ひぐらしの記 冠の秋の訪れ 八月十九日(金曜日)、夜明けの空は夏空から、秋空の色合いを深めている。天高く、胸の透く青空である。起き立てのわが気分は、いっぺんに陰から陽へ変わった。薬剤などまったく用無しの自然界の恵みである。無色の朝日は大空を青く染めて、家並みの白壁をい... ひぐらしの記前田静良
ひぐらしの記 きょうも、休むべきだった 八月十八日(木曜日)、夜明けが訪れている。朝日の見えないどんよりとした曇り空である。人間の営みにはお構いなしに、尽きることなく夜明けは訪れる。人間界とは異なり、泰然とした自然界の営みである。きのうの私は、書くこともなく、書きたい気分もなく、... ひぐらしの記前田静良
ひぐらしの記 鳥とセミの鳴き声 八月十六日(火曜日)、確かに夜明けの風は、夏風から初秋の風に変わりました。誰に教えを乞うまでもなく、わが肌身が確りと教えてくれています。「八月盆」の送り日にあって、世の中の人様の動きは、いやいやしながら帰り日になるでしょう。私の場合は、まる... ひぐらしの記前田静良
ひぐらしの記 77回目の「終戦記念日」 令和4年(2022年)8月15日(月曜日)。77回目の太平洋戦争「終戦記念日」(昭和20年・1945年、8月15日。終戦・敗戦)。このときのわが年齢は、5歳と一か月(1940年7月15日誕生)。私は近くの小川で、サワガニ、メダカ、小魚、ドジ... ひぐらしの記前田静良
ひぐらしの記 台風、大過なく過ぎて…… 八月十四日(日曜日)、山の木々の吹き付けを恐れて、全部閉め切っていた雨戸を次々に開けた。眼下の道路は濡れて、山から落ちた木の葉が汚らしくべたついている。しかしそれは、普段の夜来の雨上がりの様子とまったく変わらない。無色の朝日が家並の壁にあた... ひぐらしの記前田静良
ひぐらしの記 お盆に朝焼け 八月十三日(土曜日)、目覚めたら部屋の中は色づいていた。びっくり仰天、跳ね起きた。家じゅうのすべてが、朱色に染まっていた。雨戸を開けっ放しの窓際にたたずんだ。大空いっぱい、視界いっぱい、見事な朝焼けが広がっていた。自然界の妙味というより驚異... ひぐらしの記前田静良
ひぐらしの記 立秋過ぎて…… 八月十二日(金曜日)、「立秋」(八月七日・日曜日)すでに過ぎて、夏の夜明けと朝は、秋色を帯びている。網戸から浮き抜けてくる風は、確かに熱をかなり冷やしている。明日は「八月盆」の入り日(十三日)である。送り日(十六日)が過ぎると、いまだに盛夏... ひぐらしの記前田静良
ひぐらしの記 私の「守り神」 八月十一日(木曜日)、真っ青な空に朝日輝く夜明けが訪れている。心の透く、典型的な夏の朝の風景である。わが心中には、確かな自然界の恵みが充満している。だからと言ってわが心中に、まったく陰りはないとは言えない。いや、大ありである。もちろんそれは... ひぐらしの記前田静良
ひぐらしの記 迷妄 八月十日(水曜日)。世の中にはコロナが蔓延し、私には自虐精神が蔓延し、共に勝てず、生活に疲れています。生活とは、文字どおり生きるための活動、すなわち日暮らしです。それゆえ、生活と日暮らしは同義語と言えます。生活ができなければ人間は、それっき... ひぐらしの記前田静良