ひぐらしの記

ひぐらしの記

前田静良 作

リニューアルしました。


2014.10.27カウンター設置

内田川(熊本県・筆者の故郷)富田文昭さん撮影

 

休み明けの切ない一文

 十月二十六日(月曜日)、きょうもまたほぼ同時刻に目覚めて、そのまま起き出してきている。良いのか悪いのか? 秋の夜長にあってはいまだに夜中(二時半頃)であり、やはりありがたくない習性になりつつある。ただありがたいことは、まったく寒さを感じない夜の佇まいに身を置いていることである。
 きのう(十月二十五日・日曜日)は、心ウキウキした前日の秋の陽射しをはるかに凌いで、天高い好天気に恵まれた。私は朝食を済ますと、予定していた行動を開始した。ほぼ片道二時間半ほどをかけて、東京都国分寺市内に着いた。次兄夫婦とその長男夫婦が住む、宅へのお決まりの訪問である。
 次兄夫婦は、共に九十歳を超えた。もう何年も、月に何度かの表敬訪問を続けている。しかし、新型コロナウイルスのせいでこの頃は、黴菌を持ち込むのを恐れて、意識して控え気味になっている。次兄宅は第二のふるさとであり、次兄夫婦は実在する父親と母親代わりである。共に優しく、現在私あるのは、二人のおかげである。このことはひとときも忘れず、ずっと慕い続けてきた。かつては異なり、年老いた次兄夫婦に会うのは、今や愉しみばかりとは言えない。いや、実際のところは、健康状態を確かめるためのつらい訪問である。しかしながらそれは、強く肝に銘じているわが身の為せるただ一つの恩返しである。
 久しぶりに電車に乗ったけれど、新型コロナウイルス禍の騒ぎにあっても車内風景は、そう変わらなかった。車内風景とは、ずばり乗客数である。私の定例の訪問は土曜日か日曜日である。もとより、乗客数は平日より少なめである。しかし、いつもの日曜日と比べても乗客数は、新型コロナウイルス禍にあっても、少ないとは思えなかった。たぶん、秋晴れの好天気に誘われて、滞り気味だった人の行動が促されたのかもしれない。やはり、人の足と心の動きは、天気の善し悪しに左右されるところが大きいと、言えそうである。
 この秋晴れ、今週まで続くのか? と、気が揉めるところである。気が揉めることのイの一番は、やはり第二波が来そうなこのところの新型コロナウイルスの感染者数の地方や地域への広がりかたである。「GO TO トラベル(旅)」、「GO TO イート(飲食)」など、「秋の戯(たわむ)れ」とも思えるのは、それにありつけないわが金の乏しさと心の貧しさであろうか。
 きょうもまた懲りずに、私は秋の夜長の冥想(迷想)に耽っている。

休みます

 きのう(十月二十四日・土曜日)は、待ち焦がれていた秋天の暖かい陽射しに恵まれました。私は心勇んで、いつもの大船(鎌倉市)の街へ買い物に出かけました。どこかしこのお店、買い物客で賑わっていました。
 きょう(十月二十五日・日曜日)、現在のデジタル時刻は、3:51です。二度寝ができないままに起き出して来て、パソコンを起ち上げました。人生の終盤になると、心中の平常心はごたついて、まったく保たれません。挙句、私は文章を書く心地、気分を失くしています。書くまでもないことを書いて、休みます。この先の日々は、こんな心境にさいなまれそうです。
 余生とは文字どおり余りの生命であって、もはやどうでもいい人生のひとしずく、あるいはひとかけらかもしれません。そうであれば安寧な気分を望むのは、高望みすなわち欲張りなのでしょうか。寝床へとんぼ返りを試みますが、寝付けず悶々とする長い夜になりそうです。
 わが気分のせいで、ご常連様の楽しい日曜日の気分を塞いで、申し訳ありません。

浮かれ気分に水差す数値

 新型コロナウイルスにかかわる文章はニュースにもならず、もちろん妙味に欠けるため、意識して書くのを避けてきた。そのため、私は無理やりネタ探しに努めてきた。きょう(十月二十四日・土曜日)もまた、そんな気迷い気分をたずさえて、パソコンを起ち上げた。ところが、この配信ニュースに驚いて禁を破り、仕方なく新型コロナウイルスにかかわる記事の引用を決意した。東京都にかぎれば、このところの感染者数はいくらか減り気味であり、虚を衝(つ)かれた驚きである。
 【全国で748人が感染 北海道は1日あたり最多の51人】(2020年10月23日22時31分、朝日新聞DIGITAL)。「新型コロナウイルスの国内感染者は23日、午後9時現在で新たに748人が確認された。死者は12人。北海道では新たに51人の感染を確認した。緊急事態宣言下の4月23日の45人を上回り、道内では1日あたりで最多の感染者数となった。東京都は186人で、4日連続で100人を上回った。大阪府では、新たに100人を確認。府内で1日あたりの感染者が100人以上となるのは120人だった9月11日以来、42日ぶりとなった。また沖縄県は、県議会の会派『沖縄・自民党』所属の県議10人が新型コロナウイルスに感染したと発表した。同会派の県議18人は18~21日に離島の与那国町や石垣市、宮古島市を訪れ、自衛隊基地などを視察。日程表では18~20日に『夕食(懇談会)』と書かれており、県議会事務局によると居酒屋を貸し切りにした懇親会が開かれたという。国内の感染者+748人(96112人)死者+12人(1710人)退院者+579人(88904人)10/23 21:00時点 退院者数はクルーズ船の乗客らを含めた数。厚労省などによる」。
 「GO TO トラベル」、「GO TO イート」、「GO TO 商店街」などのキャンペーンは、いよいよ盛りになっている。この先、いくらか気になる人の世の他人様(ひとさま)の浮かれ気分である。もちろん、浮かれ気分に乗れない、わがやっかみではない。秋の夜長は、人の世を知らず深々と更けてゆく。

秋の夜長の恩恵

 このところの私は、せっかくの秋の夜長を恨めしく思うばかりだった。ところが、きょう(十月二十三日・金曜日)現在(デジタル時刻、3:00)の私は、秋の夜長にたっぷりと浸っている。すなわち、秋の夜長でなければ執筆時間に急かされて、時間の掛かることはできない。
 私は目覚めるとそのまま寝床に寝そべり、心中に使い慣れている言葉をめぐらしていた。その言葉は、「生来」である。知りも知っているこの言葉は、「生まれつき」として、しょうちゅう文章の中に用いている。文章に用いるときは、必然的にその後には愚痴こぼしの事柄が続いている。すなわち、記憶を新たにすればそれらには、生来、私は三日坊主とか意志薄弱とか、はたまた決断力に乏しいとか、わが精神力の欠如や欠陥を示すものが露わに記されている。これらのこと以外にも浮かべれば、芋づる式に次々に浮かんできて、まったく尽きるところはない。
 さらに、三つほどに限り記すとこうである。生来、わが脳髄は蒙昧(もうまい)である。生来、わが顔は醜面(しゅうめん)である。生来、わが手は不器用(ぶきよう)である。あらあら、四つを書く羽目になった。生来、私は内気というより、劣等感の塊(かたまり)である。書き出すと確かに、きりなく尽きない。だから意図して、打ち止めにせざるを得ない。
 生来という言葉を浮かべて私は、「後天」を見出し語にして、枕元に置く電子辞書を開いた。すると、こう記されていた。[易経(乾卦、文言)「天に先だちて天違(たが)わず、天に後(おく)れて天の時を奉ず」]生まれてから後(のち)に知ること、生まれてから後に身に備わること⇔先天。次には「先天」を見出し語にして、再び電子辞書を開いた。[易経(乾卦、文言)「天に先だちて天違(たが)わず、天に後れて天の時を奉ず」(天に先だつ意)生まれつき身に備わっていること⇔後天。
 私にとりつく「生来」という言葉は「先天」と同義語であり、そしてその反義語は「後天」である。結局、知りすぎている言葉の復習にすぎない。それでも、秋の夜長の恩恵である。確かに、生来と先天は同義語である。しかし、先天的とは言っても、生来的とは言わない。後天的に見合うのは、先天的がふさわしいことを復習したことにはなる。
 学童の頃の「綴り方教室」、さらにはかつての「日本随筆家協会」(故神尾久義編集長)の会員当時から私は、文章はやさしい言葉でわかりやすく書くことを指導されてきた。このことからすればわが綴る文章は、ゴツゴツとしてきわめてわかりにくいものである。おのずから私自身、「下の下の文章」と、認知しているところである。
 そのための言い訳を一つだけ記すとこうである。私は、語彙(言葉と文字)の生涯学習を掲げている。このため、忘却を恐れて咄嗟に浮かんだ言葉をやたら滅多らと文章の中に用いている。わが文章は、掲げる「語彙の生涯学習」の実践の場と任じているところがある。必然的に文章は、滑らかさを失くし熟(こな)れない硬いものとなる。ひいては、文章の基本を逸脱しがちになっている。つまりは、わが生来の凡愚(ぼんぐ)ゆえである。結局は、先天的なものであり、後天的に補えるものではない。
 秋の夜長は、五月雨式(さみだれしき)にキーを叩いても、夜明けまではまだまだ余りある時間を残している。それでもきょうはこれまでとは違って、表題には「秋の夜長の恩恵」と、記そうと決めている。ただ惜しむらくは、きわめて硬いわかりにくい文章の見本に成り下がっている。わが生来の「身から出た錆」である。

萩の花びら

 十月二十二日(木曜日)、パソコン上のデジタル時刻は3:28と刻まれている。秋の夜長にあっては、夜明け前と言うにはうしろめたいところがある。そのため、かなりの嘘っぱちだが、こんな表現を試みた。「秋の夜は、静寂(しじま)に深々と更けてゆく」。ときには、文学的表現をしてみたかったにすぎない。
 もう一つ、忘却を防ぐため英単語を書き添える。それは、PETAL(花びら)である。八十(歳)の手習いの実践のためである。道路からサルスベリ(百日紅)の花びらが消え、次には金木犀の花びらが消えた。すると、自然界にあっては瀟洒(しょうしゃ)な秋の花が咲く時期にあっても、わが家周りには草花を含めて、花びらを目にする日が途絶えていた。
 庭中の椿は蕾(つぼみ)を膨らす時期にあり、開花はいまだ先送りの状態にある。こんなおり道路を掃いていると、空き家を解いて残された空地の植栽の金柵の間から、萩の花の茎が湾曲してニュッと道路側へ垂れていた。今にも折れそうなか細い茎は、小さな花びらを重たそうに無数に着けていた。思いがけない出遭いにあって私は、箒の手を止めて佇んだ。萩の花びらに虚を衝(つ)かれて、驚くより狂喜した。心中無下に、(ここは、人が通るところだから邪魔だよ!)と呟いて、折れないように気を配り、鉄柵の間から空地の植栽へ返した。きょうは、たったこれだけのことを書いてみたくなったのである。
 わが文章には、いつも明るさがない。おのずから、自分自身にもそうだけれど、読む人には輪をかけて気分の滅入る文章ばかりである。すなわちこれは、生来のわが性質に起因する「身から出た錆」の証しである。もちろん私は、常々明るい文章を書きたいと願っている。しかしながら、生来のマイナス志向が祟(たた)り、いっこうに書けない。ほとほと、なさけなく、また、かたじけなく、思うところである。明るいネタ探しを試みたけれど探しきれない。そのためきょうは、「萩の花びら」におんぶにだっこされた蛇足文で、閉めとせざるを得ない。
 夜明けまでは、まだまだ長い夜である。夜明けの薄明りが訪れれば真っ先に道路へ向かい、お礼返しに萩の花びらの周辺を見回るつもりにある。いくらか、亡き父親の真似事である。父親は夜が明けると蓑笠(みのかさ)を着けたり、甚兵衛(じんべえ)を羽織ったりして、水田の見回りに出かけていた。萩の花びらは思いがけなく、父の面影をも偲ばせてくれたのである。萩の花びら、様様(さまさま)の一文である。

秋空の中の柿の実一つ

 狭小なわが家の庭中には、園芸業者やプロの庭師など、すなわちお金を掛けてととのえた植栽はない。似非(えせ)の庭模様を成すのは、多額のローン(後払い)にすがり、ようやく宅地を買い求めた嬉しさに、勢い余っててんでバラバラにあちこちに植えた安価な雑木(ざつぼく)ばかりである。ひと言で表現すれば、殺風景な風景を逃れるためのお茶濁しの緑にすぎない。わが目の保養にはもっぱら、人様すなわち家並の植栽と、取り囲む山と周辺の木立に頼っている。言うなればわが目の保養は、人様の植栽と自然界の風景が織り成すコラボ―レーション(協作)すがりである。
 とうてい樹木とは言えない庭中の細木であっても、このところ年々、わが身辺整理の対象物になっている。おのずから立ち姿はこじんまりとなり、みすぼらしくなるばかりである。すなわち、いずれは空き家になることから、隣近所に迷惑を掛けないためのわが意図する自己都合の庭木傷(いた)めである。
 もちろん私とて、無慈悲に手当たりしだいに枝葉縮めを敢行しているわけではない。心中では傍目(はため)構わず、泣きべそどころか、号々と泣いている。わが心中のことだから、人様には見えないだけのことである。
 もとより、樹木というほどではない低木の柿の木だが、年々、枝葉切り落としの被害者となっている。挙句、身形(みなり)ならぬ木形(きなり)は、今やみすぼらしい姿を晒している。そのせいでいよいよ今年(令和二年)は、わずかに六つの実を着けただけだった。それでも唯一、わが家における実りの秋の実現である。それゆえに半面、私は様変わった風景を眺めて、心寂しさをつのらせている。柿の生る風景をこよなく愛し、それにも増して実利の味覚を好む私には、みずからの手でみずからを打ちのめしたつらいわが仕打ちだった。
 実際のところこの風景を眺めていると、矛盾するけれど憐憫の情と罪業(ざいごう)に、甚(いた)くわが心を砕(くだ)いていた。その証しには二つだけを手に取って、味の試し食いをし、四つは眺める秋の風景として残した。ところが、残したものの三つは熟柿(じゅくし)となり、わが無情にも道路へ落とし、汚(きたな)らしく裂けた。山に棲むわが愛鳥のシジュウカラやメジロに恵むこともなく、相済まなくてわが胸は切り裂かれる思いである。
 そして現在は、サバイバル(生き残り)競争に勝ち得た、一つ実だけが枝に着いている。この風景を眺めているとわが胸は、またもやキリキリと痛むのである。身辺整理は、長い人生の果てに訪れる、短く限りあるものの、途轍もなく「命の痛み」をおぼえる、虚しい作業である。

滞っている決断

 きのう(十月十九日・月曜日)の「大船中央病院」(鎌倉市)への予約通院においては、採血による診断が行われたのみだった。数値の異常値は、常態化している二つの検査項目に表れていた。一つは「クレアチニン値」(腎機能)であり、1・30と記されていた。基準数値にたいし、「高」表示である。一つは「LDLコレステロール値」(悪玉)で、171と印されていた。これまた、基準値にたいし「高」である。ずっと高止まりにある二つ項目の数値ゆえに、私は淡々と数値に目を落とし、先生の言葉をあたりまえのように聞いていた。双方共に、薬剤の処方箋はなく済んだ。かつて、薬剤の副作用に悩まされて、そのおりから私は、薬剤投与を拒んだ。そのことが尾を引いているせいである。
 しかし、きのうで通院縁切りとはいかず、次の予約日が来年(令和三年)の三月二十九日に決められた。心中、通院縁切りを願っていたけれど、それは叶わず私は、少なからず落胆した。一方では、ちょうど半年先までの存命の保証にあずかった気分でもあった。こんな馬鹿げたことでも思はなければ、通院は虚しいことばかりである。まったく様にならない、きのうの通院報告である。いや、様になっては困る、採血と診断報告である。
 次に控えるのは、のた打ち回るほどに大いに様になる歯医者通いの決断である。決断と記したのは、少しばかりの痛みの和らぎに騙(だま)されて、今なお断を下しかねているからである。一旦、歯医者通いを決め込めば、予約の繰り返しを強いられて、たぶん半年近くの通院を覚悟しなければならない。もちろん、そのつど多額の医療費を払う羽目にもなる。それでも過去の経験では、歯の痛みに勝てず、後れて泣く泣く行くこととなる。
 確かに、歯痛だけは自然治癒の蚊帳の外にあるものと知りすぎていて、もちろん私には抵抗する術(すべ)はない。このことは十分に分かっている。しかし一方、できたら先延ばしにしたくなる物事の最高位にある。とりわけ今回、歯医者通いを決断すればこれまでの長いあいだの我慢が祟り、いたるところの治療に及びそうである。もしかしたら、根こそぎ歯を削り取られそうでもある。それを恐れてこれまで、みずからに我慢を強いてきた。そのため、通院を決断すれば、このしっぺ返しをこうむるのは明らかである。すると、我慢へ逃げ込みたくなり、また決断が鈍るのである。
 しかしもはや、決断は一両日にきている。確かに、高齢(八十歳)にして存命に恵まれていることは果報者である。一方では、生きることの苦難をひしひしと感じている。なかなか、秋の夜長を愉しめない、なさけないわが身である。
 ネタ不足のせいで、書くまでもないことを書いてしまった。夜明けはまだ先である。わが気分の和らぎは、なお遠く闇の中にある。

予約済み通院日

 まったくなさけない。書くに耐えない、読むに耐えない、私日記に成り下がっている。きょう(十月十九日・月曜日)は、痛みの続く歯医者を先送りにして、予約済みの「大船中央病院」(鎌倉市)への通院がある。掛かりは消化器内科である。どんな診察と診断になるかは、もちろん予測できない。これまでは何度か、胃カメラや大腸カメラなどの内視鏡検査を繰り返してきた。だから、その延長線上の診察が予測される。
 もう一つは、採血による異常数値の経過診断である。きょうは採血診断だけで済めば万々歳である。いずれも、自覚症状に脅かされての通院ではない。それでも病院行きには、いつも恐々とするところがある。心中には、新たな病巣を(探さなくてもいいのに)という、バカな思いをたずさえている。
 病院いや医者は、病巣探しとその治療が本来の任務(役割)である。そのためにはきわめて高い頭脳と技術の習得が必要である。もちろん、崇高な志がイの一番である。そのため医者は、もともとの頭脳の良さに加えて、高額のお金と多年の研修をかけて、志を叶えた人たちである。まさしく、世のため、人のため、明らかに尊敬や崇敬するに値する人たちである。もとより、診断結果を聞く、医者の一言一句は、胸に突き刺ささるものがある。なぜなら、その言葉の善し悪しで、この先の人生が様変わることとなる。おのずから、神妙きわまる瞬間である。
 現在の私は、歯痛や口内の荒れようには悩まされているけれど、内臓にかかわる自覚症状はない。そのため、そう恐れる通院ではないけれど、通院を避けたい気分は旺盛である。独りよがりに、いつもの採血と異常数値の経過診断ぐらいで済めばいいなあという、望みをたずさえての通院となる。
 ところがわが意に反し、新たな病巣探しとなれば飛んだ災難である。もとより、通院には幸不幸がつきものであり、その挙句、滅多なことでは無事放免にはならない。このことを心してのきょうの通院となる。私はいつものように神妙に診察室へ入ることとなる。患部の治療に行く歯医者の場合は、のた打ち回って治療椅子に体を横たえる。通院にかかわる心持の大きな違いである。実際には急に予約をとって先に歯医者へ行きたいところである。しかし、数か月前に予約済みを反故(ほご)にはできない。そうであればきょうの通院でも、無事放免を願うところである。
 身体の内臓、すなわちさまざまな部位における病の発症など、私は知るよしない。おのずから通院には、常に「俎板(まないた)の鯉」の心境にある。歯が痛く、口内が荒れて、憂鬱気分旺盛である。それなのに嗚呼(ああ)、歯医者は後回しである。そであれば、内臓に新たな病巣の無いことを願うばかりである。

気分直しの一文

 歯の一部が欠けて、そのせいかいたるところが腫れて、口内のガタガタに見舞われている。もちろん、口内の痛みに襲われて、きのう(十月十七日・土曜日)は、その対応に終始した。対応とは痛みを堪えた我慢であり、何らかの処置をしたわけではない。口内が荒れると先ずは痛みに耐えなければならない。次には、食べることの楽しさを捨てなければならない。そして、総体的には憂鬱気分まみれとなる。きのうから、きょう(十月十八日・日曜日)現在におけるわが精神状態である。休むつもりであったけれど、起き出してきてこんなことを書いている。
 きのうの掲示板には、大沢さまご投稿の「月下美人」(写真)の美しさにより、それを称賛する投稿が列なった。そのうえ、人無き声を表すカウント数は、このところの最多を示していた。私は感謝感激に浸っていた。
 きょうはこのことを書くために、パソコンを起ち上げた。この先は書けず、結文とするものである。気分直しの一文となれば幸いである。

加速度を強める加齢化現象

 十月十七日(土曜日)、現在のデジタル時刻は2:49の表示にある。十一時過ぎに床に就いて、三時間ほどの睡眠を貪(むさ)り、二時過ぎに目覚めて、そのまま起き出してきた。短い睡眠をこうむり、私は憂鬱気分に陥っている。身に着いている習性とは、飛んだ災難である。いや、憂鬱気分の元凶はそれではなく、加齢にともなう現象である。
 学童の頃、教室で何度も聞かされたことわざの一つには、「失敗は成功の母」というものがある。確かに、若い頃であれば失敗は、リベンジ(仕返し)精神旺盛となり、そののちの成功にありつけることは多々ある。ところが、人生終盤における加齢化現象は、もはやお手上げ状態にあり、そののち糧(かて)になるものはない。気を張って行為・行動をすればやることなすこと、「年寄りの冷や水」と、揶揄(やゆ)されることが落ちである。言うなれば年寄りの加齢化現象には、捲土重来(けんどちょうらい)を叶える明日(あす)はない。それなのに加齢化現象は、まるで「雨後の筍(たけのこ)」のごとくに現れ出る。挙句、人生終盤の体験は、悉(ことごと)く様にならないものばかりである。私は目覚めて寝床の中で、こんな思いにとりつかれていた。そして、この思いを文章に著(あらわ)したのである。「おまえ、バカじゃないの?」の丸出しである。
 このところのわが身体は、加齢化現象を蒙(こうむ)りあちこちが蝕(むしば)まれてゆく。きのうには傷(いた)んでいた歯の一部が耐えきれずとうとう欠け落ちて、隙間ならぬぽっかりと空間を晒している。もとより、歯の損傷特有の痛みをともなっている。おのずから、現在の憂鬱気分の元凶を成している。リベンジ(仕返し)気分を挫(くじ)かれた歯の痛みである。加齢化現象に遭って、私には体験で知ることばかりが増え続けている。もとよりそれには、「失敗は成功の母」とは言えない。すなわち、私は体験で知る仕返しのできない人生終盤の苦渋に喘(あえ)いでいる。
 きょうは、この先が書けない。現在、デジタル時刻は3:29である。まだまだ、悶々とする夜長になりそうである。確かに、加齢化現象は、身体のあちこちで加速度を強めている。それに抗(あらが)えない、人生終盤の悔しさ、虚しさ、ひしひしである。