ひぐらしの記

ひぐらしの記

前田静良 作

リニューアルしました。


2014.10.27カウンター設置

内田川(熊本県・筆者の故郷)富田文昭さん撮影

 

困惑中のパソコンのメール機能(受信)

 壊れたから買い替えて、現在使用中のパソコンのメール機能は、まことに不便、かつ身勝手な状態にある。実際のところは、わが身には一切の罪のない、いや恨みつらみだけがつのる、悪徳を強いられている。そうではあってもやはり、厚誼や友諠を賜り続けている人様には心して、平に謝りお詫びをしなければならない。
 買い替えたパソコンは、壊れたパソコンに保存中のメールアドレスを引き継ぐことができず、現在は消失の憂き目に遭っている。ところが、不幸、不運のさ中にあって、わがメールアドレスだけは従来どおりに設定したため、受信だけは元のメールアドレスで可能である。これに反して、人様のメールアドレスを失くしたせいで、私からの送信メールはまったく不可能状態に陥り、困惑のままにお手上げ状態になっている。そのため現在の私は、わが不徳、いや無礼という悪徳に困り果てている。
 受信メールだけが可能とは、おのずから身勝手この上もない。(どうするものか?)と、思案投げ首をかこっていたところ、最初に受信メールにありついたのは、大沢さまからの送信メールだった。ほっと、胸を撫でおろした。ところが、お二人目の人にきのう、出合えたのである。すなわち、諦めきっていたさ中にあって、私は思いがけない受信メールに出合えたのである。わが心は、たちまち躍った。送信メールをさずけてくださったのは、会社同期入社のお仲間であり、さらには創刊以来直近にいたるまで一冊さえも欠かさず、「ひぐらしの記」のご購入にあずかっている渡部さん(埼玉県所沢市ご在住)である。かたじけない思いがほとばしると同時に、ありがたさがつのるためにあえて無断で、ここに記させていただいたのである。とことん、泣けるじゃありませんか! 
「このメールは、届くかどうかわからないけれど…」と、多分のお気遣いをされての送信メールだったのである。私はありがたさのあまり、すぐさまこの文章とほぼ同様のいきさつを書いて、返信ボタンを押した。次には心勇んで、渡部さんのメールアドレスを、大沢さまの下に保存したのである。
 三人目はねだって、ふうちゃん(ふうたろうさん)にお願いするところである。彼と私は、生誕地における竹馬の友である。もとより、おねだりしても無礼になるはずはない。いや、おねだりしなければ、ぱったりと友諠の途絶えを恐れるからでもある。おねだりメールが届けば、ふうちゃんのメールアドレスは三人目となり、渡部さんの下にすばやく保存されることとなる。
 老い先短い私には、お三方のメールアドレスの保存だけで十分である。いや、これらの人たち以外は、じっと待つより催促のしようがない。二月二十七日(日曜日)、二月は明日一日どまりとなり、早や体感温度の温かい、気温の暖かい夜明けを迎えている。

感謝!

 第41号「流星群だより」、謹んでありがたく拝受いたしました。同士、同人の交流誌にふさわしく、たくさんの人の名が並んでいました。初めて見る人の名もあり、正直、驚きました。同時にうれしさが込み上げてまいりました。もちろんすべて、大沢さまにたいする謝意の言葉ばかりです。流星群だよりには、大沢さまのお人柄、ご厚意、優しさ、加えて長年のご苦労が凝縮しています。だから、並んでいる謝辞を読み進んでいると、大沢さまのご苦労がいくらか報われたかなと感じて、ふたたびうれしさが込み上げてまいりました。なぜなら、流星群だよりの創刊の意志を知るのは、たぶん私だけになりました。だから、多くのなかからひとつだけ、大沢さまのご厚意を記します。流星群だよりは掲載料金無料の、大沢さまの無償のご厚意にあずかるものです。このことにたいし、同士、同人としてあらためて感謝し、告知せずにはおれなかったのです。大沢さま、「流星群だより第41号」の刊行、ご苦労さまでした。そして、ありがとうございました。感謝にたえません。

春が来て、いや春が来ても

 二月二十五日(金曜日)、寝起きの夜明け前にあって、体感温度も、気温も、かなり緩んでいる。春が来て、このところの私は、自然界の恩恵を満喫ちゅうである。庭中の梅の木は、すでに蕾を綻ばせて、花開いている。きのうの昼間、周回道路をそぞろ歩かれている、高齢のご夫婦連れに出会った。ご夫婦はふと立ち止まり、側壁の上の法面に、しばし目を凝らされた。旦那さんが手を伸ばして、フキノトウを一つ摘んだ。「採らないでください」。私は息を詰めて、こんな野暮な言葉を呑んだ。本当のところは、制止の言葉をかけたい思いだった。しかし、堪えて我慢した。なぜならご夫婦は、春の訪れと暖かさに誘われて、心和んでのんびりとした散歩の途中なのだろう。近づいて、「フキノトウ、ありましたね」と、言うのもまた野暮なことである。なぜならご夫婦にたいして、盗人の恐怖心を与えかねないからである。私は意識して素知らぬ風情をよそおい、なおいくらかご夫婦から離れた。そして、ご夫婦を振り向くことなく、最寄りの「鎌倉湖畔商店街」へ急いだ。わが速足は、妻が電話で依頼していた総菜類をもらいに行ったのである。
 寝起きにあって、もちろんでたらめではないけれど、書かずもがなの文章を書いた。日本の国は平和である。とりわけ、わが周辺は、飛びっきり平和である。自然界はのどかである。きのう、懸案の「ウクライナ問題」は、宣戦布告なしに戦端が開いた。人間界は、暖かい春が来ても、冷酷至極、きわめて愚かである。

ほとほと、無念

 パソコンが壊れたときは、これをみぎりにパソコン生活の打ち止めを決意していた。おのずから、長年の「ひぐらしの記」の執筆もまた擱筆となる。もちろんこのことにも、ゆるぎない決意と覚悟を固めていた。両者に疲れ切っていたせいもあってか、さらには打ち止めの潮時かなという思いが重なり、悔しさというより半面、安らぎさえおぼえていた。
 確かに、壊れたのちのいっときは、書かずに済んでいたことで、気分は安らぎを得ていた。一方では、(なんで壊れたのか)と、心中には腹立たしさが充満していた。実際のところはもっとひどく、心中は腹立たしさで煮え返っていた。悶々とする日常生活の中にあって、突然妻の入院生活に見舞われた。自分自身の歯痛も勃発した。さらには今際の時まで続く、緑内障治療薬の点眼を強いられ、難聴向けの集音機の調子も良くない状態にあった。私は、袋小路に陥った気分まみれになっていた。妻とのなさけない会話が始まった。
「パソコン、壊れたよ。金がかかるから、もう買いたくないよ。もう買わないよ。文章は書けないよ」
「パパ、パソコン買いなさいよ。パソコンくらい買いなさいよ。文章書けないのでしょ、どうするの? パソコンがなければ困るのでしょ」
「そら、困るよ。でも、もうパソコンなくてもいいよ。文章書くの、疲れているから……。買い替えれば、パソコン、値段、高いしなあ……」
「ほんとにいいの? パソコンくらい買いなさいよ。安いんでしょ……」「安くはないよ。十万円以上はするね」
「そんなにするの? でも、買いなさいよ! あんなに、パソコン使ってたじゃないのよ。止めればパパ、認知症になるわよ。わたし、困るわよ!」
「また壊れるよ」
「なんで、そんなに壊れるのよ」
 妻の自己都合の後押しがあっても、私には買うつもりはなかった。
 ところが、買ってしまった。もちろん、「買い替え」のつもりだった。買い替えのつもりだから、壊れたパソコンに入れ込んでいた情報、具体的には住所録、メールアドレス、写真類などを含むすべては、後継されるものと高をくくっていた。しかし、わが意に反し、万事休す。出張依頼の技術者は、「壊れたパソコンに内蔵の情報は、引き継げません」と、まさに「死の宣告」をした。これまでの何度かの買い替えの折には、情報はすべて後継機に引き継がれてきた。それが断たれたのである。これ以来わがパソコン生活は、まったく気乗りのしないものになっている。
 もっとも困っていることは、住所録の消失であり、それと同等なものではメールアドレスの消失がある。そんなこんなで現在使用中のパソコンは、もはやパソコンいや文明の利器とは言えない代物となっている。哀れかな! 寂れた文房具屋の中の埃まみれの帳面(ノート)、鉛筆、消しゴムの代用にすぎない。銭失い、ほとほと無念である。悔しさがほとばしり続けて、認知症だけは免れそうである。しかし、「幸い」とは言えない。

天皇誕生日

 このところはネタ切れのせいでわが柄でもない、こむづかしいことを書いている。もちろん自分自身にも、感興などちっともおぼえない。まして読者各位様には、面白味の欠片にさえかすりもしない。おのずからこんな文章は、厳しく慎まねなければならない。私は、自戒ひとしおに苛まれている。
 だとしたらどんな文章を書けば自分自身、納得できるのかと、自問を試みる。これにたいする自答は、どんなにしゃちほこだちにしても、納得できる文章が書けるはずはない。結局は、自分自身の無能力の認知にたどり着く羽目となる。ところがきょう(二月二十三日・水曜日)もまた懲りずに、まったく面白味のない文章を書いている。すると、寝起きの身の寒さを堪えてまで、書く価値は毛頭ないと、自覚しているなさけなさである。
 日本社会にあってきょうは、今上・令和天皇陛下の誕生日(六十二歳)である。カレンダー上には「天皇誕生日」(祝祭日)と、記されている。ところが世界事情は、「ウクライナ問題」に端を発して、当事国とロシアさらにはアメリカを先途とする西側諸国をからめて戦火、一触即発状態にある。もちろん日本の国とて、対岸の火事として手をこまぬいてはおれない、火の粉が降りかかる状態にある。それゆえ現下の日本の国は、火の粉を払うことに懸命かつ腐心する状態にある。
 加えて、新型コロナウイルスの感染状況は、いくらか勢いを落としつつあるとはいえ、それでもなお高止まりに状態にある。祝福すべき天皇誕生日における、憂える二大世界事情である。天皇陛下の柔和なまなざしも、おのずから曇りがちになられよう。自然界現象のコロナはともかく、万物の霊長と崇められる人間界にあって、ところが当の人間によって、人の世がごちゃごちゃに汚されている。汚名返上というより、万物の霊長の地位はとっくに錆びて、御名返上すべきところにある。
 きょうもまたネタ不足のため、わが柄でもないことを書いた。もちろん、感興などちっとも沸かない、いや始末におけない駄文である。心底より、恥じ入るところである。憂鬱気分休めは、夜明けの空の、のどかな朝ぼらけに託している。

余儀ない外出予定

 新型コロナウイルスの感染者数において神奈川県は、東京都、大阪府に続いて常に第三番目の高位にある。二度ほどは東京都を凌いで、第一位を占めていた。もちろん、誇れるランキングではなく、日々戦々恐々を強いられている。だから、政府や行政の呼びかけ、すなわち「ステイホーム」に呼応し、できるだけ外出行動は控えめにしている。それでも、食料の買い出しだけは避けられない。それゆえに買い物行動の間隔をあけて、私はできるだけ外出回数の削減に努めている。いつどこで感染するかわからないための、自主、自衛の心構えの実践である。とりわけ私は、感染しやすい年齢層として世間に迷惑をかける、八十一歳の高齢者である。そのため、意識して軽はずみな行動は、みずから厳しく慎まなければならないと、肝に銘じているところである。
 妻もまた、三歳下の高齢者である。妻の場合は特に、入院生活を終えて現在は、これこそ本物の自宅療養者、実際のところは自宅でのリハビリ患者である。おのずからコロナ蔓延中の俗塵にまみれることは、心して避けなければならない身体事情にある。ところが、入院や自宅療養中でもあって、妻は髪カットに行けずじまいになっていた。そのためきょう(二月二十一日・月曜日)、妻の外出控えの禁を破り、二人には髪カット行動を実践する予定がある。すでに、妻の馴染みの美容院にあって、担当者指名で予約済みである。行き先は、わが家の買い物の街・大船(鎌倉市)である。普段は往復江ノ電バス(本社・藤沢市)の利用だけれど、タクシー利用を決め込んでいる。私の場合は、引率と言えば聞こえがいいけれど、余儀ない介助者である。先日、髪染めの手伝いは実行済みである。少しずつ、介助の楽しみがわかりつつある、わが今現在の心境である。
 幸いなるかな! 朝日は、時間を追って暖かくなりそうな春の陽ざしの気配にある。老夫婦の外出行動には、ありがたい天恵である。

二月二十日、雨の日曜日

 二月二十日(日曜日)。もとより、二月は短い月である。早や、一週間余りを残すのみである。とりわけ今年(令和四年・2022年)の二月には、「立春」(二月四日)から冬季「北京(中国)オリンピック」が開催されていた。きょうは、その閉幕日にあたる。この間の私は、釘付けではなかったけれど、多くの日時をテレビ観戦に費やした。このこともあってか私は、二月のこれまでの日々をことのほか短く感じていた。
 感覚的には二月が早く過ぎれば、そのぶん春三月の訪れは早くなる。これ勿怪の幸いなのか、いや余生短い私の場合、季節の速めぐり(感)は、必ずしも喜ぶべきものではない。できれば、もっとゆっくり、もっとのんびりと、めぐってほしいと願うところである。一方、矛盾するけれど、寒気の強い二月は、足早に過ぎてほしいと願うところもある。私にかぎらず人間の欲得には、際限がない証しと言えよう。
 この点、自然界の営みは、文字どおり自然体のままに恬淡として、ほほえましさ満杯である。ごくかぎられた視界、いや狭小な庭中にあって、梅の花は綻び、フキノトウは萌えている。寒椿にはシジュウカラを先導役にして、わが愛鳥のメジロが飛んで来る。山から番でやって来るコジュケイを目にすると、あわてて窓ガラス開き、「待て、待て……」とつぶやいては、わが家の食料のコメをばら撒いている。この定番の動作は、今やわが老夫婦のささやかな生きる喜びの一つをなしている。
 二月の終盤戦を迎えて幸いなるかな、寝起きの身体には寒さが緩んでいる。そのため、ブルブル震えることなく、のんびりとキーをたたいた。しかし、世情は荒れている。新型コロナウイルスへの感染恐怖は、なお先々へ延びるばかりで、いっこうに打ち止めの兆しはない。さらには北京オリンピックの閉幕を待って、中国と友好国のロシアの戦端あるやなしやの恐怖は募るばかりである。虚々実々の駆け引き合戦は、自然界の悠然風景と比べれば、まさに人間界の馬鹿さ加減の極みである。
 確かに、新型コロナウイルスは手に負えない。しかし、戦端を開くか止めるかは、手に負えるはずである。こんな愚かなことを書いて、文章を結ぶのはほとほとなさけない。あいにく雨の夜明けだが、自然界には恨みつらみは一切ない。恨みつらみをおぼえるのは、人間の無限の浅はかさ一辺倒である。

コロナの出口

 新型コロナウイルスに関して、岸田総理と政府分科会の尾身会長より、軌を一にして出口戦略が語られ始めている。コロナの終息とそののちの日本経済の舵取りは、共に願う喫緊の関心事ゆえに、半面切羽詰まった表れでもあろう。巷間に実在する市井人の私とて、もちろんそうなることを一日千秋の思いで待ち望んでいる。なぜならコロナへの感染恐怖は、発生以降こんにちにいたるまで、わが身に沁みて戦々恐々を強いられている。ましてわが身は、コロナニュースのたびに感染に強く慄く年齢層、すなわち高齢者の最上位区分にある。
 わが外出行動は日を置いてのほぼ買い物行動だけゆえに、人様なかんずく群衆との接触機会はおのずから限られている。それでもやはり、街中に出向くと人様の息遣いの渦の中に否応なく身を沈めている。このため、感染の余地は多分にある。逆に、私が無症状の感染者であれば、知らずしらず人様へうつすこととなる。どちらも、甲乙つけがたい恐怖である。だから、為政者の出口戦略への関心を超えて、わが身にしたらコロナの収束から終息(打ち止め)を願っている。
 確かに、コロナが収束しないかぎり、わがいやだれしもの日常生活は、霧の中どころかまったくの闇の中である。もちろん出口戦略は、日々待ち望んでいることゆえに大歓迎である。一方ではわが生存中にあって、コロナの終息はありうるのであろうかと、これまた日々危惧しているところである。
 コロナの出口にたどり着かなければ、この先社会的にはなお多くの人命を亡くし、いっそう経済基盤は揺らいでゆく。きわめて、厄介な社会事情である。一方、私の場合は、マスクなしの日常生活に戻りたい一念である。なんだか身勝手な願いのようであり、わがお里の知れるところである。
 「春よ来い、早く来い!」。これに呼応し、春は来た。「コロナ去れ、早く去れ!」。なんだか、空念仏の響きカラカラである。

また、無題

 いつの時代であっても人間は、確かに世の中に住みにくく、生きづらいものである。そうは思っても現下の社会は、生きづらい世の上位にあるのかもしれない。もちろん、日本の国のみならず総じて共通の世界事情である。伝えられてくるニュースを見聞するかぎりこれらの基因は現在、おおむね二つの世界事情にある。一つはなかなか出口や収束の見えない、新型コロナウイルスの感染蔓延事情である。そして一つはこれににわかに割って入った、ロシアのウクライナ侵攻に絡む一触即発の世界事情である。たまには柄でもないことを浮かべて、書いてみたにすぎない。
 本当のところ身近な危機は、わが家の日常生活にある。しかしながら危機は、わが家のみならず世の中のだれしもにある。コロナにかかわることでは、日々の感染者数、とりわけ死亡者数の多さには、ニュースのたびに度肝を抜かされている。これにちなんで私には、腑に落ちない言葉がある。自宅療養という言葉が、すっかり意味合いを異にしている。すなわち、医療機関の診療に掛かれない人は、自宅療養という言葉の範疇にある。本来、自宅療養とは、一度は医療機関に掛かり、自宅で経過を見る言葉だったはずである。ところがコロナにかぎれば現在、医療機関で診きれない人はもとより自宅に留められて、自宅療養者としてカウントされている。結局、療養という言葉自体が異質、曖昧に用いられている。
 わが下種の勘繰りにすぎないけれど、医療の逼迫、崩壊、すなわち医療危機を隠す言葉へとなり替わっている。「なんだかなあー」、と思う目覚めの悪さである。夜明けの朝日は、のどかな春の陽ざしである。私は、朝ぼらけに気分を慰められている。

人間に負荷されるもの、それは努力!

 冬季・北京(中国)オリンピックは、会期の終盤戦にさしかかっている。「Japan」に限らず、各国アスリート(競技者)の活躍に日々ありつけているのは、わが「生きる幸福」の一つである。
 不幸にも、金・銀・銅のメダル、あるいは入賞には至らずとも、オリンピック選手になること自体、本人はもとより、身内、縁戚、友人、知人、なおそして国を挙げて名誉なことである。しかしながらオリンピック選手になることは、もちろん本人自身の能力と、さらには長年それを鍛え磨き上げた努力に負うものである。いくら周囲で支援をしたところで、本人の努力なしには到底、オリンピック選手にはなり得ない。オリンピックに限らず、大小さまざまな競技会(大会)において、勝利者にはならずとも参加にありつけること自体、本人の努力のたまものである。
 一年中で最も寒い時期、すなわち一月と二月にあっては、さまざまなレベルの入試シーズンである。こちらもまた目下、終盤戦の戦いの真っただ中にある。すでに多くの受験者には、合否の厳命を下されている。あいにく、不合格通知に無念の涙を流した人も、受験までの努力は、もとより合格者に負けるものではない。確かな努力、必ずしも結果や成果とはなり得ない。人間の営み、とりわけ競争社会、サバイバルゲーム(生き残り、生存競争)における、不条理きわまる宿命である。
 戦う相手が存在する競争場裏ではなくとも人間は、ただ生まれたばかりで、さまざまな努力なしには生きられない。身体を損なわず生命を健康体で保持すること、生活の糧を稼ぎ続けることなど、いやほかにもさまざまに人間は、いっときも努力なしには生きられない。そして、人みな努力の証しは、おおむね日常生活に凝縮される。
 大法螺吹きまがいのことを書き連ねてきた。恥じ入るばかりである。きょう(二月十五日・火曜日)は、わが夫婦の小さな努力の成果の有無を問われる(知る日)である。妻は一月十九日に退院した。それ以降、妻は、わが家でリハビリ生活に明け暮れた。私は、かたわらで介助役を務めた。「大船中央病院(鎌倉市)」の予約時間は、午前九時半である。予約表にはレントゲン写真、そしてこののち診察とある。受験ではないけれど、このときリハビリの成果(合否)が下されるこことなる。小さな努力ではあっても、確かに人間は、努力なしには生きられない。欲得をからめてできれば入賞程度、すなわち手術をされた先生から、「だいぶ、良くなっていますね。頑張りましたね!」くらいの言葉は、おねだりしたいところである。しかし、努力、必ずしも報われない。確かに、知りすぎている、世の中の常(常識、常態)である。