掲示板

大沢久美子撮影

ローカルな場所

 涼やかな風が木の下を通り抜けて、ひんやりとひと心地ついた気分になります。まさに浦和ですね。「さいたま市」なんて呼び名に変わりましたが、私は浦和の方が好きです。昔はどこもかしこもこんな景色がありました。私は都会派にはなれませんが、そんなことばかり主張しておれない世の中になりました。せめて少しでもローカルな場所が残っていることを願っています。

♪HIROKIのタレント日記♪

IMG_4290-1.jpeg IMG_4291-2.jpeg IMG_4292-3.jpeg IMG_4289-0.jpeg

《さいたま市内のローカルな場所》
時は令和の時代ですが、さいたま市内には、画像の通り、ローカルな場所がまだまだあります。
ぼくは、完全完璧なまでのCITY派(=都会派)ですが、緑が好きですし、植物が育つ環境は大切にしなければならない、と思っています。

♪大沢先生へメッセージです♪

大沢先生、感想の御投稿をどうもありがとうございます。
先生のおっしゃる通り、たぶん浦和の庶民にとっては、どうでもいい事だったかもしれませんね。
浦和御殿ではなく、浦和城というお城だったら、話は別だったのかもしれません。

浦和御殿跡

浦和御殿跡地に浦和地方裁判所の庁舎を建て、それも壊してしまうくらいなら、浦和御殿が残っていた方が公園としては様になったのではないかしら。もっとも殿様たちの遊び場だったとすれば、残しておいても贅沢なことかもしれない。浦和の庶民にはどうでもよいことだったのかしら。歴史的建造物が残っているというのはよほどのことがない限り奇跡的なことなのかもしれない。なんて、いろいろ考えてしまいます。

♪HIROKIのタレント日記♪

IMG_4283-0.jpeg IMG_4284-1.jpeg IMG_4285-2.jpeg

《江戸時代初期は☆浦和御殿☆の現在》
画像は、さいたま市浦和区常盤(ときわ)1丁目にある常盤公園です。
歴史学になりますが、1601年(慶長6年)に江戸幕府初代将軍徳川家康公によって、この地に☆浦和御殿☆が建設されました。
江戸時代は、1603年〜ですから、幕府開幕前に築かれた事になりますね。
家康公と2代将軍徳川秀忠公の鷹狩りのための休憩所兼宿泊施設として、利用されたそうで、1611年(慶長16年)に廃止•取り壊しされるまで存在していました。
家康公と秀忠公が浦和の地まで来ていた!! となると本当に歴史を身近に感じますねーー。
その後は、江戸幕府直轄地『御林』として、杉やヒノキが植えられたそうです。
明治時代になり、1893年(明治26年)に浦和地方裁判所の庁舎が建てられて、1973年(昭和48年)まで続きました。
画像の赤レンガ塀は、浦和地裁時代の名残りです。
何年か前に浦和区役所からアンケートが届き、☆浦和御殿☆を復元して、浦和の名所にしてはいかがででしょうか? と提案した事もありました(大笑)。
という事で、☆浦和御殿☆にロマンを感じるHIROKIでした☆

望月窯だより

古閑さん、それもまた楽しいですよね。畑を荒らさなければ小鳥たちの訪問も大歓迎なのですが。そうわ問屋が卸さない。ゴンベが種蒔きゃカラスがほじくるなんですよね。うまくいかないものですね。

鳥を集めるかかし

 大沢さん、なんとも可愛いかかしですね。これでは逆に鳥たちは集まってくるんじゃないですか。

♪大沢先生へ『望月窯だより』の感想です♪

この暑さでの望月窯行きと同所での畑仕事は、とんでもなく危険ですので、お出かけにならずで、よろしいかと思います!!
掲示板冒頭画像の『オシャカワかかし』は、見ていて本当に楽しくなりますね♪♪♪

望月窯だより

 このところの猛暑と諸般の事情で実家へ行けないでいる。やっぱりストレスが溜まる。そこで過去の望月窯の画像を眺めていると、昔むかし「かかし」に凝ったことがあって、実家の畑に飾ったことを思い出して懐かしくなった。古い布団の綿をつめて、古着をほどいて作り直した洋服やスカート、夢中で作って出来上がると実家へ持って行って、かかし代わりに畑に置いた。雨ざらしになってボロボロになるまで畑仕事のお供として、通る度に声をかけたりして楽しんだ。 

◎大沢先生へメッセージです◎

トウモロコシとキュウリの本葉が出て来て良かったですね◎◎
ナスは、今後の生長と収穫が楽しみなところですねo(^o^)o