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坂本弘司撮影

迸(ほとば)り出る「驚異」

6月5日(水曜日)。のどかに晴れた朝ぼらけの夜明けにある。わが寝起きの気分は、自然界の恵みにおんぶに抱っこされている。しかし、現実にはわが気分は、日々萎えてゆくばかりである。現象的には、こんなことで萎えている。すなわち、わが脳(精神力)は劣化し、妻の体(身体力)は衰退を極めてゆく。共に、抗(あらが)えない高齢の哀しい夫婦事情である。だからこのことに関しては、かぎりなく驚異をおぼえている。きのう、現代文藝社(大沢さま単独主宰)から、直近発行の「流星群51号」が届いた。受け取るたびに、わが驚異はいや増すばかりである。実際には、大沢さまのあふれ出る才能、そして強靭な精神力、かてて加えて書き手(作者)にたいする優しさへの驚異である。これらのことを書かずにおれなくて、きょうの私はいつもとは違って、勢い込んでパソコンを起ち上げている。久しぶりにネタに恵まれている。「ひぐらしの記」においてはこれまで、「流星群」およびその妹編「流星群だより」については、繰り返し発行の経緯(いきさつ)を記してきた。しかしながらまた、書かずにはおれない現在のわが心境である。本編・姉編の「流星群」は、半年ごとに発行されている。そして、「流星群だより」もまた、この間隙を突いて、二度発行されている。ところが、これまでの「流星群だより」に加えて、このところは「流星群」までもが掲載料無料という、ただ働き(大沢さまの無償の奉仕)にあずかっている。さらには出来立てほやほやの両誌の郵送料は、元から自己負担(大沢の自腹)にさずかっている。書き手にとってはまさしく、大沢さまは崇め尽きない女神である。これらに加えてなお、驚異いや増すところは、発行年月の長さである。すなわち、大沢さまのたゆまぬご奮闘の証しである。今回の51号は、如実にその歳月の長さと、その間の奮闘ぶりの証しを成している。すなわち、途中一度さえ切れることなく、長期すなわち25年半におよぶ発行である。繰り返し記すと大沢さまは、何たる才能と精神力そして優しさの持ち主であろうか。私は大沢さまのご年齢を知ることはないけれど、ご高齢のほどは確かである。ゆえに、驚異いや増すばかりである。稀なる才色兼備の大沢さまに出会えて、幸運にもわがしがない人生は、潤沢にありついている。不断の私は、当てにならない神様頼りは無縁である。しかし私は、当てになる女神(大沢さま)だけは、常に当てにしてすがっている。気持ちの好い一文を書いて私は、いっそう心のどかに朝日輝く大空を眺めている。

悔やまれるうっかり出来事

 前田さんの今朝の「ひぐらしの記」は、誰にでも経験のある「後の祭り」である。いつもは慎重なのに、なぜかこの時に限って「やらかしてしまう後の祭り」をあらためて自分にも振りかえるチャンスになった。「そうだ、こんな事があるから気をつけなければ」と自分に言い聞かせた。

「歯と口の健康週間」

6月4日(火曜日)。夜来の雨が空気を浄めて、満天青空の夜明けを恵んでいる。つれて、わが寝起きの気分は爽快である。これぞまさしく、自然界の無償の恵みである。いっとき指先を休めて、堪能しなければ大損々である。しばし、カレンダーを眺めている。すると、きょうの日には「歯と口の健康週間」と、添え書きがある。あまりにも皮肉めいていて、私は悔しさをつのらせては呆然としている。先週、私は上の最前(真ん中)の前歯を損傷した。諦めきれずに鏡で、今なおそのところを何度も見ている。上下をそろえるとその部分だけが、まるでふるさと「阿蘇山」の噴火口みたいに、「ぽっかり穴」を成している。しかし、予約通院はほったらかしにしたままである。そのわけは、一つには痛さがないこと、そして一つは、もはや修復のしようはないだろうという、自己診断のせいである。恥を晒して、損傷(崩れ欠け)状況を再現(現場検証)すればこうである。私は大好物の「井村屋のアズキキャンデー」を、普段の習わしにしたがって食べていた。アズキキャンデーはもとより氷菓子であり、石ころに匹敵するほどに固く凍結している。ゆえに食べ方の常道は、最初はゆっくりと舐めながら、しだいに溶けてゆくものを最後には噛んで、腹の中に納めるべきものである。ところがこのときの私は、逆行をしでかしたのである。たちまち、歯が数個に割れて、口の中と足下に崩れ落ちたのである。万事休す。悔しさつのる「後の祭り」である。悔しさまぎれにまたまた私は、カレンダー上の添え書きを恨めしく眺めている。このところの私は、文章は休みがちになり、書けばなさけない文章ばかりを書いている。かつて私は、ある人とこんな会話を交わしたことがある。「毎日、私は文章を書いています」「前田さんには、毎日、書くことがあるんですね。よく書けますね。わたしは、はがき一枚も書けません」いよいよ、私も書けない状態に陥っている。なさけない歯の損傷がネタになるようでは、確かにわが文章はどん詰まりである。気晴らしは、指を休めてまたまた青空眺めである。爽快な気分は、翳り始めている。

「嘆き文」、続編

6月3日(火曜日)。気象庁の梅雨入り宣言を誘うかのような、梅雨空模様の夜明けが訪れています。いやまもなく、入梅宣言がありそうな、確かなシグナルです。自然界はみずからのしでかしを、「鬱陶しい」などと泣き言など言わずに、季節に応じて穏やかにめぐっています。幸いなるかな! 私も、梅雨の季節を鬱陶しいと、思うことはありません。この思いは、農家というわが出自がもたらしています。生誕の地、今やふるさとは現下、田植え真っ盛りの季節です。雨(天水)の多い梅雨という季節がなければ、農家(農民)は、降るあてどのない神様すがりの「雨乞い」までしなければなりません。確かに今では、私はまぼろしの農家育ちになっています。それでもやはり私は、梅雨を毛嫌いすることはできません。序文にさえにもならないことを書きました。唯一の取り柄は、生きて目覚めている証しにすぎません。このところの私は、高年齢と命の限界が邪魔をして、まったく士気が上がりません。その証しにきのうは、「嘆き文」を書きました。ところがきょうもまた、書くまでもない文章を書き始めています。明らかに、きのう続編に成り下がっています。おのずから気分が滅入り、この先は余儀なく書き止めです。「生きているだけでも幸せ」という思いをつのらせて、しばし士気の高揚に努めます。詫びて、あしからず。世の中の人様の生き様模様を見聞すれば、確かに身体息災に生きていることは幸運です。やや、精神(力)がめげています。梅雨空模様は、夜明けが過ぎて明るみ始めています。

6月、初っ端の嘆き

現在、6月のカレンダーを眺めています。きのうの初日(6月1日・土曜日)は、月替わりにもかかわらず休みました。いつものずる休みではありません。いや、月替わり特有に、勢い込んで書こうと思っていました。ところが、気分が殺がれて書けなくて、休みました。きょう(6月2日・日曜日)もまた、きのうの延長線上にあって、気乗りがしないままにパソコンを起ち上げています。おのずから、文章が書けません。夜明けの空は、気象庁の梅雨入り宣言を速めるかのような、梅雨空模様です。だからと言って、鬱陶しさはありません。いやいや、この時季のふるさと情景が沸々とよみがえる、のどかな夜明けです。窓ガラスを通して眺めている山の法面のアジサイは、色彩を帯び始めています。私は自然界の恵みに浸っています。それでも、文章が書けません。たぶん、高齢という強者(つわもの)に襲われ、さらには夫婦共に高齢を生きる、わが家の
身辺事情の難儀に脅かされているせいでしょう。だとしたら、きのうやきょうにかぎらずこの先、もう文章は書けません。かてて加えて私には、厄介な日常生活に立ち向かう気力がありません。「前田さん。何でもいいから書いてください」。大沢さまのご好意に背いて、こんなことまで書くようでは、もうお終いです。朝日は、気象庁の入梅宣言を先延ばしにするかのように明るさを増しています。自力叶わず、自然界の恵みに縋る私は弱虫です。季節は強虫(ムカデ)が寝床周りに這いずる頃になりました。私には、これまた厄介です。

♪大沢先生へ『望月窯だより』『田園風景画像』『私の庭』の感想です♪

『望月窯の池』は、素晴しいですね♪♪♪♪
ピンクの睡蓮と金魚がなんとも言えません(^^)(^^)(^^)(^^)
幼少年期に母方祖父母宅で、池掃除をやった事を思い出しました。

『望月窯周辺』は、”大自然が豊富”で羨ましく思っています。
さいたま市内も大久保浄水場付近(桜区)・JR武蔵野線の南浦和駅〜東浦和駅間の線路沿い(緑区)・見沼区(旧大宮市内)などローカルな場所へ行きますと、田園風景を見ることができます。

パッションフルーツの今後の生長が楽しみですね♪♪
先生からいただいたパッションフルーツは、蔓が出てきたまま、その後は伸びたりはしていなくて、特に変化はありませんが、今後の生長に期待しているところです(^O^)/(^O^)/

望月窯だより

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今年ピンクが先にピンク色が先に咲きました。金魚が一段と大きく育って、いつも妹が餌をやっているので待っているようです。足音を聞きつけて水面に上がってきます。三匹いるのですが仲良しこよしでおっかけっこをして泳ぎ回っています。

古閑さんへ

 田舎の想い出ありがとうございます。子供の頃は当たり前のような生活でも大人になると懐かしく蘇ってきます。まだまだ残っている懐かしい風景を大切にしたいものです。

 田舎を思い出します

 大沢さん、いつも花の感想ありがとうございます。
 田園風景、子供のころを思い出します。特に下の写真は鉄塔を除けば故郷の田園風景に似ていて小学生の頃を思い出しました。私の実家は農家で私が小学生の頃は小学生といえども忙しいときは重要な働き手で普段随分手伝いもしました。私は、日曜等休みの日は大好きだったのですが、農繁期の6日間の月曜日から土曜日(当時は土曜日は午前中授業がありました)までの休校、すなわち初夏の田植え時期の3日間と秋の稲刈り時期の3日間の休校は大嫌いでした。田植えは朝早くから親に連れられて一日中腰を曲げての田植えは辛かったです。
 秋の稲刈り時期の3日間の休みもやはり朝早くから働きました。しかし、当時はそれがあたりまえだとも思うところもありました。現在ではこういう休校はありませんが。  今は懐かしい思い出です。