黒田昌紀の総合知識論

黒田昌紀の総合知識論

下記作品群は現代文藝社発行の文芸誌「流星群」及び交流紙「流星群だより」に掲載されたものである。

劣等感の恐ろしさ

──コムスン会長、ミート・ホープ社長、

         羽賀研二の犯罪に見る深層心理──

 ごく最近の事件、主として知能犯であるが、コムスン社長折口会長の介護士不正申告事件、精肉納入業者ミート=ホープ社の田中稔社長の牛肉をブタのハツやその他の肉を混ぜ、味が似ている物にすり替えた不正表示、詐欺事件、そして、俳優でジュエラーの羽賀研二容疑者による多額の借金を恐喝による踏み倒し事件が世を賑わしているが、それらの事件の概要や事件の悪質性についてはスポーツ新聞やテレビのワイド=ショーで詳しく伝えられているが、事件の背景には、犯罪を犯した主体である、折口氏、田中氏、そして羽賀研二が共通して、幼い時に味わった逆境、極貧、時には孤独が劣等感として心の底に傷としてあり、それがそれぞれの犯罪に走らせたという心理的分析をしていない。また、テレビなどに出演している心理学の専門家なども、それについて説明出来ていないので以下に於いて説明したい。
 すでに報道されているが、すごく問題になっている人々、折口コムスン会長、田中ミート=ホープ社長、そして羽賀研二についての過去の辛酸をなめた経験について触れてみたい。まず、福祉ビジネスコムスンの折口会長は幼い頃、両親が分かれ、自分も祖父母の所で育てられ、貧しい生活を送った。孤独感も味わった。貧しい境遇から十五才で少年自衛官になり、成績を残し、そこから推薦によって防衛大学校へ入り、卒業するも、自衛官に任官せず、自ら起業し、バブル期に芝浦でディスコ場、ジュリアナ東京を設立し成功するが不況で、福祉ビジネスに目をつけ、コムスンの事業を拡大し、今回の事件により事業を破綻させたさせた。
 田中ミート=ホープ社長も幼い頃、極貧の生活を余儀なくさせられた。母子家庭で食う物も満足ではなく、食べ物に対する保障があるので、肉屋に就職した。学歴など考える余裕などない。精肉業に二、三勤めた後、独立し、各方面に肉を納入する精肉業ミート=ホープを設立し、事業を大きくしたが、牛肉偽装により罰せられ、事業が倒産した。
 羽賀研二は、沖縄で米兵との子として生まれたが、生誕前に父親が帰国し、母子家庭で極貧の生活の中で芸能界へ入り活躍するも法的無知で連帯保証を多額にし、その補填のため知人に四億以上の借金をさせ、返済不能でヤクザに恐喝させて債務放棄させ、逮捕された。
 これら三人について共通して言える事は、幼い時に育った環境がひどい逆境、辛酸をなめている事だ。両親が離婚したりして、極貧を味わう境遇だったのだ。人並の生活から見たら遙かに劣る生活をしていた。そのことがひどい劣等感を生む。そんな境遇にあって、他人をどんなに妬んだことだろうか。特に極貧の体験は強い金銭欲を生む。それが深層心理の潜在意識、無意識に刻まれる。無意識にある性欲、攻撃欲、食欲などの本能と共に、金銭欲は準本能として記憶される。
 潜在意識に宿った極貧の体験による準本能的な欲求、強い劣等感は、その後の人生に於て強い富に対する執着心となり、事業を起こしある程度財をなすが、さらに富を求め、違法なことでも平気でやるようになる。極貧の体験は準本能的であるため、考え、良識をもって判断し行動する顕在意識で制えがきかず、行き過ぎ、法を犯し、他人をだましてもお金を得ようとする。本人は悪いという認識が湧かない。我欲に走るのだ。自分が極貧を味わったのだから何をしても良いという欲求が生まれる。コムスンの折口会長は、お金のない障害者を自分の金儲けにし、自分は豪邸に住んだりしている。
 似たようなケースに虐待を受けた者が、自分の子供や他人をケガさせたり殺人をする。又黒人にレイプされた女性が、それ以後、黒人やインド人、アブオリジンなど肌の黒い男性を見ると、善良な人なのに、レイプされるのだとして、避けるのも、過去の心の傷が準本能的になっているからだ。
 潜在意識極貧の劣等感を持った者が、企業などで上に立つと、必ず独裁者になる。田中ミート・ホープ社長は、下の者の意見をまったく聞かず、折口コムスン会長は劣悪な労働条件をヘルパーに押しつけ、防衛大学校出であるので、軍の絶対服従の教育を受けた人で、従業員に文句を言わせなかった。挙句のはてに違法行為が摘発され、事業を失い、多くの善良なる従業員が失職し、犠牲になった。人を踏み台にして、やりたい放題をした。
 過去に於て、ドイツのヒットラーは、自分自身がユダヤ人の血が入っているという劣等感があったので、権力に就くとユダヤ人を虐殺したし、エルビス=プレスリーは自分自身黒人の血が入っているのに、スターになってから黒人を差別した。同様に二十年前の豊田商事の永野社長、田中角栄、鈴木宗男なども極貧の劣等感により権力をふるった。横山やすしもしかりだ。
 さらに日本の社会は未だ江戸時代の身分社会を引きずっている。裏切りの戦乱を平定させた江戸幕府は、孔子学を発展させた陽明学で人々の日常生活を統制した。外面的には士農工商の身分差、内面的に親子関係、先輩と後輩などに身分差をつけ、上の人間には、逆らわせない。上が間違っていても、それを下の者が指摘してはいけない。現在も上の者は絶対だという江戸時代の社会そのままの意識が残っている。明治維新によって江戸幕府は倒したので民間人が政府に対しては物が言えるようになった。だが、戦後マッカーサー憲法で平等と言論の自由を与えられたにもかかわらず、江戸時代のまんまの習慣不平等が残っている。そのため地位についている者は偉く、やりたい放題だが、下の者は忍従しなければならない。
 人々は会話する時、自分より相手が上か下かを意識し、上の者には愛想を好くし、下の者には乱暴な言葉を使ったりする。日本人は我か強く、自分は他人より下に見られたくないという国民性のため、相手を立てて、へり下って話さないと相手は気を悪くして、本音の我を出し、相手に対し態度が悪いなどとケンカになってしまう。自分より能力のある者へは、気にくわないと言ってイヤガラセ、イジメをする。このような身分社会に於て極貧を味わった人間は下の下なので、どんなに屈折した感情、劣等感を心に持つか想像はつく。その人間が事業を起こすとワンマン独裁者となるのだ。
 劣等感を持った者が権力につくのを阻止するのは、むずかしい。官庁や大企業などが大学出の優秀な人材を雇用し、経営者にしているのは、権力欲の強い者、劣等感を持つ者が上に行かない工夫である。よく学歴社会というが、この意味では正しいのだ。権力に就いても自制心があり、良識で行き過ぎない者を登用しているのだ。
 問題は極貧を味わった者が、自ら起業し、初めから経営者になり事業を大きくした場合である。権力を欲しいままにする。折口会長や田中社長の類である。彼らにはカウンセリングを受けさせ、劣等感を取り除くことが出来るが、強制は出来ない。
 やはり、法を整備し、上の不正を告発し、告発者の身分を保護する方法とか、官庁の介入を強くし、劣等感を持った企業社長が行き過ぎた時、強制解任出来る制度にしなければならない。

(流星群だより第12号掲載)

観光地のあり方について

 ここ二十年ぐらいの間に昭和五十年の沖縄海洋博や、その後筑波科学博や花の博覧会をまねて、日本全国の地方の過疎地で、自治体や第三セクターが多額の投資をし、観光施設を作り、ほとんどが十分な収益を上げられず、数年で倒産閉鎖し、失敗している。その事実を見て、長年、観光地開発に疑問を持っていたので、これまで観光地コンサルタントや経済学者などがあまり指摘しなかった観光開発のあり方などについて述べたい。
 まず、テーマパークについてであるが、平成の初め頃から、日本全国、多くの自治体や第三セクターが、それぞれの過疎地の地域の問題を解決し、活性化するため、莫大な予算を投入し、様々なテーマパークを建設した。ヨーロッパの町並を小さく再現したもの。おとぎの国を再現したもの。アジアの仏殿や仏像、寺院を模写したものなどなど。それらの建設したねらいは、それぞれの県で、特に観光地や特産物もない過疎の地の森林や山を崩し、人工的に独特な特徴のある行楽地を作り、そこへ爆発的に大量の観光客を呼び込み、収益を上げる振興策である。万博や浦安のディズニーランドの二番せんじをねらった、まねであった。ところが、多くのテーマパークは思い通りには客を呼べず、赤字になって倒産していった。その中でも比較的好成績であったオランダの町並を再現した、長崎のハウステンボスまでもが業績が悪くなり、倒産寸前で再建機構の管理下にある。
 それではなぜ、テーマパークは次々に失敗していったのだろうか。そしてテーマパークが手本にしたディズニーランドは不滅なほど好成績を維持し続けているのか。第一に、言うまでもなく、ディズニーは世界的知名度のあるキャラクターであるが、テーマパークはにわか造りの、宣伝も不十分で、全国的に知られていなかった事があるが、その事を抜きにしても、テーマパークは、元々地方の過疎地で、人のいない所に、崖や山林を切り崩し建て、日本全国の客を大量に集めようとした所に無理がある。人のいない過疎の地であるため、地元の人々を常にテーマパークに集客出来ない弱点がある。地元の人がパークに足を運ばないのだ。この点、ディズニーは近郊の人々が大勢集まる東京のそば、浦安に位置している。それ故千葉県にあり、距離の近い東京、千葉、埼玉、神奈川などの大都市から多くの観光客を入場させ、莫大な利益を上げている。これがテーマパークだと過疎の地なので望めない。ゆえに倒産し安いのだ。
 さらに決定的なパークの弱点は、丘や山を崩し建設したため、主要道路から、ずっと奥に入った所に位置していることだ。内陸の孤島であるため、東西南北に別の観光地、スポットとの連絡、お客の流れが作れない。パークを見終った人は、別の見どころへは行かず元来た道を戻るしかない。別の観光スポットから客が来ない。この点ディズニーは浦安にあり、四方八方、夢の島公園、水元公園、都内の浅草や皇居などから観光バスで来客があり、別方向にも葛西海浜公園、柴又や成田山など別の所から客の移動がある。つまり周遊が出来る。が多くのパークではそれが望めない。
 それを証明する良い例が日光に見られる。日光へは通常、宇都宮方面から入るが、中禅寺湖の奥には群馬県の方へ降りる道がある。その入口が金精峠である。日光を見終った客は観光バスで群馬県の九沼、老神などいくつかの温泉地で泊まる事が出来る。反対に東京方面から群馬県の温泉地に泊った後、栃木の方へ坂を登って逆方向から日光へも行ける。日光も温泉地も連絡が出来、双方から客が訪れる。周遊である。テーマパークにはそれがない。日光にとって金精峠から群馬への道は命綱なのだ。
 ローカル線が次々に廃止されたのも似たような理由だ。古い車両で、JRの本線の駅から数キロか十数キロ終点の小さな町まで長年、通勤路線として活躍して来たが、車に取って代わられた。行き止まりの所が終点であり、途中に商店街のモールや行楽地など客が集まる所を作らなかった事にもよる。従ってテーマパークは赤字ローカル線の駅に作ればよかったのだ。地方ローカル線で生き残っているのは有名温泉地に行く路線と、JRの二つの駅を結ぶ線である。例えば長野電鉄や関東鉄道のように。山の麓で終点になっているローカル線があり、さらに山の向側にも終点であるローカル線がある所では、山の両側に振興策として最小限のケーブルカーやリフトを作り、二つの終点駅を結べば両側から乗客が見込め、山の上は地価が上がり、茶店や展望台が出来、経済効果が出る。今後、このような振興策が望まれる。
 テーマパークの最大の失敗例としてはオウム真理教の上九一色村の拠点のサティアンを壊し代わりに作ったガリバー王国である。多くの信者が寝泊りして、秘密の部屋で殺人化学兵器サリンが作られ、地下鉄サリン事件を起こした。上九一色村の役場と住民は感情に走り、オウム憎しのあまり、一瞬にして取り壊し、代わりに悲惨なイメージを払拭するため、巨額の財政投入をし、メルヘン的な巨大なガリバー王国をテーマパークとして作ったが、ほとんど客が入らず、数年で業者に二束三文で払い下げられてしまった。大損であった。同パークは元々富士五湖のさらに奥に入った樹海などのある、超不便な所にあり、ガリバーを作っても東京などから集客は望めない。地元も人がいないので入場しない。経営は至難なのだ。むしろ、悪のイメージはあるが、科学的な価値のある大設備サティアンの多くをそのまま村役場が保存し、入場料を取り、科学的説明をガイドにさせ、悲劇を忘れないよう近くに平和の広場でも作り、追悼イベントをすれば、悪いイメージだが、有名になった所なので多くの観光客が恒久的に訪れ、採算も取れたのだ。日航機墜落の御巣鷹山が良い例である。悲惨な場所で観光地として役割をしている所の例として原爆の長崎、広島、真珠湾など数ある。
 熱海の観光客の激減も周囲の観光地との連携が不十分だからである。かつては東京の奥座敷と呼ばれ、週末は温泉客で人が溢れていたが不況で淋れてしまった。これは東京と熱海の往復のみの一方通行の客の流れのみに頼っていたからで、もっと湯河原、箱根、そして伊東、沼津と直通の交通機関を整備し、連絡し、割引共通宿泊クーポン券などを作り、老人ホームやドクターフィシュの温泉やハリやあんまの湯治の町と再生するのが望ましい。

(流星群だより第11号掲載)

商店街巡りの面白さ

 今から約十五年前、体重がありすぎ、変形膝関節炎を起こし、痛くて歩けなかった。医者に行ったら痛み止めの他、膝の下の筋肉をつける運動をするよう言われたがうまくいかず、何か楽に、自然に膝の筋力をつける方法はないかと考えた末、自転車に乗り出来る限り遠くへ行くことにした。最低でも半径五キロから十キロ自転車をこぎ、街並や風景、公園等を回り、本で学ぶのと違い、見て学ぶ体験をした。
 そんな時、新聞販売店から当時川崎球場にいたロッテ(現千葉ロッテ)のパ・リーグの試合の招待券を貰い、自転車で球場へ野球の試合を見に行くことにした。自転車で川崎球場に行くには、JRの川崎駅と観見駅との間でJRと並行して走る京急線の二つの路線を横切らなければならない。そこで、毎回自転車で球場へ行く時、元来、同じ道を通るのはつまらないので、京急の京品観見駅、観見市場、八丁畷京品川崎駅で二つの線路を横切ることにした。毎回、球場へ行く毎に線路を横切る場所を変えていたが、その時、思い掛けない発見があった。横切っていた踏切りのある京急線の駅の近くのいくつかの商店街の外見、街並、店の種類がそれぞれ違うことに気付いたのだった。
 例えば、京急観見駅の近くの商店街は銀座と呼ばれ、飲食店、コンビニ、スーパー、文房具屋、用品店、金物屋のあるオーソドックスな商店街。一方、隣の駅、観見市場は、古くからお寺のある小さな門前町だった面影があり、寝具屋、下駄屋、ぞうり屋、スッポン料理店などコンビニはあるが、あまり飲食店や生鮮食料品がなく、昭和三十年代のガラスのガラガラする戸で出来ているなつかしさがある街並の商店街。次の八丁畷駅は、JR浜川崎線と京急と二つの駅が交わる所で、商店街は二つの線路の下の狭い所にほとんどが飲食店でギッシリ詰っていて、一つか二つ化粧品屋があるだけだ。鶏肉やきとり、もつ煮、一杯飲み屋、小さな寿司屋など。
 このように商店街に特徴と違いがあることを発見した私は、それ以後、自宅を中心に十キロ以上、商店街を求めて長距離行くことにした。尻手、大口、六角橋、綱島、川崎の鹿島田、武蔵小杉、元住吉、そして電車でも磯子、蒲田、戸越銀座、弘明寺などへ行った。
 これらの「商店街巡り」の経験から買い方や商品について述べてみよう。各商店街には必ず、有名スーパーやコンビニの他に、地元の個人経営のスーパーがある。このようなお店だと、他で見られない商品を売っていることが多い。主として、お菓子、せんべい、ソース、調味料、パン、牛乳、お茶、ケーキ類、カレー粉、シロップなど、仕入れが違い、地場産業と呼ばれる地方の有名ブランドでない良品を売っていて、安価なものがある。普通のスーパーなどでは珍しいものだ。横浜のある個人スーパーでは「近藤牛乳」(百円)など非常に安価で売っている。この種のお店は古くは「よろず屋」と呼ばれていて、仕入れが違うのだろう。別の商店街には別の、この種の店があり、違った商品がある。別の商店街を訪ねる意味がある。
 有名スーパーでもスーパーの会社が違えば別の商品を売っているが、スーパーや町のディスカウント=ストアーも全体的には普通のお店よりも安いが、一つや二つ、普通のお店の方が安い品物もある。あるディスカウントマーケットは一般に魚は値段が安いが、タラコだけは魚屋の方が量が多くて安いという事例があった。
 同じ系統のスーパーでも違う場所のお店だと扱っていない商品もあり、さらに売れ残った商品の値切り方が違う。ある店では半値にするのに、ケチなお店では三十円とか五十円しか値切らないお店もある。値切りは店長の裁量に託されているからだ。百円ショップもいい商品でも、お店によっては売っていない場合がある。ましてや違う会社の百円ショップでないとない商品もある。ある百円ショップで売っているCD、プロレスの覆面、おもちゃは別の会社の百円ショップにはないし、同じ系統のお店でも店によってはない場合がある。黒まめココア、アンチョビーの缶詰、フィリピンの百円で十六個くるピーナッツ=クリームサンドクラッカーなどもしかりである。
 ディスカウントでない普通の商店でも、同じ商店街の中で他のお店にはない安価な良品はあるので、色々な商店街に何回も足を運び、この商品はこのお店で買おうと、別の商品は百円ショップで、さらに別の商品は地元のスーパーというふうに、商品別に買う店を決め、買い慣れたお店だけでなく、別のお店、よその商店街へ訪ね、色々な店で買うことをお勧めする。

(流星群だより第10号掲載)

もう一つの自費出版の方法

 自分で出版したいという人々は多い。自分が歩んで来た人生を誰かに伝えたい。また、自分が長年培って来た知識や趣味の集大成を本にまとめたいなどと。それをするには、自費出版として発表するのが一番。というより、日本の出版社は、有名な小説家や文筆家、会社や公務員など専門家として見做される職務に就いている者でないと、執筆を依頼して来ないし、相手にしてくれないからだ。ヨーロッパやアメリカのように、有名人ばかりでなく、内容さえ良ければ、一個人でも持ち込み原稿で出版してくれ、読者が内容を判断し本を買うような出版市場でないからだ。詩、俳句、短編小説などは、会費を支払い同人として同人誌に発表できる。が、競争があるので作品掲載はあまりチャンスはない。
 自費出版には自費出版を扱う出版社か、自ら費用の安い印刷所を見つけ印刷製本にする方法と、パソコン、ワープロでやり、デパートなどで製本セットを買い安価に作る、自家製本とか私家本とか呼ばれるものを出版する方法がある。安い印刷屋で百部ぐらいで十五万円ぐらい掛かる。たとえお金を掛けても売れる見込みはない。無料で配るか、知り合いに義理で買ってもらうのみである。出版取り次ぎルートに載らないからだ。それ故、出版実績にはなるが、商売にはならない。
 その他に、自費出版の方法があるので紹介したい。一つは自分で点字で自分の詩や俳句や短歌など簡易な作品を打って残す方法と、もう一つはポーランド人の医者が考案した世界語、エスペラント語で自製本をつくり、出版ルートに載せてもらう方法である。
 先ず点字について。点字は言うまでもなく盲人が指で触れて読む六点による文字である。点字で自分の作品を作るには、基礎的な点字を習わなければならない。学ぶためには、福祉施設や地域の社会福祉協議会の点字グループによる点字入門講座を受講するのだ。盲人に奉仕するという意味で、受講料は無料の場合が多い。安い入門テキストと点字のプラスチック用器で、最小限基礎的な点字は打てるようになる。これにより、俳句、川柳、短歌、短い詩などの自分の作品は、点字用紙を買わなくても、カレンダーの紙や不動産会社の厚手の広告の紙などに点字で二〜三部作っておいて、盲人に配れるようにしておくことだ。普通の自費出版のように百部も作らなくても点字は、盲人に奉仕できるので数部でも公的性がある分出版実績と認められるだろう。
 小説など長いものは点字にして配るのは難しい。カッコや記号を多く学ばなければならず、上級レベルの点字技術が必要である。それに長編だと大変厚くなってしまう。又、盲人は有名な作家の作品を読みたいので、それらをボランティアグループが慎重に間違いなく点訳したもののみ点字図書館に納品できるからである。名作でさえ未だわずかしか点訳されていないので、名作の点訳が優先で、図書館は普通人の小説は求めていないのだ。
 もう一つの方法が世界共通語であるエスペラント語で出版することだ。約百年前に戦争の相次ぐヨーロッパで、言葉を統一する事が平和につながると信じ考案したのが世界共通語エスペラント語で、世界約百ヶ国、約百万人が言語を理解している。日本でも東京都新宿区早稲田に日本エスペラント学会があり、各地にエスペラント会があり、学習されている。エスペラント語で訳された物は各国の文学や社会科学や自然科学の本もあり、その中にワープロ製本も図書目録に入っている。それ故、各地のエスペラント会で、何年かエスペラント語を学び、自分の書きたい物をエスペラント語で書き、ワープロで自製本をつくり、日本エスペラント学会の出版部に申告をして、世界中に配本してもらう事が出来る。常時十部ぐらい配本出来るようにしておけばよい。これだと、そんなに売れるものではないが、充分出版実績になる。日本の出版社が相手にしてくれない研究者や作家などに最適であろう。

(流星群だより第8号掲載)

アメリカ人とオーストラリア人の野球選手の違い

 二〇〇四年のアテネ=オリンピックに於ける日本チーム対オーストラリアチームの野球の試合は私達、野球の観戦者に新たな事を教えてくれる。それは何かというと、同じ西洋人がやる野球でも、野球発祥の地であるアメリカの選手とオーストラリアの選手とでは、そのプレーに於いて能力的違いが出ている事だ。それについては、日本の野球評論家やスカウトなどが気付いていない。
 アテネ五輪では長嶋全日本監督が急病で倒れ、中畑清氏が代行し、銅メダルを獲得した。選手はセ・パ十二球団の最高の打者や投手が選ばれた日本最強チームとして五輪に望んだが、オーストラリアに完敗を喫した。各チームの強打者が完膚なき程に押さえられたからだ。その時のオーストラリアのピッチャーが、先発をしたオーストラリア=ナショナルリーグのエース、オックス・スプリングス投手と、それをリリーフした阪神在籍のジェフ・ウィリアム投手である。この二人の力投によって、日本チームは〇敗をくらってしまった。特に先発したオックス・スプリングスは、日本の最強打線をほとんどと言っていいくらい外野に打球を運ばせなかった。
 このようなオーストラリア人投手の力投には、日本のほとんどの野球関係者、特にスカウトが気付いていない特徴がある。それはメジャー=リーグを中心とするアメリカ人選手とオーストラリア人選手との身体能力に違いがあることだ。特に、オーストラリア人投手の投球はアメリカ人のそれと大きな違いがあるように思われる。
 まず、オックス・スプリングス投手。投球の速さはさほどない。アテネ=オリンピックのゲームを見た限り、スピードは画面で百三十キロ後半から百四十キロぐらいしかなかった。しかし、それにも拘わらず、日本のプロ野球、最強打者達を集めたチームが、ほとんど外野に打球を運べなかった。この投球、球質を見ていると、速くはないが大変重い球質で、オーストラリア人独特な投球で、アメリカ人の投手と違うように思われる。オーストラリア人独特の人種的な違い、さらに身体的な違いが球に出ているように思われる。オックス・スプリングス投手の重い球は、球に体重の載せ方がアメリカ人と違っているのではないか。西洋人については顔で見分けが付かないが、日本人の野球関係者は、そのことに気付いていないように思われる。
 もう一人は、アテネ=オリンピックの試合でオックス・スプリングス投手を八回からリリーフしたジェフ=ウィリアム投手。アテネ五輪の前年に星野仙一監督の元で優勝した時のリリーフ=エースで、初めリリーフ投手がいなかったのを同投手が独特の投球をしていたので星野氏がリリーフに起用したのだった。ウィリアム投手の特徴は左の横手投げ、サイドスローから鋭角に斜め横に曲がり落ちるカーブで、角度があり過ぎ、右バッターの脛に当ってしまう。この投球で阪神の優勝に貢献した。このような投球は、五十年以上のプロ野球の歴史で、黒人や白人のアメリカ人選手には見られなかった。強いて言えば、昭和四十年に「八時半の男」として活躍した宮田征典投手の鋭角に落ちるカーブ「落ちる球」以外、西武や横浜ベイスターズでリリーフで活躍したサイドスローの右投手、デニー友利ぐらいである。
 オーストラリア人とアメリカ人の野球能力の違いについて日本の監督、コーチ、スカウトなどは気付いていない。特にオックス・スプリングス投手に注目し、日本のプロ野球へスカウトしようとしなかった。これからは、日本のプロ野球に、オーストラリア人ばかりでなく、中国人やタイ式ボクシングのタイ人選手のムチのような柔らかさを持ったアジア人など、日本の選手と違った能力を持つ人種を入れるべきだ。

(流星群だより第7号掲載)