ひぐらしの記

ひぐらしの記

前田静良 作

リニューアルしました。


2014.10.27カウンター設置

内田川(熊本県・筆者の故郷)富田文昭さん撮影

 

台風、来るのかなあ……?

 きのうの「敬老の日」(九月十九日・月曜日、祝日)を含む、三連休明けの「九月二十日・火曜日」の夜明けを迎えている。三連休にあって私は、文章書きを休んだ。もちろん、愉快な物見遊山に出かけたためではない。夏風邪が尾を引いて、憂鬱気分に苛まれていたせいである。すなわち、体調を崩して憂鬱気分全開ゆえの、三連休を余儀なくしたのである。
 人間、いや私の場合は、身体不良になれば、たちまち精神もまた不良になる。きょうは世の中の人に倣い、三連休を終えての再始動を願っていた。ところが、いまだに体調および精神共にすぐれず、三連休明けとはいかない。それゆえなさけなくも、気分は四連休の憂き目に見舞われている。風邪症状は、きわめてしつこいところがある。私も、このしつこさが欲しいところである。しかし、私にはそれはなく、風邪症状にかぎらずすべての物事にたいしぼろ負けである。言うなればわが性癖(悪癖)には、闘争心や克己心に欠けるものがある。残念無念というより、私は生まれつきの愚か者である。
 鼻をグズグズさして起き出してきた。四囲の窓は、台風14号の襲来予報に恐れをなして、すべての雨戸を閉めている。そのため現在、外の様子はわからずじまいである。台風、大雨、共に大過なく去ることを願っている。ここで、文章とは言えない文章を結び、茶の間へ下りて、台風情報に耳を傾ける。こんな文章には、表題のつけようはない。今なお、鼻グズグズ、頭ズキズキ、再始動は遠のくばかりである。台風、来るのかなあ……?。

夏風邪、秋風邪、「私はドジを踏んでいる」

 九月十六日(金曜日)、季節は夏の名残の残暑をかなぐり捨てて、大車輪で秋へめぐり、日々秋の色合いを深めている。パソコンを起ち上げると、メディアニュースの並ぶ項目の筆頭には、「台風14号、日本列島は大荒れの予想」と、出ていた。台風11号は、沖縄諸島に被害をもたらした。続いて発生した台風12号と13号は、幸いにも予報は外れて、途中で消えた。欲張りの私は、台風14号もそうあって欲しいと願っている。
 時あたかも日本列島は、「実りの秋」をはじめとしてさまざまな「冠の秋」たけなわ(酣、闌)にある。せっかくの好季節にあって、相次ぐ台風のお出ましは真っ平御免である。ところが、こんな好季節にあって私は、ドジを踏んでいる。実際には私は、夏風邪が治りきらない上に、秋風邪を重ねている。それゆえに、気分の重たい秋を被っている。そのせいで、せっかくの「馬肥ゆる秋」、「食欲の秋」共に、台無しである。つくづく、阿呆な私である。なぜなら、行きつけの「大船市場」(鎌倉市)には、好物の栗をはじめ「実りの秋」満載である。これらにありつくには、まずは憂鬱気分を食い気に代えなければならない。すなわち風邪治しは、目下のわが大きな課題である。
 私にとって風邪は、侮れない難敵である。その証しに風邪は、食い気と共に、文章を書く気分を殺いでいる。実際にも風邪は、この先の文章を阻んでいる。私にとって風邪は、ほとほと始末に負えない厄介者である。「自業自得だね、ドジを踏んでいる、おまえが間抜けだ!」。手元の電子辞書を開いた。
 ドジ:まぬけ、へま、失敗、ぶま。ドジを踏む:へまをする。間の抜けた失敗をする。
 もちろん、電子辞書にすがるまでもなくこれらの言葉は、不断わが身に取りついている日常語である。私は気分直しにしばし、夜明けの秋空を眺めている。薬に頼らずとも風邪と憂鬱気分を治してくれそうな、胸の透く清々しい日本晴れである。このことでは案外、14号台風予報にあっては、気象庁はドジを踏みそうである。

朝駆けの散歩の人から学んだ人世訓

 九月十五日(木曜日)、薄く白みかけている夜明け前は、今にも雨が落ちそうな曇り空である。カーテンを撥ね退けて眼下の道路に目を遣ると、ひとりの朝駆けの中年女性が足早に歩いていた。こんなにも早く、散歩される人がいるのかと、私はいくらか唖然とした。この人にかぎらず、普段散歩ご常連の人たちは、夜明けあるいは夕方のどちらかに決めて、無病息災を願って歩いている。たかが散歩とはいってもわが身に照らせば、並大抵の努力や気力ではない。だから私は、それらの人たちに出遭うたびに羨望をおぼえて、同時にそれらの人たちの意志力を崇めたくなる。先ほどは急いで窓ガラスを開いて、歩いている人の頭上に、「頑張ってください」、と呼びかけたくなった。しかし、それは控えた。お顔見知りではないための戸惑いであった。また、声が間に合いそうにない、速足だったためでもある。道路には、ところどころに枯葉が落ちていた。私は、ちょっぴり悔いをおぼえた。悔いとは、きのう掃除を怠けて、すまないという思いであった。
 生きている人は、病なく生き続けることに必死である。無病息災という高望みでなくても、生き続けることには困難を極めるものがある。私は起きて、朝っぱらから、生き続けることの、いや単に生きることの困難さと、そしてそれに立ち向かう意志力の尊さを浮かべている。これは、ひとりの朝駆けの女性から学んだ人生訓と言えるかもしれない。そうであれば「早起きは三文の徳」どころか、いやいや「べらぼうな徳」である。曇り空は、朝の散歩ご常連の人たちの足と心を急かせている。ポツリ、ポツリ、小雨が落ちてきそうである。

疲れが招いている「迷想文」

 九月十四日(水曜日)、夜明けの空は曇り。このところぐだぐだと書いた長い文章のせいで、疲れ果てている。その祟りなのか? 寝床の中で、突拍子もないことを浮かべていた。人間、生存中に格差をこうむることには、仕方がないところはある。なぜなら、すべてではないけれど格差は、競争原理に基づく本人個人の努力の差でもある。しかしながら死は、人間の最期に与えられたまったくの平等である。そして死後のことは、死者本人の意思とはかかわりなく、遺されたものがつくる不平等である。おのずからそれには、見栄や外聞がともなってくる。言うなれば、人間の浅ましさの再現でもある。
 長い文章を書いたせいによる疲れは、確かにある。それよりなにより疲れのもとを成しているのはやはり、素人ゆえの文章の難しさに基因している。文章を書くことには、薄っぺらいわが脳髄の知恵をフル回転しなければならないからである。こんなことを書いて今朝は、半透明の袋に草取りの草を詰めた、ごみ出し準備に取りかかる。この手のゴミ出しは、一週にあって一度(水曜日)だけである。私が都会の僻地生活を余儀なくしているのは、確かに仕方がない。なぜなら、わが生存中の努力不足のせいで、競争原理に負けているせいだからである。わが心鎮まり、わが心安らぐときは、つまるところ死以外にはなさうである。だから言って私には、「死」を待って泰然とする勇気も心地もない。もとより、生来の小器ゆえであろう。曇り空に朝日が輝き始めている。消しゴムで消して、「曇りのち晴れ」と書き替えたいところである。こんな文章では疲れようはないと言いたいけれど、私は書き疲れている。

わが大好物の食べ物、「それは、ごま塩ふりかけの赤飯」

 九月十三日(水曜日)、夜明け時の天気はいまだ夜明け前の暗がりのため、わからない。日付と天気は、日記帳の必須項目である。このところの私は、いくらか図に乗って、書き殴りにかまけてぐだぐだと、長い文章を書いてしまった。恥晒しに恥はないけれど、ご好意のご常連の人たちにたいしては、いたくかたじけなく思うところがある。それゆえにきょうは、心して短い文章を書くつもりでいる。そうは言っても書き殴りゆえに、それはあてにならない。
 私は一日にきっちり三度、パンや麺類ではなく、白米の御飯を食べている。いや白米ご飯は、生きてこの方、食べ続けてきた。それでもまったく飽きや嫌気のこない、わが生涯の美味しい常食である。そして、夫唱婦随で結婚以来、妻もまた同然である。常食ではないけれど、ときたま二人が口に運ぶものでは、即席のカップ入り麺類がある。妻は白米ご飯に加えて、あまたある麺類も好物である。この証しに妻は、カップ入り麺にかぎらず、生そば、生うどん、ソーメン、冷や麦などなんでもござれ、煮立てている。
 私の場合麺類は、好物の埒外にある。ところが、味と手軽さに誘われて唯一食べるものがある。それは「日清のカップヌードル」である。矛盾しているけれどこれだけは、大の文字を添えても構わないほどのわが好物である。たぶん、味というより安価なせいなのかもしれない。そうであれば、わがお里の知れるところである。
 大好きだけれど財布(お金)のせいで常食になり切れないものでは、妻の場合は寿司がある。確かに寿司は、私も準じて好物である。準じてと書いたからには、それを凌ぐものを書かなければならない。するとそれは、「ごま塩、ふりかけの赤飯」である。ところが赤飯には、私のこだわりがある。すなわち私は、小豆(あずき)入りの柔らかくごちゃごちゃ煮の赤飯だけは、真っ平御免である。わが好むものは、大角豆(ささげ)入りのふわふわ赤飯である。ささげ入りの赤飯にごま塩ふりかけ、シンプルだけれどなんと美味しい食べ物であろうか。
 わが子どもの頃にあって生前の母は、わが好物を知りすぎていたのであろうか、ときたまというよりしょっちゅう、ささげ入りご飯を蒸かしていた。わが買う市販の赤飯は、食べるたびに母の面影が浮かぶ、「おふくろの味」の代行役になっている。
 妻が好む寿司には値段を基にランク付け、すなわち格別旨い「特上寿司」がある。しかし、ささげ入りの赤飯は、ランク付けなど用無しの常に旨い「特上」である。きょうもまただらだらと長く、書きすぎたようである。平に、詫びるところである。日記帳であれば夜が明けて、天気の欄には「曇り」と記すこととなる。

「作者冥利」という言葉は、夢まぼろし

 九月十二日(月曜日)、きょうもまた私は、夜明け前の電灯の下、パソコンを前にして木椅子に座っている。眠く瞼は半開きだけれど、執筆時間はたっぷりとある。睡眠中はもちろんのこと、起きてパソコンに向っているときには、難聴用の集音機は両耳から外している。集音機を耳に掛けるのは、文章を書き終えパソコンを閉じて、階下の茶の間のテレビの前のソファに凭れるときである。このときこそ、わが一日の日常生活の始動開始である。
 テレビの後ろの壁に掛けている時計の針は、午前七時十五分あたりをめぐっている。NHK テレビ・BS3チャンネルには、過去に放映された『芋たこなんきん』の二度目が始まる。続いて、現在作の『ちむどんどん』に変わる。合わせて30分間のテレビ小説の視聴は、わが一日の始動の決まりごとである。慌てふためいてもこれらの時間に合わせて下りられないときは、妻の録画撮りにすがっている。
 テレビ視聴の前後には雨戸を開けること、緑内障予防薬の点眼とがある。テレビ小説の後には朝御飯と、わが担当の分別ごみ出しがある。今では億劫になりがちの周回道路の掃除は、文章を早く書き終えれば、これらの前に出向くことになる。一時期、慌てふためいていた朝御飯の支度は、妻のがんばりでこのところは免れている。しかし、まだ回復、もちろん快復とは言えないから、常に出番を窺っている。
 きのう、きょうのこの二日、パソコンに向かっていると、普段ではあり得ないことに遭遇し、私は大慌てで度肝を抜かれた。音は聞こえようなく階段を上がり、妻の姿がわが傍らにニユッと、現れたのである。
「どうしたの? 何かあったのか……、階段、危ないよ!」
 妻は、ニコニコ顔で絶えずしゃべっている。私に、その声は聞こえない。妻は、雨戸を閉めていない窓際を指さしている。会話は会話にならず、私は「集音機は、嵌めてないよ。どうしたの?」と、言う。妻がわが耳元に顔を寄せた。
「パパ。お月さん、見ないの? 十五夜よ!」
「そうか」
「パパ、見なさいよ!」
 先ほどの妻は、「十六夜(いざよい)の月」の観賞の勧めで、階段を上がってきたのである。きのうの妻は、「中秋の満月」を見るために上がってきたのである。
「月、出ているの?」
「雲がかかっているわよ」
 妻の心づくしであれば、すぐに立ち上がらなければならない。しかしその言葉に、私は「そうか。残念だね」と言って、パソコンのキーを叩いていた。妻は音もなく、階段を無事に下りて行った。
 きょうの私は、きのうの文章の二番煎じを書いて、あわよくば二匹目の泥鰌(ドジョウ)を狙っているわけではない。書き殴りゆえの、二番煎じに似た文章にすぎない。「作者冥利」という言葉がある。電子辞書を開いた。
 作者:①芸術作品の作り手、②歌舞伎狂言の脚本を書く人。作家:詩歌・小説・絵画など、芸術品の制作者。特に、小説家。
 案の定、私の場合は、どちらの範疇にも入らない。すなわち、学童の頃の「綴り方教室」にならい、作文の六十(歳)の手習いの文章を書いているにすぎない。もとより、「作者冥利」という、言葉にはありつけない。私は、素人の文章(作文)を書き続けているだけである。だから余計私は、日頃からわが文章の出来に気を揉んで、挙句、身の程を棚に上げて誉め言葉に飢えている。それゆえに私は、突然、わが文章に誉め言葉(望外のコメント)を賜ると、たちまち有頂天になる。もちろん、作者冥利とは言えないけれど、「嗚呼、書いてよかった!」と、喜びがふつふつと沸いてくる。文章、素人ゆえのわが浅ましさである。
 ところが、きのう書いた『切ない、特上寿司』には、思いも寄らず大沢さまと高橋様から、わが身に余るうれしいコメントを賜ったのである。私はうれしくて、涙ぐむ思いだった。そのうえ、お二人様のコメントは、引きずっていた夏風邪による鬱陶しい気分を直し、さらにはこの文章書く気分を起こしてくださったのである。ゆえに私は、この文章でお二人様にたいし、篤く御礼をしたためるところである。
 生来、凡愚ゆえに私は、誉め言葉には虫けらのごとく、浅ましさ丸出しに飛びつくのである。「一寸の虫にも五分の魂」には程遠く、虫けらの浅ましさだけ全開の「わが、うっとり感」である。わがお里の知れるところである。ゆっくりと階段を下りて、妻にお誘いのお礼を言うつもりである。だらだら文、かたじけなく、恥じるところである。「作者冥利」という言葉は、私には夢まぼろしである。

切ない「特上寿司」

 九月十一日(日曜日)、いまだ夜明け前の暗闇にある。夜が明ければ快い秋風をともない、朝日が輝くであろう。きのうの昼間の胸の透く秋空を見上げて、私はこんな思いを膨らましていた。すなわち、天変地異のない自然界の恵みは、人為のどんな恩恵をも凌ぐものがある。こんな思いをたずさえて私は、秋天高い日本晴れの下、買い物用の大型のリュックを背負って、ヨタヨタ足で歩いていた。両手には有料のレジ袋に変わって、持参の布製の買い物袋を両提げにしていた。この光景は、買い物における定番のわがスタイルである。しかしきのうの場合は、いつもとは違って荷崩れを案じ、かなり神経を尖らしていた。
 さて、「ひぐらしの記」は、私日記ゆえにきわめて私的なことを書き続けている。妻は、「ひぐらしの記」は一切読まない。十五年の継続にあっても、まったく無関心のままである。私は拍子抜けというより、つまらなさをおぼえている。ところが、妻が読まない幸運もある。もちろん私は、妻が目を剥く文章は書いていない。しかし読めば妻は、わが文意を曲解し、難癖をつけられたり、怒りをこうむる恐れはある。
 妻は神奈川県逗子市出身、年齢差は私より三つ年下である。出会いの経緯は、過去の「ひぐらしの記」に書いている。なれそめなく、ぎこちない見合いである(大学友人の従妹)。書くまでもないことを、仰々しく書いた。もし仮に、妻が盗み読みでもすれば、私に向かって目を剥くであろう。単行本にすれば、いくらか恐れるところある。しかし、パソコン上の文章だから、その恐れはない。
 さてさて、きのうは、妻の誕生日だった。それによる買い物の目玉は、妻が好む「特上寿司」だった。荷崩れに気を揉んでいたのは、パック入りの寿司をおもんぱかっていたからである。かつての誕生日のお祝いは、居酒屋「きじま」の昼懐石か、あるいは大船駅中にあった立ち食い寿司店「千寿司」だった。今や、遠い佳き思い出である。ところが現在の妻は、腰を傷めて外出行動を渋り、無理して出かけば、私は介助同行役である。それでも私は、「きじまへ、行こうかね……」と、呼びかけてみた。妻の応答言葉は、「パパ。行かなくていいわよ。わたし、行きたくないわよ」。
 かつての千寿司は、経営者を替えて今は馴染みなく、すっかり足が遠のいている。大船の街には、かつてあった回転寿司さえ今はない。昔ながらの専業の小奇麗な寿司屋もない。頼るところは、スーパーの出来合いの寿司である。ただひとつだけ趣を異にする店には、海産物だけを商う「鈴木水産」がある。そこには店の一角に、スーパーよりいくらか生々しく見える寿司が並べられている。ワンパックで最高値段は、1200円のものである。特上寿司という表示はないけれど、私はがわが財布と相談して勝手に、「特上寿司」と名付けている。特上寿司の目玉は、ウニと大きなエビである。私はそうでもないけれど、妻はどちらも飛びっきりの大好物である。
「きじまへ行かないなら、鈴木水産から特上寿司を買って来るよ」
「パパ。高くてもいいの?……」
「高くないよ。おまえ、寿司が大好きだから、大船へ買いに行ってくるよ」
「パパ。ごめんね!」
 書き終わってみればなんだか侘しく、わが甲斐性無しのお里の知れる文章である。
 夜が明けてみれば期待は外れて、大空は風まじりのお雨模様である。こんな身も蓋もない文章には、表題のつけようがない。

文章にならない、書けない

 九月十日(土曜日)、起きて窓ガラスを開けたら、冷ややかな秋風が吹き込んだ。望む大空は少し明るんで、淡い日本晴れである。ようやく待ちくたびれていた、さわやかな空の夜明けである。それでも風が強いのは、南の海に発生したと言う、台風の前触れであろうか。確かに季節は、台風シーズン真っただ中である。だから、台風11号は去っても、ゆめゆめ安穏はできない。季節は初秋、例年であれば額に汗かく、厳しい残暑の候である。ところが今年は、一向に残暑のない異常季節にある。夏の名残は、とうに早じまいである。異常季節であればまずは、天変地異に恐れるところである。私は自然界および人間界ともに、焦眉の憂いない季節変わりを願っている。
 書くネタなく、出まかせ、書き殴りの十分間程度のお茶濁しの文章である。それゆえ、無理してこの先を書くこともない。このところの私は、寝床の中で様々な妄想をめぐらしている。いや、いろんな妄想に取りつかれている。もちろん、こんなことでは二度寝や安眠にありつけるはずはない。今や、私にとっての寝床は、睡眠をむさぼる場ではなく、果てし無く妄想のめぐる場と化している。至極、残念無念である。しかし、幸運にも昨夜にかぎれば二度寝にありついた。ところがその挙句、執筆時間に追われて、ネタをめぐらすことなく、こんな文章を書いている。気分が良い割には、しっちゃかめっちゃかの文章である。恥じて、この先を書くのは控えたい。
 先ほどの淡い日本晴れは濃くなり、満天下、朝日が煌煌と光っている。望んでいた胸の透く秋の訪れである。だから私は、ようやく訪れたさわやかな秋にしがみついて、気分直しをしたくなっている。しかし一方では、かたじけなく思う、秋の夜明けである。殴り書きを止めた。

人生訓と人生観

 九月九日(金曜日)、雨は降っていないものの、まったく朝日の見えない、どんよりとした曇り空の夜明けである。このぶんでは昼間にも、胸の透く秋空は望めそうにない。季節、端境期特有の残暑もなく、きのうの私は、寒気に震えていた。恐れていた台風11号は、大過なくどこかに消え去った。しかしながら、このところの天候不順は、台風11号のしわざであろう。ところが、12号と13号が発生しているという。だとしたらこの先も、これらの台風の前触れをこうむり、これまでのような悪天候が続くのであろうか。つくづくもったいないと感ずる、好季節の初動である。
 さて、わが人生終末期にあって、私は寝床の中でいまさらながらに、こんな二つの言葉を浮かべていた。挙句、枕元に置く電子辞書に手を伸ばし、仰向けで開いた。
 人生訓:世間で生きていくために役立つおしえ。
 人生観:人生に対する観念または思想上の態度。
 あらら! 私は、同義語を重ねれば生まれつき・根っからの愚か者である。なぜなら私は、両言葉の区別や意味さえ確かには知らず、日和見主義に徹して平々凡々と生きてきたにすぎない。その証しには、人様から「前田さん。あなたの人生訓と人生観をお聞かせください」と問われたら、私は答えようなく赤面を晒すこととなる。すでに八十二年も生きてきて、こんなことを書くようでは、確かなわが身の恥である。結局のところ私は、人生訓を垂れたり、人生観を告げたりする資格を持たないままに、ただ生きてきただけである。
 生前の母は、「しずよし、何事もするが辛抱!」と言っては、私に辛抱することの大切さを言い続けていた。母は、飽きっぽいわが性癖を見越して、わが人生訓に代えて遺したのであろう。ところが、私は母の思いに背いて、さずかった人生訓を空念仏にしてすぎてきた。みずから持ちえた人生訓はない。
 一方、わが人生観は、もちろん母に頼ることはできず、自分自身が生み出さねばならないものである。ところがこれとて、確かなものは持てずじまいである。無理やり浮かべれば、八十二年の人生体験における悟りの人生観は、なんともなさけない「諦観と我慢」である。
 ネタなく、こんな身も蓋もない文章を書いて、一巻の終わりとするものである。まだ、朝日は見えないけれど、大空はいくらか明るみ始めている。文章を締めよう。「諦めと我慢」、すなわちわが悟りの人生観である。

掟(おきて)破り

 九月八日(木曜日)、小雨模様の夜明けを迎えている。九月になって早や一週間が経つけれど、ちっとも秋らしくない天候が続いている。せっかくの好季節にあっては、至極残念無念である。しかし、自然界の営みゆえに、恨みつらみはない。恨みつらみは、人間界の営みからもたらされる。これまでの私は、この手のメディアニュースの追認(引用)だけはすまいと、心して避けてきた。ところが今、その掟を破っている。事件、事故という、言葉は使いたくない。あえて言えば出来事、いやこれとて適当ではない。結局、事の表現に詰まって私は、「人間、愚か者のしくじり」と書く。確かに、わが固い掟を破っている。大きな罪作りである。
 罪滅ぼしに、メディア記事の全容の引用だけは止めれば、こうである。すなわちしくじりは、静岡県牧之原市の川崎幼稚園における園児(三歳)の、送迎バス中における置き去り死である。私はこれには平静になれず、書かずにおれなかった。もちろん、この先を書く気分にはなれず、この文章はこれでおしまいである。
 天災とは異なり、人災には無性に腹が立つ。このたびの愚か者のしくじりは、何よりの確かな証しである。人の命には、本人個人と両親の命、三つが宿っている。