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♪古閑さんへ『庭の花』の感想です♪

まさに◯春爛漫◯そのものですね!!
素晴しく綺麗です◯◯◯◯◯◯

♪大沢先生へ『私の畑』の感想です♪

庭師のお仕事、本当にお疲れさまでございました◯◯◯◯◯◯
庭木の個数が多いと、とんでもなくたいへんな事と思いますが、先生の御心中お察し申し上げます。
新しく購入された夏野菜の苗の生長と収穫が楽しみですね♪♪♪♪♪
植え替えられたパッションフルーツの今後が楽しみなところですね♪♪
先生からいただいたパッションフルーツですが、以前に投稿させていただいたまま、蔓が伸びてきましたが、それ以上は伸びてこない状況が続いています。
最低気温が10℃を下回る日はなくなりましたので、今週初めに鉢を暖房のある部屋から、暖房の無い部屋の窓辺へ移しました。

私の畑

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  昨日は庭木が新芽を出して茂り始めたのでにわか庭師のまねごとをした。あまりの繁りようにこの時期は毎年心が折れそうになる。しかし楽しみでもある。ゴミにぎっしり詰め込んだ切った枝葉を玄関先に六袋ばかり並べて、剪定済みの庭木を眺めるのは気分が良い。通るたびに「切らないと」と言う思いが湧くからだ。剪定の時期にやる気が起きるとは限らず、気にしながらいつも時期を逸して花が咲かない羽目になる。
 お昼御飯を済ませて、疲れていたが、買い物の度に花屋の前に並べられている夏野菜の苗が気になって足を止めてながめていたので、思いきって疲れついでに苗を買いに行った。
 ナス、中玉トマト、ミニトマト、ピーマン、キュウリの苗を購入してきて、用意していた鉢に植えた。これでまた夏の楽しみが出来た。
 植え替えたパッションフルーツは、新芽がなかなか伸びない。毎年部屋から外へ出す時期が早すぎて、失敗していたので、今年は慎重に出す時期を待った。しかしその成果はまだ出ていない。

私のゴールデンウイーク

4月26日(金曜日)。また、朝が来ている。しかし、朝模様は必ずしも一様ではない。気象だけでも、晴れ、雨、曇り、強風、嵐を元に、様々な変化をともない、朝が訪れる。山ではコジュケイとウグイスが、高音で鳴き合いを演じている。ところが私は、日替わりにあっても、起きては日々同じような文章を書いている。このことでは私自身飽き足らず、おのずから自己嫌悪に陥っている。こんな気分を免れるには、確かに文章を書かなければ済むことではある。もちろんそれは承知で、常々(もう、書くまい!)と、決意寸前にある。しかし一方、これまた常々、こんな脅しに苛まれている。すなわちそれは、(書かなければ、おまえは生きる屍同然ではないか!)。これにもまた、十分承知するところがある。挙句、それを恐れて書いている。身も蓋もないことを書いてしまい、自分自身に詫びて、ご贔屓のご常連の人様へ詫びている。山は緑を深めている。あすから、先駆けのゴールデンウイークに突入する。物見遊山、手近なところで「鎌倉めぐり」の人の往来が激しくなる。それに備えてきょうの昼間は、人気の「天園ハイキングコース」へ向かう、わが家周りの道路をしなければならない。ウグイスはすでに春先のトレーニングを終えて、行楽シーズンに備えて、日々、本鳴きを高めている。わが家では厄介きわまりない山に棲みつくリスは、近郊近在から出向くハイカーにとっては、旅気分の一興を成して存在価値を高める。これらに交じり私にも、鎌倉めぐりの人たちを歓迎する一員の自覚はある。ならば気分を高めて、道路で出会えば明るい挨拶を心掛けなければならない。それにはまずは、こんな気概のない文章を書く気分を一掃しなければならない。人の世は、自然界の恵みを満喫する好季節の到来である。私も人の子、省(はぶ)かれず便乗した気分山々である。私のゴールデンウイークは、萎えている気分の立て直しが先決である。ゴールデンウイーク先駆けの朝は、のどかに晴れた旅日和である。

気分滅入る、夜明け

4月25日(木曜日)。きのう、一日中ふり降り続いていた雨は止んでいる。しかし、朝日の見えない曇り空の夜明けが訪れている。予報によれば時を追って、晴れになるだろう。きのうは、雨をともなった季節外れの寒さにとことん往生した。だから、きょうの晴れの予報には心待ちする思いがある。昨夜の阪神タイガース対横浜ベイスターズ戦は、途中降雨による中断もあって、10時近くに終了した。試合開始は夕方の5時半だった。私は妻と共に延々、4時間半ほど見入った。試合結果は5対3で、タイガースが勝利した。しかし、ジャイアンツに勝ったときのような気分のいい勝利感は味わえなかった。なぜなら、ベイスターズはタイガースに次ぐ、贔屓する(ファン)チームである。試合が終わると、慌てて就寝した。やはり、タイガースの勝利は安眠(熟睡)を恵んだ。パソコントラブルに見舞われて、この先を書く気分を殺がれている。ゆえに、ここで余儀なく結文を決意する。タイガースは雨の中で勝利した。けれど、それに酔えない気分の夜明けである。

春は過ぎる

4月24日(水曜日)。小雨そぼ降る晩春の夜明けが訪れている。このところ、朝日はかくれんぼしている。せっかくの好季節にあって、腑に落ちないところである。しかし、地震が起きなければ、泣き言はご法度である。なぜなら、自然界の恵みは、やはり箆棒である。桜は北上を続けて、北の地方では、今なお花見どきにある。当地(鎌倉)で葉桜を深める桜木とて、仰げば花見気分横溢の興趣にありつける。まさしく桜は、咲いて良し、散りて好し、葉桜もまた佳しの風景である。あれほど待ち望んでいた春3月と4月、季節を分ければ、初春、中春、そして晩春となり、総じて残りは一週になり、こののち季節を変える。季節のめぐりに応じて、人の世における別れの月、出会いの月も過ぎてゆく。人情のはぐくむ別れと出会いは、文字どおり悲喜交々である。ところが私の場合は、喜び少なく、悲しさ多く過ぎてゆく。気張って「哀歓」と書きたいけれど、それは書けず「哀感」一辺倒である。起き立てにあって、こんな無駄文を書いてはお里が知れる。もちろん、恥晒しは厭わない。だけどネタなく、文章はここでおしまいである。気が触(ふ)れている自覚はない。

睡魔に恵まれず、悪魔に襲われている

4月23日(火曜日)。いまだ夜明け前にある。眠気はあるもののほぼ一晩中、悶々として寝つけず、しかたなく起き出している。朦朧頭であっても起きれば、パソコンを起ち上げるしかない、。今や、かなしくつらい、わが性(さが)である。悶える目覚めには、様々なことが心中に堂々巡りする。これがまた、寝入りを阻害する。こんなことを浮かべていた。文章を書くことには苦痛がともない、愉しみはない。半面、文章を書くことには、こんなご利益、利得、効果がある。一つは、心中に絶えず語句や言葉をめぐらしていることで、おのずから認知症の予防になる。一つは、文章を通して人様との出会いがある。一つは、薄らぐ記憶が確かな記録へ替わる。そして、このことは、大沢さまのご厚意にさずかるものだけれど、書けば製本(単行本)にありつける。双方を天秤にかければやはり、後者が重たいのであろう。現在、目玉は冴えている。けれど、脳髄は鈍重である。それゆえに文章はここで打ち切り、試しに寝床へのとんぼ返りを試みる。幸いなるかな! こんなダメ文では、苦痛はともなわない。薄く明け行く夜明けの空は、雨模様である。ウグイスは私とは違がって、まだ塒(ねぐら)に鼾(いびき)も立てず、スヤスヤ眠っている。