ひぐらしの記 相身互い身、慰め合って連日の通院 八月九日(火曜日)。きのうに続いて連日、妻を引率の通院が予定されている。きょうの通院は、半年前の予約表にしたがって、「大船中央病院」(鎌倉市)への早出となる。きのうの通院は、住宅地内の最寄りのS医院であり、気分的には落ち着いていた。ところが... ひぐらしの記前田静良
ひぐらしの記 すべてにままならない、人生の終末期 語尾に「難民」を付ければ、実際に難民として苦しむ人たちにたいして無礼千万である。だからこの場合は、その言葉を控えたい。すると、これに代わる適当な言葉探しを始めている。ふと浮かんでいるもので、最も厳しいものには不可能がある。やや緩いものでは、... ひぐらしの記前田静良
ひぐらしの記 八月は気分の重たい月 八月七日(日曜日)、夜明けの空は、朝日の見えない曇り空である。このところは、こんな夏の夜明けが続いている。この二日は昼間でも、真夏とは思えない寒気を感じていた。この先は、真夏や盛夏という言葉に逆らい、「生煮えの夏」になるのであろうか。もちろ... ひぐらしの記前田静良
ひぐらしの記 「広島、原爆の日」 令和4年(2022年)8月6日(土曜日)。77年前のこの日、この時間、(昭和20年(1945年)8月6日、午前8時15分、広島市において、原爆が投下された。風化してはならず、忘れてはいけない、悲しい記憶である。この時の私は、生誕地・熊本県の... ひぐらしの記前田静良
ひぐらしの記 わが身に漂う閉塞感 八月五日(金曜日)。いまだ真っ暗い夜明け前、二度寝にありつけず起き出してきて、書くまでもないことを書き出している。わが文章は、「書いて、読んで」、気分の滅入るものばかりである。書けば、わが現在の生き様を映して、おのずからなさけない文章になる... ひぐらしの記前田静良
ひぐらしの記 屍(しかばね)の戯言(ざれごと) ブログの文章は炎上やバッシングを避けるため、ネタに自己制限をかけてきました。それゆえ、毎日似たよう文章の繰り返しとなり、自分自身、飽き飽き気分で書いてきました。おのずから、義理や好意で読んでくださっていた人たちは、しだいに遠のいてゆきました... ひぐらしの記前田静良
ひぐらしの記 子どもの頃の夏の思い出 八月二日(火曜日)、日中は猛烈に暑く、朝夕は涼しい、本格的な夏の訪れにある。起き出してきて、涼しい夜明けに身を置いている。そして、童心に返り、「子どもの頃の夏の思い出」をランダムに浮かべている。総じて、楽しい思い出を育んだのは「夏休み」だっ... ひぐらしの記前田静良
ひぐらしの記 八月一日 八月一日(月曜日)。過ぎた七月は、気張って書いた。嗚呼、眠れない。仕方なく、起き出してきた。心身に、焼きが回っている。生きる、エネルギーが尽きている。八月は夏休みというより、九月になっても始業式(再始動)のない長期休暇になりそうだ。きょう、... ひぐらしの記前田静良
ひぐらしの記 七月最終日 七月最終日(三十一日)、区切りよく週末日曜日の夜明けを迎えている。気象庁の予報は外れず、おとといあたりから日本列島には、本格的な夏が訪れている。その証しには、日中には暑熱をともなう厳しさがあり、そのぶん朝夕には、冷気をともなう心地良さがある... ひぐらしの記前田静良
ひぐらしの記 文章は手に負えない 七月三十日(土曜日)、週間天気予報によれば、今週末すなわちきょうあたりから、本格的な夏の訪れである。この予報はぴったしカンカンで、清々しい夜明けの訪れにある。私には風景を芸術的に描写する能力はない。だから、肩ひじ張らず眼前に見たままに描けば... ひぐらしの記前田静良