ひぐらしの記

ひぐらしの記

前田静良 作

リニューアルしました。


2014.10.27カウンター設置

内田川(熊本県・筆者の故郷)富田文昭さん撮影

 

夜長、つれづれの迷い文

 これまで、身近なところで眺めてきたものの一つには、道路工事は始まったらなかなか終わらない。ようやく終わったなと思えば、こんどはガス管工事が始まり、これもようやく終わったなと思えば、こんどは水道管工事が始まる。挙句、同じ個所が施工業者を替えて、なんども掘り返される。そのたびに私は、(なんだかなー……)と、唖然とするほかない。
 私は根っからのへそ曲がりである。歯医者の治療台に寝そべるたびに、もちろん声なき声で私は、歯医者通いを道路工事にたとえている。明確に違うところは、道路の掘削工事みたいに、施工業者が入れ替わらないところである。確かに、痛むところがモグラ叩きさながらに、次々に替わるのであろう。それでもへそ曲がりの私は、歯医者の治療を心中では、道路の掘削工事みたいなものだなと、思っている。こんな馬鹿げた思いで、治療台に寝そべっていては、いずれ大きな罰が当たりそうである。なぜなら先生は、わが歯の痛みを抑えることに、優しくかつ真剣必死である。
 きょう(十一月十八日・水曜日)は、週一にめぐってくる歯医者への通院日である。予約日はほぼ水曜日に固定さている。予約時間は、先週に続いて午前九時半である。予約とは確かな約束である。そのため、これに背いたら人間の屑の範疇になる。こんな思いをたずさえて私は、かなりの余裕時間をもって待合室に入る。もちろん歯医者にとどまらず、病医院通いにおけるわが不文律のみずからへの決めごとである。
 幸いなるかな! 現在は、歯の痛みは感じない。自覚するところは、胃腑の不快感である。しかし、きょうはこの手当の通院はしない。ちょっぴり、(なんだかなあー……)と、腑に落ちない思いがしないでもない。この場合、適当ではないけれど、ふと自家撞着(じかどうちゃく)という言葉が浮かんだ。語彙(言葉と文字)の復習のために私は、すぐさま電子辞書を開いた。〈自家撞着〉:同じ人の言行が前と後とくいちがって、つじつまの合わないこと。
 わが掲げる語彙の生涯学習は現場主義である。ところがその主を成すのは、新たな語彙の習得というより多くは、忘れかけている語彙の復習にすぎない。加齢とともにおのずから、電子辞書を開く頻度は増すばかりである。
 私の就寝時の枕元には、常にわが三種の神器と思えるものを置いている。それらは、懐中電灯、携帯電話(ガラケー)、そして電子辞書である。それぞれには私から、役割が課されている。懐中電灯の場合は、地震、停電、さらには身体に痛みを覚えたおりに、ムカデ探しに用いるためである。もちろん、頭上の蛍光灯から垂れる紐も引く。携帯電話は、わが最も恐れている凶器である。受信音が鳴らなければと、願うところである。なぜなら枕元の携帯電話は、今や訃報を伝える役割に成り下がっている。唯一の取り柄は、目覚めて(今、何時かなあー)と、手にするだけの時計代わりである。前向きに、いや多くは後ろ向きに手にするのは電子辞書である。きわめて容易な日常語であっても、忘れかけている語彙は復習を兼ねて、すぐに電子辞書を開いている。このことでは、就寝から目覚めて手にするものの筆頭は、電子辞書である。
 かつては買い物用のリュックの中に、電子辞書を忍ばせていた。それは、往復のバスの中で紐解くためだった。しかし現在は、涙をのんでこんな馬鹿げたことはやめて、あやふやに浮かんだ語彙を心中で、牛の二度噛みみたいに反芻(はんすう)しているにすぎない。ガラケーからスマホへ変えれば、重たい電子辞書の携帯は免れそうな、誘惑にかられるときもある。しかし、生来のわが優柔不断の性癖が、いまなおその決断を拒んでいる。
 長い夜にあってきょうもまた、ネタ無しの迷い文である。歯医者通いの準備をするにはまだ早すぎる、いまだ真夜中のたたずまいである(三時過ぎ)。

映像「玉虫色の会談」

 自然界は野山に秋色(しゅうしょく)を深めて、一日だけの小春日和でなくこのところは連日、初冬とは思えない暖かい陽射しをそそいでいる。人間界は新型コロナウイルス禍の恐怖の最中にあって、何ものにも勝る自然界の粋な計らいである。寒がり屋の私にはこれだけで十分の恩恵だけれど、図々しくもなお欲張って、この先の暖かい陽射しを願っている。しかしながら、自然界の法則によってそれは叶えられず、もちろん空望(からのぞ)みとなる。それだけに余計、私にはこのところのポカポカ陽気を寝溜めのごとく、わが身体に溜め込んで置きたい思いがある。ところがこれまた、「言うは易し行うは難(かた)し」の空望みである。
 さて、きのう(十一月十六日・月曜日)における、日本社会にまつわる出来事の一つを顧みる。それは新型コロナウイルスのせいで、来年(令和三年・二〇二〇年)へ延期されている、「東京オリンピックおよびパラリンピック」にかかわる関係者の動向である。事の始めは、国際オリンピック委員会(IOC)・バッハ会長の来日である。バッハ会長に応じる日本社会の主なる関係者は、菅総理、小池東京都知事、森東京五輪・パラリンピック組織委員会会長と伝えられた。相次ぐ会談は、来年のオリンピックとパラリンピックの実現に向けて、強い決意のともなう「玉虫色の会談」で彩られたようである。もちろん、中止宣言を聞くより、歓迎すべき会談であった。
 ところが、相次ぐ会談で一件落着とはまだ言えないところがある。わが下種(げす)の勘繰りではそれには、このところ第三波とも言われている新型コロナウイルスの増勢ぶりがある。もちろんそれは、日本の国だけにとどまらず世界中の傾向でもある。すると案外、世界中の世論が開催反対の声を上げかねないところがある。それらの声を跳ねのけての開催は、おのずから危ぶまれるところもある。わが老婆心をちょっぴり添えれば、関係者の保身まみれの開催宣言にならないことをひそかに願うところである。私は根っからのへそ曲がりである。いやいや、あまりにもニコニコ笑顔の「玉虫色の会談」の様子のテレビ映像に、わが眉を顰(ひそ)めたからである。

能無しの私が浸る幸福(感)

 私にはだれかれではなく、出会えた人のすべてに、恩に着るところがある。もちろん、声なき人たちのご厚情をも、まるで対面の出会いのごとく身に染みて、ありがたく感じている。双方を丸めてひと言で言えば、「ひぐらしの記」がもたらしている御縁である。
 私は自分自身の能力をはるかに超えて、長いあいだたくたくさんの文章を書いてきた。そのためこの頃は、明らかに精神疲労を自覚している。わが能力を超えた頑張りすぎの付けが、堰が切れたごとくにどっと回ってきているようである。だからと言って私には、この付けに悔いごとを挟む余地はまったくない。なぜならこの頑張りには、さまざまにかつ無限大と言っていいほどの幸福(感)がもたらされている。幸福(感)の筆頭は、今さら言わずもがなのことだけどそれは、人様との出会いと、それから賜るこれまた無限大のご厚情と支えである。
 わが年齢は八十歳を超えている。おのずから人様との出会いも、人様の息づかいも遠のいて、わが日常生活は疎外感まみれになるところである。ところが私は、「ひぐらしの記」を通しての人様との出会いのおかげで、疎外感をまったく免れている。その証しにこの頃の私は、頓(とみ)に人様との出会いがもたらす幸福(感)に浸りきっている。確かに、この幸福(感)が無ければ、生来「三日坊主」の私が、こんなにも長く書き続けてこられたわけはない。まさしく、今は亡き母が垂れ続けていた二つの教訓、すなわち「するが辛抱」そして「苦は楽の種、楽は苦の種」の結実である。
 しかしながらこの果報は、もちろん自力本願ではなく、人様すがりの他力本願がもたらしたものである。精神疲労は私にとりつく無能力の付けであり、それを超えて余りある幸福(感)は、人様からもたらされている便益である。夜長にあってあらためて、人様との出会いがもたらしている幸福(感)の吐露と披露である。文尾ながら人様にたいして、感謝感激この上はない。

「七五三」日和にあって、様変わる風景

 この季節、わが家周辺には黄葉が目立ち、中にはカエデの紅葉がひと際、わが目を愉しませてくれている。台風さえこなければ土砂崩れの恐れは遠のいて、季節感満喫である。道路の掃除にあっては日を替えて、夥(おびただ)しい数の落ち葉が一面に敷きしめられている。私は、ときにはその光景に音を上げるけれど、これも期間限定と高をくぐり、いやむしろ季節の恵みと達観しているところもある。天変地異の鳴動さえなければ、晩秋から初冬にかけてのこの季節にあっては、自然界の恵みにおんぶにだっこの日常生活の楽しさを味わっている。ひと言で言えばこの季節のわが日常は、自然界のおりなす中にある。ところがこれは、文章に彩りを添えるフィクションのところがある。実際のところこの恵みをまたたくまに打ち消すのは、この季節に重なる寒気団の到来である。
 きょう(十一月十五日・日曜日)、現在のわが身には、まったく寒気を感じない。そのため、こんな呑気なことを書いておれるのであろう。寒気にブルブル震えていれば、もちろんこんな自然界賛歌など書けず、ただただ自然界の仕業が恨めしいかぎりである。現在の暖かさから推し測ればおそらく、きょう一日じゅう、なかんずく昼間は季節狂いのポカポカ陽気に恵まれそうである。そうなれば飛びっきりの「七五三」日和に恵まれることとなる。あたかもきょうは、家族総出の叶う日曜日でもある。ただ惜しむらくは、新型コロナウイルスの感染蔓延の最中にあっては、マスクの着用、三密の避け、大声や会話をひかえた祝膳風景など、様変わりを強いられることである。
 かつての私は、七五三の日にあっては一つの恒例行動を成していた。それは、鎌倉市街に位置する「鶴岡八幡宮」へ出向いて、和やかな「七五三」風景を愉しむことだった。ところがここ二、三年は、これまた加齢のせいで、沙汰止みになっている。もちろんきょうもまた、こんなもの好きの勝手な行動は完封である。新型コロナウイルス禍にあっては、日本社会の要請に従って、できるだけ外出行動を控えなければならない。もちろん、きょうの七五三参り自体、いつもとは異なり「自粛、自粛」の掛け声の下、粛々と行われるであろう。
 鶴岡八幡宮の大イチョウの樹は、台風で倒されて見る影もないけれど、ほかのイチョウの樹々の彩りは、満開の美的風景をきわめている。しかし、それを眺める人出は、新型コロナウイルスのせいで、例年に比べて少ないであろう。「ああー、もったいない、もったいない」。新型コロナウイルスは、ほとほと悪の根源である。

無題

 十一月十四日(土曜日)、長い夜はいっこうに更けない。いまだに真夜中の佇まいにある(3:04)。新型コロナウイルスのことしか、書くことがない。いや、それしか書けない。もちろん、眠気まなこを見開いて、いたずら書きさえする気力もない。いつもの習性で、ほぼいつもの時間に目覚めたから仕方なく、パソコンを起ち上げたにすぎない。どうしたことか、胃腑の不快感に見舞われている。こんなことを書いては私自身、愉快なはずはない。もちろん、掲示板上の投稿ボタンを押すにも、気が咎めている。「休みます」と書いて休むのか、それとも無断欠席を続けるのかと、どっちつかずに陥り現在のわが気分は、とことん揉めている。しかし、いちいち「休みます」と書けば鬱陶しく、私自身はこの先は、仕方なく無断欠席を余儀なくしそうである。
 胃カメラ検査の予約済は、来年の三月十九日である。新型コロナウイルスにおけるPCR検査は、今のところ予定はない。胃腑不快感は、新型コロナウイルスとは無縁のはずである。インフルエンザの予防注射は、すでに済ましている。きょう、病医院へ行くつもりはない。自己診断では原因不明である。強いて言えば医者の言葉を真似て、「加齢のせいですね」で、一件落着である。結局、長い夜をどう過ごそうかと、気分の滅入りに見舞われている。この先、無断欠席ならぬ無断休筆は免れず、おのずから「ひぐらしの記」の終筆の引き金になりそうである。やはり、「休みます」と、書けばよかったのかもしれない。文章の体を成さなくては題の付けようはなく、焼けのやんぱち「無題」とするほかない。ひと言添えれば、ほとほとなさけない。

わが身、冷える夜長

 十一月十三日(金曜日)、日付を変えただけで、きのうとまったく同様の文章である。こんな文章は書くことはもとより、人様に読んでもらう価値もなく、書けば恥晒しにすぎない。もちろん、だれのせいでもなく私自身のせいである。その証しには、このところ掲示板上のカウント数は減り気味である。そのため現在の私は、ありきたりの自業自得という、言葉を浮かべている。
 季節は週初より寒気団を呼び込んで、現在のわが身はブルブル震えている。寒気団とわがぐうたらのしっぺ返しにあって、わが気分は萎えている。おのずから、「ひぐらしの記」には打ち止めランプが点滅している。
 きょうはきのうに続いて、メディアの報ずる引用文でお茶濁しである。それでも、記事には確かな違いがある。それは、新型コロナウイルにおける第三波到来の明らかな宣言である。
 【1日当たりの感染者、過去最多更新 東京は3カ月ぶり350人超「第3波」鮮明】(毎日新聞)。「新型コロナウイルスの感染者は12日、全国で新たに1662人を確認し、これまで最多だった8月7日の1607人を超えた。東京で393人、大阪231人、神奈川で147人の感染が確認されるなど大都市圏での拡大が目立つ。また、北海道も236人に達し、地方の感染も依然として深刻だ。『第3波』の到来が鮮明となり、政府や自治体などは換気の徹底などの対策を改めて呼び掛けている」。
 引用文の繰り返しでは、ブルブル震えてまでも、書く価値はない。挙句、わがぐうたらが、読者各位様にはほとほとかたじけない。深々と冷える夜長は、わが身に堪えている。

寒波、コロナ第三波

 十一月十二日(木曜日)、気温が下がり寒くなってきた。もう書くこともない。書きたいこともない。きょうは明らかな意志を持って、手抜きの文章である。だから、本当のところは休むべきである。なさけなくもそれに代えて、メディアの報じる引用文でお茶を濁すこととする。
 感染者数は週の前半には低めに出て、週の後半は多めに出る。これまで、感染者数のほぼ決まりごとであった。ところが、その傾向に変化が表れ始めている。日本社会は、このさき飛んでもないことになりそうだ。心肝を寒からしめ、怯える数値である。
 【コロナ国内感染者1500人超 3カ月ぶり、最多迫る 東京317人、大阪256人、全国の死者は、北海道、東京都で各3人など計11人増えた。】(11/11・水曜日、15:07配信、時事通信)。国内では11日、新たに1547人の新型コロナウイルス感染が確認された。1500人を上回ったのは8月8日以来で、過去最多の1605人に迫る水準。東京都は8月20日以来の300人超えとなる317人、大阪府では最多だった8月7日を上回る256人が陽性となった。埼玉県(116人)、兵庫県(70人)、茨城県(20人)、新潟県(16人)、岩手県(8人)でも最多を更新。北海道は過去2番目の197人だった。都によると、年代別では30代が68人と最多で、20代61人、40代58人、50代43人と続いた。65歳以上は40人だった。重症者は38人で前日より5人増えた。小池百合子知事は記者団に「全世代で感染が増え、皆さん不安に思っていることは事実だ」と述べた。一方で、国内の感染第3波到来が指摘されていることについては「いろいろ分析されているんだろうと思う」と話すにとどめた。 大阪府は、豊中市にある大阪大とカラオケ喫茶店で発生したクラスター(感染者集団)を新たに認定。重症者数は63人に増加した。吉村洋文知事は「確実に陽性者は右肩上がりで増え、第3波に入っている。いま一度、一人一人の感染症予防策を徹底していただきたい」と危機感を示した。新潟県警南魚沼署では警察官ら15人の感染が判明。同署の感染者は計16人となり、県はクラスターの可能性があるとみている。県警は同署員約90人のうち約80人を自宅待機とし、本部から応援を送った。

予約済み通院日

 子どもの頃の「謎謎(なぞなぞ)合わせ」さながらに、増え続けるもの、減り続けるもの、それはなあーに? と問えば、答えは財布である。その心は、診察券は増え続けるばかりであり、一方でお金は減り続けるばかりである。片肺通行だけで言えば、予約済の通院日は増えるばかりである。これに合わせて増え続けているものには、診療費と薬剤のレシート(領収書)がある。これらを見るたびに私は、一個人にあってよくもこんなに、医療費が嵩(かさ)むものだと思う。その挙句には、日本の国の財政の厳しさが思いやられている。
 きょう(十一月十一日・水曜日)は、ほぼ週一にめぐって来る歯医者への通院日である。歯医者にかぎらず財布の中には、お札と同居してほかにも二枚の予約表が収められている。わが日程表を埋めるのは、今や予約済みの病医院への通院日だけである。もちろん、国施策の「GO TO トラベルキャンペーン」や「GO TO イートキャンペーン」、ほかさまざまなキャンペーンでの日取りは、まったくの用無しである。それらのキャンペーンは、健康な人、お金持ちの人限定であって、もとより私には無縁を強いられている。おのずから、なんだかなあ…? と、思えるキャンペーンである。
 きょうの予約時間は午前九時半である。そのため、これで文章を閉じて、それに備えることとする。気象予報士の予報に違わず、きのうから初冬本来の寒気が訪れている。加齢の身は、医療費そして寒気、ほかさまざまなものに脅(おびや)かされてつらいところがある。しかしながらこの難儀は、この先減ることはなく、いやいやいっそう増えるばかりである。おのずから、わが嘆息は増えるばかりである。加齢の身は、ほとほとなさけない。

悲報と朗報

 十一月十日(火曜日)、現在のデジタル時刻は2:54である。夜長の季節にあってはいまだに、真夜中と言っていいだろう。このところの関東地方には「小春日和」をはるかに凌いで、ポカポカ陽気が続いていた。ところが、きのうの気象予報士の予報によれば、きょうあたりから気温が下がるという。確かにその予報は当たり、現在の私はいくらか寒さをおぼえている。北海道や北の地方は、雪便り満載にある。特に北海道は、このところ新型コロナウイルスの感染者数が急拡大傾向にある。その原因としては北海道特有の気温の低下と寒さと言われている。そうであればこの先は、もっと恐れてつらいこととなる。日々伝えられる新型コロナウイルスの感染者数の数値は、日本全国的にも明らかに増加傾向にある。まったく気の抜けない、困った状況にある。
 パソコンを起ち上げると、メディアの伝えるニュース項目の中では格別、以下に引用する二つの記事に目を留めた。前段の記事は、新型コロナウイルの増加傾向にかかわる専門家の緊急提言である。一方、後段の記事は、新型コロナウイルにかかわる世界中の関心事にたいする朗報である。きょうは自作文に替えて、二つの引用記事を並立するものである。もちろん手抜きではなく、関心事ゆえである。
 【「急速な感染拡大に至る可能性」政府分科会が緊急提言】(112/9、21・月曜日、21:04配信 朝日新聞デジタル)。北海道などで新型コロナウイルスの感染者が急増していることを受け、政府の分科会が9日、週後半の予定を前倒しして持ち回り形式で開かれ、政府に対策の強化を求める緊急提言をまとめた。会見した尾身茂会長は全国的に感染が拡大しているとした上で「北海道や大阪、奈良、愛知、岐阜などで増加傾向が明らかになった。このままいくと急激な感染拡大に至る可能性が十分ある」とした。提言では、(1)今より踏み込んだクラスター(感染者集団)対応(2)感染リスクについて、若年層や飲み会参加者にも伝わる情報発信(3)店舗や職場などでの感染防止策の確実な実践(4)国際的な人の往来の再開に伴う取り組みの強化(5)クラスターの由来を明確にするだけでなく、感染対策を検証するためにも有効なウイルスの遺伝子解析の推進が必要だとした。 こうした「5つのアクション」に加えて、年末年始の休暇の分散▽小規模分散型旅行の推進▽保健所機能や医療提供体制の強化も、これまで以上に進めていくことが必須だという。
 【【速報】米ファイザーなど開発のワクチン候補、最終段階の治験で90%効果確認と発表】(11/9・月曜日、22:10配信 TBS系・JNN)。アメリカの製薬大手「ファイザー」とドイツのバイオ医薬ベンチャー「ビオンテック」は、開発中の新型コロナウイルスのワクチン候補について、最終段階の第3段階の治験で90%以上の参加者に効果が確認されたと発表しました。今月15日以降にアメリカで緊急使用の承認手続きを申請するとしています。年内に世界で5000万回分の提供が可能だということですが、日本もこのワクチンの供給を受けることで基本合意しています。

偉業にまつわるエピソード

 きのう(令和二年・二〇二〇年)、感銘を受けた国内外の出来事を一つずつ記録に留め置くものである。一つはテレビで視聴したアメリカ大統領選挙における、バイデン新大統領の勝利者宣言の演説の素晴らしさである。すなわち、バイデン新大統領の演説は、混迷を深めていた選挙を一挙に打ち晴らすものだった。広大なアメリカ合衆国は、一人の有能な個人で救われたとも言える、気高く劇的な演説だった。
 日本国内の出来事では、プロ野球・読売ジャイアンツ球団に所属する坂本勇人選手の快挙・偉業だった。坂本選手はきのうの東京ヤクルトスワローズ戦(東京ドーム)において、2000本安打を達成した。2000本安打達成自体は史上53人目である。これに加えて特筆すべきは、31歳10か月という、史上2番目の若さでの達成である。このことからかんがみると安打の記録は、この先まだまだ途轍もなく伸びるであろう。残念ながらわが余生では、それを見届けることはできない。私はジャイアンツを宿敵とするトラキチ、すなわち狂人まがいの阪神タイガースファンである。それでも、坂本選手の偉業は称えずにはおれない。そのためきょう(十一月九日・月曜日)は、坂本選手とマー君(ニューヨークヤンキース球団所属・田中将大選手)にまつわる小学生時代の微笑ましいエピソードの記事をそっくりそのまま引用するものである。二人の少年の志は、国内外で大きく実ったのである。バイデン大統領の品格に加えてこれまた、人間の素晴らしさの証しである。
 【怒られ半べそ……マー君父に諭された坂本少年が今や】(2020年11月8日20時22分 日刊スポーツ)。坂本がエースで、マー君が捕手。右打者史上最年少で2000安打を達成した巨人坂本勇人内野手と、ヤンキース田中将大投手は小学生時代に同じチームでプレーしていた。球界内外で広く知られるエピソードだが、2人が円熟期に入った近年、その数奇な運命はさらに際立つ。2人が所属した昆陽里タイガースの当時の監督、山崎三孝さん(75=現理事長)は、坂本について「勝った、負けたで泣いたことはないけど、野球を雑にやっていて『やめてまえ。帰れ。2度と来るな』と怒ったことが2回、あります」と思い返した。「1回目は5年生の時。ショートをやっていて、5月か6月かの練習で、できるのに手を抜いていた。2、3歩、動いたら捕れるのに、手だけ伸ばしていた。それで怒りました。半分、泣いてました。その後、マー君の父親、田中コーチが10分ほど口説いて、私のところに謝りに来ました。『ちゃんとします。許して下さい』と。先輩の投手のところにも謝りにいってました」「2回目は6年生の時。夏休みの伊丹での大会、初戦の先発メンバーを外しました。べそかいたけど、みんなの前では格好つけたいタイプ。陰で涙を浮かべていた。こっちに来ても帽子を深くかぶって、なかなか取らなかった。格好をつけるのは、今でもそうでしょう。ただ、今は周りの目標が坂本選手になった。もう手を抜けない。自分が手を抜いたら、周りに注意できなくなる。キャプテンをさせて、今の立場になったのは一番いい。一選手のままだったら、あそこまで伸びてないのでは。立場が伸ばした」と感じている。6年生でエースになった坂本は、中学、高校を経て日本を代表する遊撃手になり、捕手だった田中は大リーグで活躍する投手に成長。第2の坂本、マー君の育成へ、75歳になった山崎さんは「枯れ木のにぎわいです」と笑いながら、今でも週3回はグラウンドに通っている。教え子たちの活躍は何よりも楽しみ。「ハードルが高ければ高いほど、向かっていく。毎日、テレビで応援してますよ。妻から『お風呂に入って』と言われても『この打席が終わってから』って言ってます」