診察を受けました。自己診断どおりに薬の副作用のようです。願い叶って採血がありました。結果は後日ですが、心配ありません。

前田さんへメッセージです

昨日の『ひぐらしの記』の御投稿から、前田さんの体調を心配しています。
大沢先生と同じく、前田さんへ祈りを捧げています。

心配です。

前田さん、いつになく気弱な今朝の「ひぐらしの記」は心配です。訴えておられる症状は、今までと違っていますね。早く病院へ行ってください。何事もないことを祈っています。

体調不良、気分憂鬱

3月18日(月曜日)。きのうの体調不良とそれにともなう不安を持ち越して、起き出している(4:52)。古来、健康状態を言うとき、「年(年齢)相応」ということばがある。病医院へ行けば、すべてにわが年齢(83歳)は、このことばに当てはまる。「年(年齢)のせいですね」という医師の宣告は、「診断」と言えるのだろうか。へそ曲がりの私は、このことばを聞くたびに、そんな思いに駆られている。なぜなら、それぐらいは通院するまでもなく自己診断できる。自覚症状をたずさえて通院しているのだから、年(年齢)のせいだけでなく、何らかの病根があるはずである。確かに、年(年齢)のせいだけであれば、それに越したことはない。一方、年(年齢)のせいの病であれば、もはや治しようのない「不治の病」の宣告である。このたびのわが体調不良は、自己診断によれば現在服用中の薬剤の副作用のせいである。こんな自己診断をたずさえてきょうの私は、住宅地内にある掛かりつけの「S医院」の外来患者なるつもりである。ちょっぴり、新コロナへの罹患の前駆症状かな? と、思うところがあった。けれど、今やこの自己診断は打ち消されている。なぜならそのことには、体温を測るまでもなく平熱と思えているからである。それゆえにわが確かな自己診断は、服用中の薬の副作用一辺倒である。きょうの主治医の診断では、いつになく異状を自覚していることから、「年(年齢)のせいですね」とは言われそうにない。できれば、その言葉を願っている。「確かに、服用中の薬の副作用です。今、服んでいる薬は、服むのを止めてください。違う薬に替えましょう」。すると、私はこう問うて、お願いするであろう。「先生。まだ違う薬を服んだほうがいいのでしょうか? 血液検査(採血)をお願いします。朝御飯は抜いて来ています」。年(年齢)のせいでもなく、服用中の薬の副作用のせいでもなければ「さあ、たいへん!」。きょうもまた私は、休めばいいのに書くまでもないことを書いてしまった。胸(心臓あたり)の痛みは、全身をぐるぐる回っている。やはり主治医の診断は、「年(年齢)のせいですね」、これこそ最も望まれるものである。まかり間違って、「大きな病院へ、紹介状を書きましょう」と言われれば、この文章は余興では済まされない。挙句、帰り道には気分が沈んで、ヨロヨロヨタヨタとよろけ足になるであろう。気分の滅入る夜明けが訪れている。身体に、寒気はまったく感じない。だけど、心中はブルブル震えている。

やはり表題のつけようはなく、休みます

3月17日(日曜日)。現在のデジタル時刻は、4:14と刻まれている。暑苦しくて、夜具の一つ厚手の毛布を撥ね退けて、一枚布団で寝ていた。起き出して、冬防寒重装備は要なしにした。いつもは、ネタ不足に見舞われて、休みたくなる。ところがきょうは、ネタはあるけれど、休みます。体調不調と体調不良。共に、四文字にあって、最後の一字が入れ替わるだけである。だけど、大きな違いがある。体調不良の場合は、生存が危ぶまれる。私は、体調不良に見舞われている。きのう突如、左胸(心臓辺り)にだけ痛みが走り、心筋梗塞かな? と、恐怖をおぼえた。挙句、スマホにすがり、狭心症と心筋梗塞を十分に学んだ。現在、痛みは胸の裏側の肩筋から脇腹へ移っている。これまた初体験である。このところ背中には、普段はない痒みが発症している。これらを鑑みて、腎不全に用いている薬剤の副作用かな? と、自己診断のさ中にある。きのう気づいたことだけれど、おととい小銭入れの財布を無くしていた。実害は1万円ないし2万円ほどだから、こちらは病に比べれば嘆きは軽くて済む。だけどやはり、気分は鬱になる。春が来たから、春ボケなのか。わが日暮らしは、気分の滅入りに見舞われている。ゆえに、心折れて休みます。身も蓋もないことだけど、せっかく書いたことだから、もったいないかな! と、表題をつけたくなっている。寝起きの、わが浅ましい根性である。

書くまでもなかった、悔いまみれの一文

3月16日(土曜日)。確かな、春が来ている。起きて、寒気はまったく感じない。そのせいで再び、寝坊助を被っている。ゆえに心焦り、パソコンを起ち上げている。もちろん、脳髄は空っぽである。わが文章の執筆は、仕事ではない。だったら、休めばいい。確かにそうだ。だけど、束の間の休息は、この先の途絶えになりそうである。ずる休みにともなう、いつもの恐れである。ならば、何かを書かなければならない。浅ましい心模様である。ところが現在、なさけなくもネタ無し状態にある。ネタが浮かばないときに、決まって嘆くことはこのことである。すなわちそれは、私自身が文章をものにする得意とする分野(材料・ネタ)をまったく持たないせいである。加えて、ブログ特有に書いてはバッシングを被る様々な箍(たが)を嵌められている。挙句、無難なわが身辺のこと、子ども時代のこと、とりわけ郷愁まみれのことなどで、お茶を濁してきた。ところがこれらは、すでに書き尽くしている。私には、フィクション(虚構・創作文)を書く能力はない。言うなれば私は、常に袋小路に入った状態で文章を書いている。もちろん、弁明が許されないわが凡庸な脳髄のせいである。時間がない。禁を破ろう。すると真っ先には、現下の政治(国の舵取り)における脱力感である。大相撲春場所(大阪府立体育館)は、きょうは七日目である。春場所は荒れるという、ありがたくない定評(風評)がある。ところが、今場所の上位陣(横綱・大関)は、これまで連日コロコロ負けの状態にある。私は、番付通りの強い上位陣を望んでいる。しかし、この先も危ぶまれる。これまた、こんなことを書くことは自分自身を戒めてきた。だけどまた、ネタ無しの穴埋めのためにちょっぴり書こう。きのうは、メジャーリーグ・ドジャース球団の大谷選手の奥様ご様子(名前)を知ることができた。こちらは書いてもいいはずだけれど、やはり憚(はばか)れるところはある。確かな春の訪れは待ち望んでいた半面、寝坊助を被りこんな体たらくに陥っている。夜明けの空には、のどかに春の朝日が輝いている。寝起きの私は、焦っていた。