ひぐらしの記

ひぐらしの記

前田静良 作

リニューアルしました。


2014.10.27カウンター設置

内田川(熊本県・筆者の故郷)富田文昭さん撮影

 

遅すぎた決断

  十月三十日(金曜日)、ぐずついていた決断を実行する日がやって来た。予約時間は午前十時である。結構早い時間のため、起き出すとその準備のため気分のソワソワを強いられている。もちろん、虚しい気分である。決断が遅れていた歯医者への通院である。このため、きょうは端(はな)から文章を書く気分を殺がれていた。つまり、休みます。私は三日坊主の性癖に輪をかけて、意気地なしである。起き出してきたのは五時三十五分、現在のデジタル時刻は5:46である。
 薄暗く夜明けが訪れている。憂鬱気分直しに道路の掃除へ向かうつもりである。

久しぶりの「卓球クラブ」

 きのう(十月二十八日・水曜日)は、まったく久しぶりに卓球クラブの練習へ出向いた。体育室へ入る前にはおでこの近くで体温計が翳(かざ)されて、女性スタッフ(職員)による検温があった。体温計は、三十六度と示していた。私はにっこり、「平熱です」、と言った。
 マスクをしたままで体育室へ入った。三台のピンポン台には二対二の向き合い、すなわちつごう四人で十二人が打ち合っていた。控えのベンチには、ひとりの仲間(女性)が腰を下ろしていた。いつもと比べれば少ない人数だった。しかし、体育室の賑わいはいつもと変わらなかった。
 早出の仲間たちは、みな元気に打ち合っていた。私だけが元気から取り残されている気分だった。卓球はマスクを着けたままの決まりになっていた。やはり、気乗りがしないところがあった。私は一人の仲間とやっただけで、ロビーへ出てテレビの前に座っていた。しばらく休んで、自宅へ引き返した。汗かきはもちろん、足慣らしにもならない、卓球クラブの再始動だった。
 それにしても仲間たちのうち高齢の女性たちは、みな元気溌剌だった。私は、男女の平均寿命の違いを目の当たりにした思いだった。とりわけ私は、周回遅れの気分に打ちのめされていた。挙句、みずからを鼓舞し、自己発奮を促さざるを得ない証しに晒された思いだった。きのうの卓球クラブにおける唯一の収穫は、この思いを強く自覚したことであろう。まさしく、「人の振り見てわが振り直せ」の直感だった。
 さて、この思いは、この先どうつながるであろうか。みずからの気分に、疑心暗鬼をいだく秋の夜長である。

やんぬるかな! 吐息

 今さら言うのも烏滸(おこ)がましいけれど、新型コロナウイルスの終息の兆しはいまだに見えない。それどころか、メディアの報ずる感染者数を見るかぎり、再び勢いを強めて増える傾向にある。世界的にもこの傾向は、日々伝えられてくる。きわめて、厄介なことである。この先なお続けば、人の営みすなわち日常生活は、おのずから大きく様変わることとなる。なかんずく強いられる行動の抑制や自粛は、人間社会の本質を変えそうである。仕方なく、行動自体をびくびくする人間社会の現出となる。すなわち、人の行動が抑制されたり、自粛を余儀なくする社会になれば、おのずから人の集合体の社会は様変わる。実際にもこのことは、すでにこれまで様々なところで変化を強いられてきた。
 人の個人生活はもとより社会は、人の行動を当てにして組み立てられている。このところ、数値をともなってその現象が伝えられているものには、空の便すなわちANA(全日空)やJAL(日本航空)などの航空業界の業績不振(多額の赤字)がある。この先もなお、欠航や減便を余儀なくすれば、業績不振はさらに深まることが予測できる。ほかさまざまな業界においてもこのことは、容易に予測できるところである。確かに、経済社会が病めば必然的に人の生活不安は、破綻の恐怖をともなって増幅する。現下の日本社会はその渦中にある。そしてなおこの先、新型コロナウイルスの終息が長引けば、人はこの渦に怯(おび)えることとなる。もちろん、私が喚(わめ)いてもどうなることでもない。しかし、どうにかならない! かと、喚きたい秋の夜長である。
 十月二十八日(水曜日)、白々と夜明けの空が訪れている。

日本社会の動きの一端

 きのう(十月二十六日・月曜日)には、第二〇三回臨時国会における菅政権の本格スタートを飾る、菅総理の初めての所信方針が行われて、テレビ中継があった。いよいよ、菅政権の本格船出となった。国民としても新たな期待を持って、菅政権に舵取りを託す日となった。
 国の舵取りに比べればごく小さいイベントだが、同様にテレビ中継に見入ったものがあった。きのうはプロ野球の世界にあって、ドラフト(新人選択会議)が行われた。テレビ中継という公開の場において、あらかじめプロ野球への入団を希望する者の中から、選択(合否を決める)する就活模様の中継であった。喜び勇む菅政権の船出とは異なり、こちらには人様の悲喜交々の人生行路の一幕を垣間見る興奮を共有していた。
 いささか興ざめは、スポンサー(大正製薬など)とテレビ局(TBS)の煽り番組だったことである。例年のことだ!と、心構えての視聴だったけれど、やはりすっきりした気分にはなれなかった。それは人生行路にはつきものの選ばれる者と、選ばれない者とを、公開の場で分けるせいである。ドラフト自体は仕方ないとしても、イベント仕立てではなく、結果の報道くらいでいいのではないかと、私は思った。そうは言っても私は、関心深く中継に見入った。結局、私のような者がいるかぎり、公開の場のドラフトは、この先ずっと続くであろう。そうであればひねくれずに、選ばれた者の前途を祝し、涙をのんだ者の捲土重来(けんどちょうらい)を願うところである。
 新型コロナウイルスは、なんだか第二波が来そうである。きょう(十月二十七日・火曜日)の目覚めはいつもと違って、四時半過ぎだった。約三十分の殴り書きで、日本社会の動きの一端を記したのである。

休み明けの切ない一文

 十月二十六日(月曜日)、きょうもまたほぼ同時刻に目覚めて、そのまま起き出してきている。良いのか悪いのか? 秋の夜長にあってはいまだに夜中(二時半頃)であり、やはりありがたくない習性になりつつある。ただありがたいことは、まったく寒さを感じない夜の佇まいに身を置いていることである。
 きのう(十月二十五日・日曜日)は、心ウキウキした前日の秋の陽射しをはるかに凌いで、天高い好天気に恵まれた。私は朝食を済ますと、予定していた行動を開始した。ほぼ片道二時間半ほどをかけて、東京都国分寺市内に着いた。次兄夫婦とその長男夫婦が住む、宅へのお決まりの訪問である。
 次兄夫婦は、共に九十歳を超えた。もう何年も、月に何度かの表敬訪問を続けている。しかし、新型コロナウイルスのせいでこの頃は、黴菌を持ち込むのを恐れて、意識して控え気味になっている。次兄宅は第二のふるさとであり、次兄夫婦は実在する父親と母親代わりである。共に優しく、現在私あるのは、二人のおかげである。このことはひとときも忘れず、ずっと慕い続けてきた。かつては異なり、年老いた次兄夫婦に会うのは、今や愉しみばかりとは言えない。いや、実際のところは、健康状態を確かめるためのつらい訪問である。しかしながらそれは、強く肝に銘じているわが身の為せるただ一つの恩返しである。
 久しぶりに電車に乗ったけれど、新型コロナウイルス禍の騒ぎにあっても車内風景は、そう変わらなかった。車内風景とは、ずばり乗客数である。私の定例の訪問は土曜日か日曜日である。もとより、乗客数は平日より少なめである。しかし、いつもの日曜日と比べても乗客数は、新型コロナウイルス禍にあっても、少ないとは思えなかった。たぶん、秋晴れの好天気に誘われて、滞り気味だった人の行動が促されたのかもしれない。やはり、人の足と心の動きは、天気の善し悪しに左右されるところが大きいと、言えそうである。
 この秋晴れ、今週まで続くのか? と、気が揉めるところである。気が揉めることのイの一番は、やはり第二波が来そうなこのところの新型コロナウイルスの感染者数の地方や地域への広がりかたである。「GO TO トラベル(旅)」、「GO TO イート(飲食)」など、「秋の戯(たわむ)れ」とも思えるのは、それにありつけないわが金の乏しさと心の貧しさであろうか。
 きょうもまた懲りずに、私は秋の夜長の冥想(迷想)に耽っている。

休みます

 きのう(十月二十四日・土曜日)は、待ち焦がれていた秋天の暖かい陽射しに恵まれました。私は心勇んで、いつもの大船(鎌倉市)の街へ買い物に出かけました。どこかしこのお店、買い物客で賑わっていました。
 きょう(十月二十五日・日曜日)、現在のデジタル時刻は、3:51です。二度寝ができないままに起き出して来て、パソコンを起ち上げました。人生の終盤になると、心中の平常心はごたついて、まったく保たれません。挙句、私は文章を書く心地、気分を失くしています。書くまでもないことを書いて、休みます。この先の日々は、こんな心境にさいなまれそうです。
 余生とは文字どおり余りの生命であって、もはやどうでもいい人生のひとしずく、あるいはひとかけらかもしれません。そうであれば安寧な気分を望むのは、高望みすなわち欲張りなのでしょうか。寝床へとんぼ返りを試みますが、寝付けず悶々とする長い夜になりそうです。
 わが気分のせいで、ご常連様の楽しい日曜日の気分を塞いで、申し訳ありません。

浮かれ気分に水差す数値

 新型コロナウイルスにかかわる文章はニュースにもならず、もちろん妙味に欠けるため、意識して書くのを避けてきた。そのため、私は無理やりネタ探しに努めてきた。きょう(十月二十四日・土曜日)もまた、そんな気迷い気分をたずさえて、パソコンを起ち上げた。ところが、この配信ニュースに驚いて禁を破り、仕方なく新型コロナウイルスにかかわる記事の引用を決意した。東京都にかぎれば、このところの感染者数はいくらか減り気味であり、虚を衝(つ)かれた驚きである。
 【全国で748人が感染 北海道は1日あたり最多の51人】(2020年10月23日22時31分、朝日新聞DIGITAL)。「新型コロナウイルスの国内感染者は23日、午後9時現在で新たに748人が確認された。死者は12人。北海道では新たに51人の感染を確認した。緊急事態宣言下の4月23日の45人を上回り、道内では1日あたりで最多の感染者数となった。東京都は186人で、4日連続で100人を上回った。大阪府では、新たに100人を確認。府内で1日あたりの感染者が100人以上となるのは120人だった9月11日以来、42日ぶりとなった。また沖縄県は、県議会の会派『沖縄・自民党』所属の県議10人が新型コロナウイルスに感染したと発表した。同会派の県議18人は18~21日に離島の与那国町や石垣市、宮古島市を訪れ、自衛隊基地などを視察。日程表では18~20日に『夕食(懇談会)』と書かれており、県議会事務局によると居酒屋を貸し切りにした懇親会が開かれたという。国内の感染者+748人(96112人)死者+12人(1710人)退院者+579人(88904人)10/23 21:00時点 退院者数はクルーズ船の乗客らを含めた数。厚労省などによる」。
 「GO TO トラベル」、「GO TO イート」、「GO TO 商店街」などのキャンペーンは、いよいよ盛りになっている。この先、いくらか気になる人の世の他人様(ひとさま)の浮かれ気分である。もちろん、浮かれ気分に乗れない、わがやっかみではない。秋の夜長は、人の世を知らず深々と更けてゆく。

秋の夜長の恩恵

 このところの私は、せっかくの秋の夜長を恨めしく思うばかりだった。ところが、きょう(十月二十三日・金曜日)現在(デジタル時刻、3:00)の私は、秋の夜長にたっぷりと浸っている。すなわち、秋の夜長でなければ執筆時間に急かされて、時間の掛かることはできない。
 私は目覚めるとそのまま寝床に寝そべり、心中に使い慣れている言葉をめぐらしていた。その言葉は、「生来」である。知りも知っているこの言葉は、「生まれつき」として、しょうちゅう文章の中に用いている。文章に用いるときは、必然的にその後には愚痴こぼしの事柄が続いている。すなわち、記憶を新たにすればそれらには、生来、私は三日坊主とか意志薄弱とか、はたまた決断力に乏しいとか、わが精神力の欠如や欠陥を示すものが露わに記されている。これらのこと以外にも浮かべれば、芋づる式に次々に浮かんできて、まったく尽きるところはない。
 さらに、三つほどに限り記すとこうである。生来、わが脳髄は蒙昧(もうまい)である。生来、わが顔は醜面(しゅうめん)である。生来、わが手は不器用(ぶきよう)である。あらあら、四つを書く羽目になった。生来、私は内気というより、劣等感の塊(かたまり)である。書き出すと確かに、きりなく尽きない。だから意図して、打ち止めにせざるを得ない。
 生来という言葉を浮かべて私は、「後天」を見出し語にして、枕元に置く電子辞書を開いた。すると、こう記されていた。[易経(乾卦、文言)「天に先だちて天違(たが)わず、天に後(おく)れて天の時を奉ず」]生まれてから後(のち)に知ること、生まれてから後に身に備わること⇔先天。次には「先天」を見出し語にして、再び電子辞書を開いた。[易経(乾卦、文言)「天に先だちて天違(たが)わず、天に後れて天の時を奉ず」(天に先だつ意)生まれつき身に備わっていること⇔後天。
 私にとりつく「生来」という言葉は「先天」と同義語であり、そしてその反義語は「後天」である。結局、知りすぎている言葉の復習にすぎない。それでも、秋の夜長の恩恵である。確かに、生来と先天は同義語である。しかし、先天的とは言っても、生来的とは言わない。後天的に見合うのは、先天的がふさわしいことを復習したことにはなる。
 学童の頃の「綴り方教室」、さらにはかつての「日本随筆家協会」(故神尾久義編集長)の会員当時から私は、文章はやさしい言葉でわかりやすく書くことを指導されてきた。このことからすればわが綴る文章は、ゴツゴツとしてきわめてわかりにくいものである。おのずから私自身、「下の下の文章」と、認知しているところである。
 そのための言い訳を一つだけ記すとこうである。私は、語彙(言葉と文字)の生涯学習を掲げている。このため、忘却を恐れて咄嗟に浮かんだ言葉をやたら滅多らと文章の中に用いている。わが文章は、掲げる「語彙の生涯学習」の実践の場と任じているところがある。必然的に文章は、滑らかさを失くし熟(こな)れない硬いものとなる。ひいては、文章の基本を逸脱しがちになっている。つまりは、わが生来の凡愚(ぼんぐ)ゆえである。結局は、先天的なものであり、後天的に補えるものではない。
 秋の夜長は、五月雨式(さみだれしき)にキーを叩いても、夜明けまではまだまだ余りある時間を残している。それでもきょうはこれまでとは違って、表題には「秋の夜長の恩恵」と、記そうと決めている。ただ惜しむらくは、きわめて硬いわかりにくい文章の見本に成り下がっている。わが生来の「身から出た錆」である。

萩の花びら

 十月二十二日(木曜日)、パソコン上のデジタル時刻は3:28と刻まれている。秋の夜長にあっては、夜明け前と言うにはうしろめたいところがある。そのため、かなりの嘘っぱちだが、こんな表現を試みた。「秋の夜は、静寂(しじま)に深々と更けてゆく」。ときには、文学的表現をしてみたかったにすぎない。
 もう一つ、忘却を防ぐため英単語を書き添える。それは、PETAL(花びら)である。八十(歳)の手習いの実践のためである。道路からサルスベリ(百日紅)の花びらが消え、次には金木犀の花びらが消えた。すると、自然界にあっては瀟洒(しょうしゃ)な秋の花が咲く時期にあっても、わが家周りには草花を含めて、花びらを目にする日が途絶えていた。
 庭中の椿は蕾(つぼみ)を膨らす時期にあり、開花はいまだ先送りの状態にある。こんなおり道路を掃いていると、空き家を解いて残された空地の植栽の金柵の間から、萩の花の茎が湾曲してニュッと道路側へ垂れていた。今にも折れそうなか細い茎は、小さな花びらを重たそうに無数に着けていた。思いがけない出遭いにあって私は、箒の手を止めて佇んだ。萩の花びらに虚を衝(つ)かれて、驚くより狂喜した。心中無下に、(ここは、人が通るところだから邪魔だよ!)と呟いて、折れないように気を配り、鉄柵の間から空地の植栽へ返した。きょうは、たったこれだけのことを書いてみたくなったのである。
 わが文章には、いつも明るさがない。おのずから、自分自身にもそうだけれど、読む人には輪をかけて気分の滅入る文章ばかりである。すなわちこれは、生来のわが性質に起因する「身から出た錆」の証しである。もちろん私は、常々明るい文章を書きたいと願っている。しかしながら、生来のマイナス志向が祟(たた)り、いっこうに書けない。ほとほと、なさけなく、また、かたじけなく、思うところである。明るいネタ探しを試みたけれど探しきれない。そのためきょうは、「萩の花びら」におんぶにだっこされた蛇足文で、閉めとせざるを得ない。
 夜明けまでは、まだまだ長い夜である。夜明けの薄明りが訪れれば真っ先に道路へ向かい、お礼返しに萩の花びらの周辺を見回るつもりにある。いくらか、亡き父親の真似事である。父親は夜が明けると蓑笠(みのかさ)を着けたり、甚兵衛(じんべえ)を羽織ったりして、水田の見回りに出かけていた。萩の花びらは思いがけなく、父の面影をも偲ばせてくれたのである。萩の花びら、様様(さまさま)の一文である。

秋空の中の柿の実一つ

 狭小なわが家の庭中には、園芸業者やプロの庭師など、すなわちお金を掛けてととのえた植栽はない。似非(えせ)の庭模様を成すのは、多額のローン(後払い)にすがり、ようやく宅地を買い求めた嬉しさに、勢い余っててんでバラバラにあちこちに植えた安価な雑木(ざつぼく)ばかりである。ひと言で表現すれば、殺風景な風景を逃れるためのお茶濁しの緑にすぎない。わが目の保養にはもっぱら、人様すなわち家並の植栽と、取り囲む山と周辺の木立に頼っている。言うなればわが目の保養は、人様の植栽と自然界の風景が織り成すコラボ―レーション(協作)すがりである。
 とうてい樹木とは言えない庭中の細木であっても、このところ年々、わが身辺整理の対象物になっている。おのずから立ち姿はこじんまりとなり、みすぼらしくなるばかりである。すなわち、いずれは空き家になることから、隣近所に迷惑を掛けないためのわが意図する自己都合の庭木傷(いた)めである。
 もちろん私とて、無慈悲に手当たりしだいに枝葉縮めを敢行しているわけではない。心中では傍目(はため)構わず、泣きべそどころか、号々と泣いている。わが心中のことだから、人様には見えないだけのことである。
 もとより、樹木というほどではない低木の柿の木だが、年々、枝葉切り落としの被害者となっている。挙句、身形(みなり)ならぬ木形(きなり)は、今やみすぼらしい姿を晒している。そのせいでいよいよ今年(令和二年)は、わずかに六つの実を着けただけだった。それでも唯一、わが家における実りの秋の実現である。それゆえに半面、私は様変わった風景を眺めて、心寂しさをつのらせている。柿の生る風景をこよなく愛し、それにも増して実利の味覚を好む私には、みずからの手でみずからを打ちのめしたつらいわが仕打ちだった。
 実際のところこの風景を眺めていると、矛盾するけれど憐憫の情と罪業(ざいごう)に、甚(いた)くわが心を砕(くだ)いていた。その証しには二つだけを手に取って、味の試し食いをし、四つは眺める秋の風景として残した。ところが、残したものの三つは熟柿(じゅくし)となり、わが無情にも道路へ落とし、汚(きたな)らしく裂けた。山に棲むわが愛鳥のシジュウカラやメジロに恵むこともなく、相済まなくてわが胸は切り裂かれる思いである。
 そして現在は、サバイバル(生き残り)競争に勝ち得た、一つ実だけが枝に着いている。この風景を眺めているとわが胸は、またもやキリキリと痛むのである。身辺整理は、長い人生の果てに訪れる、短く限りあるものの、途轍もなく「命の痛み」をおぼえる、虚しい作業である。